君が望む永遠 SS ラストシーン 〜そして、始まる〜 




 第4章 祭りの終わり


  #1 孝之(5)


「どうしたの? それ」
 待ち合わせ場所に戻ってきた水月が、いの一番に俺を見て言った。
「……水浴び」
 説明もめんどくさいので、一言で返す。

 金魚すくい。横にいる遙がバランスを崩したところを強引に引っ張った結果、反動で自分の身が水槽に落ちた。一部始終を見ていた金魚すくいのおじさんも言葉が無く、俺が嫌がった理由を理解しただけで特に弁償金を請求されることは無かった。
「お嬢ちゃんには二度とさせないでくださいね」
 というおじさんの言葉が耳に残る。

「ごめんね、孝之くん」
 隣では遙が、しきりに謝っている。
「……なんとなく、理由がわかったわ」
 水月は、あきれた顔で肩をすくめた。
「まだ茜と……秀一さんは来てないの?」
「そうみたい……だな。もう始まるってのに」
 水月の言葉にきょろきょろと周りを見渡してみても、二人の姿はない。
「あれ? 遙は花火、平気になったの?」
「いいや、そんなことは無いぞ。ほら」
 水月の言葉に俺はずぶぬれになったジャケットの裾を見せた。その裾の端を、遙がしっかりと握っている。もうあと僅かとはいえ、まだ花火が始まるまでは時間があるというのに。
「あっ」
 慌てて遙は裾を放す。
「あははっ、変わってないんだ」
「でも前よりは平気になったんだよ……」
 とりあえず訂正、という感じで、遙が小さな声で呟く。
「はいはい。ま、どんな感じか見せてもらうね」
「うう〜」
 楽しそうな水月。
「なにか、良いことでもあったのか?」
「え? なんで?」
「いや、なんだか楽しそうだからさ」
「そだね。いいこと、あったよ」
「……新作が多かったとか?」
「え? ああ、うん。それも……あるかな」
「あれ? 違うのか?」
 それ以外に何があるのだろう?
「後で、教えるよ。時間があったらね」
「水月。約束だよ?」
 俺達のやりとりを聞いていた遙が口を挟む。
「え」
「……ダメなの?」
「いや、えっと……うん。約束ね」
 水月は少し戸惑いを見せた後、笑顔を向けた。



  #2 慎二(4)


「慎二、お疲れ」
 ベンチに腰掛けている俺の元に、孝之がやってきた。手には途中で買ったのだろう、ラムネを持って。
「ああ……サンキュ」
 俺は差し出されたラムネを受け取る。
「やっぱり連れ回されたのか」
 そう言って孝之は俺の隣に腰掛けた。
「ああ、何件回ったかな……さすがにカメラ抱えてはキツイよ」
「おまけに太ったしな」
「まあな」
「デブ専ってのは、自分がデブになることじゃないって知ってるのかね? デブジュー君」
「なんだとう!」
「言われても仕方がないだろ。四年前の写真、見るか?」
「いや……いい」
 俺はため息をひとつ。まったくツッコミのキツイ奴だ。
「……ラムネ、気を付けろよ?」
 ため息と同時にラムネに手を出した俺に、孝之が注意する。
「わかってる」
 俺はラムネのビンを斜めにし、慎重に開ける。
 当然、カメラバッグとは反対方向を向いて。
 プシュッ。
「ふーっ」
 ラムネをこれほどまでに美味いと感じたのは久しぶりだ。渇いた喉を炭酸が刺激する。
 ……ま、ちょっと腹はきついが。
「こうして会うのも久しぶりなんだよな」
「そうだな。お互い忙しい毎日が続いてるしな」
 なんだかんだ言って、もう一年近く会っていなかったのではないだろうか。
 それでも会った直後から冗談が通じるのは、やはり相手が孝之だからではないかと思う。
「しかし驚いたよ。慎二の兄貴が茜ちゃんの恋人だったなんてな」
「それは俺も驚いた。ま、兄貴に会ったのも五年ぶりだしな」
「そうなのか?」
「……いろいろ複雑なんだよ」
 俺は苦笑する。そっか、孝之には話してなかったんだな。
「……ホントはさ、兄貴に継がせたかったらしいんだ」
 戸惑った表情の孝之に向けて、俺は話し始めた。
「兄貴はまあ、一言で言うと優等生で、常に学年トップの成績だったんだ。運動は得意ではなかったけど、特に勉強してるようには見えないのに、トントン拍子でエリートコースを進んでいったんだ」
「へえ、すごいんだな。お前の兄貴」
「弟としては、自慢の兄貴であると同時に比較対象だったな。ま、途中から親も比べるだけ無駄だってわかったみたいで、随分楽になったけど」
 俺はそう言って、肩をすくめておどけてみせる。
「でもさ、急に兄貴のやつ『小説家になる』って言い始めて。それで両親とケンカして勘当。大学も辞めて家を出ちまった。それが八年前」
「……僕のせいで慎二に負担をかけたのは、悪かったと思ってるよ」
 横からの声に俺達は振り向く。
 そこには、兄貴が立っていた。
「……別に俺は、負担だった記憶はないよ」
 兄貴とは視線を合わせず、うつむき加減で俺は呟く。
「むしろ兄貴がいなくなって、親父の後を継ぐっていう目標が出来た。それまでは目的もなくて、ただ孝之とバカやってただけだもんな」
「そうか。それならいいんだが……」
「兄貴が心配することじゃないのさ。俺はちゃんと会計事務所に就職できたし、兄貴は兄貴で小説家になれたんじゃないか。喜ぶべきことだろ」
 俺はそう言って、兄貴を見る。
「そう……だな」
「そうだよ。兄貴なんか、茜ちゃんまで手に入れたんだろ?」
「て、手に入れたっていう表現は人聞き悪いな」
 兄貴が苦笑する。
「だいたい、茜さんが僕に告白してきたんだよ」
「へえ。茜ちゃんがねえ」
 孝之が驚く。驚くことなのだろうか。茜ちゃんは積極的な子だと思っていたけれど。
「……ま、遙の妹だしな」
 と、孝之が一人で納得する。そうか、孝之のところも最初は涼宮が告白したんだっけな。
「みんな、そろそろ花火始まりそうだよ」
 と、速瀬の声がした。
「うし、じゃあ行くか」
「そうですね」
 俺達は立ち上がり、女性陣の元へ動いた。



