紗夜と僕 特別編 「紗夜ちゃんと私」
「こんにちはー、ケンイチいるー?」
わたしはいつものように、玄関のドアをいきなり開けた。
いつものように。
『自分の家に帰るとき、チャイムなんか鳴らさないだろ? いいんだよ、フツーにドアを開ければ』
ケンイチが一人暮らしを始めたとき、言ってくれた言葉。
だからわたしは、いつもいきなりドアを開ける。
……最近は、良く鍵がかかってたりするんだけど。
「あ、アキコさん。こんにちは、なのだ」
「あれ? 紗夜ちゃんだけ?」
「おとーさんは、今買い物に行ってるのだ」
「あ、そうなんだ。ちょっと、待ってていいかな」
「別に断らなくてもいいのだ。ここはアキコさんの別荘なのだ」
「別荘にしては、ちょっとせまいけどねー」
「ちょっとどころじゃないのだー」
わたしの言葉に、紗夜ちゃんが笑った。
わたしとケンイチがつきあい始めて、六年半。ケンイチが一人暮らしをはじめて、二年。 そして。
紗夜ちゃんがケンイチのところに来て、一年半になろうとしている。
わたしがあがると、紗夜ちゃんはエアコンのスイッチを入れ、窓を閉める。
「あ、いいのに。今日はそのままでも涼しいでしょ?」
「それはそうですけど……」
「ああ、ケンイチってクーラー好きだからねー」
「そうなのだ。そんなに暑くないときでもクーラーをつけたがるのだ」
「それでいて腸が弱いもんだから、お腹壊したりしてね」
「まったく。おとーさんは自己管理って言葉を知らないと思うのだ」
二人で笑う。
「学校は、どう? って……今は夏休みか」
「来週から部活動が始まるのだ」
「そっか、演劇部だっけ。いいなあ、あたしも久しぶりにやりたいなあ」
「むー。あ、ちょっとまってて」
紗夜ちゃんはそう言うと、とたとたと自分の部屋に入っていく。
半開きのふすまの向こうで、がさがさと音がする。
「すっかり紗夜ちゃんの部屋だなあ」
二年前、『秘密基地みたいだろ!』と喜んでいたケンイチの顔を思い出す。
それは経った半年で魔窟と化し(ホント、モノを買いすぎだと思う)、挙げ句に紗夜ちゃんに乗っ取られた。
今では、パソコンとかしまいきれない本以外は、すっかり紗夜ちゃんの荷物で占められている。
「ま、もう少しの辛抱だけどね」
さすがに狭いので、私たちは引っ越しを考えている。さすがに2DKに三人は厳しいだろう。
……一人増えてるって? それはまあ、そういうこと。
「おまたせー」
そう言って紗夜ちゃんがもってきたのは、一冊の台本。
「春に演ったお話なんだけど、このヒロインが、アキコさんっぽいと思ったのだ」
「へえ。どれどれ……」
それは、小さな食堂のはなし。
つぶれかけた食堂を切り盛りするヒロインと、その食堂を救うために駆け回る青年達のドタバタコメディー。
「……これって」
「どうなのだ?」
「……もうちょっと細身の美人が演じた方が、いいんじゃないかな?」
「むー。アキコさんは美人だと思うのだ」
「あはははは」
乾いた笑い。
「えー、アキコさんって、本当に美人だと思うのだー」
「そんな可愛い紗夜ちゃんに言われたくないのだー」
物まね。
でも、効果があったのか、紗夜ちゃんは照れた顔をする。
「うー」
「そんなところも可愛いんだからこのっ」
「はうっ」
ぎゅっと、抱きしめる。
末っ子だったわたしは、やっぱり妹とか弟に憧れるときがある。紗夜ちゃんは、そんな欲望をかなえてくれる。
「むー、かわいいかわいい」
実家で飼っている犬にするみたいに、ほっぺをふにふにしたり、顔をすりすりしてみたりして。
「はうー、やめてほしいのだー」
紗夜ちゃんは手足をばたばたさせてもがく。でも、顔は笑っている。
こんなふうにじゃれあうのは、久しぶりだからかな。
「はふー」
ようやく私から解放された紗夜ちゃんが、エアコンのスイッチを入れた。
「さすがに暑いねー」
