君が望む永遠SS 旅立ち
#1
「それでは、えー、茜ちゃんのスポーツ留学の成功を祈って」
『かんぱーい』
カチッ、と鈍いグラスの音。
明日は私がアメリカに旅立つ日。今日は家族で迎える最後の夕食。だからというわけではないけれど、今日は兄さんも交えての送別会となった。
ちなみに乾杯の音頭を取ったのが兄さん。
「やっぱり家族が楽でいいなあ」
私は誰に話すともなく口を開く。
「茜はここのところ、ずっと帰りが遅かったからな」
と、お父さん。
「あれは、友達とか先輩とかがとっかえひっかえ送別会をしてくれるから」
「あらあらあら」
「そうだよね。茜、人気者だもんね」
「ええっ、そんなことないよ」
みんなが畳み掛けるように話しかけてくる。
「でも……寂しくなるな」
「えっ……」
兄さんの言葉に、思わず反応する。
「茜ちゃんってほら、ムードメーカーみたいな感じじゃない? 突飛な行動で俺も振り回されたりしたけど、それもしばらくお預けだなって思うとね」
「振り回すって……」
「いや、悪い意味じゃないんだ。俺、一人っ子だからさ、本当に妹が出来たみたいで楽しかったから」
「兄さん……」
どうして。
どうしてこのひとは。
最後まで私の心を揺さぶるのだろう。
「あ、ごめん。まだしんみりするの早かったかな。さ、食べよう食べよう。茜ちゃんだって、しばらくお母さんの料理食べられなくなるんだからな」
「そうですね。いっぱい食べなくちゃ」
あはは、と笑って私は中央のお皿に箸をのばす。
笑いながらも、私は決心を固めていた。
今夜は。
今夜こそは。
……兄さんに、告白しようと。
#2
「あ、そうそう兄さん」
姉さんと父さんの飲み合いが佳境に入った頃を見計らって、私は兄さんに声をかけた。
「なに? 茜ちゃん」
兄さんの顔もほんのり赤くなっている。少し、酔ってるのかな。
「あの、ドリコスとかプレスタのソフトとか、要ります?」
「え?」
「どうせ持っていけませんから。だから、兄さんに持っててもらおうかなって」
「マジ? 本当に? うわ、嬉しいなあ。もらうもらう、もらいますよ」
「あ、じゃあ私の部屋に行きますか。さすがに全部は要らないでしょう?」
「ああ……まあ、だぶってるソフトもあるからね。じゃあ早速行こう」
私たちは立ち上がり、楽しそうに飲んでいる姉さんを後目に二階にあがった。
「ささ、どうぞどうぞ」
手招きして兄さんを部屋に迎え入れる。
「なんだ、そんなに片づけてるわけじゃないんだ」
「ええ、必要なもの以外は残していきます。別に全く帰ってこない訳じゃ、ないですから」
「そっか、そりゃそうだ」
兄さんが納得したように頷く。
「じゃあ早速選びましょうか」
私はテレビの下からドリコスとプレスタのソフトを取り出す。
うーん、我ながらずいぶん買ったなあ。
この歳で自分の誕生日プレゼントにゲームをねだるくらいだもんなあ。
「……すごいな」
隣で兄さんも驚いている。
「じゃ、えーと……」
兄さんは嬉々としながらソフトを選んでいく。
「お、『クレイジーハイヤー2』とかあるじゃん。これはもらいだな……」
楽しそうな兄さんの横顔を見て、私も思わず嬉しくなる。
「ん? 俺の顔に何かついてる?」
見つめているのに気づいたのか、兄さんが不意に私の方を向く。
