君が望む永遠 SS ラストシーン 〜そして、始まる〜
第3章 夏祭り
#1 茜(2)
「……遅いなあ」
「はは、そうすぐには来られないでしょう?」
「でもね、秀一さん。そのために早めに連絡したんだよ?」
「ま、確かに夕方でこの暑さだと、焦る気持ちもわかりますけどね」
秀一さんはくい、と眼鏡の位置を直しながら私に向かって微笑んだ。
私は秀一さんと、柊町駅の前でみんなを待っている。
秀一さんは……その……私の恋人で、小説家。ぼさっとした風貌とは裏腹に、ティーンズ向けの恋愛小説など書いている。
一見頼りなさそうだけれど、やっぱり年上なのかな。秀一さんはいつも私を支え、守ってくれる。
今だって、焦る私を優しくなだめてくれた。
本当に、優しい。
「あ、あれだ」
駅前のビルから、知っている人影が見えた。あの二階が喫茶店だから、きっとあそこにいたのだろう。
どうやら向こうも気づいたらしく、手を振って近づいてくる。
「遅いよ」
「ごめんね、茜」
「悪いな、茜ちゃん」
私の一言に、姉さんと兄さんが同時に謝る。
「いいじゃないの、彼氏と一緒なんだから」
二人の脇から口を出したのは、水月先輩だった。
「水月先輩……」
「や、久しぶり。と、ええと……」
水月先輩の視線が、彼に移る。
「風間秀一です。はじめまして」
「あ、はじめまして。速瀬水月です」
「ども、鳴海孝之です」
「涼宮……遙です」
秀一さんの挨拶から、順に自己紹介が始まる。
「ええと、姉さん、姉さんの婚約者、それと……」
姉さんと兄さんの説明は楽だが、水月先輩はどう言えば……。
「ああ、茜さんの目標の人、ですね」
秀一さんはにこっと笑う。
「あっ……」
そういえば、そんなこと話したんだっけ。
私と同時に、水月先輩も顔を赤くする。
「茜さんの目標の人にお会いできるなんて光栄です。今後ともよろしくお願いします」
「あっ、あ、はい。こちらこそよろしくお願いします」
秀一さんの言葉に、水月先輩は緊張と驚きが混じった顔で答えた。
「で、これで全員なのかな?」
「いえ、後一人……あ、来ました。平さーん」
駅前のビルから駆けてくる人影に、私は手を振った。
平さんも応えるように、笑顔で私に手を振る。
が、不意に表情を曇らせると、走るのをやめた。
「……慎二?」
思わぬところからの声に、私は秀一さんを見た。
「……兄貴?」
ほぼ同時に、秀一さんを見つめる平さんの声が、聞こえた。
#2 慎二(3)
みんな祭りに時間を合わせていたのか、あまり大きくない喫茶店なのにレジに並ぶ羽目になった。
三人には先に行ってもらい、とりあえず俺が払うことにする。
「……孝之からは意地でも徴収しないとな」
アイツは小さな貸しは良く踏み倒す。ま、こっちもわかってるから「おごりだ」って気持ちで貸しにしているが、たまには徴収してやらんと調子に乗られてしまう。
二組待って支払いを済ます。もう茜ちゃんと合流しただろうか。
俺は階段を一段飛ばしで駆け降り……ようと思ったが、転んでカメラを壊すのは嫌なので一段ずつ駆け足で降りていく。
外に出ると、駅前に見知った顔の一団を見つける。俺はすぐにそこに向かって駆け出す。
「平さーん」
茜ちゃんの声がする。俺は応えるように手を振る。
が、茜ちゃんの隣にいる男に気がつき、俺は走るのをやめた。
「……慎二?」
男の唇が動く。同時に、俺の唇も動いていた。
「……兄貴?」
「ええ? 茜の恋人って、慎二君のお兄さんなの?」
驚いた顔をする速瀬に、俺はうなずいた。
「俺も驚いたよ。まさかこんなところで兄貴に会うなんてさ」
俺は苦笑。
「ええと、では改めて自己紹介を。慎二の兄の、平秀一です」
「……風間、というのはペンネームですか」
「ええ。母方の姓をもらいました」
孝之の問いに、兄貴は笑顔で答える。
「おい慎二、お前の兄が小説家だなんて、初耳だぞ」
「俺も知らなかったよ。兄貴が本当に小説家になってるなんてさ」
孝之の問いに、俺は肩をすくめて答える。
「おかしいな、家には手紙を送ったんだけど」
「ああ、俺今実家じゃないから。それにいたとしても、俺の目にはとまらないよ」
「そうか……」
久しぶりだからか、会話がぎこちない。。
「ま、いいか。今日は楽しもうよ、みんな一緒なんだからさ」
兄貴はニッコリと笑う。
昔と、変わらない笑顔で。
ホントに、兄貴は変わらないんだな。
「そうだな、楽しもう」
俺はそう言って、兄貴に笑顔を返した。
#3 孝之(4)
「風間さんは、どんな小説を書いてるんですか?」
「そうですね……若者向けの恋愛小説、とかが多いかな」
「恋愛小説ですか……」
