君が望む永遠 Side Story 『頑張らなくっちゃ〜遙の一日〜』 Ver2.00
#1
「じゃ、行ってきまーす」
「気をつけてね」
「うん、大丈夫だよ。お母さん」
まったく、心配性なんだから、お母さんは。
……3年も、心配させちゃったから、これからはなるべく心配かけないようにしようと思ってるのに、中々うまくいかない。
お母さんは、『子供の心配をするのが親の仕事』って言ってたけど、かけすぎはやっぱり良くないもんね。私も、もう、大人なんだし。
私は、ゆっくりとした速度で歩く。やっぱ3年のブランクは大きくて、走ったり、急いだりするとすぐ疲れてしまう。
それでも回復は速い方だって、モトコ先生は言ってくれたけど、やっぱ、不安だな。
せめて、孝之君と同じスピードで歩けるようになりたい。
多少小走りになっても、追いつけるスピードで歩きたい。
今は、走ろうとしただけで足がもつれちゃうけど。
だから、頑張らなくっちゃ。
「うん」
私はちょっとだけ、歩くスピードを速めた。
今日は橘町で参考書を買って、それから……孝之くんのアルバイト先に寄ってみようと思ってる。
孝之くんには言っていないけど、大丈夫だよね。
孝之くん、いきなり行ったりしたら、驚くかなあ?
それもいいな。また、私の知らない孝之くんが見られるよね。
考えるだけで、楽しくなっちゃうな。
柊町の駅に着いた。ここまでに要した休憩は2回。新記録達成!
やっぱ、楽しいことを考えてると、疲れも忘れちゃうのかな?
けど、ここからは……。
私はロータリーの隅っこをゆっくりと歩く。
車の動きに気をつけながら。
……だめ、ここだけは。
どうしても、体が強張ってしまう。
あの日を、思い出してしまう。
いつもは、孝之君や、茜がいたけど、今日は、一人なんだ。
頑張ら……なくっちゃ。
そう言い聞かせても、足が前に動かない。まるでリハビリ中の、自分の足みたいに。
どうして? 動いてよ。
お願い。
ようやくのことで、一歩踏み出す。
一歩進めば、次は少しだけ、楽になる。
あたしはゆっくりと、歩を進める。
一歩、一歩。
そうして、やっとの事で駅の切符売り場にたどり着く。
「ふう」
私は身体の緊張を解いた。全身が疲れきっているけど、ここには座れるようなところはない。仕方なく、壁にもたれる。
「やあ、涼宮じゃないか」
「ひっ」
不意にかけられた声に、驚いて声をした方を見る。
「あ、驚かせちまった? スマン、驚かすつもりはなかったんだが」
そこには、平くんが立っていた。
「あ、平くん……ごめんなさい」
「あ、いや、俺がいきなり声をかけたのが悪いんだから。……ところで涼宮、一人なのか?」
「うん。今日は、一人で歩くことにしたの」
「そうか。頑張ってるんだな」
「うん」
私は笑顔を返す。友達が励ましてくれるのは、嬉しいから。
「そうそう、涼宮、白陵大受けるんだって?」
「うん……孝之くんから、聞いたの?」
「ああ、空いてるときでいいから、勉強を見てほしいって」
「そんな……平くんだって、忙しいのに……」
そんな無理を言っちゃだめだよ、孝之くん。
今度、怒らないと。
「いや、そんなことはないけど……やっぱ、女の子の家って、行きづらいよな」
「そうかな……」
「そうだよ。孝之だって結構、戸惑ってたりするんだぞ」
「そうなんだ……」
最近、あまり会いに来てくれないのは、そのせいなのかな?
「ま、わからないことがあれば、電話とかで聞いてくれれば、なるべく答えるからさ」
「うん。ありがとう」
平くんは、優しい。
いつも、親身になって相談に乗ってくれるし、時には諫めてくれる。
孝之くんが『無二の親友だ』と言うのも、よくわかる。
「じゃ、俺、行くから」
平くんが時計を見る。結構話してたかな。
「あ、ごめんね」
「いや、俺から話しかけたんだし。じゃあな」
「うん、バイバイ」
私は右手を振る。平くんも手を振ってくれた。
私は平くんが見えなくなるまで手を振ると、切符売り場へと動いた。
#2
電車が橘町の駅のホームに滑り込む。
電車が空いていたおかげで、ゆっくりと座ることができた。これでまた、少しは歩けると思う。
「まずは……本屋さんっと」
私は駅を出ると駅前の本屋さんに入り、まっすぐ参考書売場へと向かう……前に、絵本売場で立ち止まった。
「あ、この作家さん。新しいシリーズ描いたんだ」
一冊の本を手に取る。私が好きな作家さんの、新しい絵本。
うう……欲しいなあ……。
本の値段と、財布の中身を見比べる。
これを買って、参考書を買うと…………。
うう……。
悩むこと15分。
私はその絵本を手に取ったまま、参考書コーナーへと足を運んだ。
「確か……こっちだと思うけど……」
参考書を無事に買った後、私は孝之くんのバイト先を探して歩いた。確か『すかいてんぷる』だよね。
……。
…………。
えーん、どこだかわかんないよー。
道路できょろきょろする私。
どうしよう?
