紗夜と僕シリーズ「少年の横顔」  クローゼットの一番奥に、それはしまわれていた。  その大きなケースは、一目で何が入っているのか想像がつく形だった。  だから私は、それを、引っぱり出した。 「……ギターなのだ」  しっかりと埃を被ったケースを開けると、そこにはフォークギターが収められて いた。  クローゼットにわざわざ閉まってあるということは、大事なものなのだろうか。  私はゆっくりと、そのギターをケースから取り出す。  ぼぼわわわあん。 「はうっ」  指が弦に触れたのか、低く鈍い音が、部屋に響く。 「音が出たのだ」  って、当たり前か。ギターなんだから。 「でも、音が変なのだ」  さっきの音は、いくら誤ってはじいたものだとしても、悪すぎる。  どうしてなんだろう。  と、玄関で鍵を開ける音がした。 「おとーさんなのだ」 「ただいま、紗夜」 「おかえりなさい」 「はい、土産」 「おー、どーなつなのだー」 「うむ、全品百円セールだったからな。これで明日の朝飯も安心」 「……朝ごはん食べないのに……」 「バカだなー、『甘いものは別腹』って言うじゃないか」 「それはここで使う言葉じゃないと思うのだ」 「うーむ、日本語は奥が深い」  腕を組んで考える振りをするおとーさん。  どーしておとーさんは、誰もいないのにコントを始めるのだろう。  ……前に聞いたときは『エンターテイナーだからさ!』と親指を立てて笑ってた 気がするけど。 「それより紗夜、そのギターはなんだ?」 「そうなのだ。お片づけをしていたら出てきたのだ」 「……ヒトのものを勝手に漁るなと言っておいただろ?」 「むー。でも、えっちな本とかDVDとかが入っている二番目の引き出しは、開け てないのだ」 「そうか、ならよし……ってなんで紗夜子さんは私の机の中身を知ってますか?」  途端に焦った表情になるおとーさん。 「開けて無くても、あれだけ『この引き出しは開けちゃダメ』って言われれば想像 つくのだ」 「あー……」  妙に納得した表情のおとーさん。 「……ああそうさ! あの引き出しはおとーさんの大切なエロ本とかDVDが入って るから、絶対開けるなよ!」  逆ギレだ。 「……とまあ冗談はおいといて。久しぶりに弾いてみるか」 「え? おとーさん弾けるの?」 「あー訂正。鳴らしてみるか」 「……納得なのだ」 「ま、その前に飯、食ってからな。あー腹減った」 「はーい、今準備するのだー」  私は立ち上がると、台所へと向かった。   + 「っふー、ごちそうさまでした」 「おそまつさまでした」 「しかし、紗夜も料理うまくなったな」 「うふふー」  褒められたことが嬉しくて、思わず笑みがこぼれる。  おとーさんのところに来てから、私が家事担当になった。元々不精者のおとーさん は、今はほとんど何もしない。『家事は半分ずつにしような』なんて言葉は、きっと 覚えていないのだろう。  料理はおとーさんのおかーさんとか、アキコさんに習ったりしてる。さすがに一年 もやっていれば、上達もする。  それに今となっては、おとーさんに任せる方が心配だし。 「じゃあ……ギターを鳴らしてみるけど……と」  おとーさんはおもむろにギターケースを探り出す。 「電池電池……」 「電池?」 「チューニングするのに使うの。俺音感無いから」 「音感無いのにギター……」 「……いいじゃんか」  ……いいですけど。  おとーさんが取り出したのは、アナログメーターがついている変な機械。 「これは、音を拾ってその音がどのくらいずれているかを確認する装置です」  と、おとーさんは先生っぽく説明を始める。 「これから、音を出してみます」  と、おとーさんはギターの弦を一本弾く。  ぼわあああん。 「はい、変な音ですね。それに、メーターはまったく反応しません。