〜楠川さんと鈴木くんしりーず〜

3 天才は運命など気にしないらしい




    ───運命? 関係ないよ。だって、僕は天才だから。

                          鈴木一文



 俺達が光輝学園に入学して、早いものでもう二ヶ月が経とうとしている。
 時が過ぎるのは、本当に早いものだ。
「……芳文、アンタやる気あるの?」
 脇で奈留が怒鳴った。が、やる気があったらそもそも窓の外など見ていない。
「鈴木くん。ちゃんと勉強したほうがいいのだー」
 心配そうな、楠川の声。
「そうですよ、芳文さん」
 と、直樹。
 だからな、お前ら。
 俺は、一拍タメを置いてから叫んだ。

「……何で俺ん家で勉強会してるんだよっ」

 +

「んーまあ、なんとなく」
 しごく当然であるかのように、奈留が答えた。
「お前んトコでいいだろうが、お前んとこでっ」
「あうー、鈴木くん怖いのだー」
「怖いのだー」
 ……楠川の真似するな、奈留。
 言い方とそのニヤリとした笑顔がムカツクから。
「紗夜さんが、芳文さんの部屋を見たいって言ったからですよ。忘れたんですか?」
「……なんで直樹がそんなことを知っている?」
「姉さんが話してくれました」
 何でもないことのように返す直樹。
 ……やっぱお前、俺のこと嫌ってんだろ。
 ってかなんでお前までいるんだ?
「俺にだって都合って奴がだなあ……」
「あははは、エッチな本とか隠さないといけないものねえ?」
「違うわっ」
 奈留に速攻でツッコミ。
「そうですよ」
 という声とともに男が入ってくる。
「その手の本は、全部僕のところに隠しましたから」
「隠してねえっ」
 俺はその声の主にもマッハでツッコむ。
「一文さん! ご無沙汰してます」
「やあ直樹君。元気そうで何より」
 そう言って直樹に笑顔を返すこの男は俺の兄貴、鈴木一文(すずき・かずふみ)だ。
 兄貴は光輝学園大学部に所属していて、俺とは三つ離れている。
 高校も光輝学園で、生徒会の副会長なぞやっていたらしい。
 成績優秀、スポーツ万能、容姿端麗。
 俺は幼い頃から、兄貴と比べられてきた。
 兄貴と違って、俺には何の才能もなかった。
 だから、努力した。
 夢を現実にするために。
 しかし───。

「鈴木くん、体調悪いの?」
 楠川の声に、俺は我に返った。
「あ、いや……なんでもない」
 慌てて首を振る。
「あうー」
「大丈夫だって。ちょっと考え事」
 心配そうな楠川を諭すように返す。
「あ、そうだ一文。勉強教えてよ」
 と言ったのは奈留。幼なじみだって事もあるが、俺達は奈留から呼び捨てにされている。
「ああ、別にかまわないよ。暇だから」
「やったあ。一文に教えてもらえるなら百人力ねっ」
「一文さんは、勉強できますからね」
「そうだね。僕って天才だから」
 にこやかに兄貴は言う。
 こうまでさらりと自分のことを『天才』と呼ぶ人間を、俺は他に知らない。
 もっとも、こんな奴が他に何人もいたら俺も困るが。
「あ、君が楠川さんだね?」
「あ、はじめまして、楠川紗夜ですのだ。よろしくお願いしますのだ」
 楠川が兄貴にペコリと頭を下げる。
「うん、活躍は芳文から聞いてるよ」
「……活躍?」
「奈留たん事件とか」
「ってなんで一文がその話知ってんのよ!」
「芳文から聞いたから」
 兄貴の言葉を聞き、俺を睨む奈留。いいじゃんか、みんな知ってんだから。
「で、そろそろお昼だけど、みんな炒飯でいいかな?」
「え? 兄貴が作んの?」
「そうですけど? 異論はありますか?」
「いや、ない。あっても俺が言わせないから」
「そうですか。じゃあ出来たら呼びますから」
 兄貴はそう言って、笑顔で出ていった。
「ねえ芳文。一文って料理もできるの?」
「少なくとも炒飯は『紫炎軒』のヤツより美味い」
「ほんとに? そんなに美味いの?」
「……奈留たん奈留たん」
 机に乗り出して驚く奈留の裾を、楠川がくいくいと引く。
「あ、ああごめん。ちょっと興奮して」
「姉さんは食欲魔人ですからね」
「グルメって言いなさいよ!」
 直樹のつぶやきに速攻ツッコむ。
「鈴木くん……紫炎軒って?」
 奈留は諦めたのか、楠川は俺に質問の先を変えた。
「知らないのか? ここらで美味いと評判の中華料理屋なんだが、炒飯が名物でな」
「……鈴木くんのお兄さんが作る炒飯は、それより美味しいのだ?」
「ああ、まあ食ってみればわかる」
「あうー、楽しみなのだー」
 わくわくした表情の楠川。まあ楽しみにしていろ。
 マジで驚くから。