人に聞くのも……なんか恥ずかしいし……。
「何かお困りですか〜?」
「ひゃっ」
不意に後ろから声をかけられ、驚いて振り向く。
そこに、女の子が立っていた。身長は、私よりも低い。歳も、多分私より若いだろう。
「え、あ、あの……『すかいてんぷる』っていうお店を探していて……」
「あ、そこなら今から行くところですので、一緒に参りましょう」
女の子はにこっと笑う。
「え? で、でも……」
「心配ご無用」
女の子は私の手を引くと歩き出す。
「あっ、あのっ」
「どうかしましたか?」
「……あまり……早く歩けないんです……」
「まことかっ」
「は、はい……」
「これは済みませんでした。ではゆっくり歩きますので、ついてきてください〜」
「あ、はい……」
女の子はそう言うと、ゆっくりと歩き出した。
不思議な子だな。
角を曲がると、そこに『すかいてんぷる』はあった。
「では私は先に参りますので」
女の子はお辞儀をすると、走り出す。
「あ、ありがとう」
走り去る女の子に、お礼を言った。女の子振り返って手を振る。
「あ」
そのまま真っ直ぐ行ったら。
ゴン。
女の子が前を向いた直後に電柱に激突。
「ぐ、ぐおおお……」
「だ、大丈夫?」
額を押さえてうずくまる女の子に私は近寄る。
「も、もののふですゆえ〜」
もののふ? 武士?
聞き間違いかな?
私はハンカチを、少し血がにじんでいる女の子の額にあてる。
「か、かたじけない」
「ううん、こっちこそごめんね」
「もう、大丈夫ですので」
「そう? 病院とかは?」
「いえ、バイト先に救急箱が備えてあるので大丈夫です〜」
「そう? 本当に大丈夫?」
「はい、もう大丈夫です〜」
女の子は立ち上がると、私に深く頭を下げてから『すかいてんぷる』に入っていった。
あ、従業員の子なんだ。
孝之くんと、同じ職場なんだね。
私も立ち上がると、『すかいてんぷる』の入り口に向かった。
#3
「いらっしゃいま……あ、あれ? 遙?」
入り口で迎えてくれたのは、孝之くんだった。
「えへへ……来ちゃった」
「え、あ、うん。いらっしゃい」
照れる孝之くん。なんか可愛いな。
私も、赤くなってるかな。頬が、なんか熱い。
「えと、席、どこがいい?」
「あ、うん。どこでもいいよ」
「で、では、こちらへどうぞ」
孝之くんはそう言って私を案内する。
窓際の禁煙席。奥のテーブルに案内してくれた。
「ゆっくりしていって。あとで注文を取りにくるから」
「うん。ありがとう」
孝之くんはぎこちない笑顔で微笑む。いきなり来たから、照れてるのかな?
私はメニューを広げる。
あまりおなかは空いてないから、紅茶でいいかな……。
「いらっしゃいませ! ご注文はお決まりでしょうか?」
孝之君じゃない、女の子が注文を取りに来た。髪を両脇でまとめてる、ちょっと目がキツそうだけど、かなり可愛い子だ。
「あ……ミルクティーを」
「ミルクティーかしこまりました。以上でよろしいですか?」
「あ、はい」
「ご注文を繰り返します。ミルクティーお一つ。以上でよろしいですか?」
「あ、はい」
「今ならサーロインステーキとかチョコレートパフェとかが付きますけれどもいかがですか?」
「え、ええ?」
「いっそのことメニューの端から端まで注文していただくというのはどうでしょうか?」
女の子は笑顔のまま、続ける。
え? どういうこと?
あわわわわ……。
どうしよう?
