君が望む永遠 SS ラストシーン 〜そして、始まる〜
第2章 丘の上
#1 孝之(2)
「い、いってきまーす」
慌ただしく扉の閉まる音とともに、遙が家から出てきた。
「……五分遅刻」
「あはは……ごめんなさい」
「さ、行こうぜ。二人より早く行きたいって言ったの、遙なんだからな」
「そうだね……あ、孝之くんちょっとこっち向いて」
遙に言われ、俺は遙の方を向く。
「ジャケット、ずれてるよ」
そう言って遙はジャケットの両肩を持ちあげ、バランスを整える。
遙の髪から香る、フローラルミントの匂い。
シャンプー、変えたのだろうか。
「もう、ちゃんとしてよね」
「悪い悪い」
遙のセリフに曖昧に頷きながら、俺は歩き出す。
遙は俺の後ろからそっと腕を絡ませ、俺の横に並ぶ。
歩きにくいのは否定しないが、こうしてるのは悪くない。
さすがにこの時期は、暑いけど。
「水月……変わったかな」
心配そうな、遙の声。
「どうだろう……髪は伸びてるんじゃないか?」
「そうだよね、四年経ってるんだもんね」
四年。
それは、遙が眠りについていた期間よりも長い、ということだ。
俺達だって、この四年で変わった。
遙は白陵大に入学したし、俺も就職した。それに茜ちゃんなんか、オリンピックのメダリストだ。
でも、俺は相変わらずヘタレだし、遙も(伝説を作ってしまうほどの)おっとりしたスタイルは変わらない。茜ちゃんだって、家に戻ってくれば普通の『妹』だ。
だから、水月がどれだけ変わっても、俺は驚かないだろう。
どんなに変わったとしても、水月が水月であることに変わりはないのだから。
「孝之くん?」
「え? あっ、なんか、言ったか?」
不意に割り込んだ遙の声に、俺は我に返る。
「もう、全然聞いてないんだから」
「悪い悪い。で、何?」
「道、そっちじゃないよ」
「あ」
考え事をしている間に、曲がるべき角を過ぎてしまったらしい。
「……仕事、大変なの?」
心配そうな顔で、遙は俺を見る。
俺はその顔に苦笑で答える。
「いや、遙が心配する程の事じゃないよ」
俺は遙を軽く抱き寄せ、頭をポンポンと叩く。
「ならいいけど……」
遙は俺の胸に少し、身体を預ける。
「さ、行こう。水月や慎二より先に行くんだからな」
「うん」
俺は遙の肩を叩いて合図をすると、再び並んで歩き始めた。
#2 遙(2)
「ふう」
坂を登り切り、一つ息を吐く。
「大丈夫か?」
「うん、大丈夫だよ」
そう言って、私は孝之くんに笑顔を返す。
「そっか」
私の言葉に、孝之くんはほっとした表情を浮かべる。
ホントに心配性なんだから。
「久しぶりだな、ここも」
「そうだね」
一年ぶりくらい、かな。
「変わらないな、ここは」
さすがに暑いのだろう、ジャケットを脱いだ孝之くんが海の方を見た。
本当に、変わらない。
もちろん街並みが大きく変わったところもあるけれど、『ここから見える風景』というイメージは、昔とちっとも変わってない。
───私たちが、白陵柊にいた頃から。
「私たちは、こんなに変わったのにね」
「変わってないさ」
「え?」
孝之くんの言葉に、私は振り返って疑問符を投げる。
「ここから見える風景と一緒だよ。パッと見て街並みが変わっているところもあるのに『ここから見える風景』というイメージはずっと変わらない。俺達もそうだろ? 大学行ったり就職したりしてるけど、それは街並みの一部が変わっただけだよ。俺が俺であることには変わりはない。もちろん遙も」
孝之くんの笑顔。
「ふふっ、そうだね」
ここからの風景に対して孝之君とまったく同じ事を思ってたことが嬉しくて、思わず笑ってしまう。
「え? 俺、なんかおかしかったか?」
