君が望む永遠 超番外編(Togawa Side) 〜新しい生活、そして〜   #1 「じゃ、行ってきます。なんて来週帰ってくるけど」 「そうだね。ベガルタの試合、あるもんね」 「あはは、先にチケットとってたから」 「あたしよりも優先順位高いんでしょ?」 「え?」 「冗談だよ。そんなに焦んないで、サトシ。……それとも、まさか?」 「そ、そんなこと無いってばっ」  狼狽える僕の仕草に、水月は声を出して笑う。  オーバーアクション気味に笑う水月を、僕はじっと見つめる。  そして、おもむろに優しく抱きしめた。  水月の笑いが、止まる。 「ちゃんと帰ってくるから」  耳元で、囁く。 「……うん」  背中を、強く抱きしめられる。 「……つらいときに別のことでごまかすのは、水月の悪い癖だぞ」 「だって……」 「大丈夫。新幹線で二時間だぞ。水月のためなら、いつだって帰ってくるから」  水月の目を見ていないから、多少クサイセリフも言える。 「……うん」  更に強く、抱きしめられる。  それに応えるように、僕も腕に力を込める。  本当は、連れていきたい。  けれどまだ、彼女の心の整理が、ついていないから。  東京行きの新幹線が、ホームに滑り込んできた。カモノハシのようなユニークな 外観の先頭車両が、僕の脇を抜けていく。 「じゃあ、行ってきます」 「うん、気をつけて」  人目も気にせず、ホームで別れ際のキス。  ……さすがに舌を絡めるのは、ためらわれた。  一番最後に、車両に乗り込む。  発車のベル。  僕はドアの前に立ち、水月に手を振る。  プシュー、という音と共に、僕と水月の空間が扉によって仕切られる。  そして、動き出す。車両はゆっくりと、そしてスムーズに加速していく。  僕は窓にへばりつくほどの体勢で、水月の姿を追う。  水月は、笑顔で手を振った。  けれど、その頬を流れる涙は、見逃さなかった。 「……行ってきます」  もう一度、僕はつぶやいた。  彼女に向かって。   #2  引っ越しても、水月とは携帯メールや電話でこまめに連絡を取った。仙台でも一 週間顔を見ないくらいはあったので、少なくとも僕のほうは寂しくなることはなかっ た。  けれど、仙台から聞こえる水月の声は、どこか寂しく、弱々しく聞こえた。 「……日曜には会えるよ」 『うん、わかってる……けど』 「もう、朝一番のやまびこで帰るから」 『ううん。仙台駅で待ってる』 「いや、そこまでしなくても」 『……待ってるから』 「……うん」  やっぱり、東京は遠い。  今までなら、水月のこんな声を聴いたときは夜中だろうが原付をかっ飛ばして抱 きしめに行ったのに。  今日は水曜日。後四日、水月にこんな寂しい思いをさせなきゃならないなんて。 『あ、もうこんな時間……ごめんね、遅くまで』 「え、いや、僕は大丈夫。それより、明日も頑張って」 『うん……頑張るよ』 「それじゃ、お休み」 『おやすみなさい』  ピッ。  PHSを切る。 「さーて、僕も寝るか」  声を出してつぶやいてみても、耳に残っているのは水月の寂しげな声だけだった。   #3 「面白かったね」  水月はまだ興奮が覚めていないらしい。上気した顔と息づかいが、彼女を普段よ り愛おしく見せている。 「だって逆転延長Vゴールだよ? 四連勝だよ?」 「うん、ベガルタはかなり勢いづいてるね」  僕は冷静な素振りで、当たり障りのない返事を返す。  試合の帰り、僕達は泉中央から仙台に向かう地下鉄に乗っていた。仙台スタジア ムは駅が近く、アクセスの良さは随一だと思っている。 「ねえ、サトシ……今日は何時までいるの?」 「えっと、九時過ぎに仙台駅にいれば問題ないかな。最終の指定席取ってあるから。 「そっか。じゃあ夕飯くらいは食べられるね。おいしいお店、見つけたんだ」 「そうなの? じゃあ行こうか」 「うんっ。サトシの就職祝い、まだしてないもんね」  水月はそのまま、僕の腕に絡みつく。 「おいっ」  車内だぞ、と言おうとしたが、やめた。  寂しげな水月の声が、脳裏に響いた。  肩に寄りかかる水月に、僕も頭を寄せた。  