君が望む永遠 サイドストーリー 私を見てくれなくても  風邪……か……。  起きた瞬間からそれは身体が理解していた。全身がだるく、体中の筋肉が痛い。 「やっぱ……」  無理してたのかな。  言葉を発するのもきつい。  まあよりによってタイミングのいい時に風邪をひいたモノだ。  今日は学校も練習も休み。両親とお姉ちゃんは日帰りで旅行に出かけている。  したがって、今日はこの家に私一人。 「参ったな……」  一昨日鳴海さんの看病をしたときに、風邪をもらったのかもしれない。  そして昨日の猛練習。一昨日は気を付けたつもりだったけど、猛練習による体力 の低下は考えてなかった。 「……とりあえず、熱計って朝御飯食べて薬、かな」  行動を明確化するために、無理して声を出す。  ……うん、とりあえず起きあがれる。  私はゆっくりと起きあがると、壁に体重を半分預けるようにして下に降りる。  こんな風邪、夏以来、かな。  ……やめよう。  あの夏の出来事は、まだ思い出したくない。  結果として良かったとは言え、私のせいで、鳴海さんを再び苦しめてしまったの だから。 「体温計は……」  私はゴソゴソとタンスを探す。ちょっとした仕草さえ、つらい。  やっとの事で体温計を手に取り、脇に挟む。  ピピッ。  ……三十八度七分。  よく動けてるな、と思う。  でもまあ、とりあえず朝御飯と薬まで動ければ、あとは寝るだけだから。 「……くっ」  一度座ると、立ち上がるのがつらい。  ピンポーン。  それでも何とか起きあがった瞬間、チャイムが鳴る。  誰だろう……。  とりあえず、インターホンに出る。 「……はい」 『あ、鳴海ですけど』 「……鳴海さん?」 『あ、茜ちゃん?』 「ちょっと……待ってくださいね」  私はそう言って鍵を開ける。 「どうぞ」 『ども』  やがて玄関のドアが開き、鳴海さんが顔を出した。 「あれ? 茜ちゃんだけ?」 「……ええ。姉さんは両親と日帰り旅行です」 「あ、そうだっけ」 「……ホントに忘れっぽいんですね」 「……ここは病み上がりということで一つ」  鳴海さんはそう言って頭を掻く。 「仕方ないですね……それで今日はどうしたんですか?」 「いや、今日バイト午後からだから……一昨日のお礼に、と思って」  そう言って鳴海さんが差し出したのは、ケーキの箱。 「あ……ありがとうございます」  笑顔でケーキの箱に手を伸ばす。  と、不意に空間が歪んだ。  バランスを崩した身体を立て直すことが出来ない。 「おいっ」  茜ちゃんっ、と、鳴海さんが私の名を呼んだ気がしたけど、私の意識はそのまま 深く沈んでいった。   + 「……なあ、茜ちゃん」 「なんですか? 鳴海さん」  病院の屋上で、鳴海さんに話しかけられた。 「もしも俺が、茜ちゃんのこと好きって言ったら、どうする?」 「え?」  一瞬何を言ったのか、よくわからなかった。 「……ええっ?」  たっぷり一秒かけて、意味を理解する。 「な、何言ってるんですか。鳴海さんには姉さんがいるじゃないですか」  そう。  だから私は、鳴海さんがお兄さんになるならそれでいい。  そう自分に言い聞かせてるのに。 「俺、ようやく気づいたんだ。俺のことを一番強く想っていたのは、茜ちゃんだっ たってこと」 「そ、そんな……」  でも、それは否定しない。  鳴海さんを想う気持ちは、姉さんにも水月先輩にも、負けない。  でも一方で、姉さんを想う気持ちも強いのは確か。  だから私は『鳴海さんの妹になる』ことを選んだのに。  そんな、今更……。 「茜ちゃん。俺とつき合ってくれ」 「え……」 「俺は、茜ちゃんの想いに応えたいんだ」  鳴海さんは、私の肩を掴み、真っ直ぐに私を見つめた。  心臓が、ひときわ大きく跳ねる。 「でも……姉さんが……」 「遙なんてどうでもいい。必要なのは茜ちゃんだ!」  ───チガウ。 「違う」 「え?」  