君が望む永遠 SS ラストシーン 〜そして、始まる〜
第1章 出会い前
#1 孝之(1)
聞き慣れた着信メロディに、俺は跳ね起きた。
慌ててベッド脇の携帯に手を伸ばす。
「……もしもし」
『孝之くん、やっぱり寝てたんだね?』
遙の声だ。
「ああ……昨日も遅くてな」
『今日は大切な日なんだからね。孝之くんでも、遅刻はダメだよ』
「いやでもきっと、遙が電話をくれると思ってたし。やっぱ心が通じるっていいなあ。ラヴ・テレパスィー?」
起き抜けから白々しいな、と自分でも思う。
『…………』
電話の向こうは、無言。
「……ゴメンナサイ」
素直に謝る。
『……ちゃんと、来てよね?』
「わかってる。じゃあ、すぐに迎えに行くから」
『うん……気をつけてね』
「おう」
ピッ。
「さーって、と」
俺は両手で自らの頬を叩くと、タオルを持って風呂場へと向かった。
#2 遙(1)
ピッ。
携帯を切る。
「ほんとに……大丈夫かなあ……」
孝之くんが『すかいてんぷる』に正式に入社してから今年で二年目。やっとスーツ姿も見慣れてきた。
スーツ姿なのは彼が営業職だから。本当は企画とかやりたいみたいだけど、なかなかうまく回されないみたい。『何とかやってるよ』と言いながらも、遅くに帰る毎日が続いている。まあ、休みが何とか確保できているのが救いかもしれない。
「そう言ってるお姉ちゃんも、まだ何も支度してないんじゃないの?」
その声に振り向くと、部屋の入り口に茜が立っていた。
「え? でも私はあと髪をとかしてお化粧して、着替えたら準備OKだよ?」
「……それを『何もしてない』って言うんだよ?」
あきれた顔の茜。
「あ、あはは……そうでした……」
「まったく、そういうところはちっとも変わってないんだね。ちょっと兄さんに甘やかされ過ぎてるんじゃない?」
「そ、そんなことないよぉ……」
茜は去年のオリンピックで、見事メダリストの仲間入りを果たした。年齢的に厳しくなってはいるが、まだ現役を退くつもりはないらしい。
ちなみに今はスポーツ留学から戻り、私と同じ白陵大に通っている。
「あ、お姉ちゃん。私もう行くけど、お祭りの時に合流するかもしれないからよろしく」
「うん……あれ? そうしたら……茜の恋人にも、会えるのかな」
「あはは、一応連れていくよ。ま、兄さんや平さんからは、かなり見劣りしちゃうけどね」
「そんなことないよ。私たちよりずっと大人だし」
「そんなこと無いって。あれで中身はすっごく子供なんだよ?」
茜は手を振りつつ苦笑する。
「でも、いい人なんでしょ? 茜が選んだんだもんね」
「……うん」
照れた素振りで、茜は目を逸らす。
「うふふ。お祭り、楽しみにしてるね」
「うん……じゃあ私、行くね」
茜は手を振って部屋を出ていった。
「さーて、私も支度しなくちゃ……何来ていこうかな……」
……やっぱり、時間かかるかも……。
#3 茜(1)
「ま、これなら間に合うでしょ」
と、時計を見てつぶやく。待ち合わせまではまだ時間がある。これならゆっくり歩いても間に合うだろう。
「問題は、彼の方なんだけど」
小説家の彼は、かなり時間にルーズだ。行く前にも電話したけど、案の定まだ眠っていた。
「駅に着いたらもう一度電話かな……」
ため息をつきつつも、ちょっと嬉しい自分がいる。
彼との出会いは、遠征先での本屋だった。面白そうな小説を見かけて手に取ったら「あ、それ……僕が書いたんです」と声をかけられた。
