『クロッシング』 〜孝之〜






 小さな丘の上にある、神社。
 毎朝、俺はお参りに来る。
「遙……」
 彼女の名を、つぶやく。
 昨年の夏、交通事故に遭い、意識を失った少女。
 俺の、恋人の名を。


『もう、来ないでください』
 正確な言葉は、もう忘れた。
 ただ覚えているのは、彼女の父親の、表情。
 俺のことを、心から思っている。
 ……だから俺は、その言葉を受け入れた。

 それから、遙の顔は見ていない。

 でも、もう一つのことは、受け入れられなかった。
『遙のことは、忘れてください』
 だから俺は、毎朝ここに来て遙のために祈っている。
 ───でも。

 一年以上も通ってるのに、まるで効果はない。
「はぁ……」
 俺はため息をつき、いつものベンチに向かう。

 と。

 そこには先客がいた。若い───とは言っても、俺と同じくらいだろうか。
 どことなく、暗い雰囲気の、青年。
 隣は空いている。でも何となく、座りづらい。
 俺がためらっていると、向こうが俺に気づいたようだった。
「あ、すみません……座りますか?」
 彼は少し、隅に寄る。
「あ、ああ……」
 ここで断るのもおかしいと思い、俺は彼の隣に座った。
 朝っぱらから男が二人、同じ方角を見て、無言。
 ───怪しさ爆発、と言ったところか。
「……ここ、いいところですね」
 と、彼が言った。彼も気まずさを感じていたのだろうか。
「そうですね。一応緑もあるし」
 なんだか敬語。
「あはは、この辺では多い方なんですよね。……ウチの学校に比べれば、全然ですけど」
「へえ。君んとこの学校、緑化に力入れてんだ?」
「いや、ウチの学校は山奥にあるんですよ。だから、周りが全部緑」
 彼は苦笑する。
「そうか。この辺の学校とは限らないんだっけ」
「あ、すみません。実はこの辺来たの、初めてで」
 そりゃそうだ。この辺に住んでるのなら、今更ここを『いいところ』なんて言わないだろう。
「そっか……じゃあ、なんでここに?」
「昨日から三連休じゃないですか。それで友達に呼ばれて。……あまりに僕が、元気ないから」
 確かにあまり、生気のある顔じゃないかもしれない。
 なんて、俺も同じような顔をしているのかもしれないが。

「……一人の人を想い続けることは、悪いことなのかな……」
 唐突に、彼が切り出した。と、いうよりも、彼の顔は正面を向いたまま。まるで、単なるつぶやきのよう。
 俺は、答えるべきか悩む。
 ……でも。
「……うーん。状況によるんじゃ、ないかな」
 俺の言葉に、彼は驚いた顔をする。
「ごっ、ごめんなさい。ひとりごとのつもりだったんですが」
「それにしちゃ、随分声が大きかったが」
「……そう、かもしれないですね。本当は、誰かに聞きたかったのかも、しれないです」
 それは、わかる。
 苦しいときのつぶやきは、親しい人間よりもむしろ、他人に聞いてもらう方が楽なときがある。
「……誰かを……好きになったの?」
「はい。でも、もう会うことは出来ないんです」
 そう言って、彼は空を見上げる。
 外国でも行ったの? とか考えたが、この視線はそうではないだろう。
 もう、会うことが出来ない場所。
「そっか……」
 俺は、彼の視線の先を見る。
 きっと、彼が好きになった人は、その視線の向こうにいるのだろう。
「忘れようと……思いました。でも、出来ない。だって」
 彼は、言葉を止めた。
 一瞬のためらい。
 でも、意を決したように、口を開く。
「彼女は……僕が殺したんだから」
 その言葉の重さに、俺は何も言うことが出来なかった。
 理由は、あるのだろう。でも。

 殺した。

 その言葉は、あまりにも重い。

「……あのとき、僕は彼女を連れ出すべきじゃなかった。最後の最後まで、奇跡を信じるべきだった。どうして、どうして僕は……」
 堰を切ったように、彼の口から言葉が溢れる。その内容から、俺は彼の罪を理解した。
 彼は、病弱の女の子の頼みで、病院を抜け出した。
 彼女の願いを、最後の願いを叶えるために。

