君が望む永遠 アナザーストーリー 「君が望まなかった永遠」   #2 慎  僕は、いつもより確かに足取りが軽かった。  それはきっと『あの人』に会えるからだと、自分でもわかりすぎるくらいわかって いた。  電車を乗り継ぎ、欅町の駅で降りる。そこから目的地までは少し歩くが、別に 対したことはない。  本当は、あの人が目覚めたときすぐに会いに行きたかった。でも家からここまでは 遠いし、なにしろ文化祭から体育祭、そして中間テストのスーパーコンボが僕を 待っていたのだ。  だから、茜おばさんへの届け物があるって話を聞いたとき、僕は二つ返事でOK した。何しろあの人に、自分のお金を使わずに会いに行けるのだから。 「けれど、もう少しくれても良いと思うんだよな」  母さんがチャージしてくれた額は、本当に往復の電車代分だった。これじゃあ お見舞いの花も買えないじゃないか。  ……ま、そんなこと言ったら母さんはきっと、 「自分の気持ちを込めるんなら、自分のお小遣いで買いなさい」  などと言うのだろうが。  欅町の駅前にある小さな花屋で、僕は花束を買った。もちろん僕は花を選ぶこと なんてできないから、目的と予算を告げて適当に選んでもらうことにした。 「ちょっと、おまけしておきますね」  そう言って渡された花束は、自分の想像よりはよく見える。僕は店員さんにお礼 を言うと、店を出た。  ここから病院までは若干の上り坂。僕は一つ深呼吸をして歩き始めた。  そして、病院がもうすぐ見えるという曲がり角に。  『あの人』が、いた。 「……え?」  人はまるで予想もしていない出来事に出会ったとき、時間が止まってしまうの だと、僕は思った。  それはきっと、一瞬だけ、その出来事を脳が拒否するんだと漠然と考える。  けれど次の瞬間には、それを事実と認識する。  そして、時は動き出す。 「だっ、大丈夫ですかっ」  次の瞬間、僕はあの人の元に駆け出していた。だってあの人は、今にも倒れそう だったから。 「……ごっ……ごめんな……さい……」  荒い呼吸の間から、途切れ途切れに言葉を発するあの人。  肩まで伸びた髪が、汗で頬に貼り付いている。 「……どこへ、行くんですか?」 「……ひ……ひいらぎ……町に……」  柊町。  遙海兄ちゃんの家がある町だ。  家に……帰るのだろうか?  これも、リハビリの一環なのかな? 「……付き添いましょうか?」  僕は思い切って、あの人に尋ねた。 「でも……悪いですから……」 「いえいえいえいえ、全然っ、まったくそんなこと無いですからっ」  全力で否定。  あの人は、僕のその仕草にクスッと笑う。  その笑顔に、僕は一瞬で吸い込まれた。 「じゃあ……お願いして、いいですか?」 「はっはいっ、喜んでっ」  僕は脇から抱きかかえるような形であの人を支える。その身体は、信じられない くらい軽い。 「じゃあ、行きます」 「はい……」  あの人は僕にしがみついたような状態。  嬉しいような、恥ずかしいような。 「いち、に。いち、に」  まるで歩行練習でもしているかのように、僕はあの人と歩く。  元来た道を、ゆっくりと。  そういえば、上りよりも下りが難しいって、誰かが言ってたな。  普段から普通に歩いている自分にはわからない、下り坂のつらさ。 「いち、に。いち、に……」  いつしか、あの人も小声でつぶやいていた。 「いち、に。いち、に……」  二人は、声を合わせて歩く。  この下り坂を、駅に向かって。  この坂が、ずっと続けばいいのに。  ……などと思う間もなく、欅町の駅が見えてきた。 「ほら、欅町の駅が見えてきましたよ」  僕はあの人に声をかける。あの人は歩くのに精いっぱいで、顔を上げる余裕も 無さそうだったから。 「……あれが……駅?」  不思議な、言葉だった。  まるで、『駅』というものを知らないような。  ……そっか。 「ああ、十年くらい前にリニアモーターカーが導入されて、駅も改築したんですよ」  僕は補足する。何年も眠っていたんだから、今の欅町を知らなくて、当たり前 なんだ。 「そ……っか……」  あの人の歩みが、不意に止まった。 「やっぱり……嘘じゃ……ないんだ……」 「え?」  僕はあの人のうつむいた顔を、覗き込むように見る。  そして、僕は見た。  あの人の、涙を。   #3 遙   +  思えば、ずっと何かに、優しく包まれていたような。  そんな時間を、過ごしていたのかもしれない。  知らない天井。  全てが、わからなかった。  ただわかることは、身体が動かない、ということ。  そして、私は聞いた。  良く知っている声を。 