例えばこんなラヴストーリー 〜失恋四季報〜




 その電話があったのは、秋もそろそろ深くなりかけた夜中のことだった。
「もしもーし、たっかあっきくーん。ひっさしっぶりー、元気してる?」
 やけに明るく、はしゃぐような由菜の声が僕の携帯から聞こえる。これはいつものパターンだ。
「ね、ね、元気してる?」
「まあまあかな。仕事も、私生活もね」
「ふうん、それはいいことだねー」
「で、そっちはどうなんだ?」
「うん……ちょっと落ち込んでる」
 いきなり声のトーンを落とす由菜。僕はここで、いつもの台詞を言う。
「……ふられたのか?」
「やっぱ……わかる?」

 そりゃあ、ね。

 もう何度も同じパターンを繰り返していれば、由菜の声が聞こえた瞬間からわかってしまうものだ。


「で? また僕に愚痴をこぼしたいわけ?」
「うん、そうなんだけどー、時間、ある?」
「時間? 時間はあるんだけど……ああ、今懐がさびしくてねえ……」
「そんなあ……じゃ、私がおごってあげるから」
「そう? よかった。ちょうど車にガソリン入っていなくてね」
「えーっ、それもなのー?」
「いや、無理にとは言わないけれどね」
「わかりました、どうせあと一週間で給料が入るからおごりますよー」
「さんきゅー。じゃあ今から行くから」
「うん」
「それじゃ」
 ピッ。
「ふう」
 僕は携帯を切ると、小さくため息をついた。

 僕と由菜は中学からの付き合いだ。中学では三年間同じクラス、高校の頃は天文部で部長、副部長を二人で務めた。そのこともあってか、僕たちは『親友』として高校卒業後も関係が続いている。


「で、どこ行くの?」
 受話器を置いてから二十四分後、車の中に僕と由菜はいた。
「うーん、どこでもいいよー」
「どこって言われてもね……」
「じゃあさ、どこかでお茶しようよ。ね、ファミレスとか」
「そうね……そうしますか」

 由菜と僕の関係は親しいと言えば親しかったが、それは男と女という関係ではなく、例えば兄と妹のような、身内のような関係だった。少なくても、由菜は僕のことをそう思っていた。その証拠に由菜は、好きな人が出来る度に僕に話してくれた。そして、ふられる度に僕に電話をかけてきた。それも決まったように季節の中頃になると、だ。

 年四回の悲しい電話。その度に僕は由菜をなぐさめていた。


「……で、結局彼には好きな人がいたってわけ」
 近くのファミレスに入って三十分(と、その前に二十四時間営業のガソリンスタンドでガソリンを満タンにしたが)、僕はコーヒーを飲みながら、由菜の『ふられるまでの一部始終』を聞いていた。たった三十分で終わったのだから、今回はマシなほうだ。
「ねえ孝昭。私の話、聞いてた?」
「そりゃあもう、最初から最後まで」
「じゃあ私の気持ちもわかるよねー」
「ああ、そうですねえ。悲しいですねえ」
「なんか、感情こもってないわねー」
「いやあ、そんなことないですよぉ」
「そのわざとらしい口調が嫌だなー」
「……ごめんな」
「え、あ……違うの。謝るのはこっちだから、別にいいの……」
 僕が申し訳なさそうな顔をすると、由菜は慌てて謝ってきた。
「いや、僕の『ごめん』って言うのは、ほら、うまくなぐさめる言葉が見つからなかったからさ……」
 その言葉は本当だ。毎回同じことを言う気にもならないので、別の気の利いた言葉を言おうと思うが全く見つからないのだ。

 まあ、理由はもう一つあるのだが。

「そうだ。せっかくガソリン入れてもらったからさ、これからドライブ行こうよ。深夜のドライブってのは結構いいものだからさ」
「そう? じゃあ連れていってもらおうかなー」
 由菜が笑顔で言う。でも少し寂しそうな笑顔。

 由菜は本当に辛かったのだ。

 ふられてもふられてもすぐ別の人に惚れてしまう由菜だが、その時々で彼女は真剣なのだ。その時は誰よりも相手を愛してしまうのだ。だから由菜は恋に破れたとき、その反動をまともに受けてしまう。
 長年友達をやっている僕はそのことを知っていた。だから放っておけないのだ。悲しいままでいたら、どうなってしまうかわからないから。