「あ、えーと……楽しそうだなって思って」
「まあな。俺もゲーム好きだし。そうだ、最後に『ギルジディアX』やるか」
「あ、いいですね」
私は早速プレスタ2を出す。
「じゃあとりあえずこの箱は全部借りてくから」
「え? 全部ですか?」
「ああ、どうせやらないだろ? だったらまとめて借りとくよ。返すの楽だし、探すの面倒だし」
「……まあ、いいですけどね」
兄さんらしいな、と心の中で苦笑する。
「じゃあ……どうします。最後ですから、賭けます?」
私はニッコリと笑って兄さんを見る。
「前にやったみたいに? 勝った方が負けた方の言うことを聞く?」
「んー、じゃあ私が負けたら、プレスタ2も貸しますよ」
「え? マジ? やるやる。……ところで茜ちゃんが勝ったら?」
「一つ、言うことを聞いてもらいます」
「オッケー。何でもこい」
「じゃあ、二本先取で」
「おう」
言いながら私はプレスタ2の電源を入れる。今回も二人ともパッドだ。
お互いに一番の持ちキャラを選択。
本気モードだ。
「負けませんよ」
「プレスタ2がかかってるからな」
私だって。
告白が、かかってるんだから。
「げげっ、一本も取れずに負けた……」
「腕、落ちてるんじゃないですか?」
「プレスタ2のコントローラは微妙に苦手なんだよ……」
落ち込みつつも言い訳をする兄さん。こういうところが子供っぽくて可愛い。
「じゃあ、約束通り言うことを聞いてもらいます」
「おう、何でも言ってみろ。お兄さんが何でも聞いてやるぞ」
半ばヤケの兄さん。
「じゃあ……ちゃんと聞いてください」
「お? ……おう」
私の静かな声に何かを感じ取ったのか、兄さんは私の方に向き直る。
破裂しそうな心臓をなだめるように、一度深く深呼吸する。
そして、兄さんをじっと見つめ、口を開いた。
「ずっと、好きでした」
「え?」
唖然とする兄さん。それはそうかもしれない。
完全な不意打ち。
ひたすらに、今日まで隠し通した気持ち。
今初めて、私は言葉にしている。
「涼宮茜は、鳴海孝之のことが、好きです。兄としてではなく、一人の男性として」
単語を噛みしめるように、丁寧に、言葉を紡ぐ。
けれど、それが出来るのはここまでだった。
「茜ちゃん……」
鳴海さんの声を聞いた瞬間、涙が溢れ出した。
「……ダメなんです。押さえても押さえても、鳴海さんは私の心に入ってくる。逃れようと思っても、鳴海さんが姉さんの恋人である以上、必ず私の前に現れる……」
言葉が止まらない。
決壊したダムが、二度と流れ出す水を押さえ込むことがないのと同じように。
「前に、鳴海さん言いましたよね……アメリカに行くことが『かっこいい』って。全然そんなこと無いんですよ……ずるいですよね。私も、水月先輩と同じなんです」
「え?」
「もう、耐えられないんです。鳴海さんの姿を見ていることに……私、どうにかなっちゃいそうで。だから離れるんです、日本から。逃げ出すんですよ、鳴海さんから」
「茜ちゃん……」
鳴海さんはそれ以上の言葉を発することが出来ず、重い表情で私を見ている。
私もこれ以上、何も言えなかった。想いは言葉でなく、嗚咽に変わる。
そのまま、鳴海さんの胸に飛び込んだ。
「どうして……どうして……」
どうして好きになった人が、姉さんの恋人なんですか?
