グリーングリーン サイドストーリー ちっちゃいってことは? 完全版   12月7日(1) 「ただいまっ、うー、寒」  僕は部屋に入ると、机の上に置いてある小さなサボテンに話しかけた。  株に比べると二周りほど大きな鉢の中には、僕が作った手作りのブレスレットが置いてある。そして、その隣には拳大の小さな株。  一見普通に見えるサボテン。  でも、違う。 『高崎先輩。お帰りなさい』  サボテンからは、僕だけに届く声が聞こえる。  そう、これ───いや、『彼女』が───  ───朽木若葉、なんだ。 「今日も轟がうるさくてさ、もう大変だったよ」 『そうですか。大変でしたね』  いつもと同じような会話。全寮制の学園生活なんて、そうそうイベントが起きるもんじゃない。 「祐介どん、またサボテンと会話でごわすか」  僕の背中から話しかけてきたのは、同室の天神泰三だ。 「ああ」  恥ずかしがらず、悪びれずに僕は答える。 「よくもまあ、飽きないものでごわすな」 「まあな」  天神が僕のことを心配して言っているのは、わかりすぎるくらいわかっていた。でも、きっと僕のことは理解されないだろう。 『ごめんなさい先輩。私の声が、天神先輩にも届けばいいんですけど』 「いいんだ。僕はなんともないから」  僕は苦笑する。若葉ちゃんの声が聞こえるのは、僕だけらしい。  あの夏の日、僕たちが結ばれたことで心が通じ合うようになったのではないかと、若葉ちゃんは言う。  確かに、僕も他の植物の声は聞くことが出来ない。聞こえるのは、若葉ちゃんの声だけだ。  おかげで僕は、天神やバッチグー、一番星から不思議ちゃん扱いされている。失恋のショックでこうなったのだと思われている。  それでも、あいつらは友達でいてくれるのだ。この間など、小林樹に再び女装をさせて元気づけようなどと言う話があったらしい(樹に猛反対されて流れたらしい。僕の方もさすがにもうお断りだ)。行動はどうにもいただけないが、本当に良いやつらだと思う。 「あの夏の日、若葉ちゃんの声が聞こえなかったら、僕はどうなっていたかわからないよ」 『そんなこと言わないでください。……悲しくなります』 「あ、ゴメン……でも僕は、今こうやって若葉ちゃんと話が出来るのが、すごく幸せなんだ」 『ありがとうございます。高崎先輩』  後ろでは、早くも天神のいびきが聞こえた。まともな娯楽もない全寮制の男子校だ。楽しみと言ったら食うことと寝ることしかない。 「……じゃ、僕ももう寝るから」 『はい』  しばらく話した後、僕は立ち上がり、押入に向かった。 「じゃ、おやすみ……」 『おやすみなさい……』  部屋の電気を消し、僕は眠りについた。   12月7日(2) 「先輩……高崎先輩」  若葉ちゃんの、声が聞こえた。  そんな、馬鹿な。 「起きてください……高崎先輩」  ───確かに、聞こえた。 「若葉ちゃんっ」  僕は若葉ちゃんの名を叫びつつ、跳ね起きる。 「な、なんでごわすか?」  僕の声に驚いたのか、僕の上から天神の声がした。 「あ、すまん。寝ぼけた」 「そうでごわすか……ぐがー」  寝つくの早っ。  って、そうじゃなくて!  僕は机の上に置いてあるサボテンに目を向けた。  一見、何も変わらないように見える。  サボテンの株が、月明かりに映し出されてぼんやりと青白く見えた。  真ん中の拳大ほどの小さな株、そして隣に置いてある、緑の石をつけたブレスレット。僕が、若葉ちゃんに送ったプレゼント。 「高崎先輩」 「!」  声は、枕元から聞こえた。  僕は慌ててPHSを探す。今も着信しかできないPHSは、時計機能の他にバックライトを使った簡易懐中電灯としても役立てている。 「ここですよ。先輩」  声の方に手探りで見つけたPHSの明かりを向ける。その中に浮かび上がる姿。 「ああっ」  僕は思わず声をあげた。  そこには三十センチ足らずの、全裸の少女が立っていた。 「若葉ちゃん……」 「えと、なんとか実体化できました。エヘ、まだ小さいんですけど」  その声を聞いた瞬間、不意に涙がこぼれ落ちた。  涙が、一粒、二粒。布団の上に、染みを作っていく。  心に響く声。でも確かに、僕の耳に聞こえる声。 「高崎先輩。泣かないでください」  若葉ちゃんは、僕に駆け寄ってきた。 「あ、ああ……」 「大丈夫ですよ。実体化出来たということは、術は解けていないということですから。力を取り戻せば、元の姿に戻れますよ」 「良かった……」  僕は手で涙を拭う。帰ってきたんだ、若葉ちゃんが。 「しかし……」  安心と共に冷静さを少し、取り戻す。 「どうかしましたか?」 「……服、無いよな?」  若葉ちゃんは全裸だった。一応あの事件の後、若葉ちゃんの服は全部取ってある(あんなところに置きっぱなしでは、理由も付けられないからだ。後日こっそりと洗濯もした)が、若葉ちゃんがこのサイズでは全く役に立たない。 「……どうしよっか。あ、とりあえず……」  僕は、押入から起き出し、引き出しからハンカチを取り出す。 「これにくるまっててよ。服は後で何とかするから」 「ありがとうございます。高崎先輩、優しいんですね」 「いや、それは、あの、もし見つかっても、若葉ちゃんが裸じゃ、まずいし、その、あー……」 「?」 「……他のヤツに、見せたくないから」 「ふふっ、嬉しいです」  微笑んで、僕から渡された白のハンカチを纏う若葉ちゃん。 「綺麗だ……」  PHSの薄暗い明かりに浮かび上がる姿を見て、純粋にそう思った。 「え?」 「あ、いや、何でもない」  僕は照れを隠すために、そっぽを向く。 「ありがとうございます、高崎先輩」  若葉ちゃんは、優しく微笑んだ。   12月8日  次の日。 「若葉ちゃん。これ、合うかな?」 「え?」  僕が持ってきたのは、軍人の人形だった。クラスのヤツが何体か持っていたのを思い出し、借りてきたのだ。 「さすがに下着とかは無いけど、とりあえずこれで、さ」 「はい。じゃあ、着替えますね」  若葉ちゃんは僕から服を受け取ると、そのまま着替え始めた。  すっ、と纏っていたハンカチに手を伸ばす。 「ちょ、ちょっと待って」  僕は慌てて後ろを向く。 「はい、どうぞ」 「え? どうして後ろを向くんですか?」 「だって、着替えるんだろ? 見てちゃ悪いし」 「悪いもの、なのですか?」 「まあ、そうだと、思う」 「先輩は……私のハダカ、嫌いですか?」 「そ、そうじゃなくて。一般常識としてだね」 「そう……ですね。わかりました。とりあえず着替えますね」 「おう、出来たら教えてくれ」 「はい」  微かに、布のこすれる音がする。  妙に、刺激的だ。 「先輩。着替えました」  若葉ちゃんの声に、僕は振り向く。 「ちょっと、だぶだぶなんですけど……」  少しサイズが大きいらしい。あげくに体格が異なるため、両手両足を大きくまくった状態になっている。 「でも、着られなくはないですよ」  若葉ちゃんはそう言って、身体をあちこち動かしてみる。  む、胸の谷間が、セクシーだな……。  あ、いかんいかん。 「どうかしましたか?」  若葉ちゃんの声に、僕は慌てて首を振る。不思議そうな顔をする若葉ちゃん。 「……ま、まあ……これでよし、だな。後は、見つかったときの理由付けだが……」  僕は腕を組んで考える。僕の姿を見て、若葉ちゃんも腕を組む。 「うーん、うーん」  若葉ちゃんは、右の人差し指をこめかみにあてる。 「ふにゅ〜」  そのまま、首を傾げる。 「うにゅにゅにゅ〜」 「……思いついた?」 「……だめです。思いつきません〜」  ……正直、期待してなかったけど。 「じゃ、仕方ない。ありきたりだが、人形ってことでいこう。わかった?」 「了解です。高崎先輩」  若葉ちゃんは、僕に向かってビシッと敬礼をする。 「だから、人前では動いたり、しゃべったりしないでよ?」 「え? どうしてですか?」 「人形だから」 「……人形って、動かないんですか?」  首を傾げる若葉ちゃん。 「……一応言っておくけど、動かないから」 「あ、そうですね。式神とは違いますものね。わかりました」  きっと若葉ちゃんは、双葉が創る式神と同じようなものを想像していたに違いない。  本当に、大丈夫かな……。  僕は何となく、心配になった。   12月9日(1)  日曜日。  僕は貴重な休日を使って、街に出ることにした。 「本気でごわすか?」 「大丈夫。何とかなるだろ」  驚く天神に、僕はそう答えた。  駅まで歩いて三時間。それから電車に揺られることを考えると、おそらく街にいられるのは一時間程度。  でも、行かないとならない。  若葉ちゃんの、服を買うために。  ……いくらなんでも、購買に「人形の洋服を」とは言えないし。  ……エロビデオを調達できるくらいだから、何とかなるか?  いやいや、せっかくだから、若葉ちゃんに選んでほしいし。  僅かな葛藤。けれど、決めたことだから。 「じゃ、行って来る」 「祐介どん、サボテンも持っていくでごわすか?」 「ああ、たまには外の空気も吸わせてやらないとな。じゃ」 「気を付けるでごわすよ」  心配そうな天神に手を振ると、僕は外に飛び出した。  徒歩と電車を乗り継いで、僕は麓の町にやってきた。ここには、小さなおもちゃ屋が一件だけある。一度、ゲーム機をみんなで買いに来ようとしたので覚えている。  ……あのときは、ソフトを買う金が無かったんで諦めたんだよな。  見覚えのある路地を曲がると、そこにおもちゃ屋があった。  どうやら閉まっているとかつぶれているとかいう最悪の事態は、避けられそうだ。 「いらっしゃい」  中にいた中年の親父が、愛想無く言う。  僕は脇目もふらず、まっすぐ女の子向けの人形が置いてあるスペースに向かう。 「どれがいい?」  僕はサボテンを使って親父から死角をつくると、鞄の中の若葉ちゃんに向かって小声で尋ねた。 「うー、先輩の好きなもので、いいですよ」 「そう言われてもなあ……」  最近の人形は、服のバリエーションが広い。  ……こんなぼろ店に何故、これだけのバリエーションがあるのか親父に尋ねたいが。 「あ、黒の下着がありますよ。どうですか?」 「ど、どうですかって……」  大人の女性が着けるような、セクシーな下着。  ちょっと、想像した。  あ、いいかも。  いやいや。 「えー、まだ若葉ちゃんには早いと思います」  照れながら、言う。 「そうですか? まあ、先輩がそう思うのならいいですけど」  不意に視線を感じ、ちらりと横を向く。  親父が、じっとこっちを見ていた。  ひええ……。  変なヤツだと思われたかな。  ……まあ、サボテン抱えたまま女の子向けの人形売場でぶつぶつ言ってる人間が怪しくないなんて、誰も思わないだろうけど。 「……アンちゃん、人形、好きか」  不意に親父が声をかけてきた。 「い? え? は、はい……」  驚きつつも、何とか返事をする。 「そっかそっか。実はな、俺も好きなんだ」 「は、そうですか……はは」  苦笑い。 「やっぱ、人形は男のロマンだよな」 「そ、そう……ですね」  多分……違うと思うぞ。 