君が望む永遠 Side Story 『深夜のマーメイド』 Ver2.00

 バシャッ、バシャッ。
 私の両腕が、交互に水を掻いていく。
 水面を滑るように、泳ぐ。
 気持ちいい。
 薄暗い、深夜のプール。差し込んでくる月の光と、僅かなライトだけが、水面を照らし出す。

 バシャッ、バシャッ。
 一掻きごとに、水が全身を通り抜けていく。
 水と一体になる気持ち。
 長く忘れていた気持ち。
 ああ、やっぱり。

 私は、水泳が好きなんだ。


「ふう」
 誰もいないプールから上がり、プールサイドで休憩する。
「やっぱ、昔みたいにはいかない……か」
 独り言。
 でも、あの頃は、水を切り裂いて泳いでいたと思う。
 水と、戦っていたのだと思う。
 期待という重圧に負けないように。
 実らない恋という、絶望に負けないように。
 そして、あの日。


 あれから私は水泳を捨てた。それによって期待という重圧から逃れた代わりに、軽蔑の眼差しを。そして、

 実らないはずだった恋を、実らせた。


 私は再びプールに飛び込む。静かなプールに、水音がこだまする。
 ザバッ、ザバッ。
 さっきとは違う、ストライドの大きい、ゆったりとした泳ぎ方。
 今の私には、こっちの方が合っている。
 周りの誰も、タイムも関係ない。
 自分のためだけに、泳げる。


 *


 2年前。
 色々なことに目をつぶって手に入れた幸せは、目を開けた途端に、手の中からこぼれ落ちた。私を愛してると言ってくれたあの瞳は、私ではなく、私の親友に向けられていた。
 仕方がないと言えば、仕方ないのかもしれない。元々、その眼差しは、彼女に向けられるべきものだったのだから。私は、彼女がいない間に、眼差しを向けるべき相手がいないときに、隣に滑り込んだだけなのだから。


 *


「ふうっ」
 私はプールから上がると、まっすぐシャワールームへと向かう。
 非常灯のみが照らす通路は、最初は怖かったが、今はもう、なんともない。
 あのときの悲しさに比べれば。


 私は、辛いことを忘れるため、自分を見つめ直すために故郷の街から離れた。
 そして、自分にできることを探した結果、今のスイミングスクールの先生として働くことにした。
 はじめは手伝いをしながらインストラクターの資格を取るために勉強し、資格を取ってからは、主に子供相手に指導している。
 これが、中々楽しい。
 水そのものを怖がる子から、未来の水泳選手まで幅は広く、一人一人に違った教え方をしなくてはならない。
 元々、面倒見が良かったのかな。生徒も結構なついてくれている。
 ……お尻とか胸を触ってこられるのは、困るけど。
 一生、というのは難しいかもしれないけれど、結構この仕事って、私に向いてると思う。なんたって、泳げるんだもの。
 でも、まだ……振り切れない想いがある。
 忘れられない想いがある。


「孝之……」


 今は、もう違うけど。
 あのときは、間違いなく愛されていた。
 私だけを見ていてくれた。

 今も、嫌いになられた訳じゃない。
 だから、余計につらい。


 私はシャワーの蛇口をひねる。温水が私を洗い流していく。
 私の流す、涙も。


 シャワールームから出て、水着を着替える。
 バッグからコトリと落ちる、小さな箱。
 私はそっと箱を拾うと、蓋を開ける。
 そこには、一つの指輪。
「今日も……捨てられなかったな」
 やっと、指から外せるようになったのに。
 見ているだけで、様々な思い出があふれ出す。
 私は蓋を閉じ、バックにしまう。
 この箱を、この指輪を捨てられるようになるのは、いつだろう。
 あとどれだけ経てば、あなたのことを忘れられるだろう。
 そして、また、あなたに笑顔で会える日は、来るのだろうか……。


 私は警備のおじさんに挨拶をし、センターを出た。
 涼しい風が、私の脇を通り過ぎていく。
「また、夏がやってくるわね」
 空を見上げる。満天の星空。


 孝之、遙。もう少し……待ってね。
 私が、もっと強くなったら。
 二人に会っても、心から笑顔でいられるようになったら。
 必ず、会いに行くから。


 私は、泳ぎ続ける。
 自分の心を癒やすために。
 そして、自分が自分であるために。


 end









 あなたと望む後書き

 えー、『MMMな戸川さんにシグマリオンを渡せそうで嬉しいぜ記念』で、水月の話です(笑)
 遙エンドでの水月は「どこか遠くの街へ行った」「(エンディングのCGより)どうやら水泳関係の仕事をしている(教師?)」ことしかわからないのですが、1作目の設定で「次に会うのは4年後」と決めてしまった手前、「どう頑張っても教員はムリ」と思い、「スイミングスクールのインストラクター」という設定にしてみました。やっぱ水月と言えば水泳でしょ。
 
 ちなみに何故『#5』なのかと言うと、間に書きかけが2作あるからです。だってこの作品、えらく短いし、作成時間1時間かかってないし(ってゆーか、通勤の往復で書いた。帰りに完結させた後、翌日の行きで膨らまして修正した)。
 まあ・・・他もおいおい、ね(笑)
 
 2001.10.12 有楽町線永田町駅通過中。 ちゃある(charl@pos.to)


 修正版の後書き

 えー、水月、可愛いですね。
 一応水月が出ていってから、2年後の初夏、を想定しています。えと、短い割には修正が難しい話なので、上手く修正できてるか不安です。でも、前よりは良くなったかな、と思ってますよ(笑)
 では。
 
 2002.01.08 ちゃある

君が望む永遠関連ページに戻る