『クロッシング』 〜祐介〜






「ね、今度の連休……ウチ、来ない?」
 まったくもって唐突に、朽木双葉が言った。

  +

 昨年の夏、自分が起こした騒動によって立ち消えになったはずの共学化は、切羽詰まった経営と、試験編入した女子生徒の強い要望もあって実現してしまった。
 けれど僕には、どうでもいいことだった。
 だって、入ってきた生徒の中に早苗ちゃんはいないのだから。
 むしろ僕には、共学化は不幸な出来事だったのかもしれない。
 いないと理解しつつも、女生徒の中に早苗ちゃんの姿を探してしまう。
 そのたびに、僕は彼女がいないことを、そして。

 ───彼女を殺してしまったことを、理解してしまうのだから。

 もう一つの不幸は、朽木双葉の存在だった。
 彼女は何故か、何かと僕につきまとい、何かと世話を焼き(いや、実作業はほとんど妹の若葉ちゃんだった)、何かと僕を誘うのだ。

「お姉さまは、高崎先輩のことが好きなんですよ」
 姉のいないところで、若葉ちゃんは僕に言った。

 僕のことが、好き。
 なんで?
 疑問だらけだ。
 でも、嬉しいことだと、思う。
 でも、僕は謝らなければならない。
 だって。

 僕が好きなのは、早苗ちゃんだけなんだから。

  +

 朽木の申し出をどうして了承したのか、僕は覚えていない。
 ただ『旅費全部朽木持ち』という言葉と朽木の恐ろしい形相に、思わず頷いてしまったような気もする。
 ともあれ頷いてしまったのは確からしく、僕は半ば強引に朽木の家に連れてこられた。いや、正しくは僕だけホテルに泊まった。理由はよくわからないが、『家の都合』らしい。
 まあ、お金の心配はしなくていいし、他人の家に泊まるよりはよほど気が楽だ。
 僕は好意に預かり、フカフカのベッドで睡眠をとった。
 それでも落ち着かなかったようで、空がまだ薄暗いうちに目が覚めた。
 で、する事もないので散歩でもしよう、ということになったのだ。

 +

「こんなところに……神社か?」
 ここはホテルからちょっと離れた住宅街。小さな丘に、長い石段がある。
 上を見上げると、緑の中に埋もれるように、小さな建物が見えた。
「ちょっと……行ってみるか」
 僕は、なんとなく気になって石段を登った。
 気がつけば、僕は緑のない風景に違和感を持つようになっていたのかも、しれない。

「ふう……」
 息があがりかけた頃、石段を登り切った。
 大きな木に囲まれた、小さな神社。
 ここだけ、世界が違うみたいだ。
「ちょっと休憩だな」
 僕はそうつぶやくと、近くのベンチに腰掛けた。

 ───と。
 ベンチの近くに、一人の男性が立っていた。歳は……僕と同じくらいだろうか。
 あ、ベンチに座りたいのかな。
 僕はベンチのど真ん中に腰掛けているから、きっとためらっているのだろう。
「あ、すみません……座りますか?」
 僕は少し、隅に寄る。
「あ、ああ……」
 彼は少しためらった後、僕の隣に座った。
 朝っぱらから男が二人、同じ方角を見て、無言。
 なんか、気まずい。
「……ここ、いいところですね」
 何か話題を、と思い、口を開く。
「そうですね。一応緑もあるし」
 と、彼は答えてくれた。
「あはは、この辺では多い方なんですよね。……ウチの学校に比べれば、全然ですけど」
「へえ。君んとこの学校、緑化に力入れてんだ?」
「いや、ウチの学校は山奥にあるんですよ。だから、周りが全部緑」
 僕は苦笑する。
「そうか。この辺の学校とは限らないんだっけ」
「あ、すみません。実はこの辺来たの、初めてで」
 彼は僕を、このへんの人だと勘違いしたらしい。
「そっか……じゃあ、なんでここに?」
「昨日から三連休じゃないですか。それで友達に呼ばれて。……あまりに僕が、元気ないから」
 きっと、そうなのだろう。
 朽木が僕に何かと話しかけてくるのも、僕を元気づけようとしてのことなのだろう。
 わかってる。わかってるんだけど……。
「……一人の人を想い続けることは、悪いことなのかな……」
 僕は今でも、早苗ちゃんのことが好きだ。
 でも、朽木は僕に向かって言った。
『いない人に縛られてたら、何も進めないでしょ。そんなの、早苗ちゃんが望んでると思う?』
 それは正論だ。でも、正論だからこそ、腹が立つ。
『お前に、何がわかるって言うんだ!』
 そう返したときの朽木の表情が、ふと脳裏に浮かぶ。

