君が望む永遠 Side Story 番外編「激闘の有馬記念2000」
休みの日。
何気なく、テレビをつけた。
『こんにちは、必殺競馬の時間です』
テレビから流れる声。
「競馬か……一回だけ、行ったな……」
ひとりごちる。
私は、孝之と一回だけ、競馬場に行ったことがある。
そう、あれは……。
……一昨年の、有馬記念。
2000年 冬
「なあ水月、競馬見に行かないか?」
孝之の口から出た言葉は、およそ想像もつかない言葉だった。
「競馬?」
「ああ、有馬記念ってレースがあるんだよ。で、その日の中山競馬場はクリスマスツリーとか綺麗らしいぜ」
「ふ〜ん」
「でな、入るのに整理券がいるらしいんだけど、その券を二枚もらってさ。せっかくだからどうかなって」
「……まあ、いいけど。いつ? 休み?」
「今度の日曜」
「じゃあ……大丈夫、かな」
気がのらなそうな口調で、答える。
本当は、孝之と一緒に出かけられるならどこだっていいんだけど。
「じゃキマリな。俺も休みだし。帰りに美味いもんでも食ってさ」
「ホント?」
しまった、嬉しそうな声出しちゃった。
……ま、いっか。
「ああ、ばっちり儲けさせてもらいますぜ」
「……程々にね」
既に勝つ気満々の孝之を横目に、あたしはため息をついた。
「……で、買ってきたの?」
あたしは、呆れた声で言った。
テーブルに並べられた、競馬雑誌の数々。
「俺は、負ける勝負はしない男だからな」
「へえ」
「なんだよ」
「別に」
熱心に雑誌を読む孝之。
久しぶりに見る、彼の真剣な顔。
……こんなところで見られるとはね。
「ん? 俺の顔に何かついてるか?」
あたしの視線に気づいたのか、孝之が顔を上げた。
「ううん、何でもないよ。ただ見てただけ」
「そうか」
あたしの言葉に安心したのか、再び競馬雑誌をめくりはじめる。
あたしも暇になったので、雑誌の一つを開いてみた。
どうやら、ヘイエムオペラオーとか言う馬が強いらしい。
「ふーん、今年負けてないんだ」
って言うか、この馬とメイジョウドトウで独占している状態らしい。
「ねえ、孝之。この二頭を買えば良いんじゃないの?」
あたしの言葉に、孝之は人差し指を立てる。
「チッチッチ。それじゃあせいぜい百円が二百円になる程度の話だろ? それじゃあつまらない。ここは、穴馬を探すんだ」
「穴馬?」
「そう。例えばコイツ」
そう言って開いたページには、一頭の馬。
「キングヘイホー?」
「ああ、俺はコイツで行こうと思ってる」
「でも、最近勝ってないよ。その前に勝ったのは……高松宮記念。ええと、G1ってのは?」
「レースの格だ。G1からG3までグレードがあって、他にオープン特別とか、条件戦とかある」
「うーん、よくわからないな」
「まあ、G1レースが一番格上ってことだ」
「ふうん」
じゃあ強いんだ、と思いながら眺める。
……あれ?