 けれど、その願いは叶わず。
 彼女は、途中で息を引き取ってしまう。

「そりゃ、自分を責めすぎだと思うけど」
 俺は言葉を選び、そう言った。
「でも……でも僕は……」
「じゃあさ……愛した人が自分のせいで死んでしまうのと、自分のせいで意識不明の重体になるのと、どっちが楽、だと思う?」
 俺は、彼に向かって問いかけた。
「……それは、意識不明でも生きている方が楽だと思います。だって、相手は生きているんでしょう?」
 やはり、そう返してきた。
 俺だって、最初はそう思ってたさ。
 死ななかった。生きてるんだ。
 それだけで、いい。
 ……でも。
「ただ『生きているだけ』の相手を見続けるのは、想像以上につらいことだよ?」
「でも……って……もしかして?」
 彼は、気がついたように俺を見る。
「もう、一年以上前かな。俺は自分が遅刻したせいで、彼女を交通事故に遭わせてしまった。そして彼女は、今も眠ったまま。この一年、何も変わらなかった」
 俺は、遙の顔を思い出す。
「……そう……ですか……」
「あ、ごめんな。こんなこと言うつもりじゃ、無かったんだけど」
「いえ、僕の方こそ……すみません、取り乱したりして」
「いや、状況の違いこそあれ、気持ちはわかるよ……そうだよな、死んでしまったら、どんな想いも、相手には届かないんだよな。俺の方が、楽かもしれない」
「いえ……生きているってことは、縛られるってことですよね。僕は……もしかしたら、彼女を忘れられるかも、しれない」
「もしかしたら、な」
 二人で、笑う。
 笑ったのは、いつ以来だろう?
 そんな疑問を、頭の隅に置きつつも。

「たかさきー」
 女性の、声がした。
「あ、友達が来たようです」
 言って、彼は立ち上がる。
「孝之ー」
「あ、俺んとこもきたようだ」
 俺も、立ち上がる。
「じゃあ、お別れですね」
「ああ」
「……今日は、ここに来て良かった。あなたみたいな人に、出会えたから」
「俺も、そう思う。君に会えて、良かった」
 根本的な解決は、何もしていないけど。
 でも、話せて良かったと思う。
 俺達は、どちらからともなく、握手を交わす。
 と、彼の背後に女性の姿が見えた。
「たかさきー、探したよ。ったくどこ行ったのかと思った」
「あ、ごめん。……ちょっと、散歩」
 普通の会話。でも彼女からは、彼を心配していることがありありと見受けられる。
「孝之……またここに来てたんだ」
 と、俺の背後から水月の声がした。
「……ああ、日課だから、な」
 俺は水月を見る。
 その瞳は、どこかで見たような、すこし潤んだ瞳。
 ───そうか。
 俺はもういちど、彼のほうを向く。
 彼の隣にいる、彼女の瞳。
 ───同じだ。
 水月と、同じ瞳。
「どうしたの? 孝之」
「ああいや……行こうか」
 ずっとここにいるわけにも、いかない。
「じゃあ……俺は行くから」
「あ、僕も行きます」
「そっか」
「そうだ、まだ自己紹介してませんでしたね。僕は、高崎祐介です」
「俺は、鳴海孝之」
「またどこかで、会えるといいな」
「ええ。また」
 そう言って、俺達は別れる。
 最後に、軽く手を振って。
 違う方向に、歩いていく。
「ねえ……今の人、誰?」
 石段を下りる途中、水月が尋ねた。
「あー……」
 俺は彼を、どう表現すれば良いのかわからず、一瞬躊躇した。
「友達、だよ」
 うん、きっとそれが、一番正しい言葉なのだろう。
「ふーん。孝之って、他にも友達いたんだ」
「……失礼なヤツだな」
「あ、ゴメンゴメン。でも、だったらあたしにも紹介してくれれば良かったのに」
 なんでお前を……と、言おうとして、俺は言葉を変える。
「……そうだな。そうすれば、良かった」
 つぶやきながら、俺はさっきの会話を考える。

『僕は……もしかしたら、彼女を忘れられるかも、しれない』

 彼が言った言葉。
 でも、もし俺が、遙を忘れられるのなら。
 俺は、楽になるのだろうか。

 俺は……遙を忘れられるのだろうか。

「……どうしたの? 孝之」
 気がつくと、水月が心配そうな顔で俺を覗き込んでいる。
 さっきと同じ、瞳で。
「……いや、なんでもない」
「……孝之」
「ん、どうした?」
「今……笑った。少しだけど、笑った……」
「……そっか」
 彼と、笑ったからか。
 俺は無意識に、水月に微笑んでいたらしい。
「な、水月」
「なに? 孝之」
「……腹……減ったな。家に何かある?」
「うん。ちゃんと用意してあるよ」
「そっか。じゃあ……帰ろう」
「うん!」
 水月の笑みに、俺もつられて笑う。
 ずっと、俺の側にいてくれた水月。
 もし、水月を愛することで、遙を忘れられるのなら───。

 ───それを、水月が望むのなら───。


 ───それも、いいのかもしれない。


 おわり。





  君が望む後書き


 何となく企画『クロッシング』です。本作品は君望的に言うと、一章の一年後の秋、となります。記憶が間違っていなければ、涼宮パパに「もう遙のことは忘れろ」と言われた時期だったかと。
 ……ゲームやらずに曖昧な記憶だけでSS書くの、やめた方がいいよな……。
 でもまあ、書きたかったので書きました。水月に傾くきっかけの一つになればいいな、なんて思って。
 なお、本作中に出てくる『彼』は知っているひとだけ知っていればいいです。一応知らない人でもわかるように書いたつもりですので。

 では、こんな駄文でも感想をもらえたら幸いです。

 2003.09.16 夫になって初の作品 ちゃある




君が望む永遠関連ページに戻る