水面に映る月 「なんだ、来てたんだ」 「……明日、帰るからね」 「そっか」  何でもないことのように、俺達はそんな会話を交わした。  何でもないことのように。  四年振りに会った水月は、やっぱり水月だった。  外見は少し変わったけど、仕草や笑顔なんかは、それでもやっぱり『水月だな』 と思わせた。  ……なんて言ったら「アンタも同じよ」と言われたけど。 「でも、孝之がここに来るとは思わなかったな」 「俺も来る気は、無かったんだけどな」  それは本心だ。  遙を家まで送って軽い口づけを交わした後、俺は真っ直ぐ家に帰るつもりだった。  けれど何故か、自然に足が向いたのだ。  白陵柊の裏にある、この丘に。 「ここは、変わらないね」  海の方を眺めながら、水月は髪をかきあげる。  緩やかな風になびく水月の髪は、四年間でだいぶ伸びたようだった。 「やっぱり、水月だな」 「え? 何が?」 「いや、相変わらず美人だなってさ」 「ったく。その美人を振ったのはどこの誰よ」 「いやまあ、だって遙の方が美人だし」 「……はいはい」  孝之のそういうところ、変わってないね。と、水月はため息をつく。  でも、本当に言いたかったのはそんなことじゃなくて。  水月は、本当にその名前の通り「水月」なんだなって、思ったんだ。  +  彼女は、まるで水面に映る月のように、天空に上る月と同じ姿を俺達に見せてい た。  その姿は───特に、水泳に取り組んでいるときの彼女は───本当に月の女神 であるかのように美しかった。  意地を張って髪を伸ばしているんだとか、そんな噂話が、彼女を更に強き女神に していった。  けれど。  彼女自身は女神なんかじゃないって、誰も気づかなかった。  彼女は、水面に映る月に過ぎないということを。  水面に映る月は、些細なことで歪んでしまう。  例えば小石を投げただけでも、その波紋が彼女を歪めてしまうのだ。  彼女を妬む連中の悪戯。  三年の、水泳大会。  そのときの噂。  遙の事故。  そして、俺。  次々と投げ込まれた石によって月の形は歪められ、そして───。  ───水月は、水泳をやめた。  やがて俺は水月とつきあい始め、過去の悪夢に怯えながらも幸せと言える毎日を 過ごしていた。  歪んだ月も、やがて静かになっていく水面とともに、形を取り戻していった。  しかし、ようやく元通りになろうとする頃、再び大きな石が、投げ込まれた。  遙の目覚め。  遙は世界から取り残されていた。  俺達は必死に『三年前の世界』を構築し、遙を騙し続ける。  けれども慌てて創り上げた世界は、やがて崩壊する。  俺は、遙を放ってはおけなかった。  何故なら、遙を置いていったのは俺なのだから。  それは償いであったかもしれない。けれど、自分と何度も何度も向かい合った結 果、俺は、遙と歩いていくことを決意する。  それは、すっかり歪んでしまった月に向かって、大きな石を放るのと同じこと。  俺が投げた石は、大きな水しぶきを上げ───。  ───結果。  水月は、この街を出ていくという選択肢を選んだ。  ++ 「なにあたしの顔をじろじろ見てんのよ」 「いや、だから水月は美人だなって」 「それはわかったから」  水月は俺の目を真っ直ぐに見つめる。  まるで俺の本心を見透かすかのように。 「……月が、綺麗だな」  すっと目を逸らし、俺は夜空を見上げる。 「……そうね」  またごまかす、といったような不満げな表情を、水月は見せる。  けれど天空に浮かぶ月は、本当に綺麗で。  そして。  俺の目の前に立つ彼女は、まるで天空の月を映したかのように。  本当に、美しかった。  ───ああ、やっぱり。  水月はその名の通り『水面に映る月』なんだ。  水面に映る月は、小石一つで歪んでしまうけど。  決して壊れることなく、波が静まればやがて元通りになる。 「なあ、水月」 「何?」 「今、幸せか?」 「……何言ってんの?」 「いや、いいんだ。変なこと聞いちまったな」  俺は苦笑して、頭を掻く。 「じゃ、俺行くから」  そう言って、丘を降りようとしたとき。 「……幸せだよ」  不意に聞こえた水月の声に、俺は振り返る。  俺の目に映った水月の笑顔は、一点の曇りもなく。  シンと静まり返った水面に映る満月のように、美しかった。 「そっか」 「うん」 「じゃ」 「またね」  俺は水月に手を振って、再び下り坂に目を向ける。 「水月なら、なれるんだろうな」  小声で呟く。  そう、水月なら。  いつか、本物の月よりも輝くことができるだろう。  俺は天上の月を見上げて、そんなことを思うのだった。  おわり。  俺が望む後書き  とゆーわけで「水月祭り」用のお話ということで、水月にスポットを当ててみま した。  まあなんつーか「水月って名前の通りだよね」と思っただけで。  こんなに素敵な彼女を、なぜ孝之は振ってしまったのか疑問でなりません(笑)  一応現在、この直前にあたる話を書いていますが、そっちはのんびり書いてるの でいつになることやら(ぉ  ま、これで水月に義理立てはしたぞ、と。  2002.08.23 ちゃある  2002.08.26 ちょっと修正。