「ねえ孝之。有馬記念って、二千五百メートルのレース、だよね」
「ああ。それが?」
「キングヘイホーが勝った高松宮記念って、千二百メートルのレースだよ? 倍以上距離が違うけど、大丈夫なの?」
「それは問題ない」
孝之はニヤリと笑う。
「血統的には、長距離でも何とか行けるはずだ。三千メートルの菊花賞でも、五着に入ってるしな」
「ふーん……ところで孝之」
「ん? なんだ?」
「アンタ、どうしてそんなに詳しいの?」
「ああ、そりゃ『ダビステ』やってたから」
「『ダビステ』?」
「『プレイスタリオン』用の競走馬育成ゲームで『ダービーステーション』ってのがあるんだよ。なかなかこれが面白くてな。それの攻略本とか読んでたら、なんとなく覚えた」
「ああ、そういうわけね」
なんか納得。
「ようし、これで年末は優雅に過ごすぜ!」
張り切る孝之。
……そううまく行くと良いけど。
当日。
「凄い人だね」
既に電車から酷い混みようだった。本当に入場制限してるのかな、と思うくらい。
あたしたちは人混みの中、何とか競馬場の正門にたどり着いた。
「なんか、座るところも無いみたいよ」
「こんなに寒くなければ、外で見ていてもいいんだが……」
「寒いよ、孝之」
「そうだな。中に入ろう」
あたしたちは建物の中に入る。中も人でいっぱいだ。
それでも、『いかにもギャンブルをしますよ』的な人に混じって、あたしたちみたいなカップルも結構いるようだ。最近の競馬は、こんなもんなのかな。
とりあえず隅っこにスペースを見つけ、そこで孝之は今朝買った競馬新聞を開く。
「やっぱりヘイエムオペラオーが一番人気?」
「だろうな。ほら」
孝之から受け取った新聞には、二重丸がずらずらと。
「固いんじゃないの?」
「でも、それじゃつまんないだろ?」
言いながら孝之はマークシートを取り出す。
「やっぱりキングヘイホー、なの?」
「うむ、相手はメイジョウドトウ」
「ヘイエムオペラオーは?」
「ここでは負けるとみた」
「根拠は?」
「コイツ勝ちすぎ」
……すごい根拠だこと。
「それより、水月は?」
「んー、やっぱヘイエムオペラオーかなー」
「固いなー」
「後は、ナリタドップロード」
「ほう」
最近勝ってないのに、と孝之が続ける。
「でも、菊花賞馬は強い馬が勝つって言ってたよ。誰かが」
「でもなあ……」
「いいの! 後は誰にしようかな……」
「誰って……相手、馬だぞ」
「良いじゃない別に」
言いながら、競馬新聞を眺める。
うーん、アメリカンホスか……。
あ、この馬なんかいいかも。
「ねえねえ孝之、この子は?」
「この子って……ダイバテキサス?」
「うん」
「だってコイツ、八歳だぞ?」
「うん、一番年上だね」
「もうここまで来ると年上、と言うよりもジジイ、と言ったレベルなんだが」
呆れた顔で、孝之が言う。
「でも、戦績はそんなに悪くないよ」
「そうだけどな……ま、何買うのも水月の自由だしな」
「……なんか、嫌な言い方ね」
「そんなつもりはないさ」
言いながら、孝之はさっさとマークシートを塗りつぶしていく。
「ねえ、孝之」
「なんだ? 水月」
「孝之……随分手慣れた手つきで書くわね」
「いや、その……まあ、こういうのはな」
怪しい。
「怒らないから、言ってごらんなさい」
「実は……結構前から競馬やってました」
「いつの間に?」
「……バイト仲間に頼んでた」
「……いくら負けてるの?」
「えー……」
孝之の視線が泳いでいる。
「怒らないから」
「……ホントに?」
「うん」
「半年で……十万くらい」
「じゅ、じゅうまん〜?」
「……ほら怒った」
「お、怒ってないわよ」
「こめかみがピクピク言ってるけどな」
「ぐ……孝之、アンタ、あたしが我慢してるってわかってるわよね?」
じっと睨む。
「あ……えーと、水月、喉、渇かないか? 何か買ってくるよ。なにがいい?」
「オレンジ」
「おう、任せとけ。じゃあ!」
そう言って孝之は人混みに消えていく。
ホント、こう言うとき逃げるのは上手いんだから。
しかしこうしてみると、ホントいろんな人がいるんだな。
たかがお馬さんのレースにこれだけの人が集まってる。
それだけでもすごいことなのに。
……いったいいくら動くんだろう?