「……うーん。状況によるんじゃ、ないかな」
 隣の彼が突然つぶやいた。僕はそれが自分のつぶやきに対する返事であることに気づき、驚いた。
「ごっ、ごめんなさい。ひとりごとのつもりだったんですが」
「それにしちゃ、随分声が大きかったが」
「……そう、かもしれないですね。本当は、誰かに聞きたかったのかも、しれないです」
 本当に、そうなのかもしれない。
 良く知った友人じゃなく、ふと知り合った人に、愚痴をこぼしたかったのかもしれない。
「……誰かを……好きになったの?」
 彼が、僕に尋ねた。
「はい。でも、もう会うことは出来ないんです」
 僕は空を見上げる。
 この遠い空の向こう。会えない場所に、早苗ちゃんはいる。
「そっか……」
 言葉の意味が伝わったのか、彼も、遠い目をした。
「忘れようと……思いました。でも、出来ない。だって」
 そこで、僕は言葉を止めた。
 見ず知らずのひとに、こんなこと言うべきなのだろうか?
 一瞬のためらいの後、僕は思いきって口を開く。
「彼女は……僕が殺したんだから」
 沈黙。
 彼の表情が、重苦しい表情に変わる。
 でも、放たれた言葉は、もう戻せない。
「……あのとき、僕は彼女を連れ出すべきじゃなかった。最後の最後まで、奇跡を信じるべきだった。どうして、どうして僕は……」
 言葉が止まらない。
 今まで我慢してきた想いが、溢れ出した。
 どうしてあのとき。
 どうして僕は。
 最悪の選択をしたのだろう?
 涙が、こぼれる。

「そりゃ、自分を責めすぎだと思うけど」
 一通り言い終わった後の、彼の言葉。
「でも……でも僕は……」
 取り返しのつかないことを、したんだから。
「じゃあさ……愛した人が自分のせいで死んでしまうのと、自分のせいで意識不明の重体になるのと、どっちが楽、だと思う?」
 不意に、彼は僕に問いかけた。
「……それは、意識不明でも生きている方が楽だと思います。だって、相手は生きているんでしょう?」
 少し考えた後、僕は答える。それは、ごく当たり前の話じゃないのだろうか?
 でも彼は、僕の答えを静かに受け止め、そして、静かに言葉を紡いだ。
「ただ『生きているだけ』の相手を見続けるのは、想像以上につらいことだよ?」
「でも……って……もしかして?」
 もしかしてそれは、体験から来た言葉なのだろうか?
「もう、一年以上前かな。俺は自分が遅刻したせいで、彼女を交通事故に遭わせてしまった。そして彼女は、今も眠ったまま。この一年、何も変わらなかった」
 重い、言葉。
 もしかしたら、僕よりも。
「……そう……ですか……」
 言葉が、出ない。
「あ、ごめんな。こんなこと言うつもりじゃ、無かったんだけど」
「いえ、僕の方こそ……すみません、取り乱したりして」
「いや、状況の違いこそあれ、気持ちはわかるよ……そうだよな、死んでしまったら、どんな想いも、相手には届かないんだよな。俺の方が、楽かもしれない」
「いえ……生きているってことは、縛られるってことですよね。僕は……もしかしたら、彼女を忘れられるかも、しれない」
「もしかしたら、な」
 二人で、笑う。
 笑ったのは、いつ以来だろう?
 そんな疑問を、頭の隅に置きつつも。