私の言葉の意味が理解できなかったのか、鳴海さんが聞き返す。  ───ソンナノ。 「……そんなの」  私は、喉の奥から声を絞り出すかのように、呟く。  ───ナルミサンジャナイ。 「……鳴海さんじゃない」  心の言葉を、口にする。 「な、何言ってるんだよ茜ちゃん」  戸惑いの表情を見せる鳴海さん。 「私の知っている鳴海さんは、そんなこと絶対に言いません。姉さんのこと『どう でもいい』だなんて!」  激しい口調で、私は鳴海さんに向き直る。 「私は、そんな鳴海さんを好きになったんじゃありません……」  怒りをあらわにしたつもりだったが、不意に流れた涙に、対応できない。  理由はわかってる。  それでも。  ───嬉しかったから。 「え?」  不意に視界が歪んだ。それは流した涙のせいじゃなく。  ねじれるような変化の後、急速に意識ごと闇に沈んでいった……。  + 「ん……」 「気がついた?」  鳴海さんの声を聞きながら、ゆっくりと目を開ける。  良く知っている視界。 「ここは……」 「茜ちゃんの部屋。ごめんな、勝手に入っちゃったりして」  ……そっか。  私は、鳴海さんの前で気を失ったんだ。  それで、鳴海さんがここまで運んできた、と。  そんなとこかな。 「大丈夫? なんか、うなされてたみたいだけど」 「あ……はい」  不意にさっきの夢のことを思い出す。 「私……変なこと言ってませんでしたか?」 「いや……ただ、泣いてた、かな」  心配だったけどどうにも出来なくて、と、鳴海さんは続けた。 「……そう、ですか」  そっか。  泣いてたんだ。  私はそっと、左手を目に添え、涙を拭う仕草をする。  もう、拭う涙は流れていなかったけど。 「ごめんな、体調が悪いなんて知らなかったから」 「……いえ……」 「何か食べる? 薬飲むにしても、何か腹に入れた方がいいだろ?」 「あ……でも……」 「返事は『はい』か『いいえ』で頼むな」 「あ……はい……」 「ま、食べ物と言っても今コンビニで買ってきたお粥とかリゾットとかしか無いけ どな。どれにする?」  鳴海さんは笑顔で何種類かのインスタント食品を並べる。 「……インスタント……ですか?」 「涼宮家の台所は、高性能すぎて使うのが怖いんだよ。それに、どこに何があるか もわからないし」  鳴海さんは苦笑。確かに人の家の台所をいきなり使うのは難しいかもしれない。 「……じゃあ……これ」  私はオーソドックスなお粥を指す。 「了解。じゃ、ちょっと作ってくるな」  鳴海さんはそう言って立ち上がる。 「あ、鳴海さん」 「ん? どうした。きつい?」 「いえ……バイト……」 「ああ、今日は休んだ」 「そんな……私なら大丈夫ですから……」 「無理しない無理しない、お互い様だろ? それに、今回の原因は俺にありそうだ し」 「それは……違います……」  鳴海さんのせいだなんて。  そんなことない。  私は、真っ直ぐに鳴海さんを見て否定する。 「……じゃあ違うってコトでいいから、とりあえず寝てて。今うまいお粥を持って くるからな」  まるで幼い子を相手にするようにポンポン、と頭をなでて鳴海さんは部屋を出て いった。 「ふう……」  顔が熱い。  でもそれは、本当に熱のせいなのかな? 「身体、起こせる?」 「はい……大丈夫です」  クッションを背中に挟み、私は身体を起こす。  膝の上に置かれた四角いお盆には、インスタントのお粥。 「どうぞ」 「……いただきます」  スプーンを手に取り、ゆっくりと口に運ぶ。  その仕草をじっと見つめている鳴海さん。 「……どうした?」 「あの……そんなに見つめられると、食べづらいんですけど」 「あっ、悪い。気づかなかった」  そう言って鳴海さんは視線をそらす。  そんな仕草が可愛くて、私は思わず笑みをこぼす。 「……どう?」 「あ、まだ食べてませんでした」  鳴海さんを見ていて、食べることを忘れていた。  