「いいの……あったか」 「いや……えーと、動きやすい服がいいかな、とは思うんですが」 「そうか、アンちゃんはスポーティーなのが好きか」  多分意味を取り違えているのだとは思うが、親父の言葉に頷く。 「じゃ、これどうだ」  そう言って親父は服の束の中からごそごそと出してくる。 「これって……」 「おうよ、これこそ男のロマンだろ?」  親父はニヤリと笑う。  親父が手に持っているのは、体育着とブルマだった。  まあ……否定しないこともない、けど。 「さすがに……それは……」 「じゃあな、これもつけるぞ」  と言って親父はジャージを取り出す。  何故こんなマニアックなものを? 「ウチはオリジナル作品を作ってるからな」  さ、さいですか……。  結局、若葉ちゃんに似合うかと思ったデニム地のミニスカートとブラウスのセットと、白の下着、靴下(これらは予備も買った)、靴。それに親父が是非にと押しつけられたブルマ&ジャージセットと、ついでにコートを購入した。  小遣いは、無くなったけど。 「なんか、すごい店だったな」  僕は親父に押しつけられたカタログを眺めながら、若葉ちゃんに言った。  どこぞやの通販カタログ並の品揃えだ。確かに、オリジナル品は値が張るが。  ……おい『鐘ノ音学園女子制服』三万って何だよ。 「でも、女の子のことを真剣に考えていらっしゃるんですね」 「いや、それは違うと思う」  あれは完全に親父の趣味だ。  おかげで助かった、というのも皮肉な話だが。   12月9日(2)  部屋に戻ると、幸いなことに天神は居なかった。多分バッチグーあたりと一緒に居るんだろう。  これ幸いと、早速着替えてもらう。  袋からごそごそと下着と靴下、それとスカートとブラウスを取り出す。 「はいこれ。じゃあ僕は後ろ向いてるから、終わったら教えて」 「わかりました、高崎先輩っ」  僕の背後で、若葉ちゃんが着替えをしている。  嬉しいのだろうか、鼻歌が聞こえる。 「どうですか?」  若葉ちゃんの声に振り返ると、そこには下着姿の若葉ちゃんが立っていた。  靴下まで着用済みなのが、ポイント高い。  いや、そうじゃなくてっ。  僕は慌てて後ろを向き直す。 「ど、どうですかって、服着てないじゃないかっ」 「だって、せっかく先輩が素敵な下着を買ってくれたのに……」 「え?」  その言葉に再度振り向くと、若葉ちゃんが照れた表情で立っていた。  つられて僕も赤くなる。 「あ、はい。カワイイ思います。だから、ね?」  セルジオ越後が混じるほどしどろもどろになりながら、僕は若葉ちゃんに服を渡した。  あのとき、若葉ちゃんの裸身は、隅々まで見たはずなのに。  こんなにも、下着姿にどきどきするなんて。  慣れて、無いんだな。 「何か、おかしいですか?」  僕が苦笑したのを見て、若葉ちゃんが自分の身体を見る。 「いや、若葉ちゃんがおかしいんじゃないよ。とりあえず、着替えて」 「はい」  若葉ちゃんは僕の言葉通りに着替えていく。 「はい、出来ました」  僕は若葉ちゃんの声に振り向く。ミニスカート姿の若葉ちゃんが、そこに立っていた。  ……かわいい。 「どうですか?」 「あ、えっと……似合ってると思うよ」  うまい言葉が見つからない。 「先輩にそう言ってもらえると、嬉しいです」 「そっか」 「そうです」  若葉ちゃんはその場でくるりと回ってみせる。サイズも丁度良いようだ。 「あ、先輩。ブレスレット、かけて良いですか?」 「え? ああ、いいけど」 「あはっ、嬉しいです」  若葉ちゃんはブレスレットの紐を肩からクロスにかけた。 「ちょっと、大きくないか?」 「いいんです。先輩が最初にくれたプレゼントですから、いつも持っていたいんです」  若葉ちゃんはそう言って微笑む。  本当に、いい子だなあ。  ブレスレットを肩から下げた若葉ちゃん。  ……なんか、いい。 「あとは、髪を束ねる紐か何かあれば、いいんですけど」 「ああ……糸じゃ、だめかな」 「大丈夫だと思います」  僕は何故か持っている裁縫箱から赤い糸を取り出し、短く切った。 「これで、いい?」 「はい」  渡した糸を使って器用に髪を束ねる。  やっぱ、女の子なんだな。 「はい。朽木若葉、全部終了しました」  にこっと笑う若葉ちゃん。 「よしよし……後は、サボテンが成長するのを待つだけだな」 「春にはかなり大きくなると思いますよ。順調に行けば、ですけど」  確かに、夏から冬にかけて、結構成長したもんな。 「そっか。そしたら、朽木に連絡して、また転入の手続きを取ってもらえばいいな」 「……上手くいけばいいですけど」 「うん。でも、まずは若葉ちゃんが立派に成長することだね」 「はい。頑張りますっ」  若葉ちゃんはぐっとガッツポーズをする。  これから、何があるかわからないけど。  僕も、頑張らないとな。   12月10日 『はい、朽木です』 「あ、えー、高崎と申しますけれども、双葉さんはいらっしゃいますでしょうか?」 『少々……お待ちください』  受話器から保留音が流れる。 「大丈夫ですか?」 「あ、ああ……大丈夫」  ただ電話をかけるだけで、こんなに緊張するとは思わなかった。  僕は今、双葉のところに電話をかけている(電話番号は若葉ちゃんから教えてもらった)。今は食事の時間だから、寮には誰もいない。一食抜くのはきついが、天神には「ちと腹痛で」と言ってごまかした。もっとも「後で腹減るかもしれないから、なんか取ってきて」とも言ってあるが。  電話をかける理由は二つ。双葉への報告と、今後についてのアドバイスをもらおうと思ったのだ。  ……三分経過。  手持ちの十円玉が次々と飲み込まれていく。  早くしてくれ……。 『もしもし?』  受話器から聞こえたのは、朽木双葉の声。 「あ、もしもし、鐘ノ音学園の高崎祐介だけど」  自分をどう紹介していいかわからず、とりあえずそう答える。 『そんなのわかってるわよ。あたしが知ってる男で高崎は、あんたしかいないから……それにしてもよく、ここの番号わかったわね』 「ああ、それは……」 「お姉さまっ、私です。若葉ですっ」  僕の言葉に、若葉ちゃんが割り込んできた。 『ああ、若葉……そっか、戻れたんだ』 「お姉さま、ごめんなさい、ごめんなさい……」  若葉ちゃんは受話器に向かって、何度も謝る。 「お姉さまのご命令を守らなくて、ごめんなさい……」 『……もう、いいわよ』 「え?」 『若葉はもう、あたしに従う必要はないわ』 「どうしてですかっ。私はお姉さまの……朽木双葉の式神として……」 『その役目は終了。私の式神である朽木若葉は、台風の中、主人であるあたしを守るために、その力を使い果たしたのよ』 「そんな……」 『そういうことにしてあるの。だから、あたしは次の式神を作ることにしたんだ。まあ、来年にはそっちに編入するつもりだから、そのときには紹介できるわね』 「お姉さま……」 『ねえ、若葉。あんたはもう自由なのよ。あたしの命に従う必要は無いの。あんたが本当にしたいことを、しなさい』  双葉の声に、若葉は泣き出していた。  僕は泣き続ける若葉を横に、受話器を取る。 「もしもし朽木。若葉ちゃんのことなんだけど……」 『ん? どうかしたの?』 「身体が、小さいままなんだ。三十センチくらい」 『ふうん。それは多分、生命力が足りないからだと思う』 「生命力?」 『うん、あたしがいればあたしの力で身体の構築が可能だけどね。でもあたしがいないから、若葉は自分の生命力だけで身体を構成しなければならないの。それが足りないんだわ』 「どうすれば、いいんだ?」 『そのままにしておけば? 成長すれば大きくなれると思うけど、かえってそのままの方が、そこに居やすいんじゃない?』  双葉に言われて気づいた。若葉ちゃんが大きくなるのはいい。でもそのとき、どう説明する?  まだ小さいまま、人形としてごまかす方がいいんじゃないか?  ……考えがまとまらない。 『ま、考えても、別にすぐ大きくなる訳じゃないから』 「それもそうだな」 『……あまり心配なら、冬休みにでも、会ってあげてもいいけど』 「本当か?」 『……え、ええ。……一応、若葉の顔も見ておきたいしね』 「じゃ、じゃあ……」  僕は慌てて日にちと場所のメモを取る。冬休みなら僕も実家に帰るから、身動きも取りやすい。  幸いにも互いの家が関東だったため、待ち合わせ場所は東京ということにした。 『忘れないでよ。あたしも忙しいんだから』 「お、おう……それじゃ、もう十円玉無いから」 『はいはい。ごくろうさ……』  チャリン。  ツー、ツー。  丁度電話が切れた。  ふう、ぎりぎりだったな。 「ひっく、ひっく……」  見ると、若葉ちゃんはまだ、泣いていた。  僕は若葉ちゃんをそっと抱え上げると、肩に乗せた。 「冬休みにさ、朽木が会いたいって。若葉ちゃんに」 「……本当ですか?」 「ああ、本当だ」 「……良かった」  若葉ちゃんは涙を拭う。 「な、だから泣くのやめようよ」 「はい。泣くの終了〜」  どっかで聞いたようなセリフ。  まあとりあえず、冬休みを待つしか、ないんだよな。  僕は人差し指で若葉ちゃんを撫でながら、そう思った。   12月12日 「はーい、お久しぶりですねー。元気にしてましたかー?」  若葉ちゃんの楽しそうな声が、僕の胸元でする。  今はアジサイに水をあげているところだった。今日はそこそこ暖かいけれど、さすがに手が冷たい。 「冬でも、水をあげるんだ」 「そうですよ。あまり飲まないけれど、アジサイさんも喉が乾くんですよ。ねー」  若葉ちゃんの声に反応したのか、アジサイの枝が微かに揺れた。  昔ならただ風に揺られただけだろうと思っただろうが、今はそうじゃないとわかる。 「アジサイは、なんて?」 「『そうだぞ、特にここんところ雨が降ってないから、俺たちも喉が渇いているんだぞ』って言ってます」 「はは、そっかそっか。じゃあちゃんとあげないとな」 「はい!」  若葉ちゃんは元気な声で、返事をした。 「あれれ高崎君。誰と話してるのかなあ?」 「うえっ、毒ガスっ」  いつの間に側に来ていたのか、僕の背後に毒ガスが立っていた。 「『うえっ』はひどいんだなあ。いくら友達でも、それはないと思うなあ」 「お……ああ、悪い」  僕は『お前なんか友達じゃねえ』というセリフを慌てて飲み込む。 「ところで高崎君、君はさっき、誰と話していたのかなあ」 「え? ここには誰もいないけど?」 「でも、確かに話し声が聞こえたんだなあ。僕は、耳がいいんだなあ。それに、何故高崎君は、さっきから僕の方を向かないのかなあ」  毒ガスがいろんな疑問を僕に浴びせてくる。 「アジサイと……話してたんだよ」 「アジサイ……?」 「ああ。植物には心があるんだ。だから、話しかけていればちゃんと、返事が来るんだよ」 「つ、ついに高崎君も本格的に向こうの世界にいってしまったんだなあ」  少しムカッときたが、いつものことなので我慢する。 「それに、そっちを向かないのは水をまいているからなんだが、向いてもいいのか?」  と言ってホースごと、毒ガスの方を向こうとする。 「み、水はまずいよ、ぼ、僕のカメラが壊れてしまうんだなあ。じゃ、じゃあまた、高崎君」  毒ガスはあわてて去っていった。 「ふう、何とか追っ払ったか」  僕はほっと胸をなで下ろす。 