紗夜と僕
1 出会い
───その日、僕に『娘』ができた。
ガタガタガタガタガタ……。
テーブルの上に置きっぱなしだった携帯が、不意に震えだした。俺は常にバイブレータ機能を使用し、着メロは切っている。職場で着メロが鳴り響くのを嫌うため(切り替えろって? そんなの忘れるに決まってる。現に二度ほど忘れ、職場にヤイコの曲を響かせた経験がある)なのだが、場合によっては着メロよりよっぽど派手な音がするものだ。
「……はい、もしもし」
『ケンイチ君、かね? 楠川だが』
「……あ、叔父さん! 久しぶりですね」
受話器から聞こえてきたのは俺の叔父、楠川大吾(くすかわ・だいご)の声だった。
叔父さんは今の俺を形成する一因となった一人だ。父と一緒で新しいもの好きで、ヘッドホンステレオとかプロジェクターとか、新しいものを買う度に見せてもらっていた。
しかしここ十年くらいはお互い忙しく、年賀状をやりとりするくらいで会っていなかった。それでもすぐにわかったのは、俺が叔父さんを好きだったからなのかも知れない。
『ははは、私のことを覚えていてくれて良かったよ。その声からすると、元気そうだね』
「ええまあ。それにしてもどうしたんです? 急に」
『ああそうだ。今日はケンイチ君にお願いがあってね』
「お願いですか? まあいいですけど」
他ならぬ叔父さんの頼みだし。
『実は今度事業の関係で海外に行くことになってね。そこで……娘を、預かって欲しいのだが』
「ええ、それくらいなら……」
え?
「……ちょっと待ってください。『娘』ですか?」
俺は自分の耳がおかしいのかと思い、もう一度聞き返した。
だって確か、叔父さんには子供はいなかったはず。
『ああ、急な頼みで申し訳ないんだが……私たちも急に海外に転勤になってね』
「いや、そうじゃなく……」
『……ああ、説明が無くてすまなかった。紗夜は……娘は、養子なんだよ』
「養子……ですか」
ならば納得は行く。叔父さん夫婦は、ずっと子供を欲しがっていたし。
『君のお父さんにも頼んだのだが、通学の関係でケンイチ君の家の方がいいだろうと思ってね。ケンイチ君、頼めないだろうか?』
「……いいですけど……僕は、何もできないですよ」
『ああ、構わないよ。ケンイチ君には、紗夜を見守って欲しい』
「そうですか……」
ま、何とかなるだろう。最悪は、母親に頼めばいい話だし。
歳の離れた妹が出来たと思えば、良いんだよな。
「わかりました。じゃあ、どうすればいいですか?」
『うむ。実はもう、紗夜はそっちに向かっているんだ。出来れば駅まで迎えに出てくれると助かる』
「……了解しました」
そうだよ。叔父はこういう人だったよ。
『では三年間、任せたよ。学費や生活費は、君の口座に振り込むから』
「え? 三年っスか?」
『ああ。紗夜は今年高校一年なんだ。高校を無事卒業するまで、お願いしたい』
……そういうことは先に言うものでしょう? 叔父さん。
「……わかりました」
『では私たちもそろそろ出かけるから。また』
「あ、はい……」
そう言って、電話は切れた。
「……なんだか突然だなあ……って、そっか、迎えか」
俺は慌てて着替えると、外に飛び出した。
「で? 紗夜ちゃんってどんなカッコしてんだ?」
駅に着いてから気づいたのは、それだった。ってか、今まで気づかない俺も俺だが。
……まあ、何とかなるだろ。確か高校一年って話だし。
俺は改札の前で、じっと彼女らしき姿が降りてくるのを待つ。
……でもよ。
……向こうも俺を知らなかったら、すれ違うんじゃないのか?
