君が望む永遠 サイドストーリー 番外編 例えば、こんなバレンタイン   #1 「お姉ちゃん、何作ってるの?」  台所に立つ遙に、茜が尋ねた。 「チョコレートパイだよ」  嬉しそうに、遙は答える。 「あ、そうか。そろそろバレンタインだもんね」 「うん、だから、今の内に練習してるの」 「そっか…………また、太っちゃうなあ」 「え? どうして?」  不思議そうな顔をする遙。それを見た茜は、呆れた顔で答えた。 「どうしてって……だってお姉ちゃん、私にいつも試食させるじゃない。お姉ちゃ ん不器用だから、何度も何度も食べさせられるんだよ。いくら何でも太っちゃうよ」 「あ……えへへ、ごめんね。茜、でも……」 「はいはい、わかってます。……とりあえず上手に出来たな、と思ったらください。 私が判定しますから」 「うん、ありがとっ、茜」  遙は再び台所を向く。 (出来るまでには、まだ時間がかかりそうだな……)  茜は、流しに転がるパイの残骸を横目で見て、ため息をついた。  茜は部屋に戻ると、ベッドに飛び込むような形で、うつぶせになった。 「そっか、バレンタインか……」  茜はここしばらく練習漬けだったため、時間の感覚がずれていた。三年になると 三学期はほとんど授業がないため、その時間すらも練習時間に回ってくるのだ。  茜は、カレンダーを見る。気がつけば、もう二月だ。 (兄さんに……あげようかな……)  そんなことを考える。別に変な意味ではなく、あげること自体は問題ないだろう。 兄さん──孝之も、別に普通に受け取ってくれるはずだ。 (でも……)  いつもの葛藤。  自分の想いを気づかれてはいけない。  けれど。  気づいて、欲しい。 「ああん、もう」  茜は寝返りを打つ。  仰向けになって、天井を見る。  浮かぶのは……孝之の顔。 「はあ……」  大きなため息。 「茜ー、あかねーっ」  と、遙の声が聞こえた。どうやらやっと完成まで漕ぎ着けたらしい。 「さーて、今日はいくつ食べれば終わるかな?」  茜は頭を切り替えさせてくれた姉に感謝しつつ、ベッドから飛び起きた。   #2 「孝之さ〜ん、あのう……十四日は、バイトじゃないんですか〜?」 「残念だけどね。休みをもらってるんだよ」 「そうなんですかあ……残念です」  玉野まゆは、そう言ってため息をついた。 「え? 十四日が、どうかしたの?」  孝之が、不思議そうに問いかける。 「はい。十四日は、バレンタインデーなんです〜」 「ああ、そういやそうだったな」 「おい、糞虫」  と、孝之の背後から声をかけたのは、言わずとしれた大空寺だ。 「アンタ、店が『バレンタインフェア』とかやってるんだから、それくらい気づい たらどうなん?」 「いや、こういうのは惰性でやってるからな」 「はあ……こんなのの彼女は、大変ねえ」  大空寺はそう言って、大げさに肩をすくめる。 「なあ、大空寺……」  孝之はゆっくりと大空寺に近づく。 「お前は、いちいちカンに障ることを言うなあ?」 「あ〜ら、カンに障るってことは、自分にも心当たりがあるってことじゃないのさ?」 「……そんなことを言うのは、この口かっ」  孝之は、大空寺が身を退くよりも素早く、彼女の両頬をつまんだ。 「はにふんのほー」  大空寺が何か言っているが、両頬をつままれているため、上手く言葉にならない。  そのまま孝之は両頬を引っ張る。 「おお、伸びる伸びる」 「はなへー」  大空寺がジタバタするが、孝之は意にも介さず、そのまま引き続ける。 「さすが引っ張り続けると、結構伸びるもんだなあ」  感心する孝之。 「はなへー」  涙目になって暴れる大空寺。孝之はさすがにかわいそうになったのか、ぱっと手 を離す。 「ま、このくらいで許してやるか。というわけで俺は仕事に戻るんで。