そんなことを考えてしまう。
「ただいま。はいオレンジ」
「どうも」
人混みを縫って孝之が出てきた。さすがに混雑がひどくなってきたみたい。
「……そっちの手に持ってるのは?」
「串かつ。食べる?」
「……当然でしょ?」
孝之だってちゃんと二本用意してるくせに、わざわざそういうことを聞くんだから。
「さて、そろそろ買ってさ、コースが見えるトコに移動しようぜ」
「そうだね」
あまりここにいると本当に動けなくなっちゃいそうだし。
「……ねえ、ワイドってなに?」
マークシートに書いてある項目を見て、孝之に尋ねる。
「ああ、それは『選んだ馬が二頭とも三着以内に入れば当たり』ってやつ。二着三着でも一着三着でも。もちろん一着二着でも、な」
「じゃあ、当たりやすいじゃない」
「でも一般的には配当は少ない。面白くないね」
孝之らしいセリフだ。
「そっか……じゃあ、あたしはこっちにしようかな」
あたしは孝之に聞きながらマークを塗りつぶしていく。結局ヘイエムオペラオー、メイジョウドトウ、ナリタドップロード、ダイバテキサスの四頭のすべての組み合わせ(ボックスって言うらしい)をワイドで買うことにした。
一つの組み合わせに五百円。これだと六通りになるから計三千円。
ま、ボーナスが入ったからいいかな。
ちなみに孝之はキングヘイホーからメイジョウドトウ、ステイコールド、アメリカンホス、ポットシークレットへの組み合わせを買ったらしい。
「キングヘイホーと心中だ」
そう言って孝之は笑った。その笑顔は自信から来るものなのだろうか。
「……で、いくらかけたの?」
「……計三万」
「さ、さん……」
……いや、何も言うまい。
「今年の負けを取り返してやるっ」
ぐっと拳を握る孝之。
「……頑張ってね」
何を言って良いかわからず、あたしはそれだけを言ってため息をついた。
人の動きが慌ただしくなった。どうやらレースが近くなったらしい。
あたし達は建物を出て、コースが見られるところに移動した。
とは言ってもどこも人で一杯だ。あたし達は人混みを縫って前の方に移動する。
「……この辺が限界かな」
孝之が言ったところは前から五メートルくらいの地点。コースはほとんど見えないけど、コースの内側にある巨大なモニター(ターフビジョンって言うらしい)が見える位置なのでまあ満足かな。
「さあ、始まるぞ」
孝之の声と同じタイミングで、ざわつきが激しくなる。
爆発しそうなエネルギーが、じわじわとたまっていくのがわかる。
ぱーぱぱぱーっぱぱぱーっ。
ファンファーレが聞こえる。同時に鳴り出す手拍子。
その響きは大きなうねりとなって、競馬場を包み込む。
ぱぱぱぱーっっ。
ファンファーレ終了とともに今度は大きな雄叫び。
ターフビジョンでは、馬が次々にスタート位置に入っていく。
そして。
ガコン、という音とともにゲートが開いた。
「ああっ、ポットシークレットがいねえっ」
隣で孝之が叫ぶ。
ポットシークレットっていうのは、逃げ馬らしい。先頭でレースを引っ張るタイプ。
それが出遅れたってことは……。
「……これ、スローペースになるぞ」
落胆しながら孝之が言った。逃げるはずの馬が逃げない、その馬をペースメーカーにしようと思ってた馬がどうして良いかわからなくなる。そうすると、他の馬が行かない限りはゆっくりとしたペースになるみたい。
先頭に立ったのはチョービックバンっていう馬。その後ろにはマチカナキンノホシ。
「ダイバテキサスも前だな」
「え? どこどこ?」
「外側」
三番手にいる馬がダイバテキサスらしい。頑張れ!
「……まあ、このペースは好都合かもしれん」
「え? どう言うこと?」
「このスローペースはヘイエムオペラオーには向かないと思う。直線での瞬発力勝負ならもっと上の馬もいるし、馬群がかたまってるから後ろの馬は前に出て来づらいと思う」
よくわからないけど、確かにオペラオーは馬群に包まれているみたい。
その間に、ようやくポットシークレットが外を回って前にあがってきた。
「ナリタドップロードは?」
「五〜六番手じゃない?」
馬達は観衆の前から一コーナーに向かっていく。
「お、先頭がボーイングスズカに変わった」
そう言われても、どれがどの馬やら。
「あー、アドマイヤホスはマジでオペラオーをマークしてるな」
「そうなの?」
「ああ。鞍上……アドマイヤホスに乗ってる鷹騎手が『絶対前に出さない』って言ってたらしいけど、その通りみたいだな」
勝負の世界、なんだなあ。
そう言う気持ちは、わからなくも無いけど。
そして三コーナー。
「ちょっとまった、キングヘイホーそこか?」
キングヘイホーは最後尾。そこからじゃ馬群をかわせないんじゃない?
