第3章 今ここにいる意味   #1 孝之 「昔……そう、二十年も前の話だ。俺は、今の母さん───茜とではなく、遙と つき合っていたんだ」  俺は目の前の遙海に向かって、静かに話し始めた。 「でもな。ある日、俺のミスで、遙を交通事故に遭わせてしまった。そして、遙は 昏睡状態になった」 「……あれは……孝之くんのせいじゃ、ないよ……」  遙が小さな声で言った。けれど、俺は聞こえないふりをして先を続ける。 「そして三年後、遙は目覚めた。けれど俺は、再びミスを犯してしまった。俺の ミスで、遙は再び深い眠りについてしまったんだ」  思い出したくない感情。けれど、話さなくてはならない。  自らが犯した罪は、告白しなくてはならない。 「……そして、もうひとつ。昏睡状態の遙のお腹に、赤ん坊が出来ていた。…… それが遙海、お前なんだよ」 「……え?」  遙海は、不意をつかれた表情で俺を見る。 「本当……なの?」  遙の言葉。誰よりも信じられないと言った表情で、遙は俺の顔を見る。 「……ああ……本当だ」  答えた後、唇を噛む。  痛い。  心が痛い。  でも、まだ話は終わっていない。 「……最初はショックだった。どうしていいかわからなかった。でも結局、俺は 遙に子供を産んでもらうことを選んだ。それが厳しい道であることも、わかってる つもりだった。でも、それでも俺は、遙の子が欲しかった。それが、遙と俺を繋ぐ 確かな絆だと。それしか、俺のすがる道はないんだと思ったんだ」  自然と、涙がこぼれた。いつも遙海に涙もろいとバカにされてるしなあ、と頭の 隅で思う。 「……孝之くん……」  遙の、言いようのない表情。ショックと悲しみが混ざり合った、悲痛な表情。  わかってる。  全ては俺が犯した過ちなんだ。  あのとき、待ち合わせに遅れたあのときから。  でも、もう少し。  もう少しだけ、話させてくれ。 「……そしてもう一つが、茜の存在だった。茜は遙に代わり、生まれてくる子供の 母親を引き受けてくれた。俺と茜は、遙海。お前を育てるために、結婚したんだ」 「……俺を……育てる……ため……?」  俺の言葉に、遙海が反応した。俺はその言葉に、黙って頷く。 「最初は……遙が目覚めるまで、それまでの約束だった。俺達はいつ遙が目覚めても 良いように、互いの距離を保ちつつ、親としての役割を務めていった。……けれど、 遙海が大きくなるにつれ、俺達はそのままではいられなくなった。俺達は、遙海が 大きくなるのと一緒に、夫婦としての仲を深めていった……」 「あなた……」  茜が小さく首を振る。話が違うと。けれど俺は、不安げな表情に微笑みで応える。 「五年経ち、十年経っても、遙は目覚めなかった。そんな中、茜はお前を、本当の 子供と同じように育ててきたと思う。でも、遙は目覚めた。だから、茜は思ったん だ。『もう、自分の役目は終わった』のだと」  俺はここにいるみんなを、見回した。  それぞれの表情。茜は全てを知っていた。その罪悪感からか、目を伏せる。  慎君は目を見開き、それこそ『聞いてはいけないことを聞いてしまった』ような 表情。  遙海は、俺の話を全て飲み込めていないような、複雑な顔。  そして、遙は───。  遙だけは、俺の次の言葉を、待っていた。  小さく下唇を噛み、俺をじっと見つめる。  そして、俺の次の言葉がわかっているかのように、  瞳だけで、微笑んだ。 「……だが、俺は───」  俺は口を開き、最後に言うべき言葉を放つ。  小さな手で、ぐっと拳を握る彼女に。  俺は、本心を突きつけた。   #2 遙 「……だが、俺は───」  その先は、聞きたくなかった。  もう、わかっていたから。  でも私は、聞かなくてはならない。  それが私の、いわば最後のけじめだから。 「───俺は、遙を選ぶことは出来ない。俺が愛しているのは、茜なんだ」  孝之くんの、悲痛な表情。そして、驚いた表情から、喜びの涙を流す茜。  ……そうだよね。  ずっと眠っていた私より、何年も何年も一緒にいてくれた茜を、普通は選ぶよね。  ───やっぱり、  私の居場所なんて───  ───どこにも───  ───ない、んだ。 「そう……だ……よね……」  震える、言葉。 「あた……あたり……まえ、だ……よね……」  言おうと思っていた言葉が、出ない。  わかっていたはずなのに。  孝之くんの言葉は、想像していたはずなのに。  心が、割れる。  絶望が。  心を、満たして、いく。 「───遙?」  孝之くんの、声。  私の、異変を、察知して。  でも……もう、遅いの。  一歩、下がる。 「姉さん、そっちは」 「遙さん、危ない!」  茜と、遙海くんの、声。  わかってる。  後ろに、なにがあるか。  いや、なにも、無いことを。 「ごめ……んね……」  私の、最後の言葉。  そして、もう一歩。  私は、地面の無いところに、足を置いた。  ぐらり、と身体が傾く。 「遙!」  遠くで、声がした。  それを最後に、私のココロは。  静かに───  ココロヲ───。  トジ───。 「遙!」  コエガ、キコエタ。  ワタシノナヲ、ヨブコエガ。  ソシテ。  ───強く、抱きしめられた。  その温もりに、私の心が引き戻される。  どうして?  思う間もなく、激しい衝撃。  身体中が、何かに殴られたような。  そして、回転。  三半規管を捻り切られる。  でも、  その両腕は、私を放すことなく。  私の身体を締め付ける。  そして、ようやく回転が止まった。  ……どうやら、生きているみたい。  ゆっくりと、目を開ける。  目の前には、少年の顔。 「慎くん……」  微かに上下する胸。  そして聞こえる鼓動。  まだ、生きてはいるようだった。  でも、額からは、深紅の液体を、流している。 「慎くん?」  私は、彼の名を呼ぶ。  返事がない。意識がないのかも。 「慎くん!」  もう一度、強く叫ぶ。 「ぐっ……」  声が届いたのか、彼がうめき声を上げる。  そして、目を開けた。  よかった……。  安心したのか、思わず涙がこぼれた。  慎くんは私を見ると、やはり安心したかのように微笑む。 「……どうして……」  浮かぶ、疑問。 「どうして、私を助けたりしたの……?」  私はもう、疲れたよ。  居場所がないなら、心の帰る場所がないなら、  ……いっそ、壊れてしまいたかったのに。 「ごめん……なさい」  掠れた声で、慎くんが謝る。 「顔に……傷……つけちゃいましたね……」  わからない。  何を言っているのかが、わからない。 「なんで……? なんで私なんかのために……」 「なんで……ですか?」 「私なんて……もう、どうでもいいのに……私の居場所は……どこにもないのに ……」  涙が、彼の胸に落ちた。 「……好きだから」 「……え?」 「好きです……初めて……遙さんを見たとき……から……ずっと」  痛々しい姿で、慎くんは微笑む。 「居場所とか……良くわからない……けど……やっぱり……好きな人は……護り ……たいと……思い……ます」 「なんで……?」  もう一度、疑問符を投げる。 「……好きなひと……を護る……のに……理由なんて……いらない……ですよ……」  さも当たり前のように、慎くんは言った。 「慎くん……」 「居場所が……ないなら……僕が……あなたの……居場所に……なります。だから ……ゴホッ」 「慎くん?」  彼の口から、血が吹き出す。 「ゴホッ……だか……ゴフッ」 「しゃべらないで、すぐに、誰か……痛っ」  立ち上がろうとした。  けれど右足に、激痛が走る。 「だい……じょうぶ……ごふっ、がはっ」 「大丈夫。大丈夫だからもうしゃべらないで!」  叫ぶ。 「…………」  ごめんなさい。  慎くんは、声を出さずにそう、つぶやいた。  違うよ。  謝るのは、私の方だよ。 「ごめんね……」  私のせいで。  私が、安易な道を選ぼうとしたから。  慎くん。  ごめんね……。   望まない中書き  えー、順調に遅れています。でもまあ、僕の中では何となく見えてきたかな、と。  皆さんの望む展開になるかはわかりませんが、生暖かい目で見守って頂ければと 思います。  ちゃある。