それからちょっと話をして仲良くなり、お互いのメールアドレスを交換した。小説家さんと知り合いになれるなんてめったにないと思ったから。
それからしばらくはただのメール友達だったんだけど、気がつけば私は、彼を頼るようになっていた。
つらいときや参ってるときに、メールや電話をしたりして。
彼は口べたで(小説家なのに!)言ってることがよくわからなかったりするんだけど、何気ない一言が、私を元気づけてくれる。
ここしばらくはホテルに缶詰だったみたいで会えなかったけど、今日は久しぶりに会える。
一ヶ月ぶり……かな。
彼の笑顔を思い出し、少し口元がほころぶ。
「あれ? 茜ちゃん」
「はいっ」
ちょうど微笑んだところで名前を呼ばれ、私は思わずビクッとして返事をする。
振り向くと、平さんが後ろにいた。
「あ、こんにちは」
知っている顔だったので、私はほっとした顔で挨拶をする。
「はは、おどかしてゴメン。これから出かけるの?」
「あ、はい……平さんは?」
「あー、涼宮や孝之に会う前にちょっと用があってさ。それで」
「そうなんですか。一応、夜のお祭りには合流しようと思ってます……水月先輩にも、会いたいし」
「そっか……楽しみにしてるよ」
平さんは、にこやかに笑う。
あ……。
「じゃ、気をつけてね。茜ちゃん、有名人なんだから」
「あ、はい、ありがとうございます」
私は慌てて会釈をし、平さんと別れた。
それにしても、あの笑顔。
彼の笑顔と、同じだ。
「……なんて、やっぱ飢えてるのかな」
彼の笑顔に。
「そだそだ、忘れてた」
私はポーチから変装用の眼鏡を取りだす。
自分ではそうは思っていないのだが、これでも結構有名人らしい。
「これでよし、と」
店のウインドウで自分の眼鏡姿を確認すると、気を取り直して私は歩き出した。
#4 慎二(1)
「ごめんな、集まる前に呼び出したりして」
「ううん、別に。あたしも、暇だったし」
柊町駅前の喫茶店『WILD LIFE』に、俺は速瀬を呼び出した。
「涼宮や……孝之に会う前に、確認しておきたかったんだ」
「ん、なに? あ、もう孝之に会っても、あたしは大丈夫だからね。遙は……別の意味で泣いちゃうかもしれないけど」
あはは、と笑う速瀬。
「いや、そっちはあんまり心配してない。それよりも……その……」
緊張で、うまく言葉が出ない。
「じゃあ、なに? もう、慎二君らしくないなあ」
速瀬が微笑む。
「あのな、速瀬……」
俺は速瀬の瞳をじっと見つめた。俺の行動に何かを感じたのか、速瀬も真剣に話を聞く体勢を取る。
「……俺と……つきあってくれないか……」
「え……?」
速瀬の表情が、固くなる。
「四人で会う前にこんなことを言うなんて、間違ってるかもしれない。けれど俺は、今じゃないと言えないと思ったんだ。すまん……」
「慎二君……」
強ばったままの速瀬の表情。
「いやその、すでにつきあってる人がいるとか、それなら、素直に引き下がろうと思う。でももし、誰もいないなら……」
「慎二君……ゴメン」
速瀬の言葉が俺の言葉を遮る。
彼女は真っ直ぐに俺を見つめた後、躊躇うように少し視線を落とした。
そっか。
そうだよな。
「やっぱ……だめか」
はは、と頭を掻く。
「そうじゃ……ないの」
俺の言葉を水月は否定する。
「速瀬?」
そうじゃないって。
どういうこと、なんだ?