と、思うと同時にスッとあがっていく。
馬群の外を、少し膨らみながら。
「よおし来た来たあっ」
孝之の声のトーンがあがる。
最後の直線。
「よしオペラオーは来ねえ、そしてこいキングヘイホーっ」
両拳を握って孝之が叫ぶ。
私はどの馬がなんなのかさっぱりわからない。
そして。
「うわあああっっ」
孝之が驚きの声。
「来やがった!」
その言葉の通り、馬群の真ん中を割って飛び出してきた馬が一頭。
『ヘイエムオペラオーだっ』
実況が吼える。
まさしく、それほどに。
飛び出してきた馬は力強く。
そして。
残りのすべての馬を引き連れ、先頭でゴールに飛び込んだ。
「あああ……」
がっくりとうなだれる孝之。
「結局オペラオーとドトウかよ……」
あたしが最初に言った馬。
それで、決着したらしい。
「……俺の三万が……」
脱力し、うなだれる。
「ねえ、孝之」
「……すまん水月。帰りはラーメンで勘弁してくれ……」
「そうじゃなくて、三着の馬」
「……ああ、ダイバテキサスじゃないかな。八歳なのによく頑張ったもんだ。ま、キングヘイホーも四着まで来たしな……」
「やっぱり……当たってるよ、あたし」
「え?」
「ほら」
そう言ってあたしは馬券を孝之に見せる。孝之は慌てて、掲示板とその馬券を見比べる。
「ワイド……ホントだ」
そう言っているところで、順位が確定する。そして配当の表示。
「……これ、二万越えてるぞ」
「え?」
「だって、ダイバテキサスなんて人気薄だぜ?」
「ええ?」
「しかも五百円賭けてる。良かったなあ」
ぽんぽん、と肩を叩く孝之。
「ほら、換金行ってきな」
「う、うん……」
あたしは何が起きたかわからず、払い戻し所に向かった。
「おー」
そして返ってきた二万四千三百円。八倍くらいになったということか。
……そうだ。
「ねえ、孝之」
「ん、なんだ」
「このお金でさ。なんか美味しいもの食べに行こうよ」
「ほ、ホントか?」
「うん。どうせ泡銭だし。こう言うのはパーッと使っちゃおう」
「そ、そっか。じゃあな、この間見つけた店があるんだ」
と、孝之はポケットから手帳を取り出す。
きっと自分が当たったら行こうと思ってたのだろう。
「あったあった。じゃあ行こうぜ」
そう言って歩き出す孝之。
まったく、切り替えが早いんだから。
あたしは苦笑すると、孝之の腕に手を回した。
end
俺が望む後書き
お久しぶりです。久々の君望。しかし番外編でございます。
もう結構前になるのですが、友達と飲んだときに『水月で競馬ネタはどうか』という話をしたのが発端です。それから随分かかりましたが、やっと形になりました。
競馬をあまり知らなくても楽しめるように書いたつもりです。また、本ネタは実際のレースを参考に書いてますので、競馬を知っているかたは少しニヤリとする場面もあるかな、と思います。
さて、この話は好きなのですが、書いていて一つ大きなミスを犯しています。が「どうせばれないからいいや」で通すことにしました。だってこの矛盾(ミスというのは矛盾です)を正すには、矛盾の元となるある作品を大きく直すか、もしくはこの話自体を無くすかというレベルになってしまうのですから。
ま、ばれませんって(笑)
では、次の作品で。
2002.07.16 ちゃある