第2章 思い出の場所   #1 遙海 「おい、慎!」  俺が叫ぶと、慎はすぐに気づいたようだった。俺の姿を見つけると、すぐに笑顔 で手を振る。 「兄ちゃん、どうしたの?」  大声が返ってくる。 「お前こそ……遙さんと何してんだよ!」  自分の叔母を名前で呼ぶことに躊躇しつつも、俺は叫ぶ。 「なにって……散歩?」 「……何言ってやがる」  俺はもう一度ため息をつくと、ガードレールを飛び越えて道路を渡る。 「みんな、遙さんのことを探してんだぞ」 「え? そうなの?」  驚いた顔で、慎は俺を見る。 「ああ、勝手に病院から抜け出したって」  俺の言葉に、慎は遙さんに視線を移す。遙さんは、地面に視線を落としたまま。 「そうだったんだ……」 「……ごめんね」  慎の言葉に、遙さんはうつむいたまま言葉を返す。 「帰ろう遙さん。親父やお袋が、心配してっから」  俺はそう言って、彼女の手を取る。  ……が。  遙さんはその手に力を込め、抵抗する。  その力は弱く、俺なら難なく退けられたはずだけど。  何故か俺は、その抵抗に躊躇した。 「……まって」  遙さんが、顔を上げる。 「戻る前に、一つだけわがままを聞いて」  そう言った彼女の瞳に、何故か俺達は、抵抗できなかった。   + 「……ああ、見つけた。でもちょっといろいろあってちょっと寄り道して……ああ、 大丈夫。慎もいるし……心配すんなって……必ず帰るから、じゃあ切るぞ……だか 自分の息子を信じろっての……」  一応お袋に電話。まあ遙さんを見つけたことは見つけたし、ちょっと一ヶ所寄る だけですぐ病院に戻るんだからと連絡。ところが、 『だめよ。姉さんはまだ体力が戻っていないんだから。また悪くなったりしたらどう するの?』  と言われた。  俺も一応説得を試みたが、自分が行くまで待ってろの一点張り。まったく、どう してこう頑固なんだろな。 『遙海たちだけでどうにかなるわけないでしょう? お父さんと行くから、待って なさい』  その言葉に、カチンときた。  どうにかなるわけない?  見つけたのは、俺と慎なのに?  じゃあ、はじめから捜させるなってんだ。 「あーわかったわかった。どうにかすりゃいいんだろ、どうにか!」  携帯に向かって怒鳴る。なおも何か言いたそうなのを察し、すぐに通話を切る。 次いでマナーモードに切り替え。  すぐに携帯が振動を始めるが、無視。 「っし! じゃあ話もまとまったから行くか!」  俺は二人のほうを向いてにこやかに笑う。 「……すごいまとめかただったね」  ジト目で慎が言う。うるせー。 「ごめんね……迷惑かけて」  遙さんが頭を下げる。 「ああ、迷惑だ」  俺の言葉に、慎がはっとした顔をする。そして暗い表情になる遙さん。 「……でも、何日もベッドの上で、病院から出ることのない暮らしをしてたんだ。 少しくらいわがまま言っても、いいだろうよ」 「遙海くん……」 「兄ちゃん……」  二人が俺の顔を見る。 「あー、なんか俺、かっこいいこと言い過ぎたか?」 「それを言うと、かっこわるくなるんだよ。兄ちゃん」  慎が苦笑する。 「さ、行こうぜ。遅くなったらまた言い訳が面倒だ」 「うん」  俺の言葉に、遙さんが頷く。  それはちょうど、リニアモーターカーが静かに滑り込んできたところだった。   #2 茜 「ちょっと遙海!」  私はいきなり通話を切られた携帯から、遙海に向かってかけ直した。コールはして いるのに一向に取らないところを見ると、電話に出る気がないのだろう。 「あなた……」  どうしましょう、と私は自分の夫を見る。 「大丈夫だろ。遙海なら」 「そんな……遙海はまだ高校生ですよ」 「俺と茜が結婚したのは、茜が高校を卒業した直後だったよな。今の遙海と、一つ 二つしか違わないじゃないか」 「それとこれとは」 「茜、遙海を信じろ。自分が育てた子だろ? それになんでだか知らないけど、慎君 もいるそうじゃないか。大丈夫だよ」  孝之さんは、優しい目で私を見る。 「でも……」  不安は拭えない。やっと歩けるようになった姉さんを、どこに連れていくと言う のだろう。いくら平さんとこの慎くんがいるからって。 「……なんてな。本当は、俺も心配だ」  不意に孝之さんは、ニッコリと笑う。 「え?」 「でも、こういうときは二人で慌てても仕方ないんだ。俺は男親だからね。どっしり 構えてないと」 「いいこと言いますね、ダンナ」  会話に割り込んできたのは、タクシーの運転手。 「ははは、そんなことないよ。ちょっと言ってみただけだから」 「いやあ、日頃からそう思ってる男は多いと思いますが、実践できる人はなかなか いませんよ」  確かに、二人で心配しても仕方ない。不安が倍増するだけだ。 「ま、とりあえず俺達も向かおうか」 「……どこに?」 「遙が、行きたいところがあるっていったんだろう? 遙が行きたがっているところ があるとしたら、あそこしかないよ」 「……あ」  わかった。  姉さんの想い出の場所。  うん、間違いない。 「運転手さん。悪いけど白陵柊に向かってくれないかな」 「えーと……ああ、柊町の丘の上の学校だね、お安いご用で。でも、料金の方だいぶ 行ってますが?」  運転手の言葉にタクシーのメーターを見る。確かに会社から病院、そして捜す ためにゆっくり道路を走っていたらこのくらいにはなるだろう。 「あはは、大丈夫。ちゃんと払うよ」  孝之さんは大げさに笑う。