「こらこらこらっ大空寺っ、何やってんだお前っ」
孝之くんが割ってはいる。私はほっと胸をなで下ろす。
「いいじゃん。どーせアンタが払うんでしょ?」
「そりゃそうだが……って違う! 勝手に注文を増やすなっ」
「なんでー、店がバイト代払ってるんだから、たまには還元しなさいよ」
「なんで還元などしなきゃならんのだっ。俺が代わるからさっさと他へ行けっ」
「んー? 店の中でいちゃいちゃする気かー?」
「するかっ」
「ホントにー?」
孝之くんのことをジト目で見る彼女。
「うるせえ早く向こう行けっ」
孝之くんはシッシッと彼女を手で追い払う。
「ちちくりーちちくりー」
遠くでさっきの彼女が何か言っているのが聞こえる。どういう意味なんだろう?
「大空寺めぇ……」
怖い顔で拳を握りしめる孝之くん。怒ってるんだよね?
「あ……」
「ああ、ゴメン。えと、ミルクティー、だよね?」
私が何か言おうとしたのに気づき、孝之くんが困ったような笑顔で聞いてきた。
「う……うん」
「ゴメンね。ああいう職場なんだ。ここって」
「え、えと……あ、明るくて、いいよね」
「いや……、無理して誉めなくていいぞ」
「ううん、本当にそう思うの。退院してから、あまり明るい雰囲気のところ、来てないから……」
「そっか。そういえば、本当にミルクティーだけでいいのか?」
「え?」
「何でも好きなもん頼んでいいぞ。俺が出しておくから」
「そんな、いいよ……」
「いいっていいって。んじゃ、チョコレートパフェ、追加な」
そう言って孝之くんは手元で何か操作する。
「え? あ、うん……」
「では、只今お持ちしますので少々お待ちください」
孝之くんがにっこり笑って会釈し、調理場へ去っていく。
孝之くん……。
かっこいいかも……。
孝之くんの制服姿も、他のお客さんへの応対も。みんな、私が知らない孝之くんなんだ。
……さっきの、女の子とのやりとりも。
あれは……ちょっとうらやましいかな。
私もあのくらい、元気なら良かったのに。
「あ、先ほどはどうもありがとうございました〜」
ミルクティーを持ってきてくれたのは、さっきここに案内してくれた子だった。
「おでこ……大丈夫?」
「はい、大丈夫です」
額には、大きな絆創膏が貼ってある。
「そう、良かった」
「はい」
彼女は笑顔で答えると、パタパタと去っていった。
「お待ちどう様でした」
入れ替わりで、孝之くんがチョコレートパフェを持ってきてくれた。
「今日さ、ディナー前で上がりなんだ。あと2時間くらいなんだけど……」
「あ、うん。それじゃ、待ってる」
「ホント? じゃ、一緒に帰ろう」
「うん」
私は笑顔で答える。
ふふっ。
今日、ここに来て良かったな。
だって、孝之くんと一緒に、帰れるんだもん。
最近忙しいのか、来てくれる日が減っちゃったから、ね。
今日くらいは、いいよね。
#4
私は、買ってきた絵本を読みながら待つことにした。
絵はシンプルだけど、決して悪い訳じゃなく、むしろ控えめにすることで、良さを出しているように見える。言葉も、伝えたいことをわかりやすく書いている。
私は何度も読み返した。一字一句を、なぞるように。
こういう絵本を、描けたらいいな。
私は素直にそう思う。
こういう絵本を描いて、たくさんの人に読んでもらいたい。
それで、絵本から何かを得てくれたら、それほど素晴らしいことはないんじゃないかな。
そのために、まず大学へ行かなくちゃ。
参考書だって買ったんだもんね。
孝之くんも、茜も、平くんも、みんな応援してくれるんだもんね。
頑張らなくっちゃ!
「うん」
私はぐっ、とガッツポーズ。
「遙……何やってんの?」
そのまま顔を上げると、孝之くんがいた。
もしかして、今の見てた?
かぁぁぁっ。
瞬時に顔が赤くなっていくのが、自分でもわかった。
「ああああのっ、何でもないよっ」
「そう、なら……いいけど。あ、もう終わったからさ」
「う、うん」
見ると、孝之くんは既に普段着に着替えていた。
「じゃ、行こうか」
そう言って孝之くんはレシートを取る。
「あっ」
「いいから」
孝之くんは私に微笑みかけると、一足先にレジへと向かった。
私も荷物をしまうと、孝之くんを追いかける。
「はい、合計で2万1千円になりま〜す」
「そんなにするかっ。ちゃんとレジ打てっ」
レジでは、孝之くんとさっきの子が、また言い争っていた。
「大空寺さん、鳴海さん。お客様の前ですから」
壮年の男性が、二人を止めに入った。店長……かな?
