君が望む永遠 僕らの命が生まれる日






 ブーン、ブーン。
 仕事中、胸ポケットの携帯が激しく震えだした。
 覗き込むと、液晶には遙の文字。
「……大丈夫だったかな」
 確か腹痛が続くからって、今日は病院に行ってるはずだ。
「もしもし、どうだった?」
『あ、孝之くん……うん……あのね……』
 声のトーンが低い。もしかして何か病気が見つかったのだろうか。
 一瞬の間。ほんの短い時間が、もどかしい。
「……なんだよ。早く言えって」
 その刹那すらも耐えきれず、俺は口を開く。
『……うん……あのね……』
 同じ言葉を繰り返した後、遙は言った。

『……二ヶ月だって』

「……は?」
 二ヶ月?

 納期が?
 この時期なら余裕だな……って違うだろ。

「……何が?」
 脳内で一旦ボケてから、俺は遙に訊ねる。
『……うん……あのね……』
 俺の問いに、遙は三度、同じ言葉を口にする。
『……妊娠……してるんだって……』

「……は?」
 俺ももう一度、同じ言葉を口にした。

 ニンシン?
「……ストライク三つ?」
『それは三振』
「……一本でも?」
『ニンジン』
 や、そんなコントしてる場合じゃなくて。

 俺は一旦、深呼吸。
「……そっか……」
『……うん……』
 しばしの沈黙。
「……とりあえず、お義母さんに連絡してさ。俺も今日は早く帰るから」
『うん……そうするね』
「じゃあ俺、仕事戻るから」
『うん……気をつけてね』
「ああ、そっちもな」
 ピッ。
「……妊娠……か……」
 俺は携帯を閉じながら、つぶやく。
「子供ができたって……ことだよな……」
 そうだ。
 子供ができたのだ。
 俺と、遙の。
「……子供、ねえ……」
 つぶやいても、ピンとこない。
 実感が、無いのだ。
「……まあ、良いこと、だよな」
 多分。
 きっと、そうだ。
 俺は自分にそう、言い聞かせる。
「一回でも、妊娠ねえ……」
 くだらない冗談をつぶやき、慌てて首を振る。
「さーて、仕事仕事」
 俺は気を取り直して、仕事に戻った。


 +


 ブーン、ブーン。
 帰り際、胸ポケットの携帯が激しく震えだした。
 覗き込むと、液晶には茜の文字。
「なんだろう?」
 茜ちゃんから電話なんて、久しぶりだけど。
「もしもし?」
『おめでとー義兄さーん!』
 いきなりのハイテンション。後ろでクラッカーでも鳴ってるんじゃないかと思うくらいに。
「な、なにが?」
 なにがおめでとうなのかわからず、俺は口を開く。
『何言ってんですか。赤ちゃん、出来たんですよね? おめでとう!』
「ああ……」
 そうだったな。
「ありがとう」
『なんですかー、その低いテンションはー?』
「あー……いや……」
 茜ちゃんこそなんですかー、その高すぎるテンションはー?
『赤ちゃんですよ? 姉さんと義兄さんの、愛の結晶ですよ? 感動が足りません!』
 否定できない。
 でも、実感がないのも確かなんだ。
 それは、例えば、


 遙が、事故にあったときのように。


『───義兄さん、聞いてますか?』
 茜ちゃんの声に、我に返る。
「いや……あのな? 茜ちゃん」
『なんですか?』
「……まだ職場なんで」
 やっと言えた。
『……あ、ご、ごめんなさい』
「いや、仕事自体は終わったからいいけど」
『じゃあ一つだけ。今日はウチに寄ってください。お祝いしたいんで』
「りょーかい。遙も知ってるんだな?」
『ええ。もう来てますから』
「さいで。じゃあまっすぐ実家行くよ」
『はーい、まってまーす』
 ピッ。
 携帯を切ると、途端に静かになった気がした。
「茜ちゃん、嬉しそうだったな」
 不思議だ。
 自分の子供でもないのに、そんなにも喜べるのだろうか。
 当の本人がこんな感じなのに。
 それとも、
 あのときみたいに、急に衝撃が押し寄せてくるのだろうか。
「───つまらないことを、思い出したな」
 俺は小さくつぶやくと、帰りの支度を始めた。