「それはアキコさんのせいなのだ」
言って、紗夜ちゃんは台所へと消える。
「ふう」
エアコンの風が気持ちいい。
「はい、どうぞ」
「あ、ありがとー」
紗夜ちゃんがもってきたのは麦茶だった。ペットボトルではなくポットに入っているところを見ると、きっと紗夜ちゃんが作っておいたのだろう。ケンイチがそんなことするはずがない。
「あー、おいしいー」
「おいしいのだ」
ふう、と一息つく。
「……ケンイチ、いつごろ出ていったの?」
「んー、ちょっとコンビニに行って来るって、二十分くらい前だと思うのだ」
「……コンビニで立ち読みしてるね」
「なのだ」
さすがにつきあいが長いから、そんな想いも分かり合える。
「ね、紗夜ちゃん。紗夜ちゃんから見て、ケンイチってどう?」
「どう……って?」
「うーん……どうなんだろうね」
苦笑。自分でも、どんな答えを求めているのかわからない質問をしたのかもしれない。
「むー……頼りないし、だらしないし、男らしくないのだ」
「あー」
否定できないな。
「不精者で、気分屋で、浪費家で」
「そうねー、歯ぎしりもするし」
「パンツ一丁で歩き回るし」
「夢中になると、周りが見えなくなるのだ」
「そうそう、一緒に歩いててもね」
「ホント、心配なのだ」
「ま、高校生の女の子にここまで心配されるオトコが、わたしの彼氏なんだけどね……」
「あ、う、で、でもでも。おとーさんは優しいのだ」
「そうだね」
むしろ、それだけが取り柄?
「普通なら、紗夜がこうして一緒に住むなんて、嫌がると思うのだ。でもおとーさんは、紗夜を迎え入れてくれたのだ」
「うん」
「紗夜は、おとーさんのこと大好きなのだ」
そう言って、紗夜ちゃんはニッコリと笑う。
「そっか」
紗夜ちゃんの言葉に、嘘はないのだろう。
だから、安心する。
ああ、本当に。
わたしは、ケンイチを好きでいいんだ、と。
「……あげないぞ?」
「はう、い、いらないのだ」
わたしの言葉に戸惑う紗夜ちゃん。あー、可愛い。
そのとき、玄関の扉が開いた。
「ただいまー。紗夜出かけるぞー」
「はう?」
「何急に」
「お、アキコも来てたか。丁度いいな。蕎麦食べに行こうぜ」
「……今から?」
時計は、二時を回っている。
「今なら早めの夕飯に間に合うだろ?」
「って、どこ行く気?」
「俺が蕎麦食いに行くって行ったら長野なんだよ! はい準備準備!」
ケンイチは、そう言って手を叩く。
「……ホントに突発的なんだから」
「……なのだ」
わたしと紗夜ちゃんは顔を見合わせて笑う。
「そうだ。きかさん呼ぼう。うん、蕎麦なら行くね。早速電話〜」
「……きかさん、また呼ばれてるのだ」
「……ホント、きかさんかわいそう」
「……え? うん。今から。そう。だいじょぶだいじょぶ。今からなら空いてるって……うん。じゃあ迎えに行く」
「うわ、ホントに捕まえたのだ」
「ほら行くぞ。ハリーハリー」
「はいはい」
私は紗夜ちゃんに向かって、肩をすくめる。それを見て、紗夜ちゃんも同じようにすくめて見せた。
まったく、相変わらずなんだから。
こんなんでよく友達がいるな、と思う。
でも、そうか。
こんなのとつき合ってるのが、いるんだもんね。
私は一人苦笑すると、紗夜ちゃんと一緒に戸締まりを始めた。
おわり。
俺が望む後書き。
ってーことで番外編です。今回は初の『アキコ視点』にチャレンジ!
……あー、ノロケモード全開なのは許せよ。
えと、今回書くきっかけになったのは『アキコさんの誕生日に、俺らしいものを贈ろう』と思ったことです。だから、この作品はアキコさんに捧げます。
ああ、最後に某氏が出てるのは単なるネタです。気にしないでください。
相変わらず校正してないけど許せよ(ぉ
2003.08.22 最愛の人の生まれた日の二日前に ちゃある
2003.08.24 アップ前に修正。罵詈雑言を追加(ぉ