君が望む永遠 アナザーストーリー 「君が望まなかった永遠」





  第3章 今ここにいる意味


  #4 遙海


「いいんスか? 慎のこと」
 病室を出てきた水月おばさんに、俺は声をかけた。
「それは、あたしのセリフよ?」
 おばさんは、振り向いて俺を見る。
 慎と、遙さん。
 見た目こそ五、六歳しか変わらないが、実年齢は二回りちかく違う。
 そして。

 血縁上、遙さんは俺の母親になるということ。

「……ま、いいわ。ちょっと休憩しましょ」
 水月おばさんは肩をすくめるフリをすると、そう言って歩き出した。

 +

「遙海は、コーヒーでいいのね?」
「あー、ブラックでなければ」
 病院の待合室。既に明かりの落ちたこの部屋で、自販機だけが明るい。
「はい」
 水月おばさんは缶コーヒーを俺に放る。
「ども」
 キャッチした缶コーヒーを開けて飲む。
 口に広がる苦い味。
「……ブラックじゃないスか」
「あら? 間違えたかな?」
 水月おばさんは苦笑する。あの表情は絶対わざとだ。
「残さず飲みなさいよ。確かめない遙海が悪いんだから」
「へーい」
 その間に、水月おばさんは自分のコーヒーを買った。自分のはカフェオレらしい。くそ。
「……で、遙海はどうするの?」
 水月おばさんはカフェオレを一口飲むと、俺に向かって問いかけた。
「おばさんの方こそ……どうするんスか?」
「……水月さん、って呼びなさいって言わなかったっけ?」
 ムッとした顔をする水月おばさん。
「……おばさんは、おばさんじゃないスか」
「……何か言った?」
「で、どうするんですか水月さん」
 背中につららを差し込まれたような恐怖を感じ、俺は言い直す。
「そうねー。正直、複雑な気持ちかな」
「……やっぱ、年齢差?」
「うーん、それもあるけど……慎はまだ十五よ? 今年高校に入ったばかりなのに、遙を支えられるかっていうと、ちょっとね……」
 不安げな、顔。
「でもね。遙を好きだっていう想いは、応援したいと思う。慎が選んだことだから、ね」
「俺も、似たようなもんですかね」
 慎の想いは、叶えばいいと思う。でも、高校に入ったばかりの慎が、遙さんを支え切れるかというと、疑問が残る。
 そして、年齢差。
 せめてもう少し、慎が大人だったら。
 そうすれば、遙さんを支えることもできただろうけど。

