グリーングリーンSS 「キャラメル」
ぼんやりと、漆黒の海の中を漂っている。
そんな意識の中、私はいつもあの人の声を聞いていた。
「今日は天気がいいから、ひなたぼっこでもしようか」
今も聞こえる、優しい声。
でも、思い出せない。
あの人は、誰なのか。
そして。
私は、誰なのか。
「君は眠っているだけだって、朽木は言っていた。だから僕は、その言葉を信じる」
くつき……?
聞いたことがある、言葉。
「なあ、若葉ちゃん……もし聞こえるなら、聞いてくれ。僕は……高崎祐介は、君が起きるのをずっと、待ってるから……」
たか……さき……?
たかさき……。
高崎先輩!
思い出した。
私は朽木若葉。陰陽師の血に連なる術師、朽木双葉に創られた式神。そして、私を呼ぶのは高崎先輩。私の───。
───大切な、ひと。
意識は闇の中から戻ってきても、視界は闇のままだった。
それは当然かもしれない。あの夏の日、私はすべての力を振り絞って高崎先輩を治癒した。
その代償として私は式神としての姿を失い、自分自身も枯らせてしまった。
でもどうやら、すべてを失うことは無かったらしい。しばらくの眠りの後、私はこうして意識を取り戻している。
きっとそれは、毎日高崎先輩が、私を呼んでくれたから。
すべてが漆黒の海に沈んでしまう前に、私を呼んでくれたから。
けれど。
今の私は何も見えず、何も言えず。
ただ、高崎先輩の声を聞くことしかできない。
「……なあ、若葉ちゃん。俺、今年の夏は帰らないことにしたよ。きっと若葉ちゃんには、鐘ノ音の環境がいいと思うんだ。大丈夫。寮母さんがいないのは一週間だけだから、その間だけ乗り切れば何とかなるよ……」
何言ってるんですか高崎先輩。ちゃんと帰らないと。私のことなんて考えなくていいんですよ。
「あのとき、若葉ちゃんは僕を助けてくれた。だから、今度は僕が、若葉ちゃんを助けようと思うんだ。馬鹿みたいだけど、そう思ったらこんなことしか浮かばなかった。ごめんな……」
私の前で、高崎先輩が泣いている。
そんな、やめてください。私なんかのために泣くのは。
けれど、私の言葉は届かない。
ただ、高崎先輩の嗚咽を聞くだけ。
何もできずに。
次の日。
周りが明るいことに気づいた。
ぼんやりと視界が広がる。
外が、見える。
私は日当たりのいい机の上に置かれていた。
枯れた株の脇には、高崎先輩からもらったブレスレットが置いてある。
手作りのブレスレット。私がもらった、初めてのプレゼント。
これが側にあるというだけで、嬉しい。
「おはよう若葉ちゃん。今日もいい天気だね」
不意に話しかけられ、私はびっくりした。見ると高崎先輩が、私をのぞき込んでいる。
「……進展なし、か」
高崎先輩は小さくため息をつく。
そんなこと無いです。ほら私、高崎先輩が見えるようになりましたよ。
でもやっぱり、私の言葉は高崎先輩に届かない。
植物の言葉は、普通の人間には聞こえないから。
「さーて、洗濯でも行くかな」
高崎先輩は私を抱え上げると、洗濯物の袋を担いで歩き出した。
ゴウンゴウンゴウン。
コイン式の、二層式の洗濯機が回る音がする。
高崎先輩は私を抱え、鼻歌を歌いながら洗濯機が止まるのを待つ。
「そう言えば若葉ちゃん、いつだったか自作の歌を歌ってたよな」
はい、あれはお姉さまが作った歌なんです。
「若葉ちゃん、歌うの好きなのかな」
よくお姉さまに叱られて罰として歌ってましたから、いつの間にか好きになってました。お洗濯の時とか、よく歌うんですよ。
届かないとわかっていても、つい答えてしまう。
「お、止まった止まった。ちょっと待っててな」
高崎先輩は私を足下に置くと洗濯物を洗濯機から取り出し、脱水機に移す。
「今時二層式も無いと思うんだけどな」
高崎先輩がぼやく。スイッチを入れると、けたたましい音を立てて脱水機が動き出す。
私が人の形を取っていれば、私が全部洗うのに。
そう思っても、今の私は枯れかかったサボテン。
高崎先輩の側で、ただ存在するだけ。
やがて脱水機も止まり、取り出した洗濯物を並べて干していく。
「なあ、若葉ちゃん」
洗濯物を干しながら、高崎先輩が独り言をつぶやく。
「僕って結構、幸せだよな」
え? どうしてですか?