 そして、

 そして僕は、由菜のことが好きだから。


「やっぱ夜のドライブは、東京が一番だよね」
「そうなの?」
「だって、深夜に山奥行ったって景色なんて見えないじゃない? 夜景は都市が一番きれいなんだよ」
「ああ、そっかー」
 僕の説明に納得する由菜。
 僕たちは自動販売機でコーヒー(彼女は紅茶だったが)を買うと、早速東京に車を向けた。
 タクシーに紛れて僕たちの乗る車が駆けていく。光のシャワーを浴びっぱなしで。
「やっぱね、ふられたときは思いっきり気分転換するのが一番だからさ」
「うん……そうだよねー」
 由菜の声は重い。また思い出しているのだろうか、辛い思い出を。
「このまま横浜くらいまで行っちゃおうか?」
「えっ、でも、明日も仕事でしょ?」
「大丈夫、一晩くらい寝なくてもさ」

 仕事なんかより由菜のほうが大切だからなんて、さすがに言えなかったが。

「ねえ……」
「なんだよ、そんな女の子みたいな声だしたりして」
「わたしは、おんなのこです!」
「あ、ごめんごめん」
「そうじゃなくてさ、私って、そんなに魅力ないのかなー?」
「な、何言ってんのさ、いきなり」
「だってさ、今年に入って三回目だよー? ふられたの」
「ま、まあ……そりゃそうなんだけどね」
「そりゃね。胸は自慢できるほどないと思うのよー」
「まあ……ないよね」
「あ、それひどい」
「おいおい、お前が言ったんだろうが」
「でも傷ついた」
「……わがままめ」
「いいのっ、今はそういうことを話してたわけじゃないでしょ!」
 ムキになる由菜。やっぱコンプレックス持ってたんだなあ……。
「まあ、由菜の魅力は胸じゃないから」
「じゃあ私の胸は魅力がないみたいじゃない」
「なぜそうなる?」
「だってそう言ってるでしょ? まったく見た事もないくせにー」
「……だって、見せてくれないじゃないか」
「あ・た・り・ま・え、で、しょっ」
「おいおい、首を掴むな、ハンドルがハンドルっ」
 いきなり首を掴まれ、車が蛇行する。
「あっぶないわねー」
「お前が掴むからだろっ」
「そう言えば孝昭って、首が弱点だったわね」
「そうなんだよっ、まったく……」
「でも、ほんとに私って魅力ない?」
 僕をじっと見つめる由菜。
 僕は彼女を横目で見る。

 ──ドクン。

 心臓が破裂しそうな鼓動を叩く。
「そ、そんな事ないと思うよ」
「なんか、嘘っぽい言い方ねー」
「違うって。本当にお前は魅力的だって」
「……ありがと」
「ほんとだよ。だって……」
 思わず心の内を言いそうになり、僕は慌てて口をつぐむ。
「だって、なによ」
「だって……なあ。えーと……」
「あーあ、やっぱ私って魅力ないんだー」
「友達は多いんだけどね」
「まあね。それなりにいるんだけどねー」
 そんな事を言っているうちに、車はサンシャインシティのすぐ下まで来ていた。
「さすがに高いわねー」
 とりあえず気分転換することにしたのか、サンシャインを見上げる由菜。
「まあ、六十階立てだし」
 少し的外れな答えをする僕。
「じゃあ、都庁はもっと高いのかなー?」
「そりゃ、そうでしょうよ」
「ちょっと見てみたいなー」
「そう? 別にいいけどね」
 僕は新宿へと進路を変える。池袋から新宿へは、この時間なら結構早く行くことができるのだ。
「友達がさあ、今度結婚するんだって」
 正面を見たまま、彼女はつぶやくように言った。
「もうそんな歳なんだよね、私たち」
「そうかな」
「そうよー」
 僕たちは今年で二十三になる。僕は大学を出て今年就職した新入社員で、由菜は短大卒のOLだ。二十三歳ともなれば、女性は結婚適齢期とかになってしまうのだろうか。
「あーあ、もう誰か私をもらってくれないかしらー」
「え?」