孝之くんもさっきの子……大空寺さん? も、落ち着いたみたい。
「じゃ、お先に失礼しまーす」
孝之くんは男の人に挨拶をすると、私のとこに戻ってきた。
「悪い。じゃ、行こっか」
「うん」
「あ、これ、俺が持つよ」
孝之くんは私が下げていた本屋さんの紙袋を取ろうとする。
「いいよ」
「いいって」
孝之くんは笑顔のまま、紙袋を持った。
「ほら、結構重いじゃんか」
「でも、私の本だし」
「ま、適材適所って言うことで」
「うん?」
「力仕事は、俺の方が得意だからさ。こう言うのは俺がやったほうがいいじゃん? 代わりに遙は……そうだな、ミートパイを焼いてくれたり」
「え? あ、うん。また……作るね」
「ああ、楽しみにしてるよ」
私はちょっと嬉しくなって、孝之くんの腕に自分の腕を絡めた。
孝之くんはちょっと戸惑ったような顔をしたけど、私に歩幅を合わせて歩き始める。
なんか、恋人同士みたい。
あれ? もう恋人同士だったね。
苦笑。
「ん? どうかした?」
「ううん、なんでもない」
私は首を振ると、孝之くんの腕を、更に強く抱きしめた。
私の隣に孝之くんがいる。
幸せというのは、こういうものだと、強く感じながら。
#5
「夕飯、どうする?」
駅へ向かう通りで休憩しているとき、孝之くんが尋ねてきた。
「うーん、何でも、いいよ」
孝之くんと一緒なら。
「そっか、でも『何でも』って言われると難しいな」
孝之くんが首を傾げる。
「えっとね、じゃあね……ラーメンが、食べたいな」
「ラーメン、ねえ……」
考える素振りをする孝之くん。違うのにすれば良かったのかな?
「……おう、じゃあそうしますか。柊町で確か雑誌に載ったラーメン屋があったと思ったな。そこ行ってみよう」
「うん」
一生懸命考えてくれた事に喜びを感じつつ、私は頷いた。
橘町の駅で家に電話をし、夕食を孝之くんと食べてくることをお母さんに伝えると、お母さんは「なら、鳴海さんも一緒に家で食べれば良かったのに」と残念そうな声で言った。
孝之くんは、お父さんとお母さんにも好かれているんだな、と思う。
でも、ごめんね。たまには、孝之くんと二人でいたいの。
電車で柊町に戻り、駅前の地図で場所を確認する。
地図の前では、孝之くんは私の手をギュッと握っていてくれた。
そんな、他愛ないことが、嬉しい。
「多分、こっちだったと思うな」
「……うん」
私たちは繁華街を歩く。一本通りを入ったところに、その店はあった。店の外に、何人かの行列が出来ている。
「ちょっと、待ちそうだけど、ラーメン屋は回転が早いから大丈夫だろ」
孝之くんがそう言うので、二人で一緒に並ぶ。
さすがに夜の風は冷たい。
不意に孝之くんは無言で私の腰に手を回し、抱き寄せてきた。
「寒いし、疲れるだろ? 寄りかかってなよ」
「え、でも……」
「適材適所」
孝之くんの笑みに頷き、私は孝之くんに身体を預ける。
微かに、孝之くんの鼓動が聞こえる。
トクン、トクン。
セーター越しに、孝之くんの温もりを感じる。
そして、孝之くんの匂い。
……ずっと、このままでいたいな。
でも、そうもいかないよね。
そんなことを思う内に、店内に入ることができた。ちょうど2つ並んでいる席に座る。
「身体、大丈夫?」
孝之くんが、心配そうな目で尋ねてくる。
「うん……ずっと、孝之くんに寄りかかってたから」
「そうか」
「うん」
私たちは、当店自慢と書いてある、とんこつラーメンを注文した。しばらく待つ間、私は孝之くんに今日買った絵本の話をした。孝之くんは、ずっと私の目を見て、話を聞いてくれた。
「おまちどうさま」
ちょうど一区切りしたところで、ラーメンが来た。
「替え玉OKですから」
店員がにこやかに言う。
「『替え玉』?」
「ああ、麺だけおかわりできるんだ」
「ふーん」
私はそんなに食べないけど、孝之くんは結構食べるから、替え玉とか頼むのかなあ?
「……なんか、期待してるでしょ?」
「え? うん……わかる?」
「遙はね、ワクワクしているときの目が、わかりやすいんだよ」
そこが好きなんだけどな、と孝之君が付け加える。
え?