「ま、今はミステリが流行ってるんでそういうのも書きましたが、僕が書くとどうもトリックがチャチで。苦労しました」
「でも、書けるなんてすごいですね」
「いやあ、大したこと無いですよ。僕もやっとの事で食べてますからね」
遙と風間さん───茜ちゃんの恋人であり、慎二の兄───が、俺の前を話しながら歩いている。
ちなみに水月はと言うと、やっぱり新ネタを求めて慎二を引っ張り回している。水月はお祭りがあると食べ歩きをしたがる習性があるのだ。
「ごめんなさい兄さん」
俺の隣を歩く茜ちゃんが、両手を併せて謝る。茜ちゃんは自分が有名人であることを自覚しているのか、変装用の伊達めがねをかけている。
「ん? なんで?」
「秀一さんが、姉さんを取っちゃったから」
「あははは、そりゃ逆だろ。遙が風間さんを取っちゃってんだよ。だから、謝るなら俺だな」
「え、だって……」
茜ちゃんの困った顔に、俺は思わず笑い出す。
「ま、お互い様だな」
「そ、そうですね……」
アハハ、と照れ隠しに笑う茜ちゃん。
「しっかしまあ、話が合うってのはああいう感じなんだな」
「ええ。多分二人には、同じ世界が見えるんでしょうね」
「少し、嫉妬するな」
俺は苦笑。
「ふーん、兄さんでも嫉妬するんですね」
「俺はやきもち焼きだよ。普段だって遙が大学で変な男に絡まれてやしないか、逆に遙が誰かを好きになったりしないか、いつもハラハラしてるし」
「そうは見えませんけど」
「そうだな……嫉妬はみっともないって思うところがあるんで、なるべく出さないようにしてるつもりだからじゃない?」
「そういうのはあまり我慢するよりも、少しは表に出した方がいいですよ?」
「え?」
意味が分からず、茜ちゃんに問い返す。
「女の子は、まったく心配されないと、かえって本当に愛されているのかわからなくなったりするんです。だから、たまにはやきもち焼かないと」
「ふーん」
そういうもの、なのかな。
「そういうもの、なんですよ」
茜ちゃんは俺の心を見透かしたように、そう言って笑う。
「じゃ、ちょっとやきもち焼いてくるかな」
俺はそう言って、前の二人に追いつく。
「遙、いつまで話してんだよ〜」
俺は遙と風間さんの間に割り込むようにして、遙を見た。
「せっかく夏祭りなんだからさ、なんかやろうぜ。ほら、金魚すくいとか」
「それはいいですね。いや、しばらくそういうのやってなかったな」
答えたのは、風間さんだった。
「じゃあ秀一さん、せっかくだから四人で一緒に回りましょうか」
「あれ? 四人って……?」
茜の言葉に、遙は首を傾げる。
「水月先輩と平さんは、もう先行っちゃったよ」
「……どうせいつもの食べ歩きだろ」
「あー……そっか」
俺の言葉に遙は納得する。
「じゃ、四人で回りますか」
風間さんが、ニッコリと笑った。
#4 遙(3)
「とおっ」
気合一閃。
「うわあっ、すごおい!」
孝之くんは、金魚すくいで見事立派な出目金をすくい上げた。
「ま、こんなもんだな」
孝之くんは胸を張って大いばり。
「……と、あれ? 茜ちゃんと……風間、さんは?」
「うーんと、先行ったよ。孝之くんが頑張ってるからって」
「あ、そう。ま、待ち合わせ場所と時間は教えてあるからいいけど」
本当は、茜が気を利かせてくれたんだけど。
(兄さん、やきもち焼いてたよ)
別れ際、茜が小声で教えてくれた。
風間さんと話しているところを見ていて、茜に漏らしたらしい。
そっか。孝之くんも、やきもち焼くんだ。
考えてみれば当たり前のことかも知れないけど、ちょっと嬉しくなったりして。
「ね、私も金魚すくい、やっていい?」
「……マジ?」
孝之くんの、すごく嫌そうな声が返ってきた。
確かに、この前金魚すくいやったときは何故か指に金魚が集まってきて大変なことになったけど。
「今日は指つけないように、気を付けるから」
「うーん」
「いいじゃねえか、お姉さんにもさせてあげないと」
ほら、お店のおじさんもそう言ってるし。
「いいですけど……何があっても責任取りませんからね」
「こんな可愛いお嬢さんがなにするっての。はい二百円ね」
「ありがとう」
私はおじさんから金魚すくい用の網(……じゃあ無いか。えっと、紙が挟まった輪っか)を受け取ると、袖をまくって構える。
ええと、金魚すくいの基本は……。
私は孝之くんに教えてもらった基本を思い出す。
「紙を水につけない。金魚を追わない。だっけ……」
慎重に、慎重に……。
あ、でも。
……あの金魚かわいいな。
孝之くんが取った金魚と一緒にしたら、お似合いだな。
あたしはその金魚を追いかけて、紙を挟んだ輪を動かす。
ああん、じっとしてよぉ。
「遙、追いすぎ」