そこで、この つまみを捻っていくと……」  と、おとーさんはギターの先にあるネジみたいなものをくいくいと捻っていく。  ぼわわわああん。 「ちょっと音が変わりましたね。ではおとーさんガンガンチューニングしちゃう ぞー」  おとーさんはにこやかにつまみを捻っては弦を弾く。  繰り返していくうちに、機械のほうの針が反応を示す。 「お、近くなってきましたねー」  嬉しそうに言うおとーさん。 「……まあ、この辺かな。弦が古いからね」  既に私に言う、というよりもつぶやきに変わっている。でも、顔は楽しそう。  この調子で、六本の弦を順にチューニング。 「いようし、ちょっと鳴らすかねえ」  ジャーンッ。  さっきとは明らかに違う音。ちゃんと和音になっている。 「ううん、やっぱいいねえ」 「ねえねえ、紗夜も」 「まあちょっと待て。ええとこの辺に練習用の……」  そう言って、おとーさんは本棚をごそごそと探り出す。  その隙に私はギターを抱える。おとーさんみたいにあぐらをかいて。  上から一本ずつ弦を弾く。  さっきとは違う、確かな音。 「ちゃんとした弦買えば、もうちょっといい音なんだろうけどな……と、あった あった」  本棚の奥からおとーさんが取り出してきたのは、ギターの入門書。 「まあ、弾き方なんかわからんので、とりあえずコード押さえればな」  とか言ってコード一覧を開く。 「紗夜、ちょい貸して」 「はいなのだ」 「ええと……Cは……って、基本的なことも忘れてるのか、俺は」  トホホ、とかつぶやきながら、おとーさんは左手で弦を押さえていく。  ジャーンっ。 「……ううむ、ちゃんと押さえられんな」  でも、顔は微笑んでいる。 「こうで……こう……」  既に私のことも忘れてしまったかのように、おとーさんは真剣な顔でギターと 向かい合う。  失敗を繰り返しながら、奏でる音色。  『奏でる』というところまでは、本当は届いていないのかも知れないけど。  その顔は、まるで少年のようで。  彼の顔と、ほんの一瞬だけ重なった。 「え?」  その光景に、自分が驚く。 「ん? なんかついてるか?」 「はうっ。な、なんでもないのだ」 「そっか。じゃあなんとなくわかってきたので一曲」 「おー、頑張れおとーさん」 「うい」  おとーさんは歌いはじめた。私の知らない歌を。  音程もおかしいし、ギターも単に和音を鳴らしているだけだけど。  その顔はやはり、どことなく彼に似ていて。 『男って、夢中になるとみんな同じような顔になるよね。……そう、子供の顔に』  そんなことを言ったのは、アキコさんだったか。  でも、確かにその言葉は正しいと思う。  現に、彼の顔とおとーさんの顔が重なって見えるのだから。 「わー、ぱちぱちぱち」  曲が終わった。上手くはないけど、拍手。  その拍手に、おとーさんはご機嫌だ。 「うーむ、じゃあ次はどれ行くかなあ」 「あ、紗夜が選ぶのだー」 「よーし、なんでもこい」 「じゃあねー……」  歌い手が一人と、聴き手が一人。  たった二人の演奏会は。  二十分後、隣から苦情が来るまで続いたのだった。  おわり。  君が望まない後書き  本日のお気に入りはこのセリフ。 「……ああそうさ! あの引き出しはおとーさんの大切なエロ本とかDVDが入って るから、絶対開けるなよ!」  と、いうわけで久々の紗夜僕です。前々からネタとしては温めてたんですが、よう やく言葉になりました。  今回は初の紗夜視点ということで、だいぶ違和感があるようなないような。紗夜 は口調がアレなのですが、心理描写もアレでやるとちとうざいので普通にしてみま した。まあ良いか悪いかは、読者に任せる方向でお願いします。  で、一応言っておくと、確かに自分はギターを持ってたりしますが、腕前は初心者 以下です(笑)  では、次の作品で。  2003.07.30 本編はどうした? ちゃある