「だいすき」って言わせて

4.夏の始まり






 梅雨が、明けた。
 照りつける太陽は、どんよりと湿った空気を吹き飛ばし、朝七時台には既にアスファルトから熱気が返ってくる。

 そんな夏。

「……あぢー」
 下敷きをうちわ代わりにしてぱたぱたと仰いでいるのは、奈留だ。
「……こんなんじゃ、授業なんてマトモに受けられないよ……あーっ、もう!」
 奈留はネクタイをゆるめ、胸元から風を送り込む。
「奈留……お前『女の子らしさ』って言葉、知ってるか?」
「女の子らしくして涼しくなるのなら、とっくにしてるわよ」
「……そりゃそうなんだが」
 奈留のもっともな言葉に頷きつつも、俺はため息をついた。

 奈留は、兄貴曰く「かなりの美人になれる」らしい。
 均整の取れた身体と、漆黒ともいえる黒髪。胸も、大きすぎず小さすぎず。
 全てにおいて平凡だということは、裏を返せば全てにおいてバランスが取れている、ということだ。
 だから、ちょっとだけプラスの方に傾ければ、あっと言う間に美人になれる。
 ふむ。
 何となく納得。
 だが……。

「……あの、態度さえ無ければな」
 とにかく奈留は口が悪い。言うことは全て直球で、ボール球すらない。
 そしてあの妄想癖。そりゃ日頃から『ドラマよ! ドラマだわっ』などと叫んでいれば近寄る者も少ないだろう。もっとも妄想癖の方はそう頻繁ではないので、何だかんだ言っても友達は多い。敵も多いが。

「……なによその目は」
「いや……そりゃあ白馬の王子サマがいたって、こんな下敷きでバタバタあおいでるヤツのトコには来ないよな、と思って」
「……どういう意味よ」
「今の自分のカッコ、鏡で見てみ」
「こっ、これはっ、今日は寝坊して時間がなかったのっ、だからお母さんにも手伝ってもらえなくてっ」
 奈留は恥ずかしそうに、爆発した頭を両手で隠す。
「いや、そっちじゃないんだが……」
 つぶやきつつも、奈留のもう一つの欠点を思い出す。
 こいつは、致命的に不器用なのだ。
 なにせ、一人では自分の髪をまとめることも出来ない。
 もちろん、家事は論外。料理は包丁を持つ手が危なっかしくて見てられないし、掃除機をかければコンセントを自分でひっかけて転ぶ(コードレス掃除機が出たとき、真っ先に買ったのが神楽家だったな、と思い出した)。何故ここまで出来るのか教えて欲しいものだ。
 ちなみに、何故髪を切らないのかと聞いたところ、
「薄幸のヒロインは髪が長いのと相場が決まっているのよ!」
 と自信満々に言われた。そういうもんなのか。

「それに……今日は紗夜ちゃんがいないから……」
 そう。
 今日、楠川は学校を休んだ。
 なんでも、月に一度の検査の日、らしい。
 外見からは健康そうに見えるのだが、肌がひどく弱いらしく、夏服に衣替えした後も一人、肌の見えない服装(上は長袖のブラウスで、下はニーソックス)で通っている。体育はジャージで行うし、水泳は見学だ。
 運動神経は良いようで、元気に走り回っているのだから不思議に思う。けれど学校側も許可が下りているし、なにしろ今日みたいに定期的に病院で検査をしているくらいだから、実は深刻なのかもしれない。
「まあ、午後からは来るらしいからそのときに頼むわ」
「あ、そ」
 そっちじゃないんだがなあ、と思いつつも、俺は適当なあいづちを打った。