 +

「うわっ、美味しいっ」
 奈留が驚嘆の声をあげる。そして至福の表情。
「美味しいですのだー」
「いやあ、女性にそう言ってもらえると嬉しいなあ」
 一文は嬉しそうに笑う。
「僕は紫炎軒の炒飯は食べたこと無いですが、並のラーメン屋より美味しいですよ」
 と、直樹。
「こいつ、テレビの『家庭でも美味しくできる炒飯の作り方』を見て作ったんだぜ」
 俺は兄貴を指して言う。
「まあ、僕は天才だから」
 こうもサラリと言われると、ツッコミの入れ場もない。
「鈴木くんは料理できるのだ?」
 楠川に尋ねられ、俺は首を傾げる。
「んー、多分奈留よりは出来ると思うけど」
「なんでそこに私が出てくんのよっ」
「まあ、少なくとも俺はリンゴ剥けるし」
「ぐっ……」
 痛いところをつかれたのか、下唇を噛んで黙る奈留。
「え? え? なんなのだ?」
「あははは……なんでもないのよ、紗夜」
 楠川の問いを、ひきつった顔でごまかす奈留。
 同時に俺を一瞬だけ睨む。
 ぐっ……。
 面白いネタなのに。
「まあまあ奈留ちゃん。そんな顔すると美人が台無しだよ?」
 優しく一文がなだめる。
「一文さん、ウチの姉にお世辞を言うのはやめてもらえますか。つけあがるから」
「ちょっと直樹、それどういう意味?」
「言葉の通りだけど」
「ふーん……アンタ、覚悟は出来てるわね?」
 手に持ったレンゲを折りそうなイキオイで、奈留が直樹を睨む。
「あうー、奈留たんー」
 脇で慌てる楠川。
 ったく、しょうがねえな。
「おい、奈留」
「……なによ」
 ギロリと睨むその目に一瞬ひるみそうになるが、ぐっと堪える。
「怒るのはいいが、その前に炒飯を食え。冷めると味が落ちる」
「……わかったわよ」
 ふう、とため息をつき、奈留は再び炒飯を食べ始める。
「ああっ、美味しいっ」
 さっきまでの怒りはどこへ行ったのか、奈留は再び至福の表情を浮かべる。
「直樹、あまり奈留を挑発するな。そういうのは家でやれ」
 俺は小声で直樹に言う。
「家じゃ、芳文さんはいませんからね」
 平然と返す直樹。
「……お前な」
 俺をなんだと思ってるんだ?


「はうー、美味しかったですのだー」
 楠川の満足そうな笑顔。
「ほーんと、なんでこんなに美味しいんだろ。ねえ一文、また作ってよ」
「奈留ちゃんの頼みとあらば、いつでも」
 ニッコリと笑う兄貴。
 ホント、どんなことでも兄貴は天才だよな。
「さて、ちょっと休んだら勉強の続きですよ」
「はーい、なのだ」
 一文の言葉に、楠川はにっこりと答えた。

 +

「……で、ここはこう」
「むー」
「わからない? じゃあね……」
 数学に頭を抱える楠川に、兄貴が優しく説明している。
 普通天才ってやつは、自分ができてしまうので他人に説明するのは苦手なものなんだが、兄貴は教えることも上手だった。
「ああ、わかりましたのだ」
 楠川の表情がぱあっと明るくなる。
「そ、良かった」
「一文、次こっち」
「はいはい」
 奈留に呼ばれ、兄貴が移動する。
「一文さん、その後こちらもお願いします」
 と、直樹。
「芳文は?」
「別に問題ねえ」
「そっけないなあ」
「……ホントにねえよ」
「勉強はそこそこできればいいと思ってるタイプですからね、芳文は」
「あうー、ちゃんと勉強しないといけないのだー」
「俺は勉強嫌いだからな」
 楠川に、俺はそう返す。
「……どうしてなのだ?」
「……じゃあ聞くが、お前は勉強好きか?」
「好きなのだ」
 即答。
「へー、紗夜って好きで勉強してるんだー」
 驚きの声を上げたのは奈留。ま、感想は俺も同じだが。
「頑張ってテストでいい点を取ると、褒めてもらえるのだ」
 楠川はニッコリと笑って答える。
「ご両親に?」
「そうなのだ」
 兄貴の問いに、やはり楠川は微笑んだまま答える。
「……それだけ、なのか?」
「え?」
「オマエは、褒められたいから、勉強してるのか?」
 なんか、ムカついた。
 そういうもんじゃないだろ?
「……俺は、他人に押しつけられる知識は好きじゃねえ。だから嫌いなものは勉強しねえんだ。でもな、自分から学びたいと思うものはやってるつもりだ。『学ぶ』ってのは、人に褒められるからやるもんじゃねえ、自分のためにやるもんだろ?」
「芳文……」
 奈留の声に、我に返った。
 改めて見ると、楠川は何か悪いことをした子供のように、今にも泣きそうな顔をしている。
「だっ、だからなっ、人に褒められるためにじゃなく、自分のためにやればいいんだ。今の勉強を自分のためにすりゃいいんだよ、わかったか?」
「は、はう……」
 楠川はコクンとうなずきながらも、目に涙を溜めていた。
 ……なんか、俺が悪いこと言ったみたいじゃねーか。
「芳文、今のはお前が悪い」
 口を開いたのは、兄貴だった。
「……何でだよ」
「楠川さんは、決して自分のためじゃないなんて言ってないだろ? さっき教えててわかったけど、楠川さんは本当に、勉強を楽しんでるよ。きっと、わからないことがわかるのが楽しいんだろうね。言ってみれば、好奇心のカタマリなんだよ。……楠川さん本人も、気づいてないかもしれないけどね」
「はう?」
 楠川も、よくわからないといった表情をする。
「確かに楠川さんは、ご両親に褒められるのがすごく嬉しいことなんだね。だから一生懸命勉強してる。でもきっと、そういうことが無くても楠川さんは進んで学んでると思うよ」
「そう……なのだ……?」
「天才の僕が言うんだからね、きっとそうだよ」
 兄貴のこの自信は、いったいどこから来るのだろう?
 けれどその自信に裏付けされた言葉は、強い。
「あー、楠川。今のことは、悪かった」
 俺は素直に謝る。
「あう、それはいいのだ。紗夜もお父さんとお母さんが喜んでくれるからって勉強してたのは、確かなのだ」
「……じゃ、俺もやるかな。楠川、教えてくれ」
「はう?」
「俺がやりたくなったんだよ。お前の方が出来そうだからな、都合悪くなければ教えてくれ」
「は、はいなのだ。紗夜も復習になるからいいのだ」
 紗夜はニッコリと答える。
「ふう……一件落着、と。じゃあ一文はこっちお願いね」
「はいはい」
 ため息をつく奈留に、兄貴はニッコリ笑って返事をした。

