君が望む永遠SS  新たな道






「速瀬さん。お客さんですって」
 午前中の授業が終わったところで、あたしは呼ばれた。
「……はい、わかりました」
 誰だろう? あたしを訪ねてくる人なんて、覚えがない。
 手早くシャワーを浴び、着替えをすますと、あたしはロビーにいるという相手を捜した。
「水月!」
 あたしを名前で呼ぶのは、学生時代の友達か、もしくは……。


 昔の恋人、か。


「……阪見先輩?」
 あたしを呼んでいたのは、どちらでもなかった。白陵柊時代一つ上の先輩。阪見祥子(さかみ・しょうこ)先輩だった。
「久しぶりね。元気してた?」
 阪見先輩は昔と変わらない笑顔であたしに話しかけた。
「……まあ、そこそこ、です」
「ちょっと話があるんだけど……いいかしら?」
「え、ええと……大丈夫です。少しなら」
 午後もインストラクターとして授業がある。もっとも今は昼休みだから、一時間ちょっとは取れるだろう。
「じゃ、食事でもしながらにしましょうか」
 あたしたちはそのまま、スイミングスクールを出た。


「今ね。学校の先生をしてるのよ」
「へえ、阪見先輩がですか」
「なあに? これでも勉強は出来たのよ?」
「あ、そういうわけじゃないんですけど」
 あたしたちは近くの喫茶店に入った。あたしはナポリタンを大盛りで、阪見先輩はエビグラタンをそれぞれ頼む。
「ま、元気そうでなによりだわ。何年振りかしらね」
「そう……ですね。もう、六年くらいじゃないですか」
 あたしは自分の歳と、最後に会った──あたしが白陵柊三年のとき、大会の応援に来てくれたのが最後だと思う──を数えて言った。
「そう、もうそんなになるのね」
 阪見先輩は、昔を思い出すように、遠い目をする。
「それで……お話って、なんですか?」
 昔話に花を咲かせるほど昼休みは長くない。ナポリタンを口にしながら、あたしは早々に尋ねた。
「そうね……率直に言うわ。水月、あなた……ウチの水泳部の監督になってくれないかしら」
「……え?」
 あまりに唐突な話しなので、自分の耳がおかしくなったかと思った。
「オリンピック、見た?」
「……ええ、一応は」
「涼宮茜、凄い選手になったわね」
「……そうですね」
「……あら? あの子、随分水月になついていたと思ったけど」
「あはは、昔のことですから」
 チクリと、胸が痛む。
 ……本当に、昔のことだから。
「でもあの子、インタビューで言ってたじゃない。ずっと目標の人がいるって。あの人がいたから、水泳を始めて、今まで水泳をやってこられたって。あれ、水月のことなんでしょう?」
「……そうなのかな」
「だって、それ以外考えられないでしょう?」


 ……うん、確かにそうかもしれない。

 茜のインタビューは、あたしも見ていた。そのとき、あたしのことを言ってるんだと知って、思わず涙を流した。
 あれだけ憎まれていたあたしを、目標の人だと言ってくれている。

