君が望む永遠SS 目標であるために





 二〇〇四年、夏。アテネオリンピック開幕。
 日本中が、ギリシャに注目していた。
 しかし注目すべきは深夜。結果日本中が寝不足という、まったくもって非効率な状況が生まれている。
 まあったく。だったらみんな休みにしてしまえばいいのに。
 などと内心思いつつも、あたしも寝不足組の一人なんだけど。

 +

「みつきせんせー」
「なあに? なぎさちゃん」
 スイミングスクールでの出来事。
 教えていた女の子が、不意に訊ねてきた。
「みつきせんせーはだいじょうぶ? ねむくない?」
「ん? え? なんで?」
「さいきん、おとーさんもおかーさんも、ねむたそうにしてるんだよ。ほら」
 女の子が指さす方を見ると、いつもは子供の泳ぎを熱心に見ているお母さんが、イスにもたれかかって眠っていた。
 しかも、一人ではなく複数人。
「だから、せんせーもねむいのかなって」
「せんせーは大丈夫だよ。だって、なぎさちゃんや他のみんながちゃんと泳げるように、お手伝いしないといけないからね」
 あたしは、なぎさちゃんにニッコリ微笑んで言った。
「みつきせんせーはすごいねー」
 尊敬した目であたしを見るなぎさちゃん。
 ごめんね、なぎさちゃん。

 本当は、眠いから午前のコーチを休んでるだけなんだ。

 +

 今日は、重要な日。
 競泳女子四百メートル自由形、茜が出場する種目。
 この日のために、あたしはDVDレコーダなるモノを買った。地元の電気屋さんにお願いしてつないでもらい、録画の方法も教えてもらった。
 今日は出かけるときに録画を開始してきた。夕方の予選は、仕事の関係で見ることができない。
 でもきっと。
 きっと茜は、決勝に進んでくれる。

 +

 夜。早々に帰ってきたあたしは、飼い猫と一緒に夕飯を食べる。
 テレビでは、オリンピックの特番を放送していた。
『いよいよ今夜、競泳の涼宮茜が決勝に出てきますね』
『そうですね。予選を三位のタイムで通過してますから、メダルの期待が高まりますね』
 オリンピックの中継。テレビではどこかの女子アナウンサーとタレントが、そんな会話を交わしている。
 決勝は深夜。まだ時間はある。
 でも、あたしはテレビの前から動くことができない。

 +

 時間が、来た。
『さあ、女子四百メートル自由形決勝。涼宮茜は五コースです』
 茜がスタート台に立つ。オリンピック特集のインタビューに出たときの笑顔とは違う、凛々しい表情。
『果たしてメダルに届くのか。今スタートっ』
 スタートの合図とともに一斉に水しぶきがたった。
『選手が一斉に飛び込むっ、さあ涼宮はどうか。涼宮、涼宮良いスタートだっ、三番手っ』
『良いスタートですよ』
 ややうるさいアナウンサーと、冷静な解説者。
 そんなものとは関係なく、茜は泳ぐ。
 ただ、前に。早く、速く。

 ただ泳ぐために、泳ぐ。

『二百のターン。涼宮はまだ三番手』
『涼宮選手は後半が強いですからね。ここから来ますよ』

 いつの間にか、あたしは。
 呼吸も、茜と同化していた。
 もしかしたら、心臓の鼓動すら一緒だったかもしれない。

『間もなく三百のターン。おおっと涼宮二位に浮上か? 涼宮茜二番手で今三百メートルのターン』
『これはもしかしますよ』

 すごい。
 すごいよ茜。
 こんなに、すごい選手になったんだね。
 急激に追い上げる茜に、私の呼吸は追いつかない。
 強制的に、観客に引き戻される。

『あと五十メートル。涼宮茜銀は確実だっ。目指すは後一人っ』
『いけます。いけますよ涼宮選手』
 アナウンサーのトーンが高まる。
 解説者も、わずかに。

 歓声と、実況の中。
 彼女の身体は、確実に前の選手との差を縮めていく。
『残り二十五メートルを切った。涼宮茜一位との差は後五十センチ。涼宮届くか。涼宮っ、涼宮差を縮めるっ、二十センチっ、届けっ、涼宮っ、追いつけっ』