お前らもサ ボってんじゃねーぞ」 「この……お前なんかっ、猫のうんこ踏めっ」  大空寺の声が、店中に響きわたった。 「しっかし……バレンタインは忘れていたなあ。運良く休み取ってたからいいけど、 バイト入れてたら遙にどんな顔されるかわかったもんじゃないよな」  孝之は、裏方の仕事をしながらつぶやいた。年末年始こそ休みを取ったが、クリ スマスはバイトだった。まあ、イベントの時は忙しいのだから、休むことは必然的 に難しくなってくる。 「ま、取れたんだから気にすること無いよなっ」  孝之は、明るい表情でゴミを捨てた。   #3 「……まあまあ、じゃないかな」 「よかった、これで孝之くんに出せるね」 「……同じのが、もう一度作れたらね」  茜の言葉に、遙は黙りこくってしまった。  作り直すこと実に九回。やっと完成はしたものの、前日に同じものが作れるかと いうと、正直難しい。 「このまま兄さんに渡したら? ちょっと早いけど」 「だめだよう。バレンタインは、ちゃんとその日にあげなきゃ」  茜の言葉に、遙はむくれた顔をする。 「じゃあさ、前日に作ってみて、もし上手くいったら渡せばいいし、ダメだったら 自分にリボン着けて『プレゼント』とかやってみたら? 兄さん、喜ぶよ」 「え? ええ? ……そんなのダメだよう……」  からかうような茜の言葉で想像したのか、遙の声は今にも消え去りそうだ。 「じゃあとりあえず、予備のチョコレートを買っておけば? チョコレートパイが 上手くいったら、買ったチョコレートはお父さんに回せばいいじゃん」 「そうだね。そうしよう」  茜の言葉に、遙は力強く頷いた。 「あらあらあら。お父さんもかわいそうねえ」 「あ、お母さん……聞いてたの?」 「だって、遙がいつまで経っても台所を空けてくれないのだもの。お母さん心配に なっちゃったわ」 「あ……ごめんね。今片づけるからね」 「はいはい。それと、今日のお夕飯のお手伝い、してくれるわね?」 「「はーい」」  お母さんの言葉に、姉妹はハモって返事をした。   #4 「孝之さん。はいです」  バイトの帰り際、玉野まゆは孝之にチョコレートを差し出した。 「いつもお世話になってますので〜」 「お、サンキュ。いや、やっぱ嬉しいなあ」 「かたじけないです……」  まゆは照れたのか、もじもじしている。 「おい、糞虫」  良いムードをぶちこわすようなセリフ。孝之が視線を向けると、大空寺あゆが仁 王立ちしている。 「ほら、チョコだ。ありがたく食え」 「いらん。そんなモノもらったら、来月が怖い」 「あ、あんですとーっ」 「どうせチロルチョコ一つに、来月はとんでもないモノを要求してくるんだろ。三 倍返しが基本とか言ってな。そんな怖いモノを受け取れるか」 「あんですとーっ。私がそんな人間に見えるのかーっ」 「見える。見えすぎるから怖い」 「あ、あんですとーっ」  獣化する大空寺。 「冗談だ。ほら」  そう言って孝之は片手を出す。 「ほれ」  大空寺が孝之の手に載せたのは、すかいてんぷるのチョコレートケーキ。 「おっとっと」  マジでチロルチョコだと思っていたのか、孝之は思わずケーキを落としそうにな る。 「ありきたりだけど、ここのチョコレートケーキは美味いのさ。そこの糞虫は食べ たこと無いだろうけど」 「確かに、オーダーミスの料理は食ったことあるけど、デザートは無かったな」  女性に先に取られるからだけど、と孝之は続ける。 「そういうわけで、確保しておいたのさ。心して食べなさい」 「おう、それならありがとう、だな」  孝之は素直に礼を言う。 「な、……礼なんていらないさ」  何か言われると思ったところで素直にお礼を言われてとまどう大空寺。 「なに照れてんだよ」 「なっ、て、照れてなんてないさっ」 「あ、そ。じゃあ俺、帰るから」 「はい。