「こんな姿の若葉ちゃんを見られたら、大変だからなあ」 「大変……なんですか?」  若葉ちゃんが問いかける。 「うん、あいついつもカメラ持ってるだろ? 若葉ちゃんと話してるところとかカメラに収められたら、それこそ大騒ぎになっちまう」 「あ、そうですね。四月にならないと女子は入ってきませんからね」 「いや、そっちじゃなくてね」  ああ、若葉ちゃんは根本的にわかってないのか……。  僕はため息をついた後、天を仰いだ。   12月21日(1) 「じゃあまた、来年でごわすな」 「ああ、餅食い過ぎて死ぬなよ」 「おいどんは三十個はいけるでごわす。死ぬことはないでごわすよ」 「そっか」 「冬休みは北海道に行くっしょ。そしてハニーに会いに行くっしょ!」 「はいはい、頑張ってな……一番星は?」 「俺? 俺は……ナンパ」 「さいで」  それぞれの思いを乗せ、バスが走る。なんだかんだ言っても、バスから電車まではみんな一緒だ。 「じゃ」 「おう、祐介。また来年」 「来年でごわす〜」 「ハニー、今行くっしょ〜」  僕たちは、県内で一番大きな駅で、それぞれ別れた。  そこでやっと、鞄から若葉ちゃんが顔を出す。 「若葉ちゃん。大丈夫だった」 「はい。ちょっと苦しかったけど、大丈夫です」 「じゃ、行こうか」 「はい」  僕は実家へと向かう電車に向かった。   12月21日(2)  やはり、久しぶりの実家は良い。 「成績は、悪くないんだけどねえ……」  この、母親の言葉さえなければ。 「素行がねえ……何? 二学期だけで停学六回ってなによ?」 「仕方ないだろうが」  大体、僕のせいじゃないんだし。 「全寮制の学校ならまじめに勉強してくれるだろうと思ったのにねえ……」 「それは去年聞いたよ。じゃ」  僕はこたつの上からミカンを三つほど掴むと、さっさと自分の部屋へと戻った。  久しぶりの、自分の部屋。  春以来だから、九ヶ月ぶりか。 「お帰りなさい」 「おう。ミカン、食べる?」 「はい。いただきます」  若葉ちゃんは、僕のベッドに座っていた。サボテンはと言うと、窓際の日の当たる場所に置いてある。  僕はベッドに腰掛けるとミカンを剥き、一房、若葉ちゃんに渡す。 「いただきます」  若葉ちゃんのサイズだと、一房食べるのにも結構な苦労がある。  悪戦苦闘しながら食べる様を見ながら、僕は自分の分のミカンを食べる。  ん、甘い。 「お姉さまに会うのは、二十四日、でしたよね」 「ああ、そうだね」  カレンダーを眺める。そっか、二十四日……。 「その日って、クリスマスイヴじゃないか」 「そうみたいですね。それがどうかしたんですか?」 「いや……イヴ、予定無いのか、と思って」 「クリスマスイヴって、特別な日なんですか?」  ああ……若葉ちゃんはクリスマスイヴをよくわかってないのか。 「えーと、そうだな……多分」  自分でも、どう特別なのか、説明が出来ない。 「まあとにかく、恋人同士が一緒にいたりする日なわけだ」 「う〜ん、よくわからないです〜」  僕もわからないんだよ。  ただ周りが騒ぐから、特別のような気がしてるだけなんだ。 「じゃあ、お姉さまには特別な人はいないってことですか?」 「そんなの、僕に言われても困るよ」  苦笑。 「じゃ、じゃあ……高崎先輩は、その……」 「ん?」 「私と、一緒にいたいとかって、思いますか?」 「ああ……そうだな……」 「……ごめんなさい、先輩」  不意に若葉ちゃんが謝ってきた。 「ん? なに、どうしたの?」 「だって、私が普通の大きさだったら、高崎先輩と一緒にいられるのに……」  若葉ちゃんはミカンを抱えたまま、うつむく。 「何言ってんの若葉ちゃん。僕たちは、一緒にいるだろ?」 「え?」 「大きさなんて関係ないよ。僕の隣には今、若葉ちゃんがいる。それでいいじゃないか」 「高崎先輩……」 「僕は、若葉ちゃんのこと、好きだよ。あのときから、変わらず」 「私も……高崎先輩のこと、好きです。大好きです」  若葉ちゃんは僕に近寄ると、僕の左腕を、ぎゅっと両手で抱きしめた。  微笑みつつも涙を流す若葉ちゃんが、僕にはものすごく愛おしく思えた。   12月24日(1)  約束の日。  僕は待ち合わせで指定した、駅前のオブジェの前に立っていた。 「ホントに、十一時で良いんですよね?」  鞄の中の若葉ちゃんが、僕に尋ねる。 「うん……間違いない、と思うんだけど……」  僕はあのときのメモを、もう一度開いた。  うん、確かに十一時って書いてある。 「でも、今……」 「うん……」  時計がわりのPHSを見る。  時間は、十一時半。 「朽木の家に、電話した方がいいかな?」 「ええ……もしかしたら、その方がいいかもしれませんね」  しかし、この付近に公衆電話は見あたらない。  手元のPHSは、料金未納のため着信専用となっている。 「……悪い、待った?」  悩み始めたところで背後から知ってる声がして、僕は振り向いた。 「ちょっと、支度に手間取ってさ」  そこには深紅のロングスカートと、淡いクリーム色のセーター。それにスカートと合わせたのか、やはり黒に近い深い赤の、丈の短いジャケットに身を包んだ双葉が立っていた。 「……遅れて、ゴメン」 「い、いや……」 「お姉さま、すごく可愛いです〜」  鞄からひょっこり顔を出した若葉ちゃんが、双葉を見て言った。  うん。  確かに、可愛い。  いや、可愛いと言うより。  綺麗だ。 「……なにジロジロ見てるのよ」  照れた顔で、僕を睨む。 「いや……朽木も……女の子だったんだなあって」 「なんですって!」  怒った表情で右手を振り上げる双葉。 「あはは、やっぱそっちの方が朽木らしいな」  僕は頷く。  次は本当に殴ってくるのかと待ちかまえたが、いつになっても攻撃は来なかった。 「……やっぱりこんな格好で来るんじゃなかった……」  双葉は、落ち込んだ表情でうつむいていた。 「高崎先輩、ダメですよ、落ち込んじゃいましたよ」  若葉ちゃんが僕に小声でささやく。  う、言い過ぎたかな。 「あ、いや、その……あまりに朽木のイメージと違うからそう思っただけで、うん、似合ってると思うよ」  慌てて弁解する僕。 「……そう?」 「そうだって」  僕は力強く頷く。  ……なんでこんなご機嫌取りをしなくちゃならないのかは、わからないけど。 「よかった。初めて着るから、ホントに似合ってないのかと思ったわ」  胸に手を当てて安心する双葉。  双葉って……こんなヤツだったか? 「こんなお姉さま、初めてです。なんか、違う人みたいで……」 「やっぱ、若葉ちゃんもそう思う?」 「はい」  僕は鞄から顔を出している若葉ちゃんと、顔を見合わせた。 「じゃ、気を取り直して、行こっか」 「へ? どこに?」 「どこにって……決めてないの?」 「うん、まあ……」 「あ、そう」  呆れた顔をする双葉。 「……じゃあとりあえず、適当なとこで、お茶しましょうか」  双葉はそう言って歩き始めようとする。  ……が。  どこか、ギクシャクして歩きづらそうだ。 「朽木」 「な、なによ」 「お前もしかして、かかとの高い靴を履いたこと無いのか?」 「え?」  ハイヒールの靴に戸惑っているのか、おっかなびっくり歩いているように見える。 「そ、そんなことないよっ」  そう答えて双葉は普通に歩き出そうとする。  ……が。 「わた、たたっ」  いきなりバランスを崩した。 「おっと」  慌てて双葉の身体を支える。  ぎゅっと。  双葉を抱きかかえる格好になった。 「ご、ごめん……」 「いや、かまわないけど」  セーター越しに感じる、微かな胸の感触。  何となく、心地よいような。 「と、とりあえず、僕に捕まって歩けよ。な?」 「う、うん……ごめん」  双葉は僕の腕に手を回し、寄りかかるような格好で歩く。 「で? どこ行こうと思ったんだ?」 「うん、あっち」  双葉は右手で方向を示す。 「ん、わかった」  道行く人が、こっちに視線を向ける。  確かに他から見たら、恋人が腕を組んで歩いてるように見えるのかもしれない。  それに、何も知らないヤツが双葉を見たら、やっぱ可愛いと思うんだろうな。  違う。  ……美人、か。  双葉はそんな視線に気づくこともなく、ただ歩くことだけに集中している。  どうして双葉は、わざわざこんな格好で現れたのだろうか?  女の気持ちは、よくわからん。   12月24日(2)  双葉の案内で、僕たちは喫茶店に入った。 「ここのアールグレイがね、美味しいのよ」 「ふーん、そうなんだ」  そう言われても、僕は紅茶のことなどさっぱりだ。  アールグレイが紅茶の種類だってのを知っているだけでも、誉めてもらいたい。 「ご注文は」 「アールグレイ二つ、ミルクで。それと……チョコレートケーキ二つ」 「かしこまりました」  さっさと頼む双葉。  ……僕の発言権は無しですか? 「そうそう、学校の方は、どう?」  双葉は何事もなかったかのように尋ねてきた。さっき歩くのに必死だった表情は、既にどこかにいってしまっている。  ……まあ、そういうやつだしな。 「ああ……来年度から女子が入るのは確定になったらしくて、今女子寮の拡張工事とかやってる」 「ふーん、そっか。じゃあ……編入もきまり、かな」 「ん? やっぱり来るんだ」 「なによ、来ちゃ悪いわけ?」  不機嫌そうに腕を組む双葉。 「い、いや、そんなこと無いよ。ただ自分で言うのもなんだけど、あんな学校に、さ」  田舎の山奥のオンボロ男子校。  まるで、監獄のような。 「うーん……やっぱ、家への反発、かな」 「反発?」 「お姉さまは、朽木家の長女ですから。それはそれは大切に育てられたんですよ」  鞄から顔を出した若葉ちゃんが、横から口を出した。 「……するとこうなるのか……」 「なにか言った?」 「いや、別に」  僕のつぶやきが聞こえたらしい。 「お姉さまは、朽木家で久しぶりの女性。そして近年例の無いほどの力を持ってるんですよ。その力で、私も創られたんです」 「そんな力を……ねえ?」  僕は双葉をじっと見る。  どう見ても、少し……いや、かなりわがままなだけの、普通の女の子に見える。  けれど、現実に若葉ちゃんがこうしている以上、不思議な力を持つことは、確かだった。 「……何ジロジロ見てんのよ」 「いや、その……」  見ていた理由に答えられず、目を逸らす僕。 「……そんなに、おかしい?」 「え?」 「あたしがこんな服を着るのって、そんなにおかしいかな」 「え、いや、そういう意味で見てたんじゃないよ。ただ……」 「ただ?」 「朽木のどこに、若葉ちゃんを創り出すような力を秘めているんだろうなって。そう思って」 「……そう言われてもね」  双葉はため息をつく。 「あたしの力は、生まれつきだから。そりゃ、力を引き出すための方法は少し、学んだけどね。でも、自分でもわからないの。なんでこんな力を持ってるんだろうって」 「……そうなんだ」 「この力がうっとおしいって思ったことも、何度もあるわ。この力のせいで、朽木家に生まれたせいで、あたしは、ずっと家に縛られてきたから」 「お待たせしました」  話に水を差すようなタイミングで、店員が紅茶とケーキを持ってきた。