でもそれは、言葉にならない。
鳴海さんは何も言わず、私を抱きとめる。
「……ごめん……」
鳴海さんのその言葉が、すべてを表していた。
解りきっていた結果。
知っていた結末。
けれど、もしかしたらと。
いや、違う。
きっと私はそんな結末を望みはしない。
そんな結末を望むくらいなら、はじめから妹を演じたりなんかしない。
これは。
新しい自分になるための、通過儀式。
「……鳴海さん……」
私は鳴海さんから身体を離し、鳴海さんの目を見つめる。
「最後に一度だけ……いいですか?」
「ん? なに?」
鳴海さんも真摯な目で私を見る。
「キスして、ください……」
「え?」
「鳴海さんを忘れるために、けじめをつけさせてください」
そう言って、私は静かに目を閉じる。
僅かの間の後、両肩を優しく掴まれる。
そして。
……額に、優しい感触。
ああ……これは。
兄妹へのキス。
妹への、愛情表現なんだ。
「……ごめんな。例え茜ちゃんでも、俺は遙を……」
「いいんです。ごめんなさい、無理なお願いをしてしまって」
私は両目からこぼれる涙を拭う。
目を開けると、困った表情の鳴海さんが、私を見ていた。
「もう、そんな顔しないでくださいよ、兄さん」
私は微笑む。
まだ少し、ぎこちないけど。
「お詫びにプレスタ2も貸しますから」
「え? マジ? うわ、嬉しいな」
途端に笑顔になる兄さん。
でもその笑顔もわざとだってわかる。
お互い、今の空気を何とかしたいだけなんだって。
「じゃあ、箱に詰めちゃいましょう。今日もって帰りますよね?」
「ああ、持って帰る持って帰る。明日も休みだし」
「……いいですけど、ちゃんと見送り、来てくださいよね」
「あ……持って帰るの、明日にしようかな」
私はその仕草にクスっと笑う。
「大丈夫、信頼してますよ、兄さん」
「おう、まかせとけ」
兄さんは胸をドン、と叩く。
「……そう言う仕草が信用できないんですよね」
「げ」
あはは、と二人で笑う。
屈託のない笑顔。
ああ、やっぱり。
私は、この人を好きになって良かった。
#3
コン、コン。
「はーい」
ドアの向こう、姉さんの返事が返る。
「入って、いい?」
「どうぞ」
カチャ。
部屋にはパジャマ姿の姉さんが、髪をとかしていた。
「あ、私やろうか」
「……ん、お願い」
私は姉さんからブラシを受け取り、髪をとかしていく。
私とは違う、さらさらの髪。
普段からプールの水に痛めつけられている私の髪とは、まるで違う。
「やっぱ、きれいだね」
「ええっ、そんなことないよ……」
普段通りの会話。
けれどこの会話も、しばらくお預け。
「そうだ、ベランダ出ようか」
「え?」
「少し、茜とお話したいなって、思って」
「う、うん」
私は姉さんとともに、ベランダに出る。
外はずいぶん暖かい。パジャマでも、問題ないくらいに。
「星が、きれいだね」
「うん」
今日は小さな星もよく見える。私は星座とかよくわからないけど、こんなきれいな星空は滅多に見られないと、思う。
「さっき、孝之くんと何を話してたの?」
姉さんの問いに、私の心臓は大きく跳ねた。
「何となくね、二階に上がった後の孝之くんの様子が、なんか違ってたから」
そっか。
兄さんのことはよく見てるんだな。
「さっき、ね……」
「うん」
姉さんはいつものような優しい笑顔で、私を見る。
「兄さんに、告白したの」
「え?」
「私、ずっと兄さんのことが好きだったの」
思い切って、言った。
「そっか……やっと、言えたんだね」
姉さんは特に動揺もせず、かえって嬉しそうな顔で私を見た。
「え? どういうこと?」
意味がわからず、問い返す。
「私ね、知ってたよ」
「え?」
知ってた?