  #3 遙(4)


 どぉーん。
「きゃっ」
 鼓膜どころか横隔膜まで震える大音響に、私は思わず声を上げる。
「おーっ、あがったあがった」
「やっぱ花火は大きくないとねえ」
 その声は、孝之くんと水月。こういうところは、二人の息が合う。
 ちょっと、寂しい。
 どぉーん。
「あうう……」
 私は孝之くんのジャケットの端をぎゅっとつかみ、衝撃に耐える。
「……大丈夫か?」
「う……うん」
 孝之くんの声に、とりあえずうなずく。
「やっぱ、花火はやめときゃよかったか?」
「う……ううん。だいじょぶだいじょぶ……」
 それは孝之くんに答えると言うよりも、自分に言い聞かせるように。
「遙……」

 ぎゅっ。

 後ろに回った孝之くんが、後ろから私を抱きしめる。
「たかゆき……くん?」
「大丈夫だから」
 耳元で、囁かれた。
「俺が……いるだろ?」
 包まれる感覚。
 暖かい、感覚。
「……うん」
 私は、ゆっくりとうなずく。
 どぉーんっ。
「あ……」
「どうした?」
「花火の音……少し静かになった」
「……そっか」
 代わりに聞こえる、孝之くんの息づかい。
「少しずつ、慣れていこうな」
「……うん」
 私は、もういちどうなずいた。



  #4 茜(3)