「遙……」 「おかあさ……」  かすれたような私の声は、最後まで出なかった。  私の目に映るその姿は、私の知っているお母さんの顔じゃ、なかったから。 「……誰?」  その言葉に、目の前の人はショックを受けたようだった。  微かな、答え。  脳裏に浮かぶその答えを、私はずっと、否定してきた。 「ここはどこっ、なんで私の身体は動かないのっ」  半狂乱になって叫ぶ私。でも、心のどこかで、冷静な自分がいた。 「ねえ、お母さんは? お父さんは? ……孝之くんはどこなのっ」  絵本を書くために蓄えた知識が、今の状況を何となく想像させる。でも私の心は、 それを受け入れられない。 「遙!」  知っている声。  私はその声の主を求め、視線を扉に向ける。ほんの僅かの、期待を込めて。  けれど、そこにいるのは『わたしのお父さんに似た』人。 「……あなた……誰?」  その言葉しか、出なかった。 「……俺……だよ。孝之だよ」  そして、目の前の人のその言葉も、半ば想像はついていた。  だから余計に、悲しかった。 「違うっ、違うっ、あなたは孝之くんじゃないっ。お願い、本当の孝之くんに会わ せてっ」  叫んでももう『私の孝之くん』には会えないことに、気づいていた。  だけど。  だけどまだ、何かにすがりつきたかった。  気が遠くなるくらいの間眠っていたなんて、信じたくなかった。   + 「そ……っか……」  もう、逃げ道は無い。 「やっぱり……嘘じゃ……ないんだ……」  無意識に、そうつぶやく。  叫ぶこともできなかった。  ただ現実を、受け入れるしかなかった。  すっかり変わってしまった欅町駅。そして、周りの町並み。  自分の目で、全てを見てしまった。  そうなればもう、何も否定できない。 「あ、あの……」  崩れ落ちそうな私の前に差し出されたのは、白のハンカチ。 「……使ってください」  見上げると、目の前の彼は心配そうな目で、私を見ていた。 「ありがとう……」  私はそのハンカチで、涙を拭う。 「……大丈夫……ですか?」  彼はなおも不安そうな顔で、私を見る。 「……うん……多分、大丈夫」 「そ、そうですか……よかった」  彼はホッとした表情を見せる。  見ると、彼は中学生くらいの少年だった。けれどその僅かに幼い顔立ちの中に、 どこか安心させてくれる雰囲気がある。 「ごめんね、肩……貸してもらったのに、いきなり泣いたりして」 「あ、いえ、別に、その……と、とりあえず、駅まで、行きましょうか」 「え?」 「『え?』って、言ったじゃないですか。柊町まで行くって」 「あ……」  確かに、私は彼にそう言った。  けれど、『真実』を見てしまった今、もうこれ以上は意味がない。  そもそも、私がここに生きている意味すら、わからない。  この世界には、私の愛した孝之くんはいない。  いるのは、歳を取った『わたしの知らない』孝之くん。  家族も、親友も、全て時が押し流してしまった。  私だけが、取り残された。  ならば。  私の存在も、意味がないのではないか?  ……ホントウニ?  ───私の心の中で、誰かが囁いた。 「行きますか? それとも……戻りますか?」  その言葉に、私は我に返る。 「あ……ええと……」  迷い。  どうしていいのか、思考ができない。 「ま、ここにずっといるのも何ですから、とりあえず選びましょう。行きますか?  戻りますか? さん、にー、いち、はい」 「え? ええ?」  私の驚いた顔に対しても、彼はニッコリと笑って言った。 「さん、にー、いち、はい」 「あっ、いっ、行きますっ」  脊髄反射のような、とっさの一言。 「はい。じゃあ行きましょう」  言って、私を肩から支えるように持ち上げる。 「もうすぐですからね。駅に着いたら、少し休みましょう」  言って、彼は真っ直ぐ駅を見る。 「……うん」  そこはかとない安心感に心を委ねつつ、私は再び両足に力を込めた。   #4 茜  私は病院の前で、あの人を待っていた。  今日は天気がいい。確かにこんな日は、外に出たくもなるというものだ。  でもまさか。  姉さんが病院を抜け出してしまうとは、予想もしなかった。 「姉さん……」  姉さんは、どんな思いで病院を抜け出したのだろう。  そして自分の目で世界を見つめたとき、どうするのだろう。  取り残された孤独と絶望。  想像もつかない。  絶望に苛まれ、自ら命を絶ってしまうのか。  それともこの世界を受け入れ、自分の居場所を見つけだすのか。 「姉さん……」  門に向けて目を凝らしても、姉さんの姿は見えない。  代わりに映ったのは、黒のタクシー。 