お疲れさまでした〜」 「お疲れ」  孝之は部屋に戻ると、冷蔵庫からビールを取り出す。が、 「ケーキにビールか?」  と思い、ワインに切り替える。  滅多にワインは飲まない孝之だが、今日は何となく飲みたい気分だ。 「明日は午後から遙んとこだな……」  グラスを傾け、一人もらったケーキを食べる。 「……ん、なかなかだな」  長年アルバイトをしていて、ケーキを食べたことが無いというのもなんだかなあ と思うが、意外に美味しいので更に驚く。 「……今度、遙の所に持っていこう」  テレビを見ながら、孝之はそんなことを思った。   #5  ピンポーン。  孝之はいつものように涼宮家のチャイムを鳴らす。 「はいはーい」  バタバタバタ、と降りてきて玄関のドアを開けるのは茜だ。 「いらっしゃい、兄さん」  いつものスマイルで、茜は孝之を迎えた。 「こんにちは、いつも元気だなあ、茜ちゃんは」 「ええ、だって元気だけが取り柄ですから。えと、姉さんですね。ちょっと待って ください」  そう言って茜はバタバタバタ、と去っていく。 「おじゃましまーす」  孝之はそんな茜の行動に苦笑しつつ、居間へと向かった。 「あらあらあら、いらっしゃい」 「こんにちは、お母さん」  居間では遙の母が孝之を出迎えた。相変わらずおっとりとした女性だ。 「今日はお仕事、お休みなんですか?」 「ええまあ、ウチは交代制ですからね。それに、遙に今日は空けておくように言わ れましたから」 「あらあらあら、そうなんですか。そう言えば遙が昨日、一生懸命何かを作ってた わねえ」  楽しそうに、お母さんは微笑む。  その笑顔は、涼宮姉妹にそっくりだ。 「孝之くん、いらっしゃい」  ぱたぱたぱた、と階段を降りてきたのは、遙だ。 「おっす、遙」  ほぼ二週間ぶりに見る遙の顔に、孝之も思わず笑顔がこぼれる。  と、孝之の視線が遙の手に移る。 「遙……どうしたんだ? その指」  視線の先にある遙の指には、包帯やら絆創膏やらが巻かれている。 「あ、うん……ちょっと」  てへへ、と遙は照れた表情で視線を逸らす。 「兄さんにあげるためのお菓子を作ってて、火傷したんだよね、姉さん」  いつの間に来ていたのか、遙の背後から茜が言った。 「あ、茜!」 「そうなのか? 遙……」  孝之の問いに、頷く遙。 「遙はホント、ドジですからねえ」  と、お母さん。 「きっと、お母さんに似たんだよ」 「あらあら、そんなこと無いでしょ?」 「あるよう。この間作った煮物で、お塩とお砂糖間違えたのは誰でしたか?」 「あらあらあら、そんなこともあったわねえ」  困った顔のお母さん。 「ま、まあまあ……それより、火傷までして作ったお菓子、上手くいったの?」  孝之は仲裁にはいると同時に、遙に問いかけた。 「うん、上手くいったよ」  嬉しそうに微笑む。 「……十二回ほど失敗してるけどね」 「あ、茜っ」  ぼそっとつぶやいた茜の言葉に、遙は顔を赤らめる。 「あははっ、でもね、兄さん。本当に美味しくできたと思うよ」 「そっか、それは楽しみだな」 「うん、ちょっと待ってね」  と、言って遙は台所に消えた。 「……ホントに十二回も失敗したの?」  遙が消えたのを見計らって、孝之は茜に小声で尋ねた。 「えっとですね。この間練習したときは、上手くいったのが九回目。で、昨日作っ たときは五回目でやっと上手く行きました」 「……そんなに……下手なのか?」 「姉さん、あれで結構アバウトですからね。分量は身体で覚えるタイプなんですよ」 「あー、それで」 「ええ、形になるのは比較的早いんですけど、味がバラバラで……」 「……何話してるの?」 「わああっ」  いつの間にか近寄っていた遙に、茜と孝之は驚いて離れる。 「あ、茜ちゃんに、遙の作ったものがどれくらい美味しいか聞いてた。