「ここにいたのか」
 声がした方を見ると、親父が立っていた。
「孝之……どうしたの?I
「ああ、慎二から連絡があってさ。葉月ちゃんとこれから出るって」
「あ、サンキュー……って、孝之病院内で携帯?」
「俺のは病院内で使えるやつなんだ。ここ、長いからさ」
「そっか。いろいろ大変だね。……ところで茜は?」
「付き添い用のベッドで眠ってる。さすがに限界が来たみたいだ」
 水月さんの問いに、親父はそう答える。
「そっか……いろいろあったもんね」
「それより、慎君と遙のほうは、いいのか?」
「うん……少し二人で話したいこともあるだろうから」
「そうか……」
 つぶやきながら、親父は自販機で俺と同じブラックコーヒーを買う。
「しかし、慎君には驚かされたな」
「ああ、まさか遙さんを追って飛び出すとは思わなかった」
 親父の言葉に、俺は頷く。
 それほどまでに、慎は遙さんのことが好きだったんだ。
「あのとき、俺は嘘でも遙を選ぶと言うべきだったかね?」
 親父のその言葉は、俺にではなく水月さんに投げられたものだった。
「そうしたら、昔と同じ過ちを犯してたんじゃない?」
「……そうだな」
「孝之は、最善の選択をしたと思うよ」
「そうかな。俺に言わせれば、何を選んでも最悪だったと思うが」
「なら、何を選んでも最善じゃない。それに、今回は自分に嘘をつかなかった。でしょ? それだけで十分よ」
 水月さんは、親父に向かって微笑む。
「……そのために、また俺はいろんな人に迷惑をかけた。慎君は重傷だし、今もこうやって、水月に迷惑をかけている」
「何言ってるの。友達なんだから、助けるのは当たり前でしょ」
 腰に手を置き、水月さんは親父に言った。
「……あのときも、水月はそう言ったんだっけな。散々傷つけた俺に対して、お前は」
「あのときは、少し時間が空いていたし。それに……慎二がいてくれたから」
「ああ……そうだな」
 親父は苦笑する。その笑顔は俺も知らない、心を許した親友にだけ見せる笑み。
 今まで俺は、父としての涼宮孝之しか見てこなかった。でも今の姿も、紛れも無い涼宮孝之の姿なんだ。
「ん……どうした遙海」
 じっと見ていた俺に気づき、親父が声をかける。
 その顔はもう、いつもの親父の顔。
「……いや、なんでもない」
「なんだニヤニヤして。変な奴だな」
 どうやら俺は笑顔だったらしい。俺は慌てて顔を正す。
「それより、だ。遙の事なんだが」
 気持ちを切り替え、親父は俺達を見る。
「慎に、任せればいいんじゃないか?」
 俺の言葉に、親父と水月さんが俺を見た。
「……俺、なんか変なこと言った?」
「や……慎に任せるのはあたしも賛成だけど……」
「そうだな……果たして慎君に支えきれるかどうか……」
「それなら、足りない分は俺達が支えてやればいいんだろ? 親父だって、そうだったんだろ?」
 そうだ。
 別に慎一人にすべて任せる必要はない。
 慎一人じゃ支えきれないなら、俺が、親父が、おふくろが助ければいい。
 それでもだめなら、水月さんや慎二おじさんに力を借りればいい。
「……俺達は、一人じゃないんだからさ」
「でも……遙は、あなたの母親なのよ? それは、いいの?」
 水月さんが、不安げな顔で言う。
「それは……」
 一瞬、親父の顔を見た。その表情は、苦い。
「……確かに、俺を産んだのは遙さんかもしれない。でも、俺の母親は涼宮茜だ。俺を育ててくれたのは、涼宮茜なんだ。そうだろ?」
 俺の言葉に、親父と水月さんはハッとした顔をする。
「遙さんを否定している訳じゃない。でも、遙さんは遙さんの人生を送ってほしい。俺を産んだことを、重荷にしてほしくないんだ」
「遙海……」
 親父も水月さんも、ひどく驚いた顔をしている。
「なんだよ。俺、変なこと言ったか?」
「いや……」
「うん……遙海、しっかりしてるね」
 水月さんが、気を取り直したように微笑む。
「そうだな。俺がお前くらいの頃だったら、悩んで、悩んで、壊れそうになるくらい悩んでいただろうからな」
 そう俺に向けて言う親父の顔は、さっきとは違う。
 なんというか……柔らかい笑顔。
「じゃ、あたし達は遙と慎を支えて行くって事で、あとは二人次第ね」
「ああ、そうだな」
「……あとは茜と慎二だけど……」
「大丈夫。二人ならわかってくれるさ」
「そうだね」
 親父と水月さんは、二人で微笑む。それはやはり、長く付き合ってきた親友の笑み。
「でも今日は疲れたーっ。あたしも若くないのかな」
「だって水月さん、俺の親父と同い年じゃないスか」
「年齢じゃないの! 気持ちの問題よ」
「……若いと思ってたのか……」
「孝之、何か言った?」
「……いや。確かに水月はいつまでも若々しいよなって」
 怯えた目の親父。親父でもそんな目、するんだ……。
「よろしい。さて、じゃあ戻りますか」
 そう言って微笑んだ水月さんは、確かに若々しくて。
 不覚にも、綺麗だと思ってしまった。
「どうしたの?」 
「え? あ、いや……なんでもないッスよ」
「そ。遙海も少し疲れてるんじゃないの?」
「そうかもしれないっスね」
 苦笑。

 まあいいさ。
 俺達なら。
 きっと遙さんと慎を、支えられる。
 そして、心から祝福できる。

 俺は先を歩く水月さんと親父の背中を見ながら、そう思うのだった。


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