#4 遙海 「いいんスか? 慎のこと」  病室を出てきた水月おばさんに、俺は声をかけた。 「それは、あたしのセリフよ?」  おばさんは、振り向いて俺を見る。  慎と、遙さん。  見た目こそ五、六歳しか変わらないが、実年齢は二回りちかく違う。  そして。  血縁上、遙さんは俺の母親になるということ。 「……ま、いいわ。ちょっと休憩しましょ」  水月おばさんは肩をすくめるフリをすると、そう言って歩き出した。  + 「遙海は、コーヒーでいいのね?」 「あー、ブラックでなければ」  病院の待合室。既に明かりの落ちたこの部屋で、自販機だけが明るい。 「はい」  水月おばさんは缶コーヒーを俺に放る。 「ども」  キャッチした缶コーヒーを開けて飲む。  口に広がる苦い味。 「……ブラックじゃないスか」 「あら? 間違えたかな?」  水月おばさんは苦笑する。あの表情は絶対わざとだ。 「残さず飲みなさいよ。確かめない遙海が悪いんだから」 「へーい」  その間に、水月おばさんは自分のコーヒーを買った。自分のはカフェオレらしい。 くそ。 「……で、遙海はどうするの?」  水月おばさんはカフェオレを一口飲むと、俺に向かって問いかけた。 「おばさんの方こそ……どうするんスか?」 「……水月さん、って呼びなさいって言わなかったっけ?」  ムッとした顔をする水月おばさん。 「……おばさんは、おばさんじゃないスか」 「……何か言った?」 「で、どうするんですか水月さん」  背中につららを差し込まれたような恐怖を感じ、俺は言い直す。 「そうねー。正直、複雑な気持ちかな」 「……やっぱ、年齢差?」 「うーん、それもあるけど……慎はまだ十五よ? 今年高校に入ったばかりなのに、 遙を支えられるかっていうと、ちょっとね……」  不安げな、顔。 「でもね。遙を好きだっていう想いは、応援したいと思う。慎が選んだことだから、 ね」 「俺も、似たようなもんですかね」  慎の想いは、叶えばいいと思う。でも、高校に入ったばかりの慎が、遙さんを 支え切れるかというと、疑問が残る。  そして、年齢差。  せめてもう少し、慎が大人だったら。  そうすれば、遙さんを支えることもできただろうけど。 「ここにいたのか」  声がした方を見ると、親父が立っていた。 「孝之……どうしたの?I 「ああ、慎二から連絡があってさ。葉月ちゃんとこれから出るって」 「あ、サンキュー……って、孝之病院内で携帯?」 「俺のは病院内で使えるやつなんだ。ここ、長いからさ」 「そっか。いろいろ大変だね。……ところで茜は?」 「付き添い用のベッドで眠ってる。さすがに限界が来たみたいだ」  水月さんの問いに、親父はそう答える。 「そっか……いろいろあったもんね」 「それより、慎君と遙のほうは、いいのか?」 「うん……少し二人で話したいこともあるだろうから」 「そうか……」  つぶやきながら、親父は自販機で俺と同じブラックコーヒーを買う。 「しかし、慎君には驚かされたな」 「ああ、まさか遙さんを追って飛び出すとは思わなかった」  親父の言葉に、俺は頷く。  それほどまでに、慎は遙さんのことが好きだったんだ。 「あのとき、俺は嘘でも遙を選ぶと言うべきだったかね?」  親父のその言葉は、俺にではなく水月さんに投げられたものだった。 「そうしたら、昔と同じ過ちを犯してたんじゃない?」 「……そうだな」 「孝之は、最善の選択をしたと思うよ」 「そうかな。俺に言わせれば、何を選んでも最悪だったと思うが」 「なら、何を選んでも最善じゃない。それに、今回は自分に嘘をつかなかった。 でしょ? それだけで十分よ」  水月さんは、親父に向かって微笑む。 「……そのために、また俺はいろんな人に迷惑をかけた。