でも茜ちゃ ん、教えてくれなくてさあ」 「だ、だってやっぱり、自分の舌で判断して欲しいですから」  孝之の言葉に、茜が上手く合わせた。 「あらあらあら」  テーブルの向かいで、お母さんはニコニコしている。 「とりあえず、用意できたよ」 「おう」  テーブルには、四分の三ほどになったチョコレートパイと、紅茶のセットが置い てある。 「茜、今日はアッサムでいい?」 「うん、いいよ」 「あ、孝之くんは?」 「あー、俺、紅茶良くわかんないから、任せるよ」 「うん」  ティーポットにお湯を入れた後、砂時計をひっくり返す。  その間に、チョコレートパイを切って一人一人に、配る。  配り終わると、ちょうど砂時計の砂が落ちきったところだった。  紅茶を、カップに注いでいく。 「じゃ、いただきます」  みんなの視線の中、孝之がチョコレートパイを口にする。 「……うん、美味いよ」 「良かった……」  不安そうな遙の顔が、笑顔に変わる。 「じゃあお母さんも」  お母さんの言葉に、ゆったりとした午後のお茶会が始まった。 「孝之くん、もう一切れ食べる?」 「あ、うん。もらおうかな」  孝之の言葉に、遙はもう一切れ、パイを孝之の皿に載せる。 「あ、兄さん。私からも、はい」  そう言って、茜はリボンにくるまれた箱を孝之に渡す。 「お、ありがとう」  孝之は喜んで受け取る。 「ホントはお金がないから、バレンタイン・キッスでもしようかと思ったんですけ どー」  茜の言葉に、遙と孝之が同時に驚いた顔をする。 「……姉さんに首を絞められそうなので、やめました」  てへ、と舌を出して笑う茜。 「あはは、兄さん、まんざらでもなさそうな顔してますね」 「え? そんなこと無いだろ?」  慌てて口元を押さえる孝之。 「もう、茜も孝之くんも!」  むっとした顔をする遙。 「あはははっ」  よほど二人をからかうのが楽しいのか、声をあげて笑う茜と、 「あらあらあら」  全てのやりとりを見ていて楽しんでいるお母さんと。  そんなこんなで、午後のお茶会は過ぎていった。   #6 「今日は、ありがとな」 「ううん。こっちこそ」  結局孝之はその後、夕飯までごちそうになった。久しぶりにお父さんと飲んだり、 茜とゲーム対決で盛り上がったりと、いい一日だったと思う。 「じゃ、これで」 「あ、待って」  帰ろうとする孝之を遙が引き留める。  振り向く孝之を見て、遙が目をつぶる。  ゆっくりと、口づけを交わす。  ほんの僅かの、長い時間。  お互いを、感じられる時間。  そして、唇を離す。 「じゃあ……」 「うん……」  見つめ合う二人。  ゆっくりと、離れる。 「やっぱり、孝之くんと二人で会えば良かった」 「そう? 俺は楽しかったけど」 「うん……楽しかったけど、やっぱり二人が良かったなって」 「なんで?」 「だって……膝枕とか、こう、いろいろできるし……」  照れた顔をする遙。  そんな顔を見て、孝之も微笑む。 「今度な。今度は、二人でどこか行こう。試験も終わったし……まあ、合格発表の 後だな」 「うん。どこ行こうね」 「それは、後で考えようぜ。遙、寒いだろ?」 「うん……少し」 「じゃあほら、もう家に戻りな」 「うん」 「それじゃ」 「また」  遙は小さく手を振りながら、家に戻った。 「ま、こんなバレンタインも、アリだろうな」  孝之は、そんなことをつぶやく。  なんてことはない一日。  こんな日も、ありでしょ?  end  僕が望めない後書き  今回、なにげに三人称にチャレンジしてみました。  結果がコレです・・・なんだかなあ。  話として、個人的には好きですが、みなさんはどうでしょうか?  一応、オチがないので番外編扱いと言うことでお願いします。  では。  2002.02.14 ちゃある