紅茶のほうは、ティーカップと、お湯の入れられたよくわからない容器が置かれる。 「あ、飲み方はわかるから」  飲み方の説明をしようとする店員を遮って、双葉が言う。 「かしこまりました。ではごゆっくり」 「僕はわからないんだが」 「はい、じゃあ説明するね」  店員が去った後、双葉が飲み方について説明を始めた。 「ここに、紅茶の茶葉が入ってるの。で、このレバーを下げると、茶葉が下のお湯に沈むってわけ」 「ん……ティーバッグが上についてる感じ?」 「まあそうね。で、三分経ったら引き上げる」 「……なんで?」 「ずっと沈めといたら、お茶がどんどん濃くなるでしょ?」 「あ、そっか」 「あったま悪いわねー」 「うるせーな、そんなの飲んだこと無いんだよ」 「ま、いいわ。で、引き上げたらカップに入れて飲む。と」  僕は双葉に従ってレバーを下げ、茶葉を沈める。 「ほんとはこれだと茶葉が踊らないから、イマイチなんだけど」 「踊る?」 「紅茶は本来、茶葉にお湯をかけるものなのよ。こう……茶葉にお湯を通して……」 「ふーん」  わかったようなわからないような。  しかし双葉って、こんなに紅茶にうるさかったんだなあ。 「はい、三分」  双葉に従い、レバーを上げる。  そして、やはり双葉のまねをして、カップに注ぐ。  ……いい香りだ。  ちょっと癖がある香りだけど。  双葉は紅茶を口にすると、満足そうな笑みを浮かべる。  僕も、口を付ける。 「ん……」 「どう?」 「……苦い」 「苦い?」 「砂糖が欲しいかな」  そう言って砂糖に伸ばした僕の手を、双葉が遮る。 「だめだめ、砂糖なんて入れたら美味しくなくなるでしょ」 「でも、苦いよ」 「あーっ、もう。だって麦茶にも砂糖、入れないでしょ?」 「……小学生までは、入れてたかな」 「えーっ、信じられないよーっ」 「だって、甘くて美味しいじゃん」 「あー、わかったわかった。まだ味覚が子供なのね」 「……なんだそのバカにしたような顔は」 「べっつにー」 「……なんかむかつくな」 「高崎先輩。ケーキと一緒に食べればいいんですよ」 「お、若葉ちゃん頭いいね」 「高崎が、バカなのよ」 「なんだとう!」 「まあまあ……でもお姉さま、楽しそうですね」 「え? そう? ……そんなこと、無いと思うけど」 「いいえ、高崎先輩と話しているお姉さまは、すごく楽しそうです」 「そ、そんなこと無いったら」 「朽木、顔、赤いぞ」 「う、うるさいっ、黙って飲みなさいっ」 「お、おう……」  双葉の迫力に押され、僕は黙って紅茶に口を付けた。  確かにチョコレートケーキと交互に飲むと、それなりに飲める。  香りに癖はあるが、それが悪い、というわけではないし。 「なあ……朽木」 「なあに?」 「若葉ちゃんの、ことなんだけど……」 「ああ……」  僕が本題に入ろうとすると、双葉は少し寂しげな顔をした。  ───ように、見えた。 「で、決めたの?」 「え?」 「若葉よ。このままにしておく? それとも、大きくする? あたしの力なら、多分出来ると思うけど」  そっか。  そういう問題が……あったんだな。 「どうしようかな……」 「アンタ……まさか考えてないの?」 「うん、まったく」 「あっきれた〜。なんのためにあたしがここまで来たと思ってるのよ」 「うう……ごめんなさい」  ペコリ。 「お姉さま。お姉さまは、どうすればいいと思いますか?」 「あたし? あたしは……どっちでもいいわよ。関係ないもの。それより、若葉はどう思ってる?」 「私……ですか? 私は……」  若葉ちゃんは首を傾げて考える。そして、双葉を見た。 「私は……元の大きさに、戻りたいです。元の大きさに戻って、高崎先輩のお役に立ちたいです」 「若葉ちゃん……」 「私は、人のお役に立つために作られた式神なのに、今までずっと、高崎先輩の足を引っ張ってきました。ですから……」 「はいはい。若葉は、そう思ってるわけね。で、高崎はどうする?」  双葉が僕の方を向く。  今、元の大きさに戻れば、確かに若葉ちゃんは僕の役に立とうと、一生懸命いろんなことをしてくれるだろう。けれど……。 「僕は……今のままでいいよ」 「高崎先輩?」 「ここで若葉ちゃんが大きくなったら、僕たちは、きっと一緒にいられないと思う。だって、鐘ノ音学園が共学になるのは、来年度からだから。それまで、若葉ちゃんはどこにいればいいんだ? どこにも隠れられるところなんてないんだから。だったら、このままでいい。ずっとこのままなら、僕は若葉ちゃんとずっと一緒にいられるから」 「高崎……」 「高崎先輩……」  一瞬の沈黙。 「はいはい。高崎って、本当に若葉のことが好きなのね」  呆れた調子で、双葉が言った。 「せっかく、若葉を連れて帰れるかと、思ったのにな」 「え?」  僕と若葉ちゃんは、驚いた顔で双葉を見た。 「そんなに驚かないでよ。別に家には『若葉が眠りから覚めました』って言えば、いい話だし。それに……」  双葉は、僕の方を見た。 「……若葉を一度連れ帰れば、あたしにもチャンスがあるかな? って……」 「は?」  ……チャンス? 「な、なんでもないよっ」  顔を赤らめる双葉。  まったくこいつは、よくわからん。  不意に若葉ちゃんが、ハッとしたような表情をした。 「お姉さま……もしかして、高崎先輩のこと……?」 「ちっ、違うわよっ。な、なんであたしが、こんなやつとっ」  双葉は、明らかに動揺している。  も、もしかして……。  ま、マジですか? 「うう……」  双葉は照れた表情で、上目遣いに僕を見つめる。  今まで思っていた双葉からは、想像もつかない表情。  それ故に、新鮮で……。  可愛い。 「だっ、だめですお姉さまっ。それだけは、だめですっ」  若葉ちゃんが、鞄から飛び出した。  テーブルに乗り、双葉の前に立つ。 「いくらお姉さまでも、これは譲れません。私は、式神失格と言われても、高崎先輩のことが誰よりも好きなんですっ」 「若葉ちゃん……」 「若葉……」  驚いた表情をしていた双葉が、ゆっくりと若葉に手を差し出す。 「あんたって、本当に式神失格ね」 「うう……ごめんなさい……」 「……わかったわよ。もう邪魔しないから」 「ほんとですか?」 「ええ、本当。だって、あたしの入る隙間なんて、どこにもなさそうだしね」  双葉は、若葉ちゃんに微笑みかける。 「若葉……あんたなら、人間に、なれるかもね」 「え?」 「……どういう、ことだ?」  双葉の言葉の意味がわからず、僕たちは問いかける。 「昔ね、人間になった式神がいたらしいわ。あたしもお父様に昔話で聞いただけだから、確証はないけどね」 「人間に……なれる……」  その言葉を、僕は反芻する。 「ま、本当にただの昔話かもしれないけど、追ってみるのもいいんじゃない?」  そう言って双葉は、僕を見て微笑んだ。  その後僕たちは、色々なことを話して喫茶店を出た。相変わらず双葉は歩きづらそうにしているため、僕たちは双葉の家まで送っていくことにした。 「ここよ」 「へえ〜」  電車を乗り継いで二時間。双葉の家はさすがに豪邸と言わんばかりの大きさだった。思わず見とれてしまう。 「じゃあ、帰るから」  門の前まで双葉を送ると僕は言った。ここからだと、すぐに帰っても結構遅くなってしまう。 「あ、高崎」 「ん?」 「ちょっとの間だけ……若葉を元の大きさに戻そうか?」 「え?」 「本当ですかお姉さま! っととと」  若葉ちゃんが驚いて鞄から身を乗り出し、危うく落ちそうになる。 「そんなこと……出来るのか?」 「多分……二、三日だけだと思うけど……うん、ほんのわずか、あたしの力を注ぐだけだから」 「風船に、空気を入れるようなものか?」 「嫌な例えね……でもま、そんなものかな。ちょっと若葉、貸してくれる?」 「あ、ああ」  僕は若葉ちゃんの入った鞄を、丸ごと双葉に渡した。 「け、結構重いわね」 「大丈夫ですか? お姉さま」  若葉ちゃんが心配そうな目で、双葉を見る。 「な、なんとか……、じゃ、ちょっと待ってて」 「あ、すぐ出来るんじゃないのか」 「バカ、ここで若葉が大きくなったら、服はどうするの?」 「え? あ……そっか」  道ばたでハダカになるのはまずいな。  寒いし。 「と、いうわけで、待っててね」  双葉は歩きづらい靴に加え、重い鞄を抱えているため非常に危なっかしく見える。 「だ、大丈夫か?」  僕の言葉に、双葉は手を挙げて答えた。なんとか壁を伝って歩いていけるようなので、僕は少し安心した。  ……二十分後。 「お待たせしました〜」  タッタッタッと駆けてきたのは、まさしく若葉ちゃんだった。  デニム地のつなぎとクリーム色のセーター。つなぎには大きなポケットがついている。そしてそこから、サボテンが顔をのぞかせている。 「高崎先ぱ〜い」  ギュッと、抱きつかれた。 「いでででででっ」  腹部に刺されたような激痛が走る。ってか刺されたのだが。 「ああっ、嬉しくてサボテンをポッケに入れたまま抱きついてしまいましたっ」  若葉ちゃんは慌てて離れる。 「まったく、ちょっとは考えなさいよ」  後ろから双葉が現れた。彼女もGパンにGジャンと、動きやすい格好に着替えている。 「はい、鞄」 「お、おう」  双葉から、鞄を返してもらう。 「それに、若葉の着替えとか入ってるから」 「あ、サンキュ」 「それと、期間は三日。三日後の日没で、元に戻るから」 「ああ、わかった」 「……ちゃんと、大事にしなさいよ」 「……わかってるよ」 「若葉も、ちゃんと高崎のこと捕まえておきなさいよ。じゃないと来年、奪いに行っちゃうからね」 「ええっ、それはだめですよう〜」  若葉ちゃんは本気で困った顔をする。  そんな若葉ちゃんを見て、双葉は楽しそうに笑う。 「じゃあ、また会いましょ」 「そうだな、また。行こう、若葉ちゃん」 「はい、高崎先輩」  僕たちは手を振って、双葉と別れた。 「ね、高崎先輩」 「ん?」 「なんか、嬉しいです」  そう言って、若葉ちゃんは僕の腕に手を回してきた。 「さっきお姉さまがこうやって高崎先輩の腕に掴まっていたとき、凄く羨ましかったんですよ」 「そっか」 「今ならこうやって、私も腕を回せますよ」 「そうだね」  嬉しそうな若葉ちゃんの笑顔。  久しぶりに見た、彼女の心からの笑顔かもしれない。  僕たちは夕暮れの中を、駅に向かって歩いていった。   12月24日(3) 「あ……」  僕は切符売り場の料金表を見て、愕然とした。 「どうしました? 高崎先輩」 「電車賃……足りない……」 「え?」  考えたら、行きは一人分だったが帰りは若葉ちゃんの分まで必要だったのだ。送る時は若葉ちゃんが大きくなるなんて、考えもしなかったから。 「どうしましょう?」 「……とりあえず行けるところまで行ってから、残りを歩こう」  僕は、そう言って切符を二枚買った。  結局四つほど手前の駅まで買い、僕たちはそこで降りた。  知らない駅前の風景が、僕たちの前に広がっている。 「歩いたら、どのくらいかかるかな……」  ちょっと考えてみる。  道もよくわからないし……。  はあ。  ……ため息しか出ないな。 