慌てて私はお粥を口に入れる。 「熱っ」 「だっ、大丈夫?」 「ひゃい……大丈夫れふ」  舌が回らない。 「熱いから、気を付けて」 「……はい」  今度はちゃんと冷まして口に運ぶ。  しかし火傷のせいか熱のせいかはわからないが、味が良くわからない。 「どう?」 「……食べられなくは、無いと思います」  無難な返事を返す。 「そっか、よかったよかった」  そう言いながら、鳴海さんは私の隣で同じお粥を開ける。 「……まさか、私に味見させたわけじゃないですよね?」 「……違うって」 「ふふっ、冗談です」 「……そんな冗談を言えるなら、大丈夫そうだな」  鳴海さんは私を見て苦笑。 「……そうかもしれないですね」  そう言って、私も笑みを返した。 「じゃあ食べたら薬、と」  食べ終わった頃、鳴海さんは別の袋から薬を取り出した。 「よくわかんないから、とりあえず一番高いの買ってきた」 「あ、ありがとうございます」  本当は、家に置き薬があったんだけどな。  そう思いながらも、私は素直に受け取り、カプセルを飲み干す。  だって、鳴海さんがくれたものだから。 「さ、食べたら寝た方がいい」 「……はい」  でも、本当は眠りたくない。  眠ったら鳴海さんが帰ってしまうから。 「今日は、ここにいるからさ」 「……え?」 「茜ちゃんも一昨日ずっとついていてくれただろ? お返しはしないとね」 「そんな……いいです……」 「どっちにしてもバイト休んじゃったからやることないんだよ。な?」  鳴海さんは優しい顔で私を見る。  すごく、嬉しい。 「でも……」 「いいから。お兄さんの言うことは聞きなって」 「……え?」 「俺は茜ちゃんの兄貴になる人なんだろ? だったら俺の言うことはちゃんと聞く こと」  照れた表情で、鳴海さんは私に言う。  視線は、少しそらしたままで。 「……はい。わかりました」  その表情がまた可愛くて、私は思わず苦笑する。  ねえ、鳴海さん。  私のこと、一人の女性として見てくれなくても。  妹としてしか見てくれなくても。  それでも、少しでも私を見ていてくれるなら。  茜は、幸せです。  だから、だからもう少し……。  私は左手を伸ばし、鳴海さんの手に触れる。  鳴海さんは私の意図がわかったのか、私の手を包み込むように優しく握る。 「ほら。側にいるからおやすみ」 「……はい」  鳴海さんの温もりを感じながら、私はゆっくりと眠りについた。  +  気がつくと、私は丘の上に立っていた。  ゆったりと吹く風と空高くに雲の見える青空は、秋の景色。 「ここは……」  鳴海さんが昔良く来ていたとに言っていた、白陵柊の裏の丘。 「や、茜ちゃん」 「鳴海さん……」  どうしてここに? という質問をする前に、鳴海さんは私と並んで柊町の方を向 く。 「今日はちょっと、聞きたいことがあってね」 「……なんですか?」 「うん……言いづらいんだけど、さ」 「なんでも言ってください」 「茜ちゃん……俺のこと、好き?」  ───心臓が、ドクン、と大きく跳ねた。 「ど……どういう、意味、ですか?」  激しく打ち続ける鼓動を押さえながら、私は尋ねた。 「いや、別に深い意味は無いんだけどさ。俺のことどう思ってるのかな、遙の恋人 なのかな、それとも……自分の兄だと思ってるのかなって」 「あ……」  そうか。  まだ、鳴海さんは気にしていたんだ。  私が冷たい態度を取っていたこと。  そして、今みたいに普通に話しているのは、姉さんに気づかってなのかと思って いるんだ。 「鳴海さんは、私の大切な人ですよ」  私は、これ以上ないってくらい優しい顔で微笑む。 「だって、私のお兄さんですから」  そうです。  鳴海さんは、私の兄さんなんです。  その言葉は、鳴海さんよりも、むしろ自分に言い聞かせるように。 「そっか。なら、いいんだ」  肩の荷が下りたような表情を、鳴海さんが見せる。  