言葉の意味を理解した瞬間、顔が熱くなる。
耳まで赤くなっていくのが、自分でもわかるくらい。
「また赤くなってる。これじゃ迂闊に『好き』って言えないな」
「えええっ、それはダメだよう」
「冗談さ。それより、早く食べないとのびちゃうぞ」
「……孝之くんのイジワル」
言いながら、ラーメンを食べ始める。
「……おいしい」
「な。驚いたよ。やっぱ行列が出来るだけあるよな」
孝之くんは見る見る間に平らげ、替え玉を注文する。
あ、ホントに麺だけだ。
何か、面白いな。
結局、私が食べ終わるよりも早く、孝之君は食べ終わった。
「ラーメンはさ、スピードだから」
そんなことを言っても、食べられないのは仕方ないよね。
私はちょっとむくれた顔をした。
#6
「今日は、楽しかったよ」
家の前で、孝之くんに向き直る。
「俺も。遙が結構歩けるようになってるんで、驚いたよ。これならすぐに、あちこち出かけられるようになるな」
「うん、私もね。孝之くんと行きたいところ、たくさんあるんだ」
「俺も」
二人とも、楽しそうに微笑む。
「あ、そうそう。さっき話してた絵本、貸してもらってもいいかな?」
「え?」
「いや、何度も読んだみたいだったからさ。ダメならいいんだけど、何となく、読みたくなったから」
「え、ホント?」
「ああ、遙が感じたことを、俺も感じられるかはわからないけれどな」
「うん。持っていって」
「いいの?」
「うん、これも『適材適所』かな?」
「ははっ、そうかも」
私は紙袋から絵本を取り出し、孝之くんに渡す。
「サンキュ。今度来るとき、返すよ」
「うん」
「それじゃ、俺、帰るわ」
「うん」
孝之くんが私の腰に手を回した。
……そっと、口づけを交わす。
唇から感じる、孝之くんの体温。
そして、そっと離す。
「それじゃ」
孝之くんは身体を離そうとした。
「……嫌」
「え?」
まだ、孝之くんと離れたくない。
「遙?」
今度は私の方が、孝之くんの首に手を回す。
ちょっとだけ背伸びして。
もたれかかるようにして、孝之くんと唇を重ねた。
もう少しだけ、孝之くんを感じていたい。
孝之くんが、腰に回していた手に力を込めた。
ぐっ、と抱きしめられる。
私も精一杯の力で、抱きしめた。
長かったのか、短かったのか。
やがてどちらとも無く、力を抜いた。
唇が、離れる。
「……ごめんね」
「いや、こっちこそ」
頬が、熱い。熱を出したみたい。
でも、体中を幸せが走り回っているみたい。
「それじゃ」
「うん」
今度こそ、と言う感じで孝之くん。
「またね」
「うん」
私は去っていく孝之くんに、手を振った。
孝之くんが見えなくなるまで。
#7
「はふ〜」
私は湯船で、両足を伸ばした。
やっぱり、両足はかなり疲れていた。ジーンとした、しびれに似た感じの疲労が、足から全身に広がっていく。
「でも、今日は頑張ったね」
足をマッサージしながら、一人つぶやいた。今日は多分、退院してから一番歩いたんじゃないかな。
「今日は、いろいろあったな」
今日のことを、思い返す。
一人でロータリーを歩いたこと。
平くんとの会話。
絵本の前で悩んだこと。
案内してくれた、元気な女の子。
制服姿の孝之くん。
孝之くんとケンカする、可愛い女の子。
買った絵本。
ラーメン屋の待ち時間。
とんこつラーメンと替え玉。
星を見ながら歩いたこと。
最後のキス。
自分がしたことを思い出したら、恥ずかしくなった。
顔を半分、湯船に沈める。
でも、楽しかった。
また、一人で出かけよう。
早く、たくさん歩けるようになるために。
孝之くんと、同じスピードで歩けるように。
孝之くんと、ずっと歩いていけるように。
頑張らなくっちゃ!
END
俺が望む後書き
と言うわけで、遅くなりました。SSの3作目、遙編、です。
遙は……なかなか自分の中で動いてくれないキャラなので、イチオシの割には時間がかかってしまいました。でも、自分の中の遙は、一応出せたと思います(文才の無さを無視すれば、ですが)。
一応この話は、時系列的には『君ができること 僕ができること』の途中、『この恋が実らなくても』の前に差し込まれる形になります(遙エンド後、11月くらいを想定。この話の2〜3日後に『この恋が実らなくても』が入る)。まだ読んでいない人は、まあ、読んでもらえればと(苦笑)
さて、次は何を書こうかな……。
2001.10.21 情報処理技術者試験の日に ちゃある
後書きの後書き
修正に当たって、後書きも直しました。
この作品自体は、ほとんど修正はありません。ま、遙ってかわいいな、と(笑)
2002.01.08 ちゃある