「ううん違うの、私と同じ事考えてたんだなって思って」
「同じ事?」
「うん、ここの風景が変わらないように見えるってところがね、一緒だった」
「そっか、やっぱアレだな」
「「ラヴ・テレパスィー?」」
そう言って、私たちは笑う。
何度も繰り返したパターン。
でも、飽きずに繰り返す。
そっか。
私たちは、そんなに変わってないんだ。
と。
気がつくと、孝之くんの顔が目の前にあった。
私達は、磁石が引き寄せられるかのように、顔を近づけ……。
そっと。
「こらこら、明るい内から見せつけないの!」
その声に、磁石が反発するようなイキオイで顔を離した。
#3 水月(2)
四年ぶりの丘。
あたしは慎二君と一緒に登っていく。
またこの丘を見つけた誰かが歩いているのだろう、細いけれどしっかりと踏み固められた道が、丘の上に続いている。
「もう来てるのかな」
「どうだろう、涼宮もいるから遅れることは無いと思うけどな」
時計を見ると、待ち合わせの時間まではあと十五分程あった。
さすがにこの時間じゃ、まだいないかな。
と。
丘の上に、人の気配がした。
あたしは慎二君に合図をし、ゆっくりと足音を殺して登っていく。
「孝之達かな?」
「いくら遙がいるからって、こんなに早くは来ないでしょう?」
慎二君の言葉を否定しつつも、もしかしたら、という思いが先行する。
茂みの影から、そっと顔を出す。
そこにいたのは、遙と孝之だった。
二人は今にもキスしそうな位、顔を近づけている。
まったく、あたし達が来るってわかってんのかな。
あたしは苦笑しながら、茂みから大きな声で言った。
「こらこら、明るい内から見せつけないの!」
あたしの不意打ちに、二人は磁石が反発するかのように顔を離す。
「まったく、あたしが帰ってきたらいきなりラブラブ?」
「み、水月……」
あたしの姿を確認した遙の表情が、驚いた顔から一気に崩れる。
「や、久しぶり。二人とも元気そうだね」
「水月いっ」
あたしの名前を呼びながら、遙が飛び込んできた。
「水月、水月、水月ぃ……」
あたしの胸に顔を押しつけるようにして、遙はあたしの名前を繰り返す。
「遙……」
あたしは、遙の頭を優しく撫でる。
遙の細く長い髪が、風に揺れる。
変わってないんだね、こういうとこ。
そう思うと、ふっと笑みがこぼれる。
「水月……」
その声に顔を上げる。
目の前にいるのは、孝之。
「おかえり、水月」
孝之は、片手をあげて挨拶をする。
あのときと、変わらない笑顔で。
そっか。
あたしは帰ってきたんだ。
わずかに戸惑っていたあたしのこころが、すうっと楽になっていく。
「ん……ただいま、孝之」
あたしはかけがえのない親友に、笑顔で挨拶をした。
#4 慎二(2)
「なんか予想通りの出会いだなあ」
俺は水月の後ろから姿を現す。
「あれ、慎二」
「よう孝之、久しぶりだな」
「なんだ、いたのか」
「いたのかって……随分だな」
こういうところはちっとも変わらないヤツだ。
「水月と一緒に来たのか」
「ああ、まあ……そんなところだな」
苦笑する。
何となく、言い出しづらい。
「何照れてんのよ、慎二君」
涼宮を抱いたまま、速瀬が肘で俺の脇を小突く。
「そ、そう言われてもな……」
「どうしたんだよ、慎二」
「いや、後で言うよ」
「変な奴だなあ。俺達の間で、隠し事は無しだぜ?」
「わかってる。ちゃんと整理して、後で言うから」
「絶対だぞ」
「おう」
結果次第、だけどな。
と、心の中で追加する。
言うなれば、今が実地試験だから。
まだ、孝之には言えない。
「さあて、久しぶりだし、せっかくだから写真撮ろうか」
「お、出ましたね慎二。趣味盗撮」