#5 水月(1)
「……俺と……つきあってくれないか……」
「え……?」
慎二君の言葉の意味が、よくわからなかった。
けれどすぐに、意味を理解する。
「四人で会う前にこんなことを言うなんて、間違ってるかもしれない。けれど俺は、今じゃないと言えないと思ったんだ。すまん……」
「慎二君……」
「いやその、すでにつきあってる人がいるとか、それなら、素直に引き下がろうと思う。でももし、誰もいないなら……」
あたしは慎二君の言葉を遮る。
「慎二君……ゴメン」
一瞬の沈黙。
慎二君の表情が、辛辣なものへと変わる。
あたしは慎二君の表情を直視できず、視線を落とす。
「やっぱ……だめか」
はは、と慎二君は頭を掻く。
「そうじゃ……ないの」
「速瀬?」
「まだ、わかんないんだ。あたしのことが」
あたしはうつむいたまま、そう答えた。
正直言って、慎二君の言葉は嬉しい。
ずっと孝之が好きで、慎二君はただの友達で。
でも困ったときはいつも、慎二君が助けてくれた。
あたしが自暴自棄になったときも、慎二君は私を優しく抱いてくれた。
それでもあのときは、あたしはここから逃げる選択しかできなかった。
あたしは慎二君に感謝してる。一生感謝しても足りないくらい。
でも……。
「どういう、意味?」
慎二君が困った表情で問いかける。
「あたしは……」
うまい言葉が見つからず、ちょっと考える。
「……あたしは四年かかって、孝之を忘れたの。でも本当のところ、孝之に会ったら自分がどんな顔するかわからない……さっきは大丈夫って、言ったけどね。そんな状態なのに、慎二君の気持ちに答えることなんて、出来ないよ……」
沈黙。
お互いがどうしていいのかわからないような、重苦しい空気。
「なあ、速瀬」
慎二君が、口を開いた。
「俺は……それでもいいんだ。俺だって、四年間のブランクがある。その間に速瀬がどう変わったのかなんて知らないし、速瀬だって俺がどう変わったかなんて知らないだろう? でも、だからこそ、つきあって欲しいんだ。今の速瀬を、俺は知りたい」
こんな慎二君は初めて見た。
あたしのイメージでは、いつも慎二君はいつも一歩引いた感じだった。
それが今は一生懸命な表情で、あたしを見つめている。
怖いくらい真剣に、話している。
……みんな、少しずつ変わっていくんだね……。
なんか急に、心が軽くなった気がした。
「……いいよ、でも……ちょっとだけ、待ってくれるかな」
「え?」
「慎二君のこと、好きになれると思う。でも、はっきりしたことは、まだ言えない……」
「孝之……か?」
「……うん」
正直なところ、孝之に会ったときの自分がどうなるのか、わからない。
だから、その気持ちを確かめるまでは、はっきりした返事は、できない。
「……じゃあ、仮免、かな」
「仮免?」
「そうそう、あとは路上教習───要は恋人未満でつき合ってみてさ、それから決めてよ」
ぎこちない微笑み。けれど、瞳は真剣で。
でも、それが慎二君の優しさ。
「そう……だね」
あたしは、その瞳にうなずく。
「……よかった」
「え?」
「だってここで断られたら、俺はどんな顔で二人に会えばいいのかわからなかったよ」
慎二君は、そう言って安堵のため息をつく。
「あはは、そうだね」
「俺達二人して暗い顔してたり」
「んー、かえって妙に明るいんじゃないかなあ」
「ああ、そうかも」
二人して笑う。
「……涼宮や孝之とも、こうやって笑えるといいな」
「……うん」
こういうところ。
慎二君の、優しいところ。
変わってないな。
「さて、そろそろ行こうか、速瀬」
そう言って慎二君はレシートを掴む。
「うん……ああ、慎二君」
「ん? ここはいいよ? 俺が払うから」
「そうじゃなくて……」
怪訝な顔をする慎二君。
「……ごめん……ね」
「いや、いいんだ。とりあえず今日は、とにかく楽しもうぜ」
「うん、慎二君」
ごめんね、慎二君。
もう少しだけ、慎二君の優しさに甘えさせてもらうから。
あたしは心の中で、もう一度慎二君に謝った。
感謝の気持ちと、一緒に。