「だってさ、よく考えたら、好きな子のためにこんなに頑張るなんて、なかなか出来ないよな。それに僕は、若葉ちゃんとこうやってずっと一緒にいられるんだ。幸せだよ」
まるで、自分に言い聞かせるような言葉。
「とりあえずはさ、僕を見守っていてくれると嬉しいな。頑張るからさ」
高崎先輩の瞳は、突き抜けるような青空に向けられている。
わかりました。高崎先輩。
私、ずっと高崎先輩のこと、見守りますから。
例えダメって言われても、この命ある限り、私は高崎先輩の側にいますから。
だから……。
そんな、悲しい笑顔をしないでください。
「本当に祐介どんは帰らないのでごわすか?」
「ああ、まあ実家が遠くないから、何かあったら帰れるし」
「そうでごわすな。おいどんは九州でごわすから、こう言った休みでないと帰れないでごわす」
「そっか。気をつけてな」
「祐介どんも気をつけるでごわす。では、行って来るでごわす」
「ん、土産、期待してるから」
「土産話なら、たくさん用意しておくでごわすよ」
高崎先輩とそんなやりとりをして、天神先輩は出ていった。
「お、祐介。お前残るんだって?」
天神先輩と入れ替わりに、一番星先輩が入ってきた。
「じゃあ、これやるよ」
と高崎先輩に渡したのは、花火。
「夜のお供に、な?」
「ああ……もらっとく」
「あ、あとこれもやろう」
と、ポケットから出したのは、キャラメル。
「貴重な食料だろ?」
「……そうだな」
と、高崎先輩は苦笑。
「じゃあな高崎。風邪引くなよ?」
「おう」
手を振って一番星先輩も出ていった。
「さーて、本当に一人になっちまったな」
高崎先輩は、ごろんと部屋に寝転がる。
そんなことないですよ。ここには、私がいますから。
「……そうだな、ここには若葉ちゃんもいたな。ごめんごめん」
不意に起きあがり、高崎先輩は私を見る。
え?
今、私の声が?
「じゃあ早速夜にでも花火しようかね、若葉ちゃんと一緒に」
はい!
私は元気良く返事をした。けれど高崎先輩はため息をつき、再び寝転がる。
やっぱり私の声は、届いてはいなかった。
さっきのは、ただの偶然。
ねえ、高崎先輩。
そんなに、悲しい顔をしないでください。
私は今のままで十分ですから。
ね。
例えばそう、机に置いてあるキャラメルのおまけみたいに。
私は高崎先輩と一緒にいられればいいですから。
そんな思いも、高崎先輩には届かない。
ただ悲しげな顔を、見つめるだけ。
ただ、それだけ。
夜。
「さあ、花火だっ」
高崎先輩は私と花火、それに水の入ったバケツを抱え、寮の屋上に向かう。
立入禁止の札を乗り越え、屋上のドアを開ける。
「こう言うときは屋上だよな」
先輩が一人つぶやく。
「さあ見ててくれ若葉ちゃん。この綺麗な花火を」
そう言って先輩は、ろうそくにライターで火をつける。
そして取り出した花火に火をつける。
たちまち色とりどりの火花が、月光の元に浮かび上がる。
「どう? 綺麗だろ?」
はい、綺麗です。
「こんなのもあるぞ」
と言って別の花火に火をつける。
「な、いいだろ?」
はい、すごいですすごいです!