 不意の言葉に、僕は一瞬だけ由菜を見る。

 それに合わせたかのように、街の光に一瞬だけ由菜の顔が浮かび上がる。

 天使の横顔。

 何とも稚拙な表現だが、まさにそんな感じ。


「ねえ?」
 その天使が、僕を見た。


「……僕で、良ければ」
「え?」
 今度は由菜は、驚いた表情で僕を見る。
「ほら、俺なら結婚してたり二股かけられたり、ホモだったりしないから」
 由菜の視線が恥ずかしくて、つい冗談っぽく言ってしまう。
 確かに由菜がふられる理由は、ほとんどと言っていいほど相手側にある。
 僕が言ったように、相手に奥さんがいたり、彼女がいたり、男にしか興味がなかったりするのだ。
 もっとも、そう言うヤツを好きになる彼女に運が無いと言えばそれまでだが。
「あはははっ、まったく、冗談キツイなー」
 バンバンと僕の肩を叩く由菜。

 そんな由菜の行動に。


 ──僕の中の、何かが外れた。


「そんなに、冗談に聞こえる、かな」
「え?」
 低い声。
「きっと由菜は、僕は本気だよって言っても、信じてくれないんだろうね」
 前を向いたまま、僕は言葉を続ける。
「僕がずっと彼女も作らずにいたのは、まあ、僕がもてないってのもあるけど、ずっと由菜のことを見ていたからなんだよ」
 口を開けたまま、ポカンとする由菜。

 ああ、言ってしまった。


 友人としての危ういバランス。
 その天秤を、自ら揺らしてしまった。
 もう、元には戻らない。

 もう、後には引けない。


 僕は車を脇に停めると、ゆっくりと由菜を見た。
 由菜は戸惑いの表情を浮かべたまま、僕を見る。

「僕は由菜のことが好きだ。ずっとずっと、中学の頃から好きだった」

 そう言って、僕は微笑んだ。
 返事なんか関係なかった。

 一生言えないと思っていた言葉を言うことが出来た。

 今は、それだけで満足だった。


「やだ……なんか変」
 不意に由菜が頬を押さえる。
「どっ、どうした? 体調悪いのか? 大丈夫か?」
「なんか、顔が熱いの。なんかね……」
 由菜は頬を真っ赤にして、僕を見た。
「さっきの言葉に、クラッと来たみたい」
「え?」
 何を言っているのかわからず、僕は聞き返した。
「そっか、そうだねー」
 一人納得したような表情で、由菜は頷く。
「なんだよ、何頷いてんだよ」
「え? うーん、私がずっとふられてた理由がわかったなって」
「……なに? それ」
「孝昭が邪魔してたんだー。きっと」
 そう言って、由菜は笑った。
「はあ? んな無茶な」
 僕は呆れた顔で彼女を見る。
「いいよ、結婚しよう!」
 そう言って由菜はいきなり、僕に抱きついて来た。
「ちょちょっ、なんだよいきなりっ」
「孝昭が告白してきたんでしょー? 自分の発言に責任持ちなさいよっ」
 抱きついたまま、嬉しそうに由菜は笑う。

 そうだった。

 由菜は、些細なきっかけで恋が始まるヤツだった。

「わかった、わかったから席に戻れ。大体お前、シートベルトしてなかっただろうが」
「いいじゃん。どうせ捕まるの孝昭だしー」
 由菜は明るい顔で笑う。

 今日初めて見る、明るい笑顔。

「じゃあ、試してみますかね」
「何を?」
「由菜とさ、僕のつき合いが、どれくらい続くのか、さ」
「ええ? それどういう意味よー」
「そういう意味だよ」
 僕は由菜がシートベルトをしたことを確認し、車を出す。

 だって、
 誰も由菜と付き合った人がいないじゃないか。
 だから、さ。

 付き合ってみなくちゃ、わからないだろ?


 end


Ver1.00 1996.09.21〜2002.03.15










 僕が望む後書き

 えと、「例えばこんなラヴストーリー」です。古い書きかけのネタを掘り返してみました。
 由菜、こんな性格だったかなーとか色々思いますけど。

 最近、深夜ドライブネタが多いなーと思う今日この頃。

 2002.03.15 ちゃある


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