周りの視線なんて、どうでもいい。   #4 「本当にうまいな」 「でしょ? しかもあの値段よ?」 「うん、確かにここはいい」  来たのはちょっと裏手にある焼き肉屋だ。ランク的には『そこそこ安いがかなり うまい』というところか。炭火で焼くこの店はタレも絶妙で、そこそこの肉をおい しく食べさせるのが上手いのだな、と思う。 「僕がいなくなった後に見つけるんだもんなー。僕も負けずに、東京でうまい店を 探さないとな」 「袴をはいた店員さんがいるパスタ屋さんとか?」 「……なんでそんなの知ってるの?」 「この間雑誌で」 「……ふーん」  東京に着いたとき友人にいきなり連れて行かれた店を言われたので、焦った。  ちなみにあれは基本的に東京でなく、埼玉だ。 「あと、一時間半、か……」  水月は店内の時計を見てつぶやく。時刻は午後七時半。一緒にいられる時間は、 後僅かだ。 「ほら、焦げるぞ」  僕はカルビをひょいひょいっと水月の皿に放る。 「ちょ、ちょっとあたしもう食べられないよ」 「うるさい、水月のノルマだ」 「うー、これ以上食べたら太っちゃうよ」  言いながらカルビを口に放り込んでいく。 「確かに、これ以上水月に筋肉がついたらなあ」 「サトシ……鉄板の上のカルビとあたしの拳、どっちを喰らいたい?」 「……カルビがいいです」 「ぷっ」 「あは、あははは」  同時に吹き出し、二人で笑う。  なんか、久しぶりに心から笑った気がする。 「じゃあほら、食べてよね」  と、水月が僕の皿にカルビを積んでいく。 「こ、こんなに?」 「そう。頑張れ男の子」 「……まったく」  僕はぶつぶつ言いながらも、カルビの処理を始めた。   #5 「ふう……食べたなあ」 「そうだね」  最後にバニラアイスを平らげ(どうでもいいが焼き肉後のアイスはうまい。口の 中が油っぽいのでなおさらなのだろう)、僕たちは店を出た。  時刻は午後八時を回っている。新幹線の時間までは、あと一時間ちょっとだ。 「なんか、中途半端な時間だね」 「ね」  そういいながら、僕たちは商店街を歩く。  さすがにもう四月とはいえ、まだ風は肌寒い。それにこの時間だと、ほとんどの 店は閉まっている。 「駅、行ってようか」 「ん、そうだね」  結局いくあてもないので、僕たちは駅に向かった。  駅の待合室で僕たちは並んで座る。なにも話題が見つからず、僕たちは黙ったま まじっと時が過ぎるのを待つ。  何か言わなきゃ。  そうは思うが、言葉が見つからない。  と、不意に水月が僕の肩に寄りかかってきた。 「ねえ、サトシ……」 「ん? なに?」  僕は右手で、水月の肩を抱く。 「……ううん、なんでもない」 「気になるなあ」 「なんでもないよ……なんでも……」  どこか、寂しげな声。  なんとなく、水月の肩に回していた手を水月の頭に回し、髪をかきあげる。  少しパサパサとした感触。  やはり、ずっと水の中にいるからなのか。  けれどこの感触が、水月なんだ。  そのままぎゅっと、頭を抱えるように抱きしめる。 「……次は、ゴールデンウィークになりそうだな」 「……うん」  そのまま、言葉がとぎれる。  決して静寂なわけじゃない。待合室には他の人も、新幹線を待っている。  けれど、僕たちの周りは、明らかに無音だった。   #6 「そろそろ……時間だから」 「うん……」  返事をするが、水月は動こうとしない。  僕はほんの少し戸惑ったが、優しく押し返すと水月もあきらめたかのように、頭 を離した。 「大丈夫。一ヶ月なんてすぐだから」 「……うん」  すでに水月は涙ぐんでいた。 「もう、しょうがないな」  僕はちらっと周りを見てこちらを見ている人がいないことを確認すると、水月に いきなりキスをした。  一瞬だけ、舌を絡める。 「んっ……」  いきなりの仕草に水月は一瞬目を大きく見開く。 「……ニンニクの臭い」 「……サトシだって一緒だよ……」  僕のつぶやきに水月が答え、二人で苦笑する。 「そうだよな、あれだけ焼き肉食えば、な」 「ねえ?」  もう一度、二人で笑う。 