「茜がね、孝之くんのこと好きだってこと、ずっと気づいてた」
姉さんは笑顔のまま。
「し、知ってたなら……」
「でも、私は孝之くんを信じてたから。それに……」
姉さんは一瞬だけ、目を逸らす。
「……茜なら、仕方ないかなって、思ってた」
「え?」
「だって茜は私なんかよりずっと魅力的でしょ? だから仕方ないかなって」
「姉さん……」
姉さんは微笑んだまま。でも、瞳が曇る。
「でも、ダメだったんでしょ?」
「うん……」
私の頷きに、姉さんはほんの少しだけ、ほっとした表情をする。
「茜には悪いけど、良かった。孝之くんは私のことを想っててくれてるんだなって、確認できたから……まあ孝之くんって、こういうことに関してはすごく鈍感だからっていうのもあったと思うけど」
そう言って姉さんは苦笑する。
……確かにそういうところ、あると思う。
「それに誰が孝之くんを好きになっても、私は孝之くんが好きだから。その気持ちは、誰にも負けないから」
そう言って私に微笑んだ姉さんは、すごく、綺麗に見えた。
……やっぱ、かなわないな。
兄さんにも、姉さんにも。
そう思った瞬間、両目から涙が溢れた。
「ごめんね、姉さん……」
「うん……私も、ごめんね……」
姉さんは優しく、私を抱きしめる。
「ごめんね……」
涙は、止まらなかった。
#4
「ふああ……」
「ふああ……」
「何姉妹揃ってあくびしてんの」
空港へ向かう車の中、兄さんが私と姉さんを交互に見て言った。
「だって……ねえ?」
姉さん照れたような顔で、私を見る。
「ねえ?」
と、笑顔で返す。
「へんな奴ら」
私と姉さんに挟まれ、不思議そうな顔をする兄さん。
夕べは、姉さんのベッドで二人で寝た。
二人で一緒の布団に寝たのなんて、何年ぶりだろうか。
布団の中で、私と姉さんはいろんな話をした。
小さい頃のこと、四年前の夏。
お互いが、兄さんを好きになった理由。
そして、兄さんの好きなところ、嫌いなところ。
……なんだか、兄さんの話ばかりだったけど。
そんなことをしていたら、あっと言う間に時間が経っていた。
だから、二人とも寝不足。
「ふああ……」
「ふああ……」
再び同時に欠伸してしまい、私は姉さんと顔を見合わせて笑った。
「じゃ、そろそろ行くね」
アナウンスが流れたので、私は立ち上がる。
「身体には気をつけるのよ」
と、お母さん。
「大丈夫よ。任せて」
「メール、待ってるからな」
と、お父さん。
「うん。電子メールなら一瞬だもんね」
「うー、私もメール使えるようにならないと……」
「俺も」
「そうですよ。家族で電子メールが使えるのがお父さんだけだなんて、今時恥ずかしいですよ」
本当にそう思う。
「茜……頑張ってね」
「姉さんもね」
「ホントに気をつけてな。茜ちゃん」
「はい。兄さんこそ、姉さんを頼みましたからね」
「おう」
いつも通りの笑顔。
ううん。
今までより気持ちよく、兄さんに対して微笑むことが出来たと思う。
「じゃ、行って来ます」
私は荷物を持ち、搭乗口へ向かう。
この先は、一人だけれど。
何もわからないけれど。
とにかく頑張ろう。
新しい自分に、なるために。
end
君の望まないあとがき
というわけで、茜留学直前編をお送りいたします。
これを書いてしまうと、流れ的にはしばらく茜は退場なのですが……まあ、流れ通りに書く必要もありませんしね(苦笑)
僕の中の茜は、これで一区切りです。告白も、したし。
後は、エンディングでどうしようかな、と。
……おもむろにさかのぼるかもしれませんけど、ね(笑)
では、次の作品で。
2002.04.12 ちゃある
あ、ちょっとだけ書き忘れが。
アメリカ行きの飛行機の中。
私はおもむろに、一枚の色紙を取り出した。
友達や先輩後輩に書いてもらった、寄せ書き。家の前に集まったみんなを代表して、千鶴から受け取った。
「あれ? 兄さん」
隅に知っている筆跡を見つけた。
『茜ちゃんは逃げてなんかない。夢に向かって頑張れ 鳴海孝之』
「あ、やっぱ昨日のこと、気にしてたんだ」
参ったな。
これじゃあ兄さんのこと、なかなか忘れられないじゃない。
まったく。
と。
『茜さんも、見える夢を追い続けてください。僕も追い続けます 剛田
追伸 諦めそうになったけど、もう一度追いかけます』
「剛田君……」
彼は本当に留年して、今年も三年生をやっているはずだ。たぶん公式戦には出られないだろうけど、持ち前の根性で、頑張ってほしい。
「もう一度追いかけます、か……」
これって、私のことなのかな。
ここまで来ると、しつこいと言うよりも感心しちゃうけど。
それと、
『とにかくもう一度 元気な顔を私たちに見せること! 千鶴』
なんか、らしいな。
「ふああ……」
車で少し寝たけど、やっぱりまだ眠い。
私は、少し眠ることにした。
みんなからの寄せ書きを抱いたまま。
アメリカに着くまで……みんなの夢が見られるように。