「私は、高崎先輩と一緒なら、どこまでだって歩けますよ」  若葉ちゃんが、そう言って僕に微笑みかけた。 「そうだな。なんとかなるだろ」  僕たちは北風の中、家に向かって歩き出した。  結局、僕たちが家に辿り着いたのは、午後九時を回った頃だった。両親にはこっぴどく叱られた上、若葉ちゃんの説明をするのに、これまた苦労した。トラブルを適当にでっち上げ、説明し、ようやく納得してもらった。  ……よくよく考えたら、父親に迎えに来てもらえば良かったと後になって気づいた。 「じゃ、ここが若葉ちゃんの部屋ね」 「ありがとうございます。お母様」 「いやだねえ、お母様なんて」  何照れてんだ、うちの母親は。 「さ、寒かっただろ、とりあえず風呂入っちゃいな」 「え? でも、高崎先輩が先に……」 「いいんだよ男は後で。ささっ」  母親は、にこやかに若葉を風呂場へと案内する。  納得してしまえば、なんだかんだで楽しそうだ。 「でも、祐介が女の子を連れてくるとはねえ。驚いたよ」  妙に嬉しそうな母親。 「ま、ちょっとトラブルだったからね。三日後には何とかなるようだし」 「旅行中にトラブルねえ……女の子の一人旅は危険なんだから、気をつけないと」  若葉は冬休みに一人で東京に来たところを置き引きにあって困った、ということにしてある。家族は海外にいて、帰ってくるのは三日後、というわけだ。 「困ったときはお互い様だからね。ま、いいってことさ。でも、困ったときに祐介を頼ってくるなんて、よっぽど頼られてるんだねえ」 「偶然だよ偶然」  うそぶく。 「ま、三日間、しっかり面倒見るんだよ。ついでに観光でもしたらどうだい?」 「ん……考えとく」 「つまんない返事だねえ」  興味津々の母親にため息をつき、僕は部屋に戻った。  コン、コン。 「お風呂、あがりましたよ」  戸の向こうで、若葉ちゃんの声がした。 「ん、サンキュ」  僕は答えると、風呂場に向かった。 「っくーっ」  僕は湯船で顔を洗う仕草をする。親父クサイと言われるかもしれないが、好きなものはしょうがない。 「……三日、か……」  若葉ちゃんが今の大きさでいられる時間。  有効に、使わないとな。 「っしゃ!」  僕は気合いを入れると、湯船から出た。   12月25日(1) 「高崎先輩。朝ですよ」 「うーん……もう少し……」 「うう……お母様から『絶対に起こせ』って言われてるんですよう。お願いします、起きてください〜」 「もう、仕方ないなあ」  目を開ける。  目の前に、若葉ちゃんの顔があった。 「あ、起きましたね。よかった」  若葉ちゃんの笑顔。  ほんのわずか顔を上げれば、キスできてしまいそうなくらいの距離。  吐息が、顔にかかる。  心臓が、朝一番から派手に鳴りだした。 「もう朝御飯出来てますから。早くしてくださいね」  若葉ちゃんは僕の思いに気づかないのか、そう言って顔を上げた。気がつくと若葉ちゃんは、昨日の服装にエプロンをしていた。 「うーい」  僕は動揺を気づかれないように返事をした。  まだ鼓動は、治まらない。  何とか平静を取り戻して居間に行くと、既に家族は揃っていた。 「おはよう」 「お、寝ぼすけが来たか」 「なんだい、若葉ちゃんが朝から働いてるってのに、お前はのんびり朝寝坊かい?」 「悪かったな」 「お母様、洗濯物干し終わりました」 「ああ、ありがとう。じゃ、祐介も来たからご飯にしようか」 「はい、お母様」  若葉ちゃんはニッコリと笑う。 「なに、ずっと手伝ってたの?」 「はい、久しぶりですから。やっぱり人のために働くのって、楽しいですね」  若葉ちゃんは心底嬉しそうに微笑む。 「ま、ほどほどにな」  僕はぽんっと、若葉ちゃんの頭に手を置いた。 「は、はい」  若葉ちゃんの顔が赤くなる。  やっぱ、可愛いな。 「せっかく来たんだから、どこか観光でも行ってきたらどうだ?」  食事中、口を開いたのは父親だった。 「若葉さんも、せっかく東京まで来たのに何も出来ないんじゃ、かわいそうだろう?」 「そうなんだけどね……」 「わかってるよ祐介、ほら」  そう言って父親は、黙って僕に小遣いを渡してくれた。 「これでどこか、行って来るといい」 「マジ? やりい。若葉ちゃん、どこ行きたい?」 「わたしは、高崎先輩が行きたいところで、いいですよ」 「またこの子は、いじらしいねえ。さっきも掃除から洗濯まで手伝ってくれたし」 「私は、人様のお役に立つのが、好きですから」 「ホントにいい子だねえ。祐介、この子を嫁にもらえないかね?」  ぶっ。  思わず飲みかけの味噌汁を吹き出した。 「冗談よ。ホントにこの子は……」  そう言って母親が笑う、つられて父親と、若葉ちゃんも。  ま、いいんだけどね……。   12月25日(2) 「行ってきます」 「いってきまーす」  朝食の後、僕たちは家を出た。若葉ちゃんは、昨日と同じように胸のポケットにサボテンを入れている。が、今日は棘が刺さらないように、革製のカバーを着けている。 「これを着けていると、少し息苦しいんですけどね……」 「うん、でも東京は人が多いから、迷惑かけるわけに行かないだろ」 「そうですよね。それで、どこに行くんですか?」 「うーん、若葉ちゃんだと、やっぱ植物とか、多い方がいいかな、と思うんだけど」 「え? ええ? いいですいいです。そんな気を使わなくても。その……高崎先輩の行きたいところでかまわないです。全然かまわないです」 「そう? でも……女の子とどこか行ったことなんて、ないからなあ……」  僕は頭を抱える。 「ま、適当に回りますか」 「はい!」  若葉ちゃんはニッコリと微笑む。本当に僕とならどこでもいいみたいだ。  考えるのがばからしくなるくらい。 「じゃ、行こうか」  僕は手を差し出す。若葉ちゃんは僕の手をぎゅっと握る。  そうして僕たちは歩き出した。  そして、やってきたのは、浅草。  東京と言えばやっぱ下町だろう。  なんて。  東京都民ではない自分も、来たのは初めてだが。  駅からは、人の流れに従って歩く。そうすれば、大体は目的地付近にたどり着く。  ……ときどき、間違えたりするけど。 「人がたくさんいますねー」  若葉ちゃんは人の山を見て、目を丸くしている。 「まあ、こんなもんだろ?」  僕たちは、そんな会話をしながら商店街を抜けていく。  と、 「おっ、そこのお二人さん、人力車いかがですかっ」  と、粋な格好をしたお兄さんが声をかけてきた。 「人力車?」 「そう人力車、この私がですね、お二人を人力車で引きながら浅草の街を案内するっていうんですけどね。どうです?」 「うーん……」 「あ、料金はこちら。ええ、追加料金はいただきませんし、もしよければ延長も可能ですよ」  お兄さんは熱心に薦めてくる。  父親からもらった小遣いがあるから、無理じゃ無いけど……。  と、若葉ちゃんを見ると、きょとんとした顔をしている。  ああ、人力車がわからないのか。  僕も乗ったことは無いけど……せっかくだから乗るか。  僕たちには、三日しかないのだから。  それまでに、いろんなことをしよう。 「じゃ、じゃあ……この、六十分コースで」 「毎度、ではこちらへどうぞ」  と、お兄さんに従って歩いていくと、交差点にいくつもの人力車が並んでいた。 「ではお乗りください。あ、レディーファーストで」  と、お兄さんは若葉ちゃんを促す。 「え? いいですいいです。高崎先輩から先乗ってください」 「いやいいから。ほら、先乗って」  こんなところで遠慮されても困るので、若葉ちゃんを先に行かせる。  若葉ちゃんは申し訳なさそうな顔をしていたが、渋々と先に乗った。 「はい、では出発しますよー」  人力車が走り出す。 「うわあ、気持ちいいですね」  車より遙かに遅いスピード。けれどそのスピードが、師走の風を柔らかくしている。 「今日は天気も良くて風もないから、気持ちいいでしょう?」  引きながらお兄さんが尋ねる。 「そうですね。気持ちいいですよ」  僕も、笑顔で返す。 「本当はカメラを持っていれば、こう、撮影とかするんですけどね」 「あ、そうだったんですか」  ちょっと残念。 「はいでは、続いていきますねー」  人力車は進む。 「ここが、日本最初のハンバーガー屋さんなんですよ。ホットドッグって書いてますけどね。売っているのはハンバーガーなんです」 「で、ここが浅草ロック。ロックと言っても音楽のロックじゃなくてですね。一区、二区……と続くうちの『六区』がこの辺りなんです」 「ここの店、安くて美味しいんです。良く私たちもですね、来たりするんですよ」 「あそこが有名な花やしき。よくジェットコースターが怖いって言われますけどね、一番怖いのは、あのタワーです。ほら、今にもワイヤーが切れそうでしょう?」  時折冗談を交えながらも、次々とお兄さんが案内をしていく。ホント、知らないことばっかりだ。  これなら安いかもしれない。  ……貧乏学生には、安易に手が出ない値段だけどな。  そんなこんなで、あっと言う間の一時間が過ぎた。 「本日はご利用いただき、まことにありがとうございました」 「いえこちらこそ、楽しかったです」  僕たちは深々とお礼をする。  僕達はアンケートはがきと携帯ストラップをもらった。なんでも一時間以上はストラップがもらえるらしい。 「PHSに着けられますね」 「まあ……僕はそうするけど、若葉ちゃんは?」 「うーん、どうしましょう? 植木鉢に着けましょうか?」 「……あんまり意味無いんじゃないかな」 「うみゅ〜」  どこに着けようかと、頭を抱える若葉ちゃん。 「……別に、そのまま持っていても良いんじゃないかな」 「そうですね。そうします。……大切にしますね」  若葉ちゃんは笑顔で僕を見る。 「うん」  僕は嬉しくて、笑顔で頷いた。   12月25日(3)  僕達はその後、『亀十』のどらやきを買い、二人で食べた。ふんわりと柔らかく、普段食べているどらやきとはまるで違う。 「美味しい」 「おいしいですねー」  若葉ちゃんも気に入ってくれたようだ。 「さーて、次はどこ行こうかな」 「わたしは、どこでもいいですよ……高崎先輩と、一緒にいられれば」  若葉ちゃんは照れたような表情で僕を見る。  その顔を見て、思わず僕も赤くなった。 「大丈夫ですか? 高崎先輩、顔赤いです」 「あ、いや、大丈夫だよ」  僕の顔をのぞき込む若葉ちゃん。その顔を見るのが恥ずかしくて、僕は顔をそむけ、空を見上げた。 「……いい、天気だな」 「そうですねー。さくらさんも『こんなに天気がいいなら、葉を落とすんじゃなかった』って言ってますよー」 「そうだね。そのくらい、いい天気だ」  十二月とは思えないほどの暖かさ。 「じゃ、とりあえず歩こうか」 「はい」  僕達は、手をつないで歩き出した。  僕達は浅草から池袋に戻った。夕飯などは、昔から良く来ている池袋のほうが楽だと思ったからだ。  着いた頃は夕方だった。僕達は何をするでもなく、洋服や雑貨を見て歩いた。いつしか気温も下がり、冬らしい冷たい風が吹き始めていた。 「さすがに寒いな」 「うーん、寒いですかー? ……じゃあこうしましょう」  言うなり、若葉ちゃんは腕を絡ませてきた。 「わ、若葉ちゃん?」 