「じゃ、行こう」 「うん」  気持ちが切り替わったところで、僕たちは待合室を出た。 「ちょっと寒いな。帰り、気をつけてな」 「うん、大丈夫。サトシもね。向こうついたら十二時回っちゃうでしょ? 明日は 入社式なんだからね」 「おう、任せとけ」 「……どこか任せきれないから、言ってるんだけど」 「アイタタ」  和やかなムード。  このまま別れられるかな。 「……ねえ、サトシ」 「……なに?」  ほんのわずか、水月の声のトーンが落ちたことに気づく。 「やっぱりね、あたしにはサトシが必要なの」 「え?」 「もうサトシがいないとね、あたしはあたしじゃないんだなって。今日ずっと考え てた」 「そっか。僕も水月がいるから、僕は僕でいられるんだと思うよ」 「うん、だからね。いろいろ考えてみる」 「いろいろ?」 「うん、いろいろ」  水月は微笑む。  そんなうちに、新幹線が来ることのアナウンスが構内に流れる。  しばらくの後、緑と白の馴染みのある流線型がホームに滑り込んできた。 「じゃ、また」 「うん」  別れのキス。  舌こそ入れないが、長めの、想いを伝えるような口づけ。  ゆっくりと、唇を離す。  一番最後に、車両に乗り込む。  発車のベル。  僕はドアの前に立ち、水月に手を振る。  プシュー、という音と共に、僕と水月の空間が扉によって仕切られる。  そして、動き出す。車両はゆっくりと、そしてスムーズに加速していく。  僕は窓にへばりつくほどの体勢で、水月の姿を追う。  水月は、笑顔で手を振った。  けれど今度は、涙は見なかった。  優しい微笑み。 「……また」  僕はつぶやいた。  彼女に向かって。   #7  四月十三日。  研修も二週間目が終わり、僕は五日間の疲れを回復するために朝から惰眠を貪る。 「ピンポーン」  不意に安眠を妨げるチャイムが響く。 「なんだよ朝から……」  なんか通販でも頼んでいたかな、と記憶を手繰るが、何も浮かばない。 「はーい」  寝ぼけまなこでドアを開ける。 「おっはよーサトシ、起きてた?」  視線に飛び込んできたのは、よく知った顔。  そして僕の耳には、よく知った声が聞こえた。 「……どうしたの? そんなきょとんとした顔で」 「だ、み、お、おま……」  言いたいことが言葉にならない。 「ああ、内緒の方が面白いと思ったから黙ってた」  えへへ、と水月は笑う。 「で、でもな、せめて遊びに来るときは一言連絡して」 「遊びに来たんじゃ、ないよ」 「え?」  だって水月、じゃあ、何しに来たんだよ。 「あたしも今日から東京で暮らすことにしたからよろしく」 「はあ?」  いきなりの言葉に、僕は素っ頓狂な声を出す。 「いろいろ考えてね、決めたんだ。だってあたしには、サトシが必要だから」  にっこりと、水月は笑う。  何か吹っ切れたような笑顔。 「だから、何かあったら、あたしを助けてね? 約束よ?」 「お、おう」  ちょっと甘えたような表情をされ、思わず頷く。 「じゃあしばらく泊めてね。まだ家とか職とか、何にも決めてないから」  そういって水月は、背後にあったばかでかいトランクケースを抱えて部屋に入ろ うとする。 「だ、ち、ちょっと待って。十分、いや五分でいいから!」  僕はあわてて水月を押し返す。 「もー、ちゃんと日頃から片づけておきなさいって言ってたのに」 「そ、そんなこと言われても……」 「はいじゃあ五分待ちます。サトシはすぐに片づけること。返事は? さん、にー、 いち、はい」 「りょ、了解っ」  僕はドアを閉め、あわてて雑誌やら何やらを集め始める。  でも。  どうやらこれから、楽しくなりそうだ。  end   僕が望むあとがき  と、いうわけで超番外編です。それにしても、「水月がいきなりトランク持って とがわさんとこに乗り込んでくる」を書きたいがためにこれだけ書いたのか、と思 う今日この頃(笑)しかも該当部分は妙に淡泊(爆)  ま、そんなことで仙台編から東京編になります。今後ともよろしく。   2002.04.03 仙台は遠いな、と思う浦和サポーターのちゃある(笑)