君が望む永遠 SS 「人魚の魔法」  夜の、学園。  水を切る、音。  天空には、まあるい月。  彼女は、水面に映る月を切り裂いて、泳ぐ。 「っふー」  プールから顔を出した彼女は、そのままプールサイドに座ったまま、水面を眺め た。  まだ不安定な水面。映る月も、波にゆれている。 「ほら、根津君の番だよ」 「……は、はい、監督」  彼女に呼ばれ、僕は立ち上がる。 「いい? あなた手は大きいんだから、他の人よりも水をかき出すことにかけては 有利なの。だから、あとは速く、大きく水をかくこと。そして、今あたしがやった ように、水面から出した手は素早く前に。基本だよね?」 「は、はい」 「じゃあ、とりあえず一往復。よーい」  彼女の言葉に、僕は慌てて飛び込む用意。 「どん」  パァン、と彼女が両手を叩くと同時に、僕は水面に飛び込んだ。  自慢じゃないが、僕は中学まで泳げなかった。  そんな僕が何で水泳部なんかにいるかというと、ここに、ずっと好きだった人が いたからだ。  苅屋絵里子。  彼女は水泳部期待の星だ。ウチの水泳部で唯一県大会に出場し、それなりの成績 をおさめている。  いつか、彼女が話していたのを、聞いたことがある。 『そうね。やっぱりおなじ夢を追える人が、いいかな』  おなじ夢。  それは、泳ぐこと?  ならば、僕も。  そう思って始めた水泳。  けれど泳げない人間を教えるほどの余裕はなく、僕の仕事は、雑用になった。 「あの身体で、泳げないの?」 「変なヤツだよな。泳げないのに水泳部だなんてさ」 「ま、雑用をやってくれんだからいいじゃん」  そんな声が、悔しくて。  僕はいつも、みんなが帰った後、一人で練習をした。  けれど、何故か上手く泳げない。  焦りだけが、募っていく。  そんなとき、声をかけてくれたのが速瀬監督だった。 「根津君。あたしがあなたを、泳げるようにしてあげる」 「ほ、ホントですか?」 「うん。……そうね。この学校の、誰よりも速く」 「……え?」  僕には、その言葉が信じられなかった。  でも、その日に僕は、二十五メートルを泳げるようになった。  思えば、そのころから魔法はかけられていたのかも知れない。 「がぼっ」  飛び込むと同時に、大きく水を飲み込んだ。  いつものことだ。 「ぐおっ」  声にならない叫びをあげ、僕は泳ぎ始める。  両腕で、水を掻く。  両足で、水を蹴る。  たったこれだけのことが、何よりも難しい。 「全然、だめだね」 「……はあ、すみません」 「ねえ根津君。あなた、泳ぎのイメージってもってる?」 「イメージ……ですか?」  僕は首を傾げる。 「……そう。じゃあちょっとあたしがもう一度泳ぐから、あたしの泳ぎをイメージ して。いい?」 「は、はあ」 「もう、返事ははっきりと!」 「は、はいっ」  おっけーおっけーと、彼女が笑顔で言う。  けれど、スタート台にたった彼女は、一瞬で表情を変える。 「どんっ」  自分で合図、同時に飛び込む。  まるで水面に吸い込まれるように、彼女の身体は水面に消える。  そして、大きく水をかく手と共に、身体を水面に現す。 「さっきと……違う?」  彼女の身体が、水面に映る月を切り裂いていく。  それは、かわらない。  けれど、何かが違う。  じっと、彼女の泳ぎを見る。 「そうか……ピッチが変わったんだ……」  さっきの泳ぎより、腕を大きく、深く使った泳ぎ方。そしてそれは……。 「僕の……ピッチ……?」  体格こそ違うが、それは、僕が目指すべき泳法だった。 「イメージ……」  僕は彼女の泳ぎをじっと見つめる。  自分の脳に、刻み込むように。 「っふー」  泳ぎ終わった彼女は、再びプールサイドに腰掛ける。 「……わかった?」 「はい。やってみます」  僕はさっきの彼女の動きを、トレースする。 「どんっ」  自分で合図、同時に飛び込む。  ザブン。  彼女みたいには行かなかったが、さっきよりはだいぶスムーズに飛び込めた。  そのまま、大きく水を掴む。  彼女の動きを思い出しながら、大きく、深く。  ザッ、ザッ。  水面を、切り裂くイメージで。  僕は、泳ぐ。 「んっ」  対面が、近い。  いつもよりワンテンポ以上早く、二十五メートルのターン。  ザッ、ザッ。  ちょっとバランスを崩したが、体勢を戻して、泳ぐ。  水が、身体を流れていく感覚。  明らかに、何かが違う。 「っふー」  僕は心地よい疲労と共に、水からあがる。 「イメージ……掴めたようね」 「……はい」 「タイム、見る?」 「え? 測ってたんですか?」 「まあね。おめでとう自己ベスト」  そのタイムは、今までのベストを五秒も縮めていた。  たった五十メートルで、五秒。  ……まあ、今までが遅かった、のだけれど。 「……すげえ」 「すごいのは根津君よ。いい? あなたは体格に恵まれてるし、多少の素質もある と思う。あとは技術と経験よ。わかった?」 「はい、速瀬監督」 「じゃあ、今日で特別講義はおしまい。次回からは、一緒に練習するわよ」 「あー……でも……」 「大丈夫。みんなの前で一発泳ぎを決めれば、納得するわよ。……絵里子も、ね」 「な? な?」  なんで苅屋さんの名前が? 「……ふーん、やっぱりね」 「……あ」  カマかけられた! 「ま、黙っててあげるから」 「……ホントですか?」 「うん。約束」 「お願いしますね」 「はーい。じゃあイメージが頭にあるウチに、もう一度だけ流して帰ろうか」 「そうですね。監督も?」 「うん、もちろん」  満面の笑顔。  それは、天空の月に照らされて。  ……本当に、心を奪われるくらいに。  美しかった。 「……ほら、ぼーっとしてないで台に立つ!」 「あ、すみません」  見とれていた。 「じゃ、よーい……」  どんっ。  僕達の影は、水面へと消え。  僕達はまた、水面の月を切り裂いた。  おわり。  俺が望まない後書き  ……ごめんなさい。  いろいろあって遅れてしまいました。  まあ、理由はいろいろあるのですが、水月SSは自分のお気に入りがあって、 なかなかそれを目標にすると書けない、と言う問題にぶち当たってました。  一つ書くのにボツ原稿(アイディア、ではない。書き始めてとまったネタ) を三つも作るとは思ってませんでした。  ま、四つ目だからと言って良い作品では、けしてないのですが(苦笑)  聖誕祭には間に合いませんでしたが、この作品を、速瀬水月さまに捧げます。  2003.08.28 ちゃある