 +

「じゃ、ちょっと楠川送ってくるわ」
「べ、別にいいのだ」
「つべこべ言うな、行くぞ」
「あ、あうーまってなのだー。あ、お兄さん今日はありがとうですのだ」
 後ろで兄貴に向かってペコリとお辞儀をすると、楠川は小走りで追いついてきた。
「はふー、追いついたのだ」
 俺は楠川を横目で確認すると、何も言わずに歩き出す。
 駅までの道。
 二人の沈黙の時間が続く。
「今日は、ありがとうなのだ」
 不意に楠川が、俺に向かって礼を言う。
「ん? 何が?」
「ええと……鈴木君の家を使わせてもらったこと、お昼ご飯をごちそうになったこと、あと……勉強を教えてもらったりしたのだ」
「ああ、大したことじゃないだろ? それに俺も楠川に教えてもらったし」
「ううん……紗夜は、鈴木君から学ぶ事の意味を教えてもらったのだ」
「はあ?」
「紗夜は、お父さんとお母さんに褒められるのが好きなのだ。それに、出来るだけ心配をかけたくないのだ。だからいっぱい勉強して、テストで良い点を取りたいのだ。お父さんとお母さんに『紗夜はちゃんとやってます。だから、心配しないでいいです』って、言いたいのだ」
「……な、楠川」
「はいなのだ?」
「……オマエ、バカだろ?」
「はう?」
「親に心配かけたくない気持ちはわかるけどな。親って、実は結構子供のことを心配したがってるものなんだぞ」
「むー……言ってることがよくわからないのだ」
 楠川が首を傾げる。そりゃそうだろう。俺だって中一の頃親父に言われなかったら、今も気づかずにいたはずだ。
 体操の練習で怪我をして病院に運ばれた俺は、駆けつけてきた親父に「心配かけてごめんなさい」って謝った。そのときの親父が言った言葉が「父さん達は、本当はお前達のこと心配したがっているんだぞ。これからもどんどん心配かけろ」だった。
「実は、俺も良くわからないんだけどな……死んだ親父が言ってたんだ」
「……鈴木君のお父さんが言った言葉なら、きっと正しいのだ」
「会ったこともないのに?」
「ん、なんとなく、なのだ」
 楠川は、ニッコリと笑う。
「……そっか」
「そうなのだ」
 なんとなく、嬉しい。
 ……が。
「さ、急ぐぞ」
「あうー、待ってなのだー」
 何となく恥ずかしくなって足を早める。
 置いていかれて慌てて追いつこうとする楠川。

 ま、いっか。

「な、楠川」
「はいなのだ?」
「試験、頑張ろうな」
「了解なのだー」
 楠川の元気な声を聞き、何となく俺も嬉しい気持ちになる。
 やる気なんか無かったけど。

 少し、真面目にやってみようかな。


 おわり




  君が望む後書き

 むー。
 ……なんとか書き終えました。おひさしぶりの「楠川さんと鈴木くん」です。
 一文君の性格がね、ちょっと掴めなくて。
 でもまあ、なんとか。
 「紗夜僕」に追いつけるよう、頑張りたいかな。
 ……まだ5月、だしな(笑)


 2002.11.03 某大学サークルの打ち上げ中 ちゃある

 2002.11.05 ちと修正。

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