「たかさきー」
 朽木の、声がした。
「あ、友達が来たようです」
 言って、僕は立ち上がる。
「孝之ー」
「あ、俺んとこもきたようだ」
 反対から聞こえた女性の声に、彼も立ち上がる。
「じゃあ、お別れですね」
「ああ」
「……今日は、ここに来て良かった。あなたみたいな人に、出会えたから」
「俺も、そう思う。君に会えて、良かった」
 根本的な解決は、何もしていないけど。
 でも、話せて良かったと思う。
 僕達は、どちらからともなく、握手を交わす。
 と、朽木が僕の隣までやってきた。
「たかさきー、探したよ。ったくどこ行ったのかと思った」
「あ、ごめん。……ちょっと、散歩」
 どうやってここを探り当てたのか疑問に思ったが、僕は素直に答える。
「孝之……またここに来てたんだ」
 と、彼の背後から女性の声がした。
「……ああ、日課だから、な」
 他愛ないやりとり。
 でも、女性の瞳は、どこか不安げで、悲しそうで。
 ───どこかで見たような、瞳で。
「じゃあ……俺は行くから」
「あ、僕も行きます」
「そっか」
「そうだ、まだ自己紹介してませんでしたね。僕は、高崎祐介です」
「俺は、鳴海孝之」
「またどこかで、会えるといいな」
「ええ。また」
 そう言って、僕達は別れる。
 最後に、軽く手を振って。
 違う方向に、歩いていく。
「まったく、勝手にうろうろしないでよ。やっと見つけたんだから」
 石段を下りる途中、朽木が言った。植物の力を扱える陰陽師の朽木は、植物に自分の居場所を聞きながらここまで来たらしい。
「この辺は草木も少ないから、大変なのよ」
「……悪い」
「わかればいいけど……ところで今の人、誰?」
「あー……」
 僕は彼を、どう表現すれば良いのかわからず、一瞬躊躇した。
「友達、だよ」
 うん、きっとそれが、一番正しい言葉なのだろう。
「ふーん。高崎って、こっちに友達いたんだ」
「いや、今友達になった」
「そうなの? だったらあたしにも紹介してくれれば良かったのに」
 なんで朽木を……と、言おうとして、僕は言葉を変える。
「……そうだな。そうすれば、良かった」
 つぶやきながら、僕はさっきの会話を考える。

『死んでしまったら、どんな想いも、相手には届かないんだよな。俺の方が、楽かもしれない』

 彼が言った、言葉。
 届かない、想い。

 僕は……間違っているのだろうか。
 想いは……生きている人に、伝えるべきなのだろうか。

「……どうしたの? 高崎」
 気がつくと、朽木が心配そうな顔で僕を覗き込んでいる。
 その瞳は、さっきの彼女が見せたものと、同じ。
 いや───ずっと、朽木は僕を見ていた。
 今と同じ、瞳で。

 そっか。

 ずっと、その瞳で。
 僕のことを、心配してくれてたんだ。

「……高崎?」
「ん、どうした?」
「今……笑った。少しだけど、笑った……」
「……そっか」
 彼と、笑ったからか。
 僕は無意識に、微笑んでいたらしい。
「な、朽木」
「なに? 高崎」
「……腹……減ったな。ホテルの朝食、間に合うかな?」
「うーん、ぎりぎり、かな?」
 朽木は時計を見て、考える。
「そっか。じゃあ帰ろう」
「うん!」
 朽木が嬉しそうに微笑む。
 その笑みに、僕もつられて笑う。
 ずっと、僕を心配してくれた朽木。
 もし、朽木のことを、好きになってもいいのなら───。

 ───それを、朽木も望むのなら───。


 ───早苗ちゃんも、許してくれるだろうか。




 おわり。





  君が望む後書き


 何となく企画『クロッシング』です。本作品はグリグリ的に言うと、早苗エンドの一年後の秋、となります。設定が強引(共学化が復活したり)なのは、企画で『彼』に会わせたかったからです。
 ……おかげで別のSSの設定を変えなくてはいけなくなりましたが。
 でもまあ、書きたかったので書きました。今更ながら可愛いと思っている双葉と、うまくいければいいな、と思って。
 なお、本作中に出てくる『彼』は知っているひとだけ知っていればいいです。一応知らない人でもわかるように書いたつもりですので。

 では、こんな駄文でも感想をもらえたら幸いです。

 2003.09.17 両方知ってる人はもう片方もね ちゃある

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