 それが、嬉しかった。


「元々水月って後輩に受けが良かったからね。自分のことで大変なのに、尋ねると丁寧に教えてくれるって」
「あはは……その分、先輩達には嫌われてましたけど」
「そうね。後輩達にとっては目標かもしれないけど、私達にとってはライバルだからね……正直、才能に嫉妬したわ」
 そんなことを、阪見先輩はさらりと言ってのける。
「いやね、そんな顔しないの。昔の話よ」
「……すいません」
 感情がすぐ顔に表れるのは、自分の悪い癖だと思う。
「……話を戻すわね。私がいる学校で今、運動を盛んにしようという動きがあってね。私は現国が担当なんだけど、まあ水泳経験があるってことで水泳部の顧問にさせられてるのよ。それはいいんだけど……私だと、上手く教えられないことがあってね。そんなときオリンピックの中継を見て、水月を思いだしたってわけ」
「それで、あたしに監督、ですか?」
「ええ。一応スイミングスクールで水月の評判を聞いたけど、結構いいみたいじゃない?」
「……ええ、まあ……」
 確かに最近、あたしのおかげで生徒が増えているという話を聞く。
 ……特に、若い男が。
 もっともあたしは子供とおばさん担当だから、がっくりして辞めていくのも多いみたい。
「それでね。お願いしたいのよ」
「え……と……」
「ああ、基本的には月〜金の夕方の内、何日かでいいわ。だから、今の仕事も続けられると思う」
「いえ、そうじゃなくて……ホントに、あたしでいいんですか?」
 一番の疑問。
「何故?」
「いえ、あたし、監督なんて経験ないし、それに……」
「私ね、これでも、人を見る目は、自信あるのよ」
 阪見先輩は、自信ありげにあたしを見た。
「あなたは、例え周りに敵をつくっても、自分の意志を貫くことが出来る人だわ。髪もそうだったし、水泳をやめたときも、そうだったでしょう?」


 そうだ。

 あたしが水泳をやめると言ったとき、最後まで心配してくれたのは、阪見先輩だった。

 周りが『どうしてやめるんだ?』と問いつめてきたのに対し、阪見先輩だけは「理由は知らないけど、自分の意志をしっかり持ちなさい。そして、自分の思いを貫きなさい」と言ってくれた。

 だからあたしは──。

 ──孝之の──。


 ──孝之──。


「……どうしたの?」
 心配そうな顔で、阪見先輩が尋ねる。
「え? あ、いえ」
 慌てて涙を拭う。
「あはは、昔ね、阪見先輩があたしに言ってくれたことを思い出したら、涙が出て来ちゃいました」
「そう……それだけ、ならいいけど」
 阪見先輩はほっとした表情を浮かべるけど、視線だけは心配したままだ。

「あ、そうそう、あの、監督の件なんですけど……」
「ええ、少し考えてもらってくれていいわよ」
「いえ、やります」
「え?」
「やらせてください。上手くいかないかもしれないけど、少なくても阪見先輩がいてくれれば、何とかなると思います」
 あたしは、しっかりと阪見先輩の目を見て言った。

 あのときあたしは、阪見先輩がいたからこそ、孝之を支えられた。

 その恩は、返さなくちゃならない。

 それに──。


 今なら、もう一度あの世界に戻るのも、いいかもしれない。

 水を切り裂く、競泳の世界に。

「……その目は、もう決めたって言う目ね」
「はい」
「うん、やっぱ水月は、その目が似合うわ」
「え?」
「ううん、独り言」
 阪見先輩は、嬉しそうに笑った。


 喫茶店で携帯の番号を交換し、あたしたちは喫茶店を出た。
「じゃ、細かいことはまた後で」
「はい。よろしくお願いします」
「こちらこそ。実は今の一年に、有望株がいるのよ。だから、上手く行けば間に合うかなって」
「はい。精一杯頑張ります」
「じゃ」
 あたしは阪見先輩に深々と頭を下げた。

 ──さて。

 これからまた、忙しくなりそうね。

 あたしは笑みをこぼすと、スイミングスクールへと歩き始めた。





 end










 俺が望む後書き

 ええと、感想掲示板で要望があった『水月編』です。……え? 思っていたものと違う? それは私のせいではありませんよ。私の書きたい水月は、コレです。

 一応2004年、初秋を想定しています。オリンピック直後、ですね。チラリと話に出てますが、茜がオリンピックで活躍する年です。だから、水月にも新たなスタートを、と思い、この話を書きました。

 ……3年経っても、孝之を引きずってるんだなあと思うと悲しくもなりますが、水泳部監督という新たな道を選んだことで、きっと変わってくれるものだと思います。
 
 では、次の作品で

 2002.02.21 ちゃある

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