 +


「鈴木くん。おはようなのだー」
「もう、おはようじゃねーだろ」
 今は昼休み。楠川は、たった二時間の授業のためにやってきた。
「わーん、紗夜ちゃーん。頭なおして〜」
「はいはい。じゃあ後ろ向いてじっとしてるのだ」
 抱きついてきた奈留に、楠川は笑顔で答える。
 楠川は、奈留とは対照的だ。
 ともすれば小学生にすら見える身体。でも勉強はクラスでトップクラスだし、手先も器用だ。
 ……ああ、言動がおかしいのは共通してるかな。
 などとくだらないことを考える。
「なんだ芳文。またあの二人見てるのか? やっぱ気があるのか? あ?」
「違うよ」
「うわー、ふつーに否定しやがった。つまんねーやつだなー」
「……お前も暇なヤツだな」
 俺に話しかけてきたのは、クラスメイトの早田大介(そうだ・だいすけ)だ。
 奈留や楠川のせいで口数は増えたが、基本的に俺は人付き合いが得意ではない。だがコイツは入学した時から何かと声をかけてくるので、いつの間にか話すようになった。
「そりゃ暇さ。せっかく高校生になったというのに、俺には彼女の一人もいないんだぞ?」
「それ、関係あんのか?」
「大アリさ! 俺は週末は彼女とデートって決めてたんだ。なのに彼女がいないから、週末は一人でゲームする羽目になる。おかげで春から今まで何本クリアしたと思ってんだ?」
「充実した週末を送ってるじゃんか」
「まあな……ってそうじゃなくて! ……そりゃ芳文には、奈留ちゃんがいるからいいけどさ」
「はぁ? なに……」
 言ってんだ。という俺の言葉は最後まで言えなかった。
「はぶぅっ」
「早田大介っ、変なこと言ってんじゃない!」
 大介の悲鳴と奈留の怒鳴り声。ちなみに何故大介が奇妙な悲鳴をあげたかというと、奈留が投げたブラシが大介の顔面にクリーンヒットしたのだ。
 ……これだけのコントロールをもっていて、何故掃除機もろくに使えないのか俺は知りたい。
「……大丈夫か?」
「鼻がっ、鼻が痛いっ」
「そうだな。鼻血吹いてるし」
「うおっ、手が赤いっ。俺はもうダメだ。紗夜ちゃん助けて〜」
 鼻血をだらだらと流しながらも、大介は楠川へと近づいていく。
「はうっ」
 血まみれの大介に怯える楠川。まあ……あの顔じゃな。
「こら、ふざけてねえでさっさと保健室へ行け」
 げしっ。
「ふぐおっ。怪我人に容赦ない蹴りをいれるとは、貴様友達じゃないな?」
「上履き脱いだだけありがたいと思え。ってかマジで行った方がいいぞ」
「うむ。俺もそんな気がしてきた。ちと行って来る」
 鼻を両手で押さえつつ、大介は去っていく。よけいなコントをいれなければ、あそこまで血まみれにはならないだろうに。
「早田くん、大丈夫なのだ?」
「大丈夫でしょ。あのくらいの怪我」
 ……加害者が言うな、加害者が。
「ところで、楠川のほうはどうなんだ?」
「え? 何が?」
「あー、ほら、検査、だったんだろ?」
 なんとなく、聞きづらい。
 でも、気になった。
「んー、あまり良くはないのだ」
「え? そうなの紗夜ちゃん」
 楠川の言葉に、髪をまとめ終わった奈留が振り向いた。
「そ、そんなに悪いわけではないのだ。夏はいつもこんな調子なのだ」
「ふーん。ならいいけど」
 説明になっていないような楠川の言葉に、あっさり納得する奈留。本当に楠川のことを気にしてるんだろうか。
「だから、心配はいらないのだ」
「そ、そうか」
 本当は、もう少し詳しく聞きたかった。でも楠川の笑顔が、やんわりとそれを拒んでいるような気がした。


 +


「あ、鈴木くーん」
 放課後、昇降口で聞き慣れた声に呼び止められた。
 声のした方を見ると、楠川が走ってくるところだった。
「あれ、部活じゃないんか?」
「今日はメンバーが集まらないから中止なのだ」
「……そうか」
 大丈夫なのか? 演劇部は。
「鈴木くんは、これから帰るのだ?」
「まあな」
 俺は帰宅部だ。放課後学校に残ることなど、滅多にない。
「じゃあ、一緒に帰るのだ」
「一緒に?」
「駅まで一緒なのだ」
「二人で?」
「……ダメ?」
「いや……」
 二人で帰ることには異論はない。
 異論はないが、変な噂が立たないだろうか。
 ……もう、立ってたな。
 ま、噂と言っても冗談半分だから俺は気にしていない。
 広めてるのが、奈留と大介だということもある。この二人が震源地という時点で、クラスメイトは本気にしないのだ。
 それに……。
 うまく行けば、さっき聞けなかったことが聞けるかもしれない。
「……そんなことは、ないぞ」
「……その間はなんなのだ?」
 怪訝そうな顔をする楠川。
「いや、別に」
「なら、いいのだ」
 とぼけた俺に、楠川は微笑んだ。