 +


「こんばんはー」
 久しぶり、ではない。家が近いこともあり、涼宮家には割と頻繁に顔を出している。
「おかえりなさい」
 玄関まで遙が迎えに来てくれた。
「ただいま。大丈夫か?」
「うん……今は、大丈夫だよ」
「そうか」
 優しく微笑む遙の肩をぽんと叩くと、一緒に居間に向かう。
「おかえりなさーい」
「おめでとう鳴海君」
 ダイニングでは、既にお義父さんがジョッキを手にしていた。こんなに上機嫌なお義父さんは久々だ。
「母さん、お代わり。それと、鳴海君の分も」
「お父さん、いくらおめでたいからってペース早すぎだよ?」
 茜ちゃんがたしなめる。
「いいじゃないか。なあ鳴海君」
「は、はあ……」
 残念ながら、面と向かってたしなめる勇気は俺にはない。
「どうぞ、鳴海さん」
「あ、どうも」
 お義母さんからジョッキを受け取る。ホントは空きっ腹に入れたくはないんだけどな。
「じゃあ改めて。遙に子供が出来たことを祝して。乾杯!」
「か、乾杯」
 カツン、とジョッキを合わせる。
「いや、嬉しいね」
 グビグビとビールを飲みながら、お義父さんは笑う。
「私も飲みたいな……」
「ダメだよ姉さん。妊婦はアルコール禁止」
 そういう茜ちゃんの手には、いつ買ったのか『初めての出産Q&A』と書かれた本がある。
「ええー」
「我慢しなさい遙。母さんも我慢したんだから」
 お義母さんはにっこり笑って言った。そう言えば、遙の飲みっぷりはお義母さん譲りだって言ってたっけ。
 しかし……やはり嬉しい日なのだろう。
 テーブルには、久々に見たあの肉が。
 なんですかあの立ちそうな厚みの肉は。
「どうぞ鳴海さん」
「は、いただきます」
 思わず敬礼しそうな勢いでいただきますを言った後、俺はナイフとフォークを手に取る。
 おおおっ。
 この厚みでナイフがすんなり入りますよっ。
 驚愕に声が出そうになるのを堪えつつ、一切れ切って口に運ぶ。
「ん」
 口に広がるジューシーな味わいに、思わず声が出た。
 噛むたびに広がる味わい。これが牛肉なのか? と言わんばかりだ。
「どう?」
「旨いです」
「そう? 良かったわ」
 俺の言葉に、お義母さんは微笑む。
「いや、ホント旨い!」
 しばし周りを無視して舌鼓を打つ俺。
「で、予定日はいつなんだい?」
 ビールを飲み干したお義父さんが、遙に尋ねる。
「まだわかんないんだって。次の検査の時にわかるみたい」
「そうか。今頃だと……秋頃かね」
 ええと……十ヶ月でしたっけ?
「そうすると、茜が一番近いかしらね」
 お義母さんが微笑む。
「わ、同じ誕生日だったらどうしよう」
「さすがにそんな偶然はないだろう?」
「でも、起こるから偶然なんだよ?」
「そりゃそうだ」
 でもやっぱり、それは出来過ぎだと思うけど。
「姉さんは、男の子がいいの? 女の子?」
「うーん……」
 茜ちゃんの問いに、悩む遙。
「……元気な子なら、どっちでもいいな」
 少し悩んだ後、遙はそう答えた。
 なるほど、遙らしい答えだ。
「これから大変だね、義兄さん」
「ん? なんで?」
「だって、ほら」
 そう言って茜ちゃんが視線を向けた先には、ビールからワインにチェンジしたお義父さんの姿が。
「めでたい。遙が生まれた月に遙の子供が出来るなんて、素晴らしい!」
 お義父さんは、今までのイメージを覆すかのように派手に飲んでいる。
「さあ鳴海君。飲もう。今夜は飲もう!」
 そう言ってお義父さんは俺を手招きする。
「ね?」
「……ああ、そうかもな」
 茜ちゃんの言葉に、俺は苦笑で答えた。