慎君は重傷だし、今も こうやって、水月に迷惑をかけている」 「何言ってるの。友達なんだから、助けるのは当たり前でしょ」  腰に手を置き、水月さんは親父に言った。 「……あのときも、水月はそう言ったんだっけな。散々傷つけた俺に対して、お前は」 「あのときは、少し時間が空いていたし。それに……慎二がいてくれたから」 「ああ……そうだな」  親父は苦笑する。その笑顔は俺も知らない、心を許した親友にだけ見せる笑み。  今まで俺は、父としての涼宮孝之しか見てこなかった。でも今の姿も、紛れも 無い涼宮孝之の姿なんだ。 「ん……どうした遙海」  じっと見ていた俺に気づき、親父が声をかける。  その顔はもう、いつもの親父の顔。 「……いや、なんでもない」 「なんだニヤニヤして。変な奴だな」  どうやら俺は笑顔だったらしい。俺は慌てて顔を正す。 「それより、だ。遙の事なんだが」  気持ちを切り替え、親父は俺達を見る。 「慎に、任せればいいんじゃないか?」  俺の言葉に、親父と水月さんが俺を見た。 「……俺、なんか変なこと言った?」 「や……慎に任せるのはあたしも賛成だけど……」 「そうだな……果たして慎君に支えきれるかどうか……」 「それなら、足りない分は俺達が支えてやればいいんだろ? 親父だって、そうだった んだろ?」  そうだ。  別に慎一人にすべて任せる必要はない。  慎一人じゃ支えきれないなら、俺が、親父が、おふくろが助ければいい。  それでもだめなら、水月さんや慎二おじさんに力を借りればいい。 「……俺達は、一人じゃないんだからさ」 「でも……遙は、あなたの母親なのよ? それは、いいの?」  水月さんが、不安げな顔で言う。 「それは……」  一瞬、親父の顔を見た。その表情は、苦い。 「……確かに、俺を産んだのは遙さんかもしれない。でも、俺の母親は涼宮茜だ。 俺を育ててくれたのは、涼宮茜なんだ。そうだろ?」  俺の言葉に、親父と水月さんはハッとした顔をする。 「遙さんを否定している訳じゃない。でも、遙さんは遙さんの人生を送ってほしい。 俺を産んだことを、重荷にしてほしくないんだ」 「遙海……」  親父も水月さんも、ひどく驚いた顔をしている。 「なんだよ。俺、変なこと言ったか?」 「いや……」 「うん……遙海、しっかりしてるね」  水月さんが、気を取り直したように微笑む。 「そうだな。俺がお前くらいの頃だったら、悩んで、悩んで、壊れそうになるくらい 悩んでいただろうからな」  そう俺に向けて言う親父の顔は、さっきとは違う。  なんというか……柔らかい笑顔。 「じゃ、あたし達は遙と慎を支えて行くって事で、あとは二人次第ね」 「ああ、そうだな」 「……あとは茜と慎二だけど……」 「大丈夫。二人ならわかってくれるさ」 「そうだね」  親父と水月さんは、二人で微笑む。それはやはり、長く付き合ってきた親友の笑み。 「でも今日は疲れたーっ。あたしも若くないのかな」 「だって水月さん、俺の親父と同い年じゃないスか」 「年齢じゃないの! 気持ちの問題よ」 「……若いと思ってたのか……」 「孝之、何か言った?」 「……いや。確かに水月はいつまでも若々しいよなって」  怯えた目の親父。親父でもそんな目、するんだ……。 「よろしい。さて、じゃあ戻りますか」  そう言って微笑んだ水月さんは、確かに若々しくて。  不覚にも、綺麗だと思ってしまった。 「どうしたの?」  「え? あ、いや……なんでもないッスよ」 「そ。遙海も少し疲れてるんじゃないの?」 「そうかもしれないっスね」  苦笑。  まあいいさ。  俺達なら。  きっと遙さんと慎を、支えられる。  そして、心から祝福できる。  俺は先を歩く水月さんと親父の背中を見ながら、そう思うのだった。