「え? 盗撮してるの?」
「し、してないよ涼宮。孝之てめえ、いい加減なこと言うなよっ」
「あはははっ」
ったく、いつまで経っても子供臭いな。
ま、それが孝之の良いところでもあるんだが。
俺はカメラバッグから、この間買ったカメラを取り出す。
夏のボーナスを全額つぎ込んだ代物だ。
「すごいね慎二君。こんなの持ってるんだ」
速瀬が驚いた顔をする。
「ま、趣味だからね」
「あれ? 慎二……デジカメじゃないんだ」
「孝之が不思議そうな顔をする」
「ああ、やっぱイイ写真を撮ろうと思ったら銀塩じゃないとな」
「ほお、こだわるねえ」
「そりゃ、な」
「さすが盗撮マニア」
「だから盗撮はしてないって!」
俺達のやりとりに、速瀬と涼宮が笑う。
「アンタ達、そういうところ全然変わってないのね」
「そりゃそうだ。俺達は親友だからな」
「……むしろ悪友だろ? 孝之の親友って言葉は信用できないな」
「なにおう、このデブジューが」
「お、お前それ二度と言わないって約束したじゃんか」
「そんなこと約束したっけなあ?」
「な、なに……思春期のくせに」
「ああっ、てめえこそ使わないって言ったじゃねーか」
「ははっ、お互い様だね」
「もう〜、やめてよ二人とも〜」
見ていられなくなったのか、涼宮が割り込む。
「そうそう。せっかくあたしが帰ってきたのに、そこがケンカしたら元も子も無いでしょ?」
速瀬もあきれ顔だ。
「……よし、慎二。一時休戦だ」
「おう」
互いにニカッと笑い、握手をする。
いつものことだ。
「よし、じゃあ撮るぞ」
俺はカメラバッグから三脚を取り出し、セットする。
「ちょっと三人並んで」
木の前に三人を並べ、フォーカスを合わせる。
レンズ越しに見る、三人の顔。
少し、緊張した顔。
そういえば、どこかのカメラマンが言ってたな。
『カメラマンは因果な商売だ。どんなに頑張っても最高の笑顔が撮れない』
それは、被写体は取り終わった瞬間に最高の笑顔を見せるからだと言う。
言われてみれば、そんな気もする。
レンズの向こうの速瀬は、やっぱりどこかぎこちない気がする。
「おい慎二、時間かかりすぎだぞ」
「あっ、すまん」
思考が逸れた。慌てて俺はフォーカスを合わせ直す。
よし。
「じゃあ行くぞ」
「おう」
タイマーをセットし、俺は速瀬の隣に駆け寄る。
タイマーを示すカメラのランプが、ゆっくりと点滅する。
隣では孝之が、涼宮の肩に手を回している。
いいな、ああいうの。
俺も速瀬に……。
自然に、速瀬の肩に手が伸びていた。
しかし、
「ま・だ・は・や・いっ」
手が速瀬の肩に触れる直前、横っ腹に速瀬の肘が入った。
「ごふっ」
その瞬間───。
───残酷にも、シャッターが降りた。
「ちょ、ちょっともう一回。もう一回撮らせてくれ」
「何で、いいじゃん。良く撮れたろ?」
ニヤリと笑う孝之。
「でもなんか、平くんのうめき声みたいのが聞こえたけど?」
「気のせいよ遙。良く撮れてると思うわ。ねえ慎二君?」
「……うう」
先生、このクラスにはイジメがあります……。
「……ま、いいか」
はあ、とため息をつく。
「あれ遙、綺麗な指輪してるわね。これ、婚約指輪?」
「あ、うん……去年、婚約したの」
へこみながらカメラをしまう横で、速瀬と涼宮が話している。
「いいわねぇ、あたしもこんな指輪欲しいなー」
と、速瀬が言った瞬間。
速瀬と、目があった。
「あ、あははは……」
「あははは……」
二人で笑い出す。
「なに笑ってんだお前ら」
孝之が不思議そうな顔をする。
「何でもないさ、何でも」
俺は怪訝そうな孝之の肩をポンと叩くと、片づけの続きを始めた。
つづく。