 +


「大丈夫か?」
 帰り道。
 俺と遙は、家への道を並んで歩く。
「痛いのか?」
 歩きながら、遙は両手でお腹をさすっていた。
「うん……少しだけね。でも、それもあるけど……」
 遙は、自分のお腹に視線を落とす。
「この中でもう一つ命が育っているんだなって思うと、なんか不思議な感じがして」
 確かに。
 遙の中で、小さな命が生まれた。
 そして、それは少しずつ育っている。
 これから暖かくなり、夏を越して涼しくなる頃、その命は俺達の前に姿を現すのだろう。

 とても、不思議だ。

 でもそれは、とても自然なことなのだろう。

 俺達も、そうやって生まれてきて。
 そうやって、親になるのだ。

「その命、俺達で大事に育てような」
 俺は遙に右手を差し出す。
「うん」
 頷いて、遙は俺の手を取る。
 まだ肌寒い夜の道を、俺達は手を繋いで歩く。
 互いの温もりを、感じるように。
 命の繋がりを、確かめるように。

 あと、八ヶ月。
 俺達の命が生まれる日は、もうすぐだ。







 誰も望まないあとがき


 遅くなりました。君望SS……じゃない、ASです。久しぶり。
 そろそろ書きたいネタが少なくなってきて大変です(苦笑)
 今回はアフターストーリーとして妊娠ネタを描いてみました。冒頭のシーンだけ浮かんだのですが、後が続かなくて苦労しました。
 本当は、遙聖誕祭向けだったのですが……orz。

 まあでも、書けたので良しとします。出来は……みなさんが判断してください。








 そして───

 +

「予定日は、十一月十一日だって」
「一並びか。狙いすぎだな」

 +

「孝之くん。子供の写真だよ」
「背骨が見えるな」
「手もあるんだよ?」

 +

「最近ね、お腹の中で動くの」
「元気なんだ? そりゃいいことだ」

 +

「あ、また動いた」
「どれどれ……お、俺にもわかるぞ。動いてる動いてる」
「でしょ?」

 +

 パチン。
「もう足の爪も切れないか」
「ごめんね、孝之くん」
「いや、このくらい大したこと無いよ」

 +

 ───時は、流れ。



 カッカッカッカッ。
 薄暗い廊下に、靴音が響く。
「遅くなりました」
 俺はお義父さんに頭を下げる。
「いや、遙も今入ったところだよ」
 言って、お義父さんは分娩室の扉を見る。
 この扉の向こうで、遙が頑張っている。
「疲れてるだろう。座ったらどうだね?」
「いえ、落ち着かないんで」
 お義父さんの申し出を、苦笑で断る。
「あ、義兄さん。お帰りなさい」
 声に振り向くと、茜ちゃんとお義母さんが立っていた。
「ああ、ただいま」
「姉さん、大丈夫だよね?」
 心配そうな声で、茜ちゃんは言う。
「今までも問題なかったし、大丈夫だろ?」
「だって、凄く痛そうだったんだよ?」
「お産の時はそんなものよ」
 不安げな茜ちゃんと対照的に、穏やかな顔をするお義母さん。
「そうなの? 赤ちゃん産みたく無くなっちゃうなあ……」
「大丈夫。元気な子が生まれるわよ」
 なおもそわそわしている俺に、お義母さんは言う。
「そう……だと良いんですけどね」
 言って、俺は分娩室の扉を見つめる。
「頑張れ、遙」
 その声が届いたのか───

「……ぎゃあ、おぎゃあ」
「あ」
 声が、聞こえた。
「ねえ、義兄さん」
「ああ……頑張ったな、遙」


 そして───
 
 
 ───新しい生命が、生まれた。
 
 
 
 
 おわり。



 

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