「もう……姉さん達、みんなで来てるって知ってるのかなあ……」
「まあまあ茜。それだけ今も幸せって、ことでしょ」
 水月先輩が笑う。
 ……すっかり、兄さんのことは吹っ切れたみたい。
「そんなにうらやましいなら、茜もやってもらえばいいのに。ねえ秀一さん?」
「え……」
「あ、いや、ええと……茜さんが、いいって言うなら……」
 水月先輩の言葉にあわてる秀一さん。
 私と六つも違うのに、こういうところはまるで中学生みたい。
「あはははっ、冗談冗談。そんなことされたらあたしと慎二君の立場がなくなっちゃう」
「……もう……水月先輩ってば……」
 どおーんっ。
 ぱっと明るくなった後に、大きな音が鳴る。
「綺麗だね」
「うん」
 秀一さんの声に、私はうなずく。
 天上に広がる、色とりどりの火花。
 それは一瞬の輝きを残し、夜に消えていく。
「今日……」
「え?」
「茜さんとここに来られて良かった」
 視線は空に向けられたまま、秀一さんは呟くように言った。
「茜さんのお姉さんとお兄さん。茜さんの目標の人。それに、弟にまで会うことが出来た。なんていうか、運命の螺旋というものは、複雑に絡み合うから面白いんだな、と思ったよ。まさに『事実は小説よりも奇なり』というやつだね」
 秀一さんはそう言って、視線を私に切り替える。
「ねえ、僕はこれから、彼らの輪に入ることが出来るだろうか」
「え?」
「僕から見ても彼らは楽しそうで、そして暖かい。慎二のあんな笑顔を見たのは、何年ぶりだろうかと思うよ」
 秀一さんはそう言って視線を平さんの方に向ける。
「入れますよ」
 私の言葉に秀一さんが視線を変えるのを見て、言葉を続ける。
「私も、姉さん達の輪からは少し遠いけど、二人で一緒に、あの輪の中に入りましょう」
「……そうだね。僕たちと彼らは、いずれ兄弟になるんだからね」
「え?」
 意外なセリフに、私は思わず聞き返す。
「いや、例えば僕らが結婚したら……例えば、だよ? 遙さんは僕の義理の姉になるわけだし、一応慎二も、茜さんの弟になるだろう?」
「けっ、結婚……」
「あっ、例えばですってば」
 慌てた素振りで眼鏡を直す秀一さん。
「そんなに強調しないでください。それとも秀一さんは、私と結婚するの、イヤですか?」
「え、いや、そんなこと無くて。その、ぜひ結婚して欲しいとか思ってるけど、物事には順序というモノがあって……」
 完全にパニック状態の秀一さん。
「ふふっ、冗談です」
「……やめてくださいよ」
 うろたえる素振りが可愛いなんて思うのは、やっぱり意地悪なのかな。
 でも。
「……嬉しいな」
「え?」
「結婚。考えてくれてるんだなって思って」
「あ……それは……ただ、この先もずっと一緒に歩いていきたいと思っているだけで、その中で結婚は必然かと……」
 言い訳に近いような説明をする秀一さん。
「そうですよね。今はまだ、早いかもしれませんけど……」
「……うん。でも、いつか……」
「……そのときは、秀一さんからプロポーズ、してくれますよね?」
「……ええ。そのときは僕から」
 秀一さんが微笑む。
 嬉しい。
 今のその言葉が、本当のプロポーズみたいで。
 嬉しくて。

 私は、涙をこぼした。



  #5 水月(4)


「もうすぐ終わるかな」
 派手な音と光の後にある、僅かなインターバル。
 既に何度か繰り返したことと、時間の頃合いで祭りの終わりが近いことを悟る。
「ああ、最後にどでかいの、行くんだろうな」
「遙、泣かなきゃいいけど」
 私はそう言って笑う。
「孝之がああしてるから、大丈夫じゃないか?」
 呆れた顔の慎二君。
「……本当は、うらやましいんでしょ?」
「え? あ? う……そんなことないよ」
 慌てた調子で否定するが、その慌てっぷりが真実を物語っている。
「ね、慎二君」
「う……なに?」
「昼間の答え、今出してもいいのかな?」
「え?」
 慎二君は私の言葉が理解できなかったのか、驚いた顔であたしを見る。
 でも、あたしが真っ直ぐ慎二君を見つめていることで、意味を理解したらしい。
「あ……ああ、覚悟は出来てる」
 少し動揺の入った声。
 その顔に、あたしも緊張してしまう。

 すうっ。

 深呼吸。
 水泳の大会前みたいに、緊張を和らげる。
「あたしね……慎二君と……」
 どおーんっ。
「きゃっ」
「うわっ」
 あたし達の緊張を無視するかのように、特大の花火が上がった。
 色とりどりの光が、空に消えていく。
「おい水月、すげえな今の!」
 孝之の声。
「うう〜、やっぱり怖いよぉ〜」
 孝之の隣でおびえている遙。
「さすが最後の花火はすごいね」
「ここにお金かけてるって感じですよね」
 そんな会話をする、秀一さんと茜。
「いやー、これで祭りも終わりかー」
 なんかすがすがしい顔の孝之。そんな感じで、続々と人が集まってくる。
「は……速瀬?」
 タイミングを外され、困惑した顔の慎二君。
「なによ、折角告白しようと思ったのに……」
「え? 告白? 何を?」
「あ!」
 孝之の言葉に、我に返る。
 慌てて口を押さえるが、もう遅い。
「水月クン、俺達の中で隠し事はよくないなあ〜」
 ニヤリと笑う孝之。
「水月……なにを言おうと思ったの?」
 こっちは純粋に問いかけてくる遙。
 脇を見ると、どうしていいかわからない表情の慎二君。
 ……ま、いっか。
 ホントはもっとムードとか考えたかったけど。

 すうっ。

 もう一度深呼吸。

「本日より、あたしは慎二君とつき合うことになりましたっ」
 孝之達に向き直り、あたしは精一杯の笑顔で言った。
「ほ、ほんと?」
 と、最初に声を上げたのは慎二君。
「なんで慎二が驚くんだよ」
 孝之がツッコむ。
「あ、あはは。これは今あたしが決めたことだから」
「決めたって……平君の気持ちは?」
 と、遙。
「あ、えーと……ね?」
 結局あたしは、慎二君と一緒に事の顛末を説明することになった。



 つづく。

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