「うーん……」
俺は目の前を通る人を見ながらも、腕を組んで唸った。
何本目かの電車が通り過ぎ、俺は二本目の缶コーヒーを開けた。
「やっぱ時間くらい、聞いておくべきだったな」
つぶやいても仕方ない。
と、大きな荷物を背負った小さな女の子がひょこひょこと、こっちに向かって歩いてきた。
小学生か、中学生。
あの身体にその荷物はちょっと重いだろう。
案の定、ふらふらしている。
仕方ないな。
「……持とうか?」
普通に言葉をかけたつもりだったが、彼女はひどく驚いた表情で僕を見た。
そりゃそうか。彼女にしてみれば俺なんか『怖いおじさん』だ。
「ああ、ごめん。えと、単なる親切心なんだが」
今更そんなこと言ってもかわらんだろうが。
「あの、お気持ちはありがたいのですが」
ああやっぱ、そうだろうな。
「……ここで、人を待つことになっておりますので」
「あ、そうなんだ。じゃあ、俺と一緒だ」
「そうなんですか」
彼女はにっこりと笑うと、俺の隣に荷物を下ろした。
「はふー」
大きく息を吐く彼女。そりゃそうだ。でかい鞄を三つも持ってれば、大変だろうに。
「なんか、飲む?」
「え?」
「いや、疲れただろ?」
「いえ、いいですいいです。そんなお世話にはなれませんのだ」
「……のだ?」
「あ、いえ……です」
照れたような表情をする彼女。
ちょっと、可愛い。
「で……まだ、来ないんだ」
俺はとぼけて、話を逸らす。
「うー、わからないのだー……です」
「ああごめん、言い直さなくても良いよ」
「あうー」
「別に笑ったりした訳じゃないから。ね? で、わからないって?」
「……今日初めて会う人なのだ」
「じゃあ、俺と同じだね」
「え?」
「俺も今日初めて会う人と、待ち合わせなんだ」
俺はにっこりと、彼女に笑いかけた。
「そうなのだ?」
「うん。僕の叔父さんの子供らしいんだけど」
「そうですか。紗夜はお父さんのお兄さんの息子さんに会うのだ」
「そっか、紗夜ちゃんも似たようなものか……」
え?
「……紗夜ちゃん?」
「はい?」
「楠川……紗夜?」
「……何で知ってるのだ?」
「俺、ケンイチ」
「はう?」
驚いた表情の彼女。俺だって驚いているのだから同じようなものか。
「どーもはじめまして。アキヤマケンイチです」
「あ、楠川紗夜(くすかわ・さや)ですのだ」
ぺこりとお辞儀をする紗夜ちゃん。
「じゃ、とりあえず行こうか」
「はいなのだ」
俺は紗夜ちゃんの鞄を二つ、手にする。
「あう、自分で持ちますのだー」
「いいよ。さっさと行こう」
そう言って俺は歩き出す。後ろを慌ててついてくる紗夜ちゃん。
「あうー、待ってくださいなのだー」
……奇妙な日本語だなあ。
最近の高校生は、そんな言葉が流行ってるのだろうか?
「ところで……紗夜ちゃん?」
「はいなのだ?」
「今年……高校生なんだっけ?」
家に向かって車を走らせながら、俺は紗夜ちゃんに尋ねた。
「はい、今年入学ですのだ」
「そっか……」
「はう、紗夜は小さいので、よく小学生と間違えられますのだ」
俺が思っていることを、紗夜ちゃんは先回りして答える。
それは、日常茶飯事だからなのだろうか。
「おとーさんも、思ったより若いので驚きましたのだ」
「そうな……って、誰が『おとーさん』?」
「ケンイチさん」
「なんでっ」
「お父さんが、自分の代わりだと思えって言ったのだ。だからおとーさん」
紗夜ちゃんは、にっこりと笑う。
「……一応、従兄弟なんだけどね」
「むー、でも、おとーさんなのだー」
「う」
……非常に嫌なのだが。
どうも、俺はこういう子に弱いらしい。
「OK。じゃあそれでいいよ。紗夜」
「よかったのだ。おとーさん」
「ただし……他の人には使ってくれるなよ」
「どうしてなのだ?」
「まだ二十代なのに十五の子供がいるのはおかしいだろ?」
「むー」
真剣に悩む紗夜。
いいけどさ。
「ま、これからよろしく頼むな、紗夜」
「はい、よろしくですのだ。おとーさん」
そして───。
───今日、僕に『娘』ができた。
end
君が望む後書き
ええと、本作品は「もう一人の楠川紗夜」を想定して書いてみました。もう一人、というのは僕の日記でおなじみ(って、読んでいたら、の話ですが)の『紗夜』です。
日記版では紗夜は僕と一緒に住み、毎朝(……でもないか)僕を起こし、何故か僕を「おとーさん」と呼びます。そんな「ちょっと小説版とは違う彼女」を「ちゃんと書きたくなって」書いたのがコレ、というわけです。
で、仕方ないので登場人物は僕。そのうちアキコさんも出てくるのかな? いや絶対出るな、と(苦笑)
ま、小説版共々、彼女を応援してくれると嬉しいのだー(似非紗夜口調)。
2002.06.19 ちゃある