天使  もしかしたら、遙は天使だったんじゃないだろうか。  ときどき俺は、そんなことを考える。  実は神様が人間の世界を学ばそうと、人間のふりをさせた天使を送り込んでいて。  その天使が、遙だったのではないだろうか。  遙は天使だから、いつか天上に帰る身だから。 『人間に恋してはならない』  そんなルールが、実はあるのではないだろうかと。  だから初めて会ったとき、遙は俺の顔を見て逃げ出した。  これ以上好きにならないようにって。  けれど遙はもう、我慢できなかったんだ。  自分の役目を忘れても、ルールを破っても。  誰かを想う気持ちは、神様にも止められないから。  そして、いつしか俺も遙を好きになってた。  いや、好きであることに気づかされた。  そして、俺達はつきあい始めた。  だから。  だから神様は怒ったのだろう。  そして、ルールを破って恋に堕ちた遙に。  昏睡という罰を、与えたのだ。  +  気がつけば、外は暗かった。  どうやらいつの間にか、夜になっていたらしい。  テーブルには、速瀬が置いてくれたのだろう夕飯が置いてある。  俺は空腹感を覚え、テーブルへと向かった。  このまま死ねたら、どんなに楽だろうか。  何度も、そんなことを考えた。  でも、そんな思いとは関係なく、身体は生を欲しがる。  勝手に腹は減るし、眠くなる。  めんどくさいと思いながらも、俺はそれを満たすために飯を食い、眠る。  なんでそんなことをやっているのか、時々疑問に思う。  けれど。  それはきっと、心の奥底にある想いが、身体を動かしているのだろう。 『明日は、遙が目覚めるかもしれない』  そんな、ほんの僅かな希望のために。  ++ 「お兄ちゃん、ちゃんとご飯食べてる? ね、顔、白いよ?」 「……ああ」  茜ちゃんの言葉に、俺は曖昧に答える。  病院に着いたとき、茜ちゃんが最初に言った言葉がそれだった。  食事は、速瀬が毎日持ってきてくれている。  俺は気が向いたとき、それを機械的に食うだけ。  美味いとか、不味いとか、そんな感想もなく。  ただ空腹を満たすために、食うだけ。 「ね、お姉ちゃんが目覚めたときにお兄ちゃんが元気じゃなかったら困るでしょ。 だからちゃんと食べなきゃだめだよ?」  茜ちゃんの心配するような目が、鬱陶しい。 「ね? お姉ちゃんが起きたとき、お兄ちゃんがそんな顔してたら心配されちゃう よ? だから、ね?」  そんな。  そんな言葉で。  ───じゃあ、いつ目覚めるってんだよ!  ……まだ、その言葉を飲み込めるほどには、自分はマトモらしかった。  茜ちゃんに言っても、仕方のないことなのだ。  遙の目覚めを待っているのは、俺だけじゃないのだから。  +++  本当に。  遙は天使のように。  静かに眠っていた。  まるで今この瞬間、すぐにでも目覚めるかのように。  美しい寝顔を、俺に見せていた。 「くっ……」  何度繰り返したのだろう。  けれど。  両目からこぼれる涙は、今日も堪えることが出来ない。  なあ、神様。  例えば俺が遙のことを忘れたら。  本当に忘れたら。  遙の罪を許してくれるかい?  例えば俺が死んだら。  遙を目覚めさせてくれるかい?  もう、いいだろ?  遙を許してやってくれよ。  遙を目覚めさせてくれよ。 「頼むからさあ……」  言葉にしてみても、その願いは叶うことなく。  俺は途方に暮れたまま、泣き続けた。  ++++ 「お兄ちゃん……」  いつの間にか、茜ちゃんが俺の隣に来ていた。 「もう、面会時間終わりだから……」  顔を上げると、既に外は暗くなっていた。 「そっか……」  俺は茜ちゃんに礼も言わず、立ち上がる。 「また来るよ、遙」  そう呟いて、俺は病室を出た。 「鳴海君」  病院の出口で俺を呼び止めたのは、モトコ先生だった。 「正直言って、涼宮さんはいつ目覚めるのかまったくわからないわ。だからまず、 鳴海君は普通の生活に身体を戻すようにしなさい。今のままだと、鳴海君が持たな いわよ」  いいんですよ先生。  俺は罰を受けてるだけなんですから。  遙という、天使を愛してしまった罰を。 「……わかりました」 「……ほんとにわかってる?」  上辺だけの返事を見透かしたのか、モトコ先生は俺の顔を覗き込む。 「わかってますよ」  俺はすっと目を逸らし、出口に目を向ける。 「そう……わかってるならいいわ。でも、覚えておいて。あなたが倒れたら悲しむ 人がいる、ということをね」  俺はその言葉には耳を貸さず、そのまま病院を出た。 「孝之!」  病院の門の前で、速瀬が俺を呼んだ。 「遅いから、迎えに来たんだよ。一緒に帰ろう」 「……ああ」  余計なお節介を、と思いつつもとりあえずうなずく。  速瀬は俺の手を取り、案内するように歩く。  もう何度も歩いた道。目をつぶったって歩けるのに。  なぜコイツは、こんなにも俺にかまうのだろうか。 「なあ、速瀬」 「え? あ、なになに?」  速瀬は俺の声にひどく驚いたようだったが、気を取り直して俺の顔を見る。 「……俺が倒れたら、悲しむか?」 「あ、あったり前でしょ! 何バカなこと言ってんの!」 「……そっか」  悲しむ奴、いるんだ。  ……まあ、でも。  それだけ、だよな。 「バカなこと考えてないで、早く帰ろっ」  心配そうな顔をすぐに笑顔に切り替え、速瀬は俺の手を引く。  遙は……俺が倒れたら悲しんでくれるだろうか。  それとも、俺が倒れたことも気づかずに眠り続けるのだろうか。  明日、遙に聞いてみようかな。  俺は速瀬に手を引かれながら、そんなことを考えていた。  おわり。  俺が望む後書き  気がつけば、こんな話を書いていました。  個人的には、孝之の苦悩をもっと書きたいのです。けれどしっかりと書くには、 自分の技量が足りなくて。  ……こんなにも悩み、苦しんだことが、自分には無いからかもしれませんけどね。  元々身内用でしたが、要望もあり、アップします。  が、書き直したらかなり違うものになってしまいました。  ……孝之は精神完全にイっちゃってるし(苦笑)  まあこんなお話でも、感想をいただければ幸いです。  2002.08.29 ちゃある