「こうすれば、少しは暖かいですよねー」 「ま、まあね」  腕から伝わる、若葉ちゃんの胸の感触。  若葉ちゃんはサボテンが僕に当たらないように、体勢をうまく調整しているようだ。もっとも、今日は多少当たったところで痛くはないが。 「えへへ。昨日と同じです」  嬉しそうな若葉ちゃんの顔。  そうだったな。  僕は、若葉ちゃんのそんな顔が見たかったんだな。 「どうかしましたか? なんだか嬉しそうな顔をしてますけど」  不思議そうな顔をして、若葉ちゃんが僕をのぞき込む。 「いや……若葉ちゃんとこうして腕を組んで歩けるのって、嬉しいなって思って」 「はい、私も嬉しいです」  若葉ちゃんは僕に向かって、最高の笑顔を見せてくれた。   12月25日(4)  夕飯は『洋面屋 五右衛門』で食べた。若葉ちゃんはナポリタン以外のスパゲッティを食べるのは実は初めてのようで、驚きながらも美味しいと言ってくれた。 「今日は楽しかったですー」  帰りの電車で、若葉ちゃんは嬉しそうに言った。 「うん、僕も楽しかった」 「お姉さまのおかげですね」 「そうだな、後で朽木には何かお礼しないとな」 「そうですね。お姉さまはお花が好きですから、花束とか送ると喜ばれると思いますよ」 「そっか、覚えておこう」  窓の外は既に暗く、街の明かりが流れていく。 「あと、二日ですね……」  窓の外を見たまま、若葉ちゃんはつぶやく。 「そうだね。でも、若葉ちゃんがいなくなるわけじゃないから」 「そうです……けど……」  悲しげな目を見せる若葉ちゃんの頭を、僕はくしゃくしゃと乱暴に撫でる。 「きゃっ」 「そんな顔しないでよ。二日しかないなら、二日間は精一杯楽しもう。じゃないともったいないぞ」 「……そうですね。わたしも精一杯お洗濯したりお掃除したりします!」 「あ、ああ……そう……だね」  思わず苦笑い。  でも。  若葉ちゃんは、それでいい。 「な?」 「え? なんですか?」 「いや、なんでもない」  僕はそのまま、若葉ちゃんを抱き寄せた。   12月26日(1) 「高崎先輩、起きてください。お母様が呼んでますよ」  若葉ちゃんの言葉に、僕は目を覚ました。 「うん?」 「なんか、出かけてしまうそうですけど。親戚に不幸があったとかで」 「え? うん、わかった。すぐ起きるよ」  とりあえず身体を起こす。  軽く頭を振ってみたが、どうも目が覚めない。 「祐介、まだ起きないのかい?」 「起きてるよ」  少し不機嫌な口調で返す。 「ちょっと田舎に行って来るから」 「は?」  なんでも祖母の妹───言い換えると、母親の叔母にあたる───が危篤とのことらしい。 「いつ帰ってこられるかわからないけど、留守番お願いね」 「お、おう」 「はいこれ。食費。無駄遣いしないのよ」 「わかってるよ」  僕は母親から食費を受け取る。と、あっと言う間に母親は父親と一緒に出ていってしまった。 「……大変ですね」 「うん、そうだね」  さすがにおばあちゃんの妹となると、顔も浮かばない。 「ま、そういうわけだから一日ゆっくりしようか」 「そうですね。じゃあとりあえず、ご飯にしましょう」  若葉ちゃんはニッコリと笑った。  朝食はワカメとジャガイモの味噌汁に納豆だった。ごく日本風の食事と言えよう。 「いただきまーす」 「はい、いただきますー」  僕と若葉ちゃんは、テーブルに向かい合って朝御飯を食べる。 「おいしいですねー」 「そうだね」  ワカメとジャガイモの味噌汁は、僕の好物だ。  鐘ノ音学園では、まず出ないメニュー。 「今日は、どうしようか」  おかわりのお茶碗を若葉ちゃんに渡しつつ、尋ねた。 「え? 高崎先輩の好きなところでいいですよー」 「そう毎回言われてもなあ」  お茶碗を受け取りつつ、考える。 「あ、そうだ。近くに大きな公園があるんだ。そこ行こうか」 「公園ですか? そうですね、それはいいですねー。お友達もたくさん出来そうですし」 「そうだね。そこは広いし、植物も多いからね」 「はい。楽しみですー」 「んじゃ、食ったら行こうか」 「はい!」  若葉ちゃんは、僕の言葉に元気良く返事をした。   12月26日(2)  僕は久しぶりに自分の自転車を引っぱり出した。 「ま、壊れてはいないようだな」  こういうものは、しばらく使っていないとすぐガタがくる。今日行こうと思ってる公園はさすがに徒歩だと時間がかかるので、自転車を使おうと思ったのだ。 「高崎先輩。戸締まりしてきましたー」 「ああ、サンキュ。じゃあ行こうか。後ろ乗って」 「え?」  若葉ちゃんが不思議な顔をする。 「いや、後ろ乗ってよ。あ、サボテンは前のカゴな」 「えーと……どう乗ればいいんですか?」 「あー……」  意外なことを知らないものだなあ。 「じゃ、行くよ?」 「あ、は、はい。大丈夫です」  ぎゅっと僕の背中にしがみつく若葉ちゃん。  二人を乗せた自転車が走り出す。 「きゃあっ」 「あ、ゴメン」  最初だけ少しよれたが、走り出せば安定する。自転車はそういうものだ。  僕たちは風の中を走る。今日は暖かく、春の風に近い。これなら公園を散歩しても、そんなに寒くはないだろう。 「気持ちいいですねー」 「そう? それは良かった」  僕は自転車をこぐスピードを上げる。  加速する自転車。  確かに気持ちいい。  冬なのに、公園は意外と人が多かった。 「なんだ、結構物好きが多いんだな」 「物好き、なんですか?」  不思議そうな顔で、若葉ちゃんは僕を見る。 「冬なのにさ、公園とか来て面白いのかなって思って」 「でも高崎先輩も、面白いと思って来たんですよね」 「そっか、そりゃそうだ」  あはは、と笑う。  あはは、と若葉ちゃんも笑う。 「……少し、歩こうか」 「はい!」  なんとなく間が持たなくなったので、僕たちは歩き出した。  二人でゆっくりと、公園を歩く。  ランニングしているおじいさんとすれ違ったりする。  どちらからともなく、手をつないだ。  ちょっと、嬉しくなる。 「なんか、気持ちいいです」 「そうだね。気持ちいいね」  二人向き合って、微笑む。  こういうのを、小さな幸せって言うのだろうか。  僕たちは、公園のベンチに腰掛けて休憩した。  さすがにベンチは冷たかったが、買ってきた缶コーヒーで帳消しだ。  目の前の広場では、少年達がゴムボールで野球をしている。 「僕も小さい頃は、ここで野球をしたなあ」 「そうなんですか?」 「うん。体を動かすのは嫌いじゃなかったからね。決してうまくはなかったけど」  隣に座っている若葉ちゃんに、そう答える。 「小さい頃の高崎先輩、見てみたかったです」 「うーん、帰ればアルバムか何か出て来るんじゃないかな。帰ったら見てみる?」 「はい! ぜひ見たいです」  若葉ちゃんは、期待を込めた目で頷いた。  結局僕たちは公園を二周ほどした後、近くのファミレスで食事をした。取り立ててすることもなくなった(いや、歩いているだけで楽しいは楽しいのだが)ので、アルバムを見るために家へと戻った。 「あったあった。これこれ」  押入から埃の積もったアルバムを探し出した。確かこの青いのが、僕の小さい頃のアルバムだったと思う。  僕はアルバムの埃を拭き取ると、居間のテーブルに置いた。若葉ちゃんが僕の隣にちょこんと座る。  アルバムの表紙をめくると、生まれてすぐの写真が出てきた。  猿のように真っ赤な赤ん坊。  これが僕なの? と疑問を覚える。 「かわいいですねー」 「……そう?」 「はい。高崎先輩だなーって、思いますよ」 「そっか……」  自分ではまったく同一人物だと思えないのだが、若葉ちゃんにそう言われることは悪い気がしない。  そして僕は、ゆっくりとアルバムをめくっていく。 「これは?」 「えーと、僕が二歳か三歳の頃の写真、じゃないかな」  積み木を両手に持って喜んでいる写真だ。  そう言えば昔から僕は、積み木とかブロックとかが好きだったらしい。 「可愛いですねー」 「そ、そうかな」 「そうですよー、とっても可愛いですよ」  さすがにこのくらいになると面影が出てくるため、僕も嬉しくなる。  今の自分に言われているわけじゃないのに。  そんなことを思っている間にも、若葉ちゃんは一枚一枚、アルバムの写真を丁寧に見ていく。  アルバムを見て楽しそうに微笑む若葉ちゃんを見て、僕も微笑む。  彼女が何かに夢中になっている姿は、可愛い。 「あ、さっきの公園ですね」  若葉ちゃんが指した写真には、確かにあの公園で遊ぶ僕が写っていた。  歳は五歳くらいだろうか。子供用のビニールバットを持って構えているシーンだ。 「本当にやってたんですねー」 「あれ? 若葉ちゃん、僕の言葉、信じてなかった?」 「え? あ、そそそんなこと無いですよっ」 「いやそんな、慌てて否定しなくても」  顔を赤くして否定する若葉ちゃんが可愛くて、僕は若葉ちゃんの頭をぽんぽんと叩く。  そして、  そのまま若葉ちゃんを抱きしめた。 「高崎先輩?」 「ん?」 「……どうしたんですか?」 「いや、若葉ちゃんが大きくなってから、しっかりと若葉ちゃんを抱きしめたこと無かったな、と思って」 「そうですか」  若葉ちゃんも、抱き返してくる。  お互いの腕に、力がこもる。  まるで、放したら二度と相手が戻ってこないかと思われるくらいに。 「あ、洗濯物」  若葉ちゃんが突然、思い出したように言った。 「お母様に取り込んでおくようにって言われたんでした」 「あ、じゃあ取り込まないと。僕も手伝うよ」 「いいんですいいんです。私が頼まれたことですから」 「僕が手伝いたいんだ。いいだろ?」 「うー……はい……お願いします」  若葉ちゃんの困ったような顔がやっぱり可愛くて、僕はまた、若葉ちゃんの頭をぽんぽんと叩いた。 「終わったら夕飯の買い物に行こう。若葉ちゃんは料理、できるの?」 「はい。朽木の家で仕込まれましたから」 「あ、そ。じゃあ楽しみにしてようかな。実は僕、料理苦手でさ」 「はい。張り切って作りますね」 「じゃあまず、洗濯物だ」 「はい!」  僕達は、二階のベランダへと向かった。   12月26日(3) 「ふう」」  僕達はベランダから洗濯物を取り込むと、近くのスーパーに買い物に行った。自転車に二人乗りで買い物に行く光景は、何だか二人で暮らしているみたいだと思った。  買い物袋とサボテンをカゴに入れ、若葉ちゃんを後ろに乗せて走る。  たったそれだけのことが、妙に楽しかった。 「はい、では私が作りますから、高崎先輩はテレビでも見ていてください」 「ああ、ごめんね」 「いいんですいいんです。私は……その……高崎先輩のために、作りたいんです」 「うん。ありがとう」 「じゃあ腕によりをかけて作りますからね」 「うん、待ってる」  僕は若葉ちゃんがエプロン(母親のエプロンだ。少し大きいみたいでちょっとバランスが悪い)をつけて台所に立ったのを見届けてから、居間に戻ってテレビをつけた。  年末は普段見ているテレビもやっていないため、僕はぼんやりとバラエティー番組を見ていた。  時々台所に耳を向けると、包丁の音やお湯を出す音、ガスコンロを点ける音などがリズム良く聞こえてくる。  寮生活も長くなると、掃除や洗濯は一応出来るようになる。