紗夜と僕 番外編「桜舞」






 めずらしく、紗夜は起きていた。
 最近仕事が忙しく、僕が帰る頃には紗夜は大抵眠っている。
 だから、紗夜の顔を見るなり僕は「おや?」と呟いた。
「おとーさん、『おや?』はないのだ。帰ったら『ただいま』なのだ」
「そうだったね。ただいま、紗夜」
「おかえりなさい」
 紗夜はにっこり笑って答える。
「で、どうして起きてんだ?」
「明日は、朝練がないのだ」
「ふむ」
 確かに、紗夜が早く寝る理由として『朝練がある』とはあると思う。それが無いならば、朝早く起きる必要もないと。
 でも、それだけが理由なのだろうか?
「で、本当の理由は?」
「……おとーさんと、買い物に行きたいのだ」
 突然変なことを言う紗夜。買い物?
「今?」
「今」
「なにを?」
「うーん……アイス!」
 ほんの少しの間を置いて、紗夜が元気良く言った。
 明らかな思いつき。

 ホントは疲れてるから、さっさと寝たいんだけどな。

 ……とは言えないのが、最近の僕。
 なにしろ家事を全て、紗夜に任せっきりなのだ。
「……じゃ、行こうか」
「やったーっ」
「こら、時間を考えろ」
 飛び跳ねて喜ぶ紗夜に注意すると、僕は回れ右をして外に出た。

  +

 こんな時間に買い物なんて、コンビニ以外じゃできない。僕と紗夜は、歩いて数分のところにあるコンビニまで歩く。
「今日は、だいぶ暖かいな」
「そうだね」
 まだ若干肌寒くはあるが、二週間ほど前に比べるとまるで違う。そりゃあ春にもなるわな、という感じ。
「もうすぐ夏が来てしまうのだー」
 憂鬱な顔をする紗夜。紗夜は着る服に制限があるため、暑い季節は苦手なのだ。
「ま、まだまだ先さ。それに、今年はクーラーも壊れないだろ」
「……そうだといいのだ……」
 不安げな顔をするな、紗夜よ。

 そんな会話をしながらだと、コンビニまではあっという間だ。
「これがいいのだ」
 紗夜は予定通りアイスを買った。まだ肌寒いのにアイス。
「大きなお世話なのだ」
 はいはい。
「ああ、そっちじゃないのだ。こっちこっち」
 来た道をそのまま帰ろうとすると、紗夜が僕の袖を引っ張った。
「え? 帰るんじゃないのか?」
「遠回りして、帰るのだ」
 紗夜は何故か、にっこりと笑う。
 そういえば、最近紗夜と出かけてないな、と思う。
 ……だからか。
 ふと思い立った。
 最近、紗夜とゆっくり話もできなかったな。
 恐がりの紗夜。いつも帰ると、明るい部屋でCDをつけたまま眠っている紗夜。
 ずっと、一人だったんだもんな。
 だから、僕と一緒にいたいのだろう。
 そう思いながら、僕は紗夜の後をついて行く。
 この先を行くと、公園があるはずだ。
 あまり大きい公園ではないが、確か……。

 やっぱり。

 角を曲がると、たくさんの桜が目に入った。
 ここは、桜の木がたくさん植えられていたんだっけ。
「お花見、なのだ」
 紗夜は僕の方を振り返って笑う。
「そっか……今年は花見、してないもんな」
 正直仕事が忙しくて、それどころじゃない。友人からの誘いもあったが、泣く泣く断った。
「桜が咲いているうちに、おとーさんと見たかったのだ」
 紗夜の言うとおり、もう桜も終わりの時期だ。若葉が出始め、桜色の木も、徐々に緑に変わっていく。
「そっか。ありがとうな、紗夜」
「はう?」
 お礼の意味がわからなかったのか、紗夜は首をかしげる。
「いや、特に深い意味はないんだが」
「むー」
 僕は桜を見るという、ほんの些細なゆとりすら持ってなかったんだな、と思う。
 それを、紗夜は教えてくれた。
 もっとも紗夜にしてみれば、単に僕と桜が見たかっただけかもしれないが。
「じゃあ、アイスを食べるのだー」
「今? ここで?」
「そうなのだ。お花見なのだ」
 そう言って、紗夜は僕にアイスを手渡す。
「いっただっきまーす」
「……いただきます」
「んー、おいしーのだー」
 オーソドックスなバニラアイスを食べて幸せそうな顔をする紗夜。
 寒いんだけどな、と思いつつ、僕もアイスを口にする。
「……ふむ」
 冷たい甘さが口に広がる。まあ悪くない。
「おいしい?」
「……そうだな。もうすこし風が無ければ、もっとおいしく食べられるんだろうけど」
 いつしか風が強くなっていた。眺めている桜の木からも、花びらが散っていく。

 と。

 ごぉっと言う音とともに、不意に強い風がふいた。
「うわぁ」
 間の抜けた声をあげる紗夜。
 でも、気持ちはわかる。
 風が吹き抜けた瞬間、僕たちは桜に包まれたからだ。
 それはまるで、淡雪のように。
 公園のライトと月明かりに照らされ、美しく舞う。
「綺麗なのだ……」
「ああ……」
 僕も、一瞬放心状態になるほどの美しさ。

 と。

 あの風を最後に、いつしか風はやんでいた。
 そして。残されたのは。

 ……桜まみれのアイス。

「……風流なのだ」
「じゃあオマエ食えよ」
「いやいや、おとーさんのアイスを食べるわけにはいきませんのだ」
 僕が差し出したアイスを、にっこり笑って断る紗夜。
「ああそうですか」
 僕は半ばヤケになって、桜の花びらごとアイスをほおばる。
 口にほおばったアイスが、歯にしみる。
「お、おとーさん、そんなムリしなくていいのだ」
「……へきにんとらないと」
 口の中に桜の花びらがへばりつく。
「まったくー」
 呆れた顔をする紗夜。
「んな顔すんなよ」
 ようやく食べきった僕は、紗夜の頭をなでる。
「むー」
「でも、サンキュな」
「はう?」
「紗夜のおかげで、いいものが見れたよ」
「……そう言ってくれると、紗夜も来て良かったと思うのだ」
「でもな、紗夜」
「はう?」
「高校二年にもなって、くまのプリントはよろしくないと思うんだが。ってかどこで買ったんだ?」
「…………」
「…………」
「お、おとーさんのえっち!」
 一瞬の沈黙の後、急に顔を真っ赤にする紗夜。
 今更になって、両手でスカートを押さえる。
 もう遅いって。
「もう、知らないのだっ」
 そう言って、紗夜はたたたたと走っていく。
「お、おい待てよ、紗夜!」
 僕は慌てて紗夜の姿を追いかける。
 やっぱ。

 ちょっと素直に言い過ぎたかな?



  おわり。




 きみがのぞまない後書き

 えーと、元はirc(まあ、チャットだ)で一発書きをした雑文です。今回は趣向を凝らして……ってわけじゃないですが、元の文もアップします。いつもこうして書いている訳じゃないですが、なんか面白いかなって。
 気がつけば、紗夜も二年生になりました。このシリーズも沈黙したままですが、今後はふと書きたいことができたら、紗夜に演じてもらおうかな、とか考えてます。
 やっぱり僕は、シチュエーション主導なんだよなー、と思いますので。

 では。

2003.04.20 情報処理技術者試験日だな ちゃある

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