「あ、そのまま待ってて」  そんな声と同時に、あの人が姿を現した。 「遅くなってすまん。まだ見つからないのか?」 「ええ、あなた……」  私は自分の夫、孝之さんを見上げる。 「そんな目をするな。遙は大丈夫だから」 「……はい」  涙がこぼれる。  それは、愛する人に会えたことの安心感か。 「運転手さん。このままちょっとつき合ってもらえるかな、人捜し」  そう言って、孝之さんは私の手を引いてタクシーに乗り込む。 「ここからゆっくり、欅町の駅に向かってくれ。で、合図したら止めて」 「はいよ。人捜しとはまた大変だねえ」  タクシーの運転手はそう言うと、ゆっくりと車をスタートさせた。 「裏は探したんだろう?」 「ええ……海の方まで行ったんですけど……」 「なら、おそらく駅の方だろう。病院に至る道は、そう多くはないし、街道から 来る道は、今通ったから」  孝之さんは言いながらも、窓の外から視線を外さない。 「あなた……」  私は孝之さんの裾を、きゅっと掴む。  それは、三十半ばのおばさんには似合わない仕草かもしれないけど。 「大丈夫だって。もっと自分の姉を信じろ」  孝之さんは私に視線を向け、ぽんぽんと私の肩を叩く。 「な?」 「はい……」  私が頷いたのを見て、孝之さんは再び窓の外に視線を移す。  その真剣な視線が、私には辛かった。  きっと、私は怖かったのだ。  姉さんが、今の世界を受け入れることが。  自分の居場所を、孝之さんの隣に求めてしまうことが。  十七年務めた、自分の役目が終わってしまうことが。  きっと何よりも、怖かったのだ。   #5 遙海 「……ん、わかった。俺もすぐ行くから」  ピッ。  俺は携帯を切り、家への道を回れ右して戻り始めた。 「あの人が……いなくなっただって?」  お袋からの電話は、叔母が病院を抜け出していなくなったという連絡だった。 まだ遠くへは行ってないはずだから、手分けして探して欲しいという。 「あんな顔して、やることはすげえな」  つぶやく。あの人のことは、小さい頃僅かに聞いた程度だ。曰く『伝説』らしい が、もうどんな伝説を作ったかまでは、ほとんど覚えていない。  確か……アリとか……鳩とか……?  ……そんな断片的な単語くらいだ。 「しかし、あとで電車賃くらいはくれるんだろうな?」  そんなことを考えながら、俺は柊町の改札を抜ける。今は磁気カードで何でも済む 時代だ。俺がもっているタイプは銀行と提携していて、使用額は口座から落ちる。  ホームに降りると、ちょうど電車が到着していた。近郊型のリニアモーターカー が首都圏で最初に導入されたこの路線は、ちょっとした自慢ではある。  ……日本初ではないだけに、誰に自慢する、というものでもないのだが。  リニアモーターカーとはいえ、こんな短い駅間では大した速度はでない。けれど 昔に比べてスムーズに走るな、とは思う。 「……慎のせいだな」  そういえば慎は鉄道マニアだったな、と思う。リニアモーターカーの導入を喜んだ 反面、古き良き(らしい)鉄道が失われていくのもまた寂しいと言っていた。  まだ十五のガキが言うセリフではないと思う。  くだらないことを数分考えていると、リニアモーターカーは目的地の欅町に着く。  俺はさっさとホームに降りると、真っ直ぐに改札に向かう。 「上り坂がめんどくさいんだよな」  いつも思う。ばあちゃんやお袋は駅からタクシーを使うのに、俺には使わせてくれ ない。この間文句を言ったら、自腹なら使ってもいいと言われた。バカな。そんな ことに俺の大切な小遣いを使うわけ無いじゃないか。  俺は改札を出ると、真っ直ぐ病院への道を歩き始める。  と。  道路の反対側に、見知った顔を見つけた。  それも、二人。 「やれやれだな」  俺は一つため息をついてから、大声で慎の名を呼んだ。  俺のための中書き(という名の言い訳)  うむむ。  思ったより「楽しみ」と言うお言葉が多かったので、ストックを削って急遽掲載 です。なんて、ここで1章が終わるから区切りいいかな、と思っただけですが。  で、せっかくだから「本編では説明しない俺的裏設定」を。  1.本編では孝之はムコ養子です。茜と二人で自立するには無理があることと、   涼宮の跡取りが欲しかった(珍しい名字ですからねえ)かららしいです。  2.社員の名前は僕のもう一つのお気に入りゲーム「グリーングリーン」から   取ってます。  ……どうでもいいことですね。とくに2は(笑)  では、続きで会えたらいいなあ……。  2003.07.08 ストック切れ ちゃある 2003.08.17 ねこぽんさんのご指摘により修正。ありがとうございます。