隣で孝之くんが何か言ってる。でも、まずはあの金魚。
元気がいいのか、はたまた狙われていることがわかっているのか。
目当ての金魚はすいすいと奥の方に泳いでいく。
「あ、ちょっと待って」
追いかけて輪っかをぐい、と伸ばした瞬間。
「よ」
バランスが、崩れた。
「あわわ」
全身が水槽に飛び込む瞬間。
ぐい、という勢いで私は後ろに引き戻され。
ばっしゃーん。
代わりに、孝之くんの身体が水槽に飛び込んでいた。
#5 水月(3)
「あーっ、まだドネルケバブあるんだー」
あたしは目当てのトルコ料理を発見し、真っ直ぐそれに向かって歩いていく。
「ちょ、ちょっと待ってよ速瀬」
慎二君があたしに遅れまいと慌ててついてくる。
カメラを担いでいる分、どうしても歩くのが遅れてしまうみたい。
しかたないな。
あたしは少し歩みを遅め、慎二君が追いつくのを待つ。
「やっぱ日頃から運動してると違うな。すぐ置いてかれるよ」
「慎二君はあんまり動いてないんだ?」
「移動は電車か車だし、ほとんどはデスクワークだからね」
「……だから太ってるんだ?」
「あ、えーと……ダイエットするよ……」
「そうだね。少しは減らした方がいいね」
慎二君の困った表情がなんだかおかしくて、あたしは笑う。
「ああ……頑張るよ」
「あ、今ならウチのスイミングスクール、入会金三割引だけど?」
「速瀬……勧誘うまいな」
「あはは。正社員になったからねえ」
苦笑。
「な、速瀬。仕事は楽しいか?」
「え?」
「いや、インストラクターと監督の掛け持ちじゃないか。監督は好きでやってるんだろうけど、インストラクターは食べていくためにやってるんだろ?」
「……まあ、そう言われればそうなんだけどね。でも、インストラクターも楽しんでやってるよ」
自分が教える生徒が伸びていく楽しさ。それは、自分が知らなかった楽しさだから。
「そっか……それなら、よかった」
「慎二君は?」
「ちょっとキツイ、かな。まだペーペーだからさ。雑用ばかりで」
「そう……なんだ」
「あ、でもつらいことばかりじゃないから」
と、慎二君はフォローする。
自分に心配かけたくないからなのだろうか。
「あ、みつき先生だ」
不意に声をかけられ、あたしは振り向く。
そこにいたのは、小さな女の子。
ウチのスイミングスクールの、生徒。
「あら幸絵ちゃん。こんなとこのお祭り来てるんだ」
「うん。お母さんのおうちがこっちなの!」
幸絵ちゃんは、元気な声で返事する。
「ああどうも先生。いつも幸絵がお世話になっております」
後ろから幸絵ちゃんのお母さんが現れ、挨拶をする。
「どうも、こちらこそ」
「ねえねえ、みつき先生。このひと先生のコイビト?」
「え?」
不意に尋ねられ、あたしは慎二君と顔を見合わせた。
「あ、えーと……」
予想もしないところからの攻撃に、慎二君も言葉がない。
「ふふっ、幸絵ちゃんにはそう見える?」
あたしはしゃがんで、幸絵ちゃんと同じ視点にする。
「うんっ。お似合いのカップルだと思う!」
幸絵ちゃんは、これ以上無いというような笑顔であたしに言った。
「そっか、そう見えますか。じゃあ、そういうコトにしておこうかな」
あたしは幸絵ちゃんにそう返すと、すっと立ち上がった。
「じゃあ先生はコイビトとデートしてくるから。またプールでね」
「うんっ。またね、みつき先生っ」
幸絵ちゃんはお母さんに手をひかれ、手を振りながら去っていく。
あたしはお母さんに会釈。
「おい、いいのか?」
心配そうな、慎二君の顔。
「あはははっ、帰ったらウワサになってるかもね」
あたしは笑う。
「おいおい……まあしかし、速瀬は人気者なんだな」
「そうかも知れないね。あの子達が笑顔で接してくれるから、あたしもインストラクターの仕事が楽しいと思えるんだし」
「ま、速瀬は自分の思う道を行けばいいさ」
「え?」
「速瀬はやっぱり、真っ直ぐ前を向いているほうが素敵だから。俺は、出来る範囲で支えていきたいと思う」
慎二君は真っ直ぐにあたしを見つめる。
「慎二君……」
「なんて、ちょっとクサかったかな」
「ううん……嬉しいよ、慎二君」
「え?」
「あははっ、なんでもないよ。じゃあ早速行きましょう! まずはドネルケバブ!」
照れ隠しに、あたしは慎二君の手を引く。
「え、ええっ」
「つべこべ言わないっ。突撃〜」
「ちょ、ちょっと速」
せ、と言う慎二の声を聞きながら、あたしはそのまま屋台に突撃する。
ね、慎二君。
これからこうやって迷惑かけるかもしれないけど。
それでも、慎二君はあたしを支えてくれるかな。
あたしはドネルケバブを二つ注文しながら、そんなことを考えた。
つづく。