 +


 俺達は、帰り道を並んで歩く。
 夕方になって、心持ち涼しくなったような気がする。少し、風が出てきたせいだろうか。
「あー、こんなに早く帰れるなんて久しぶりなのだー」
 隣では、嬉しそうな楠川の声。
 ……さて、どう切り出すか。
「そろそろ期末試験なのだ」
「そうだな」
 俺は適当に相づちを打ちながら、切り出すタイミングを考える。
「この間の勉強会はずいぶん役に立ったのだ。またやりたいのだ」
「そうだな」
 さすがにいきなり聞くのはどうだろう。やはり最初は軽いジャブから入って……。
「むー」
「そうだな」
 ジャブってなんだ? 天気からか?
「……鈴木くん?」
「そうだな」
「鈴木くんっ」
「うわっ」
 不意に楠川が大声を出した。
「な、なんだよ」
 見ると、楠川は頬を膨らませて俺を睨んでいる。
「一緒に帰りたくないなら、はじめからそう言えばいいのだ!」
 俺に向かってそう言い放つと、楠川はすたすたと歩き始める。
「ちょ、おい楠川」
「聞こえないのだ」
「聞こえてるじゃんか」
「ちっとも聞こえませんのだ!」
 しまった。
 完全に怒らせてしまった。
「待てよ楠川っ」
 大股でずんずん歩いていく楠川を、俺は走って追いかける。
「待たないのだっ」
 俺が走り出したのを察したのか、楠川も走り出す。
 そんな意地になって逃げること無いだろうが。
「くそっ」
 絶対捕まえてやる。
 俺は速度を上げる。腕の振りを大きく、ストライドを広く。
 ぐん、と身体が前に出る。
 自慢じゃないが、足の速さはクラスでも上位だ。楠川が相手なら負けない。
「待てってば!」
 楠川も速度を上げるが、その距離はぐんぐん縮まっていく。
「捉えたっ」
 楠川に追いついた俺は、彼女の肩をぐいっと掴む。
 ───ハズだった。
「あっ」
「おろっ」
 楠川はタイミング良く急制動。ぐっと速度を殺して一歩逸れる。
 まるで見えていたようなタイミングと動作に、一瞬感心。
 が。
 バランスを崩した俺はそのまま転倒。天地が逆転する。
 反転した視界の中、淡いピンクの物体が落ちているのを見た。
 携帯……か?
「いでっ」
 身を捻って受け身を取ったものの、アスファルトに叩き付けられた痛みに思考が一瞬とぎれた。
「あー」
 目の前には、青い空と白い雲。
 そして、照りつける太陽。
 背中が熱いのは、痛みじゃなくてアスファルトが熱いのか。
「だ、大丈夫なのだ?」
 声と同時に、楠川の顔が視界に飛び込んできた。
 手には、ピンクの携帯。
 そっか。そいつを落としたから立ち止まったのか。
 納得。
「……鈴木くん?」
 俺を覗き込む、心配そうな顔。
「悪かったな」
 アスファルトに寝そべったまま、俺は謝った。
「楠川と帰るのが、嫌だった訳じゃないんだ。……どうすればいいか、わからなくてな」
「え?」
 疑問符を返す楠川。でも俺は、その答えを素直に言えない。
「……いや、なんでもない」
 俺は身体を起こす。これ以上寝転がっていたら、焦げてしまう。
「大丈夫なのだ?」
「多分な」
「むー」
 適当な俺の答えが気に入らないらしい。じゃあなんて言えばいいんだ。
「ぶつけたトコが痛いが、大したことなさそうだ」
 立ち上がりながら、俺はそう答える。
「ほっ。なら良かったのだ」
 安堵の表情。本当に心配してたんだ。
 ……参ったな。
「楠川……アイス、好きか?」
「ふあ?」
 変な声で疑問符を返す楠川。なんだその声は。
「好きか?」
「……大好きなのだ」
「じゃあ決まりだ。暑いからアイスでも食って帰ろうぜ。おごるから」
「え?」
「ほら、早く来ないとおごらないぞ」
 言いながら、俺は歩き出す。
「あ、待って欲しいのだー」
 後ろから、楠川の足音。
「な、楠川」
「なんなのだ?」
「身体……大丈夫なんだよな?」
「から……だ?」
「……いや、今のなし。聞かなかったことでいいや」
 言って、俺は顔を背けた。
 そんなこといきなり聞いてどうすんだと、激しく後悔する。
「……やっぱり、鈴木くんは優しいのだ」
「あ?」
「ううん。なんでもないのだ。紗夜はこんなに元気だから、大丈夫なのだ」
 振り返った俺に、楠川は小さくガッツポーズをして見せた。
「そっか」
「そうですのだ」
 なら、少なくとも俺が気にするほどのことでは無いのだろう。
 きっと、そうだ。
「じゃ、行くか」
「あ、だったら紗夜の降りる駅にアイスクリームやさんがあるのだ。そこに行きたいのだ」
「お、おごりの上に店指定か?」
「別におごりじゃなくてもいいのだ。でも、食べるならおいしいアイスが食べたいのだ」
 ふむ、それは一理あるな。
「じゃあ、そうすっか」
「わーい、やったのだー」
 両手を上げて喜びを表現する楠川。こういう動きは、ホント子供っぽいな、と思う。
「あ、あと」
「なんだ? まだ何かあるのか?」
「あ、ううん。全然関係ないんだけど……また、勉強会やりたいのだ」
「……勉強会?」
「そうなのだ。前にやったときは、ずいぶん役に立ったのだ」
 ふむ。それは否定しない。
 だが……。
「でもウチは、今回ダメだぜ」
「え? どうしてなのだ?」
「部屋のクーラーがさ、壊れてんだ。だから場所があれば、ってことで」
「場所……うーん」
 考え込む楠川。
「……ま、明日にでも奈留に聞いてみるか」
「了解なのだ。紗夜の家も、聞いてみるのだ」
「ん。頼むわ」
 駅までの道を、太陽は容赦なく照りつける。
「……今年の夏も、暑くなるんかな」
 いつもと同じ、暑い夏。
 でもなんとなく、今年の夏は今までとは違うような。

 そんな気がしていた。


 つづく




  君が望むあとがき

 超久しぶりシリーズです。多分この話の一行目を書いたのはほぼ一年前だと思います(苦笑)
 ……一年経ってこれだけだよ……。
 ま、一年貯めた(?)ネタを使ってそろそろ物語を動かして行こうと思います。タイトルが全く嘘になってしまいますからね。
 では、次の作品で。
 
 2004.04.27 ちゃある

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