けれど食事は食堂で済んでしまう以上、料理だけは上達しにくい。 「料理も覚えるかなあ」  ぼんやりと考える。  まだ先のことは決めていないが、大学へは行きたいと思う。そしてそのときは、出来れば一人暮らしがしたい。そのためには、料理くらい出来ないと困るのではないか。 「若葉ちゃんの作業を見てたら、上手くなるかな」  と、甘いことを考える。  邪魔なのはわかっていたが、やはり料理をしている若葉ちゃんを見てみたい。  ……それが、本音だ。 「テレビも飽きたし、と」  僕は立ち上がると、台所を覗く。 「若葉ちゃん、どう?」 「あ、高崎先輩。もうちょっと待ってくださいね」  若葉ちゃんは手一杯なのか、こちらを振り返らずに返事をした。 「いや、何か手伝えること無いかなって」 「そんな手伝うだなんて、高崎先輩にそんなことさせられません」 「だからさ、手伝いたいんだって」 「うーん……じゃあ福神漬けを適当な器に移してもらえますか」 「了解」  僕はスーパーの袋から福神漬け(どうでもいいがやはり福神漬けは赤に限ると思う。あの体に悪そうな色がいいのだ……変だろうか?)のパックを取り出すと、適当な器に移した。  ちなみにわかっているかと思うが、メニューはカレーである。いつ親が帰ってくるかわからないので、いつでも食べられるものを選んだ。  それに、若葉ちゃんも得意だって言うしな。  僕はする事もないので食器を取り出し、テーブルを拭いた。その間にも、台所からいい匂いが漂ってくる。 「後少しですから、座っていていいですよ」  若葉ちゃんが僕を見て、ニッコリと笑った。   12月26日(4)  本日のメニューは、カレーライスとサラダ。以上。  ……いや十分なんだけど。 「ちょっと、ご飯が失敗ですね」 「いいんじゃない? お腹に優しくて」  少し水の量が多かったらしい。ちょっとべたっとする。  カレーも煮込みが足りないらしく、少し水っぽい。 「それでも、美味しいよ」  スーパーで買ったインスタントカレーを適当にブレンドしたのだが、結構いける。 「えへへ、ありがとうございます」  僕の向かいで、若葉ちゃんは照れた顔をする。 「明日にはもっと美味しくなるかな」 「そうなんですか?」 「カレーはね、二日目が一番美味いんだよ」 「そうなんですかー、知りませんでした」 「じゃあ知っておいた方がいいな」 「了解です!」  若葉ちゃんはびしっと敬礼。 「しかし、アレだな」 「……なんですか?」 「とげむらさんは、鍋を持つのにも便利だな」 「えへへ、そうなんです」 「いや、若葉ちゃんが照れなくても。えと、おかわり」 「はーい」  僕が差し出した皿を、若葉ちゃんはにこやかに受け取った。  結局僕は、もう一度おかわりをした。合計三杯。  けれど鍋にはまだ山ほどカレーがある。これなら明日も安心だ。 「若葉ちゃん、お風呂沸いたから先どうぞ」 「いえそんな、お風呂まで沸かしてもらった上に先にだなんて。高崎先輩から入ってください」 「いやほら、若葉ちゃんには夕飯作ってもらったりしたし。ね、先入ってよ」 「そんな、だめです」 「どうしても?」  僕の問いかけに、若葉ちゃんはうーん、と首を傾げる。 「わかりました。では、一緒に入りましょう」 「ああそれなら……って、い、一緒に?」 「はい。良くお姉さまと一緒に入ってました。私、お姉さまのお背中を流すのが好きだったんです。だから、高崎先輩のお背中、流したいです」 「あ、いや、さすがにそれは……」 「……だめですか?」  今度は逆に若葉ちゃんは上目遣いに問いかけてくる。 「あー」  あの夜抱き合った仲だというのに、僕は何をためらっているのだろう。  僕は、若葉ちゃんの隅々まで、あのとき知り尽くしたハズなのに。  でも、何かが僕を押しとどめる。 「……じゃあ、条件付きで」  結局僕は、妥協案を出すことにした。 「このバスタオルを身体に巻いて、取らなければいいんですね?」 「そういうこと。じゃあ先に入るから、ちょっとしたら来て」 「わかりましたー」  若葉ちゃんを残して、僕は先に風呂に入る。  うん、良い湯加減だ。  僕はざっと身体を流す。  と、戸の向こうで物音がした。  磨りガラスの向こうに、若葉ちゃんがいる。  衣が擦れる音が、水音に混じって微かに聞こえる。  振り向くと、湯気とガラスの向こうに、若葉ちゃんのシルエットが見えた。  それだけで、ドキッとする。 「おおお落ち着け祐介……」  深く深呼吸。 「高崎せんぱーい、入りますよー」 「あ、え、お、おう」  落ち着く間も無く、若葉ちゃんが入ってきた。  もう緊張で、若葉ちゃんのほうを振り向くことが出来ない。 「じゃあお背中流しますねー」  背中越しに、若葉ちゃんの声が聞こえる。  ややエコーがかかった声が、妙に艶めかしく聞こえる。  不意に脇から若葉ちゃんの細い手が伸び、洗いタオルを掴む。  若葉ちゃんの吐息が、僕の首筋に触れた。 「じゃあいきまーす」  ゆっくりとリズム良く、若葉ちゃんが僕の背中を流していく。 「やっぱり高崎先輩の背中は広いですねー。お姉さまとは大違いです」 「ま、まあそりゃ、男だし」 「そうですよねー。男の人ですものねー」  若葉ちゃんの楽しそうな声。 「はいじゃあ、前いきまーす」 「ままま、前?」 「まずは胸からー」  若葉ちゃんはそう言って背後から手を伸ばす。  結果的に僕に後ろから抱きつく形になる。  僕の背中に柔らかい二つの膨らみが、押しつけられる。 「ややや、前はいい、いいから! 自分でやるからっ」 「えー、お姉さまとお風呂入ったときはこうやって洗ったんですよー」 「いやいや、いいからいいからっ」  僕は半ば若葉ちゃんを引き剥がすように逃げ出すと、泡のついたままの身体を湯船に飛び込ませた。 「ああっ、まだ石鹸流してないのに」 「いいっ、気にしないでっ」  風呂場の壁に顔を向け、悲鳴に近い声で僕は答えた。  やばい、これ以上はやばい。  これ以上は、自分が押さえられそうにない。 「……そんなに、嫌ですか?」 「そ、そんなんじゃないんだ。若葉ちゃん」 「ならこっちを見てください。私を見て、説明してください」  若葉ちゃんの悲痛な声。  その声に、僕は冷静になった。  そりゃそうか。  若葉ちゃんにしてみれば、良かれと思って純粋に行ったことを一方的に拒否されたようなものなのだ。ちゃんと説明しないと。  僕はゆっくりと若葉ちゃんのほうを振り向いた。  目の前に、バスタオル姿の若葉ちゃんがいる。  踵を立てて正座している若葉ちゃんが、じっとこっちを見た。 「あの……その……」  若葉ちゃんの姿が直視できなくて、僕は目を逸らした。 「どうして目を逸らすんですか? 私、何かしたんですか? 教えてください高崎先輩。私の何が悪いんですか?」 「若葉ちゃんが悪いんじゃない。若葉ちゃんは何も悪いことはしていない。それは信じてくれ。これは、僕の問題だから」 「……そう……ですか……」  沈んだ声。  寂しげな、そして悲しげな。 「え、えと、僕はこのままにしてるから先に身体洗っちゃいな……」  ちゃぽん。 「え?」  驚く間もなく、新たに入ってきた身体に押しのけられたお湯が湯船から溢れ出していく。  そして。  ぎゅっと、背中から抱きしめられた。 「……高崎先輩」  耳元で、若葉ちゃんのささやく声がする。 「私を……愛してくれますか?」 「え? そんなのあたりま……」  え。という言葉を遮って、若葉ちゃんの言葉が続く。 「私は、明日の日没で今までの小さな身体に戻ってしまいます。だからその前に、高崎先輩といろいろなことをしたかった。デートしたり、買い物へ行ったり、洗濯物を畳んだり、こうやって一緒にお風呂に入ったり」 「若葉ちゃん……」 「あとは、高崎先輩にたくさん抱きしめてもらいたい。愛されたいんです……あの、夏の日みたいに」  声が、震えていた。  そして、僕を抱きしめている腕も。 「……若葉ちゃん」 「……はい」 「わかったよ若葉ちゃん。今夜は、一緒に寝よう」 「……はい」  僕の身体を、若葉ちゃんはもう一度強く、抱きしめた。   12月26日(4.5) 「電気……消すよ?」 「はい……」  その言葉に僕はスイッチを押し、明かりを消す。  けれど部屋は真っ暗にはならない。机の上でぼんやりと光る目覚まし時計と窓から差し込む月の光が、部屋をほのかに照らす。 「高崎先輩……」  若葉ちゃんはゆっくりとバスタオルを取る。ほのかな明かりに若葉ちゃんの裸身が浮かびあがる。  僕はベッドに腰掛けたまま、その真っ白な肌を見つめる。 「若葉ちゃん……きれいだよ」 「やだ……高崎先輩……恥ずかしいです……」  若葉ちゃんは照れたように目を背け、両手でその形の良い胸を隠す。 「若葉ちゃん……おいで」 「はい……」  僕は隣に若葉ちゃんを座らせると、優しく口づけをかわした。お互いを、確かめあうように。 「んっ……」  舌を入れると同時に、若葉ちゃんの口から声が漏れた。僕はそれを聞きながら更に舌を絡めていく。  若葉ちゃんのすべてが、欲しい。  そんなことを思いながら、僕の舌は若葉ちゃんの口内を這っていく。 「ふあっ」  頃合いを見計らい、僕は唇を離した。トロンとした若葉ちゃんの瞳が、どうにも可愛く映る。  思わず、ぎゅっと抱きしめた。 「あ……高崎先輩……」  若葉ちゃんも両手を僕の背中に回し、ぎゅっと抱きしめてくる。  若葉ちゃんの鼓動が、はっきりと伝わってくる。  もう一度、唇を重ねた。 「んん……」  二人の舌が絡み合う。 「んっ」  若葉ちゃんの声が一瞬跳ね上がる。同じようなタイミングで、自分の分身もビクンと反応する。 「若葉ちゃん……」 「高崎先輩……」  僕は優しく若葉ちゃんの身体を倒し、ベッドに寝かせる。  そして若葉ちゃんの形のいいバストに、手を伸ばす。  指が、なだらかな胸に触れる。 「ん……」  優しく、つかむ。  軟式のテニスボールをつかんだような、ふにふにした感覚。  感触が気持ちいい。  そして、 「あ……」  僕が手を動かすたびに漏れる悩ましげな声。  僕の動きに感じてくれている。  それがたまらなく嬉しい。 「たか……さき……先輩……」  潤んだ瞳で、若葉ちゃんは僕を見る。  上気した頬。  求めるような唇に、僕はキス。 「んん……」  胸に置いたままの僕の手の上に、若葉ちゃんの手が置かれる。 「ふあっ」  唇を離すと、酸素を求めるかのように息が漏れる。 「……大丈夫?」 「はい、大丈夫です……」  若葉ちゃんは、そう言って僕に微笑みかける。 「高崎先輩といると、なんかおかしくなっちゃうんです……胸が、ドキドキして……」 「それは、僕も同じだよ」  優しく髪を撫でる。そして額にキス。 「んっ」  額へのキスすらも感じてしまうくらいに、若葉ちゃんは敏感になっているようだった。  瞳に、耳に、頬に、  キスを繰り返しながら、同時に右手が若葉ちゃんの身体を降りていく。  乳房からへそ、そして茂みへと。 「ひあうっ」  若葉ちゃんの身体が跳ねる。それは、茂みの中を動く指の動きに連動して。  若葉ちゃんの秘部は、既に蜜が溢れていた。僕はその蜜の中、指を動かす。  