でもそれはきっと、不安をまぎらすための演技。  さっきの孝之さんの言葉で、わかってしまったから。  ……むしろわからないなんて、妻として失格なのかな。  そんな思いに、もう一つの不安がこみ上げる。 「ねえ……あなた……」 「ん? なんだい?」 「いえ……なんでもありません」 「……大丈夫だって、言ってるだろう?」  孝之さんはそう言って、私の肩を抱く。  ねえ……あなた……。  姉さんが元気になったら、私はどうすればいいですか?  姉さんの代わりとして、十七年間遙海を育ててきた私の役目は、もう終わりなの ですか?  そんな思いに、あなたは気づかないのでしょうか。  それとも、気づかない振りをしているのでしょうか。  悩んでも、答えはまだ出ない。  ただ、不安が募るばかり。  私は、孝之さんにそっと体重を預ける。  愛する人の温もりを、少しでも感じたかったから。  少しでも、不安を拭いたかったから。   #3 遙  柊町の駅前は、欅町に比べればまだ昔の名残を残していた。  私にとっては、ついこの間の町並みだけれど。 「で、学校に行けばいいんだっけ?」  そう言ったのは、遙海くん。 「う、うん……」 「言っておくけど、ウチの学校まではすごい上り坂だからな?」 「大丈夫……わかってる……」  どうやら遙海くんは白陵柊に通っているらしい。ということは、私の後輩になる んだ。 「もしものときは、僕と兄ちゃんが支えますから」  安心してください。と、慎くんが言ってくれた。 「じゃ、行こうか」  遙海くんの言葉に、私たちは歩き出した。  + 「……これじゃあ日が暮れるな」 「……ご……ごめん……なさい……」  遙海くんと慎くんに肩を借りつつも、まだ私には一歩がつらい。  しかも、上り坂。  白陵柊の前の坂は、ほとんど変わっていなかった。  それは、同じように急な上り坂があるということ。  ……あの頃は、それでも上っていたのに。 「どうしたの遙。それじゃ遅れちゃうよ?」  ───え? 「水月?」 「なあに遙。遙にはアタシが、アタシ以外の何かに見えるってわけ? ぼーっと し過ぎだよ」 「あ、あはは……そうだね」  トレードマークでもある彼女の長い髪が、風になびく。  白陵柊の、白い夏服。そっか、今は登校途中だっけ。 「まったく。だから目が離せないんだよね。ホント、そんなんじゃ鳴海くんと仲良く なれないぞ?」 「あうう……ごめんなさい……」 「さ、早く行こう、授業始まっちゃう」 「うん」  私は伸ばしてくれた水月の手を取ろうと、一歩を踏み出す───  ───ことが、出来なかった。 「あ、あれ?」 「どうしたの遙。冗談やってると、本当に遅れちゃうよ?」 「うん、でも」  泥沼の深みにはまったかのように、足が重い。  どうして?  私の足は、どうしてしまったの? 「───って、聞いてんの? 遙さん」 「───え?」  目の前には、遙海くんの顔。  あれ?  フラッシュバック。脳裏の光景と、今の光景が重なる。微妙なずれが、違和感を 呼ぶ。  今のは……夢? 「……大丈夫ですか? 遙さん。顔色、悪いですよ?」  心配そうな、慎くんの顔。 「……うん……ごめんね」  私は微笑みで答える。それでも慎くんの表情が変わらないところを見ると、私の 顔色は相当悪いのだろう。 「やっぱ、やめとくか? 今はまだ、無理なんじゃないの?」  遙海くんの言葉。言い方はぶっきらぼうだが、心配してくれてるのがわかる。  ───でも。 「……ごめんなさい。でも、どうしても行きたいの。あの、丘へ」 「あー、でもなあ……」 「じゃ、じゃあ僕が背負います!」 「え?」 「遙さんなら軽いし、僕でも背負っていけますよ」  慎くんは、そう言ってニッコリと笑う。 「でも……」 「おし、じゃあそうすっか。いけるな、慎」 「……自分で言いだしたことですから」 「ま、最悪は代わってやるから」 「大丈夫ですよ」  戸惑う私を後目に、二人は話を進める。 「では行きましょうか。さ、遙さん」 「う、うん……」  私は言われるがままに、慎くんの背中に体重を預ける。 「よっ」  かけ声一つで、私の身体が浮いた。 「大丈夫か?」 「平気です」  二人の会話。 「じゃ、行くぞ」 「はい」  二人は上り坂を歩き出す。  ゆっくりと。 「あの……大丈夫ですか?」  心配で、慎くんに尋ねる。 「平気ですよ」  平然とした答え。 「ま、俺達もオフクロに対してタンカきっちまったからな。最後までちゃんとつき 合うよ」 「兄ちゃん、僕はなにもしてないんだけど……」 「つき合っている時点で同罪だ」 「ぐうう……」 「……って、何笑ってんだよ遙さん」 「え? ううん」  二人のやりとりが楽しくて、思わず笑みがこぼれたらしい。  まるで、本当の兄弟みたいで。 「ま、つらそうな顔よりいいけどな……」  遙海くんが、小声でつぶやいた。  そうだね。  表情は、周りに雰囲気を伝えてしまうものね。  着いてから何をするかなんて、わからない。  自分がこれからどうすればいいかだって。  でも。  あの丘に行けば、何かが変わる。  今までだってそうだったから。  だから今は、それだけを望んで。  俺が望む中書き  ええ、だいぶ遅れて申し訳ありません。  とりあえずまだ途中ですが公開いたします。  これ出して後悔しなければいいけど(ぉ  2003.08.17 ちゃある