 その瞬間。

「茜ーっ」

 テレビの前で、あたしは叫んでいた。

『涼宮捉えたっ、涼宮並んでいるっ、涼宮っ、手を伸ばせっ、今ゴールっ』
 アナウンサーの絶叫。
 隣の選手と、タッチは同時に見えた。

 そして。

 画面に最初に名前が表示されたのは───。

『涼宮茜っ、涼宮金メダルっ』

「───っ」

 その瞬間。
 あたしは声にならない絶叫と共に、両手を大きく天に突き出していた。

 +

 あたしは心地よい披露の中、表彰式を見ていた。
 首にかけられる金メダル。最高の、栄誉。
「よかったね。茜」
 あたしは茜の笑顔を見ながら、そうつぶやいた。

 +

『では、女子四百メートル自由形で見事金メダルを取った、涼宮茜選手に来てもらっています。どうも、おめでとうございます』
『ありがとうございます』
 テレビでは、早速インタビューが始まっていた。茜は疲れた表情も見せず、インタビュアーの質問に答えていく。
『素晴らしい泳ぎでしたね』
『ありがとうございます』
『特に後半、すごい追い上げでしたね』
『みなさんの声援のおかげだと思います。特にゴール前は、何かに背中を押されたような力を感じました』
『ゴールの瞬間、勝ったと思いましたか?』
『いえ、私は全力で泳ぐことだけで精一杯だったのでわかりませんでした。電光掲示板を見たら、自分の名前が一番上だったので驚きました』
『この喜びを、まず誰に伝えたいですか』
『はい。本当は、両親なんでしょうけど───』
 茜は一瞬、間を置く。
 そして、口を開いた。
『───私に水泳の素晴らしさを教えてくれた先輩がいたんです』

「……え?」
 あたしの心臓が、一つ大きく跳ねた。

『私は、その人に追いつこうと、追い越そうとずっと努力してきました。今回の結果はそのおかげだと思っています。だから私はまず、その先輩に伝えたいと思います。先輩、勝ちましたよーっ』
 そう言って、茜はカメラに向かって小さく手を振った。

「あ───」
 涙が、こぼれた。
 あれは───あたしだ───。

『そうですか。でも今回世界一になりました。その先輩に、追いつけたのではないですか?』
 インタビュアーがそう質問する。確かに、オリンピックで金メダルを取るなんて普通ではできない。
 でも、茜は首を振った。
『いえ、今でもその先輩は私の人生の目標です。たぶん私は、これからもその人の背中を追いかけて、泳いでいくんだと思います』
 はっきりと言った茜の言葉に。
 
 あたしは───。
 涙を止めることが、できなかった。

 +

「みつきせんせー」
「んー、なあに? なぎさちゃん」
 スイミングスクールでの出来事。
 教えていた女の子が、不意に訊ねてきた。
「きょうのみつきせんせーは、ねむそうだよー」
「ごめんね、今日はちょっと、眠いかな」
「だめだよ、はやくねないと」
「うん。ごめんごめん」
「みつきせんせーがおしえてくれないと、なぎさ、おりんぴっくにいけないでしょ?」
「え?」
 なぎさちゃんの思いがけない言葉に、あたしは驚く。
「……そっか。なぎさちゃんはオリンピック行くのか」
「うん。そしてね。きんめだるとるの!」
「そっかそっか。じゃあ先生も、なぎさちゃんのこと一生懸命教えないとね」
「うんっ」
 ね、茜。
 あたしのこと『人生の目標』って言ってくれたよね。
 だから頑張るよ。茜の目標で、いられるために。
 いつか、心の整理がついたら、みんなに会いに行くから。
 だからもう少し、もう少しだけ、待ってください。
 そして───
 
 ───金メダル、おめでとう。





  君が望む言い訳

 とりあえず、ごめんなさい。
 水月生誕記念なのに、茜ばっかりです。
 でも仕方ない。だってオリンピックイヤーだもの!

 ……というわけでお久しぶりです。今回はオリンピックネタでタイムリーに攻めてみました(何
 インタビューのタイミング、そのたオリンピック関連は嘘が有ると思います、ごめんなさい。俺オリンピックリアルタイムで見てないので、すべて想像です。
 と、いうわけでもう一つごめんなさいを。
 今回、茜に金メダルを取らせてしまいました。俺の中では『茜は自由形で銅メダル』という意識であり、日本の選手は頑張っても自由形ではメダルは難しい、と思っていたのですが、まさかホントに自由形で金メダルを取る選手が出てくるとは。
 ……まあ、800メートルだからなのかな? という気がしなくもないですが。
 てなわけで、当初の構想に反して金を取らせました。過去作品でメダルの色に言及するところはないと思ってますが、もしあったらごめんなさい。色は金です(何
 あー、まだごめんなさいがありました。最後の茜のセリフ、原作では水月エンドで、茜がオリンピック代表に決まったときのセリフを流用しています。加工しているので意味合いが変わってしまい、原作ファンは怒るかもしれません。ごめんなさい。


 では、次の作品で。

 2004.08.27 水月さん、誕生日おめでとう。 ちゃある

君が望む永遠関連ページに戻る