高崎先輩は、私が楽しんでいるのを知っているかのように、次々に別の花火をつけていく。
「ははははっ、ほーら、五本いっぺんに付けちまうぞっ」
火花が混ざり合って、不思議な色になる。
綺麗ですよ、高崎先輩。
本当に、綺麗です。
花火も使い果たし、残りは線香花火だけ。
「寂しくなるからあまりやりたくないんだが……残すのももったいないしね」
言いつつ、花火に火をつける。
切ない火花が、ちりちりと輝く。
「な、若葉ちゃん、初めて出会ったときのこと、覚えてる?」
はい。覚えてますよ。あれは……。
「購買でぶつかっちゃったんだっけな。お詫びって訳じゃないけど、手伝ってあげたんだよな」
そうです。あのときは、どうして手伝ってくれるのか不思議でした。
「最初から、なんかほっとけない気がしたんだ。思えばあのときから、若葉ちゃんが好きだったのかもしれないな」
私も、そうなのかもしれないです。最初にわいた疑問が、恋の始まりなのかもしれない。
「もし、さ。もう一度もとの姿に戻れるなら、また一緒に買い物行きたいな。今度はパシリじゃなくて、僕たちのものを、ね」
はい! 是非行きたいです。
……元の姿に戻れるのなら。
「めんどくさいな、このまま寝ちまうか」
ええっ、夏だからってダメですよっ。
風邪ひいちゃいますよっ。
けれど、私の言葉は届かず、高崎先輩はごろりと寝転がるとそのまま寝てしまった。
まったくもう。
月明かりに照らされる、安らかな寝顔。
ちょっと、可愛い。
ねえ、もしも奇跡があるのなら。
もう一度、奇跡を起こしてください。
私の言葉を、私の一番大切な人に、届けてください。
ずっと私だけを見て欲しいとは、言いません。
例えば他の人を好きになってもかまいませんから。
せめて、私を覚えていてもらえるように。
私の想いを、届けてください……。
「ん……暑いな……」
日が昇り、高崎先輩が目を覚ました。
「あ、悪い悪い。こんな日の当たるところに置いといちゃまずいよな」
と言って、私を持ち上げる。
いいんですいいんです、私は大丈夫ですから。
「……え?」
不意に高崎先輩が、私を見る。
「空耳……かな?」
え?
「もしくは幻聴? それとも……マジ?」
言いながら、高崎先輩が私をのぞき込む。
「若葉ちゃん、おはよう」
あ、おはようございます。高崎先輩。
反射的に返す。
と、高崎先輩がひどく驚いた顔をした。
「若葉ちゃん……生き返ったのか?」
え?
「生きてるならもう一度返事をしてよ。今聞こえたんだ。若葉ちゃんの声が!」
ええ?
生きてます生きてます。朽木若葉は生きてますよー。
「ああ……」
私を抱えたまま、高崎先輩が泣き出す。
「よかった……聞こえるよ、若葉ちゃんの声が」
本当ですか?
「本当だ。確かに聞こえるんだ……良かった、生きてた……」
ぼろぼろと流す涙が、私に落ちる。
はい。私も良かったと思いますよ。
「あ、こんな場合じゃなかったな。今水あげるからね」
そう言って高崎先輩は私を抱えたまま、慌てて階段を降りていく。
私を流しに持っていくと、水道の蛇口をほんの少し、ひねる。
蛇口からこぼれる冷たい水が、私を冷やしていく。
「な、若葉ちゃん」
はい、なんですか高崎先輩。
「これからも……ずっと一緒だから」
……はい、私もずっと、先輩の側にいたいです。
ねえ、もし誰かが奇跡を起こしてくれたのなら。
この奇跡を起こしてくれたあなたに、お礼を言わせてください。
願いを叶えてくれたこと。
そして、
高崎先輩の笑顔をもう一度見せてくれたことに、感謝します。
ありがとう……ございます。
end
僕が望むあとがき
えー、暴れ祭りの前に何とか間に合いましたか? の若葉SSです。
「キャラメル」をモチーフに書きましたが、うまくいかないですね(笑)
あの切なさを表現したかったのですが、どうもくどくなってしまいました。反省。
……あと、どうしても今まで書いたSSに挟み込みたかったのでおかしくなった、ってのもあるのかも。うーん。
いちおう拙作SS「いもうと」と「ちっちゃいってことは?」の間に挟まる形になります。併せて読んでもらえると嬉しいかも。
あ、キーワードの「キャラメル」を入れ忘れた(苦笑)
では、この作品の元となった「キャラメル」に感謝して。
2002.04.12 ちゃある。
修正のあとがき
若葉ちゃんの聖誕祭と言うことで、キャラメルを書き直しました。ほんの少しだけ変えています。そうですね、「キャラメル」を本文で使ったこととか(^^;;
2002.05.24 ちゃある