晴れやかな表情。  うん。  鳴海さんのこの表情が見られたなら。  良かったんだ。 「あれ……」  不意にこぼれる涙。  止まらない。  それは。  決して想いが届くことはないということを、心が悟ってしまったからなのか。  そして止まらない涙は、そのまま私の視界を埋めていった。  + 「ん……」  目が覚めた。  頭の重さ、だるさが嘘みたいに引いている。  よくわからないけど、夢を見ていた気がする。  思い出せないけど。 「あ……」  身体を起こそうとして、鳴海さんがベッドにもたれかかって眠っていることに気 づく。  このまま起きたら、鳴海さんも起きちゃうかな。  私はゆっくりと頭だけ起こし、鳴海さんを見る。  鳴海さんは顔をこっちに向け、すやすやと眠っている。  寝顔も可愛い。  そして、  左手はまだ、握られたまま。  ああ、そっか。  風邪が治ったのは、薬なんかじゃなく。  鳴海さんのおかげなんだ。 「ただいま〜」  と、姉さんの声が聞こえた。気がつけば随分時間が経っていたらしい。 「ん……」  その声に、鳴海さんが反応する。 「あ……」 「おはようございます。鳴海さん」  いきなり鳴海さんと目が合ってしまい、私は笑顔で挨拶をする。 「もう、大丈夫?」 「はい。鳴海さんのおかげです」 「そっか。そう言ってくれると嬉しいな」 「茜、誰か来てるの?」  ドアの向こうで、姉さんの声がした。 「おう、遙。お帰り」 「た、孝之くん?」  慌てて姉さんが部屋のドアを開ける。 「茜ちゃんがさ、風邪引いたみたいだから看病してたんだ」 「え? 茜が?」  姉さんは驚いた表情で私を見る。 「あ、もう大丈夫だよ」  姉さんの顔が心配した顔に変わるのを見て、私は答える。 「なら……いいけど」 「さて、こんな時間か。そろそろ帰るかな」  鳴海さんは私から手を離し、左手の時計を見る。 「ええ〜折角来たのに……」  残念そうな顔をする姉さん。 「ま、今日はケーキ置きに来ただけだから」 「……お夕飯、食べていかない?」  ね? と姉さんはおねだりをするような表情で鳴海さんを見つめる。 「……そうですよ。一緒に食べませんか?」 「うーん……」  腕を組んで悩む鳴海さん。 「もう、悩むなら決まりにしようよ〜」 「でもなあ……」  更に悩む素振りを見せる鳴海さん。  その態度に姉さんはしびれを切らしたのか、廊下に出て叫ぶ。 「おかあさーん。孝之くん夕飯食べて行くって〜」 「ちょ、ちょっと遙っ」 「ふふっ、決まりですね。鳴海さん」 「……ま、いっか」  そう言って肩をすくめる鳴海さん。 「私を看病してくれましたからね。お礼ですよ」 「……そうだな。じゃあお言葉に甘えるか」 「やったあっ」  両手を合わせて喜ぶ姉さん。  その姿を幸せそうに眺める鳴海さん。  ……そう。  姉さんと鳴海さんが、こういう顔ができるなら。  これでいい。  私は二人を交互に見ながら、そんなことを思うのだった。  おわり   俺の望む茜(後書き)  と、いうわけで茜祭り対応の一つ目です。「僕の茜」の起点となる「この想いが 届かなくても」の続編に位置する話を書いてみました。やっぱ次は看病される話で しょ、と安易な思いつきで。  ま、茜は「孝之が好き」→「でも想いは届かない」→「強引に納得」→「でもやっ ぱり孝之が好き」……と、ずっとループしているキャラなんだなあと、少なくても 僕の書く茜は、そうなんだなあと。  そんな茜が好きさっ(ぉ  こんな話でも、感想をもらえれば嬉しいです。  ……気がつけば第一稿の倍の行数になったのは内緒です(笑)  ……あ、孝之ってば涼宮家の玄関の鍵閉めずに買い物行ったな?(笑)  2002.10.09 ちゃある  2002.10.07 初稿  2002.10.09 加筆修正  2002.10.17 修正  2002.10.20 公開