その動きが、クチュクチュといやらしい音をたてる。 「あんんっっ」  自分の喘ぎ声が恥ずかしいのか、ぐっと若葉ちゃんは声を堪える。  その表情が、可愛い。  僕は、堪えているその唇に再びキスをする。途端に若葉ちゃんはそれに応え、舌を入れてきた。 「んんんんっっ」  秘部から溢れる蜜を僕の口から補給するかのように、若葉ちゃんは舌を絡めてくる。  僕を、求めてくる。  若葉ちゃんの行動に答えるように、僕も舌を動かす。  彼女の、すべてが欲しい。  彼女のすべてが、愛しい。  その想いだけで、身体が自然に動く。 「堪えなくていいよ。若葉ちゃんの声が聴きたい」  唇を離し、僕は若葉ちゃんの耳元で囁く。 「でも……恥ずかしいです」  その言葉に、僕は小さく苦笑。 「僕は若葉ちゃんのことが好きだ。だから、もっと気持ちよくなってもらいたい」 「高崎先輩……」 「な?」  僕の言葉に、若葉ちゃんはコクンとうなずいた。 「いくよ?」 「はい……」  僕は自分の分身を、ゆっくりと若葉ちゃんの秘部に差し込んでいく。 「んっ……」  苦しそうな表情。まだきついのだろうか。 「大丈夫?」 「……はい、大丈夫です」  けれどその声に余裕はない。  僕はそれでも、ゆっくりと分身を若葉ちゃんの中に沈めていく。 「んあああうっ」  その声は痛みか、それとも快感ゆえか。 「くっ」  若葉ちゃんの締め付けに、思わず声が漏れる。  肉棒のすべての部分を、同時に愛撫されるような感覚。  快感の波が、全身に押し寄せる。 「動くよ?」 「……はい」  若葉ちゃんの答えを聞いて、僕はゆっくりと腰を動かす。 「ああんっ」  少し腰を動かしただけで、若葉ちゃんは敏感に反応する。  もっともこっちも、すぐに達してしまいそうなくらいに感じているんだが。  快感にゆっくりと身を任せつつ、徐々にスピードを上げていく。 「はあああんっ」  快感に耐えられないのか、若葉ちゃんは僕を激しく抱きしめる。 「先輩っ、先輩っ」 「若葉……ちゃん」  お互いを感じていた。  お互いが感じていることを、理解していた。  頭ではなく、身体が、理解していた。 「はあ、はあんっ、たか……さき……」 「若葉ちゃんっ」 「せん……ぱい……あああんっ」  ひときわ激しい動きの後、頭の中で何かがはじけ───。   12月26日(5) 「ふう……」  僕はぐったりとして、若葉ちゃんの上に倒れ込んだ。重いだろうに、若葉ちゃんは僕の身体を愛おしそうに抱きしめる。  僕はさすがに若葉ちゃんにのしかかっているのはまずいと思い、ごろんと脇に転がる……。 「とっとと」  ……危うくベッドから落ちそうになった。さすがにシングルベッドで二人は狭いか。 「高崎先輩……」  上気した顔で若葉ちゃんが僕を呼ぶ。かなり疲れた表情だ。そりゃ、あれだけやればな、とか思う。  結局あれから何度こなしたか、覚えてない。  ただわかることは、何度果てても止まらないくらい、若葉ちゃんを抱いていたという事だ。 「若葉ちゃん……」  僕も疲れてはいたが、笑顔で若葉ちゃんを抱き寄せる。  若葉ちゃんの温もり。  それは、何よりも素敵で。 「気持ちよかったよ」  耳元で、囁く。 「えっ、あっ、そんな……恥ずかしいです」 「何言ってるのさ、あんなに乱れてたのに。僕の背中に爪立ててさ……」 「だ、だって……」  薄明かりの中でも、耳まで赤くなってるのがわかる。 「……私も、気持ちよかったから……」  消えそうな程、小さな声。  本当は、何となくわかってるんだ。  若葉ちゃんは本当に僕のことが好きで。  純粋に、僕のことが好きで。  僕のことを、愛したくて。  そして、  自分のことを愛してほしいから。  だから、あんなに乱れるんだ。 「お互いに、恋愛のセオリーを知らないんだよな」  天井を見て、つぶやく。恋愛にセオリーなんてあるのか知らないけど。 「若葉ちゃん」  僕の言葉に、若葉ちゃんが布団からひょっこり顔を出す。  他愛ない仕草が、可愛い。 「若葉ちゃんを抱きしめたまま、眠っていい?」 「……はい。高崎先輩。私のこと、ぎゅってしてください」  照れた表情の若葉ちゃんを、僕は抱きしめる。  そしてそのまま、眠りについた。   12月27日 「高崎先輩……起きてください、高崎先輩」  耳元で、若葉ちゃんの声がする。 「ん……」  僕は、ゆっくりと目を開けた。  そして、手を回しながら若葉ちゃんの方を向く。  が、そこには若葉ちゃんの姿はなかった。 「あれ? さっき声がしたのに」  僕は起きあがり、きょろきょろと若葉ちゃんの姿を探す。 「高崎先輩、ここですここですー」  枕元から声がして、僕は嫌な予感を覚えつつ振り返った。 「えへへ、また小さくなっちゃいました」  そこには、三十センチほどに縮んだ若葉ちゃんの姿があった。 「な、なんで? だって期限は今日の日没じゃ……」 「あの、夕べ高崎先輩に力を分け与えたのがダメだったみたいです」  若葉ちゃんはてへ、と舌を出す。 「え? そんなことしてたの?」 「はい……その……高崎先輩を、もっともっと感じていたくて」 「あー」  何故あんなに激しく愛し合えたのかを、僕は理解した。  若葉ちゃんが、僕に精を送っていたと、そういうことか。 「なにやってんだよ」  あきれた表情の僕。 「ご、ごめんなさいごめんなさい」  僕の表情を見て、あわてて謝りはじめる若葉ちゃん。 「……ま、またサボテンに戻るよか、いいけどね。たった一日早まっただけだし」  僕は優しく、若葉ちゃんの頭を撫でた。 「高崎先輩……」  若葉ちゃんは僕の指を、愛おしそうに抱きしめる。 「さ、お腹空いたな。昨日のカレーでも食うか」 「あ、はい、すぐ温め……られませんね、この身体じゃ」 「あははっ、まあいいさ。そのためにカレーにしたんだからな。今日は僕が全部やるよ」  しょんぼりした顔の若葉ちゃんの頭を、笑いながらちょんちょんと叩く。 「ま、春にはできれば、自分で大きくなれるといいんだけど」 「は、はい。頑張ります」 「じゃ、服を着てご飯にしよっか」 「はいっ」  若葉ちゃんの元気な声が部屋に響く。  またしばらくはちっちゃいままだけど、それも春までだ。  逆に今しか味わえないこの時間を、存分に楽しもう。  僕は、そんなことを思うのだった。   君が望む中書き  と、いうわけで「ちっちゃいってことは?」の完全版をお届けします。  ……完全版と言いつつ、実は不完全だなーと思うことしきり(特にエロシーン)なんですが、  一応完全版です。  ……完全版だったら!  おそらく拙作のネタで一本としては最長になるのかと思います。冗長な部分も見受けられるな、もっと切れるな、と思わなくも無いですがね。  若葉ちゃんは、グリグリの中で僕がイチオシのキャラクターです。設定に裏付けされた優しさと、設定故の世間知らず(?)が程良くミックスされて、結果として悲しげに映るという素敵さが心打たれます。  ……ドラマCDとかだと、中途半端な電波っ子(好きですが)ですけどね。  気がつけばグリーングリーンを購入して1年になります。これからもグリグリワールドを自分の手で少しでも広めていければな、と思います。  では、次の作品でお会いしましょう。  2002.11.03 ちゃある。   12月31日  ごーん、ごーん……。  遠くで、除夜の鐘が鳴り響く。  今年も、もうすぐ終わりだ。 「今年はなんだか、大変な年だったなあ」 「そうですね」  僕の言葉に、若葉ちゃんが頷いた。  僕は居間で、若葉ちゃんとカップそばという名の年越しそばを食べていた。結局両親は田舎から帰ってこられず、向こうで年を越すらしい。僕の口座に生活費を追加してくれたから良かったものの、そうでなければ飢え死にするところだった。  ちなみにカレーは二十九日に食べ尽くした。昨日と今日は、コンビニ弁当やこうしたカップ麺で過ごしている。 「……夏にいきなり女子の試験編入、あのデタラメな一ヶ月。すごかったなあ」 「そんなにすごかったですか?」 「インパクトとしてはものすごいものがあったな。だって女だよ? もう未知の世界だよ」 「はあ……そういうものですか」 「そして、若葉ちゃんに会えた。最初はちょっと、不思議ちゃんなのかなって思ったけどな」 「不思議ちゃん?」 「ああいや、僕も植物に心があるなんて、考えたこともなかった。だから植物と楽しそうに話す若葉ちゃんが、どうにも不思議に見えたんだよ」  あわてて取り繕う。 「……他にも、なんでか知らないけど僕に付きまとってくる千歳とか、最初はすごくヤな奴だと思った朽木とか、ナンパ君呼ばわりした千種先生とか……そうそう、早苗ちゃんとかね。すべてがひっくり返されたような一ヶ月だったな」  あの夏の日々を、僕は次々と思い出していた。たった五ヶ月前の話なのだ。けれど、ずいぶん昔のような気もする。 「でもね。僕の頭と心は、若葉ちゃんに向いていたんだ。どうして若葉ちゃんがあんなにまで献身的なのか、僕には理解できなかった。自己犠牲の精神にも程があるって、ね」 「あのときの私は、人間に奉仕することが、喜びでしたから」 「そうだね。僕もわからなかった。いや、普通わからないよな。若葉ちゃんが人間じゃないなんて」  僕は苦笑。でも、本当に人間じゃないと知ったときは、さすがに驚いた。 「でも、僕は若葉ちゃんを好きになった」 「私も……式神の身でありながら、高崎先輩を好きになっていました。最初は、その気持ちがよくわからなかったけど……」 「ま、いろいろあったけどさ。こうして若葉ちゃんと一緒にいられるんだから、よかったんだよな」  これ以上思い出すのはやめて、僕はまとめた。  あの夜のこと。  次の日の朝のこと。  若葉ちゃんがいなくなった日。  あの頃の思い出は、僕にはつらい。 「そう……ですよね」  同じ事を若葉ちゃんも思ったのか、静かに答える。  それっきり、二人とも黙ってしまった。  遠くで、除夜の鐘がまだ響いている。  そして。  時計の針が、十二時の文字盤で重なった。 「あ」 「あ」  ほぼ同時に、口を開く。 「えーと……明けましておめでとう。若葉ちゃん」 「はい……おめでとうございます。高崎先輩」  なんか微妙な感覚。  しばし見つめ合う。 「は、ははは……」 「うふふ……」  どちらからともなく笑い出す。 「なんか変だな、僕たち」 「そうですね。なんか変です」 「でも、きっとこうやって笑ってるのは、幸せだからなんだな」 「え?」 「……いや、今年もこうやって、若葉ちゃんと笑えたらいいなって」 「はい! 私も高崎先輩と一緒に笑えたらいいなって思います」  若葉ちゃんの、優しい微笑み。 「じゃあ若葉ちゃん。今年もよろしくな」 「こちらこそ、よろしくお願いします」  そして、僕たちの新しい一年が、始まる。  おわり  君が望むあとがき  えーと、今更焼き直しですみません。  完全版としてはだいぶ前に書き直した(中書きの日付参照)んですが、公開のタイミングが掴めず、今頃の公開となってしまいました。一応追加エピソード(?)も入っているのでいいかな、と。  ちなみに初の(俺的)R-18指定です(ぉ    2004.05.24 ちゃある