例えばこんな、別れかた 〜最後の時間〜






 ピッ、ピッ、ピッ…………。


 規則的な電子音が、病室に響く。


 彼女の心臓の鼓動にあわせて、グラフが揺れる。
 しかしその揺れは、とても弱々しい。




 ゆっくりと、彼女は目を開けた。
「起きたのか……」
「いらしてたんですか……」
 優しい顔で僕に微笑む。
「ああ……まあ、もう、やることがあるわけでは、ないからな」
 僕は、照れたような苦笑を返した。
「そうですか? お庭の手入れとか、まだあるでしょうに……」
「ああ、それはそうだな……でも、毎日でなくても、かまわないものだからな」

 そう。

 今はそんなことよりも、大切なことがある。


 彼女の。



 側にいること。



 ……なぜなら、もう、彼女は。



 ……長くは、ないのだから。





「ねえ、あなた」
 しばらく外を見ていた彼女が、僕を見た。
「ん……どうした?」
「ずっと……ごめんなさいね」
「……何を言ってるんだ、今更」
「いえ……そうなんですけどね……」
 申し訳なさそうな瞳。
 彼女のこの瞳を、僕はもう、どのくらい見てきたのだろうか。
「僕は後悔していないよ。全てを受け入れて、僕は君と結婚したのだから」


 そう。


 元々彼女は、幼い頃から身体が弱く、二十歳まで生きられないだろうと言われていた。

 いつ死んでもおかしくない身体。

 それでも、僕は彼女のことが好きだった。

 彼女と、生きていこうと思った。


 二人の暮らしは、決して楽なものではなかった。
 彼女の看護のため、満足に働けない僕。
 稼いだお金も、治療費に消えていく。

 身体が弱いため、子供も産めなかった。

 ずっと、二人きりだった。



 ……けれど、それももう、終わろうとしている。


「あなた……」
 彼女が、僕を見た。
 消えそうな声。
「……どうした? 苦しいのか?」
「……いえ……その……」
「なんだ、言いたいことがあれば、言えばいい」
「……今まで、ありがとうございました」
 泣いていた。


 彼女が、涙を流していた。


「また、今更……」
「いえ……今だから、言いたかったんですよ……」
 涙を流しながらも、微笑む。
「私がここまで生きてこられたのも、すべてあなたのおかげですから」
「何を言う。それならば僕も同じだ。君がいたから、僕は今まで生きてこられた」
「……そうですか。ならやはり、謝らなければなりませんね……」
「何をだ?」
「あなたを残して逝くことです。……本当に、ごめんなさい」
「馬鹿なことを言うんじゃない。ほら、あまり話すと疲れるだろう。少し休みなさい」
「ええ、そうですね……でも、これだけは言っておきたかったんですよ」
「……なんだね?」
「あなたと生きてこられて、私は、幸せでした」
 既に力無く、弱々しかったが。

 そのときの彼女の微笑みは。


 本当に。



 美しいと思った。



「ふん、そんな恥ずかしいことを言う暇があったら休めと言っているだろう」
「そうですね……少し、疲れました」
 そう言って、彼女は目を閉じる。


 そして。



 彼女はそのまま、永遠の眠りについた。





「なあ、覚えているかね?」
 公園のベンチで、僕は独り言をつぶやく。
「もう、五十年前になるか、君とこうして、公園で、空を見ていたな……そう、珍しく、君の調子が良かったから、少し遠くに出かけたんだ」
 君に語りかけるように、僕は言葉を続ける。
「あのときの空も、こんな風に綺麗だったな……」
 ゆっくりと、僕は顔を上げた。
 突き抜けるような青が、空一面に広がっている。
「さて、帰ろうかな。庭の手入れもしないとならんし」
 僕はゆっくりと腰を上げると、帰路についた。

 公園を出る前に、僕は振り返って公園を眺め、つぶやいた。

「僕も、君と生きてこられて、幸せだったよ」





 end











 俺が望む後書き

 ……ふと思いついたネタです。こういうふうに、穏やかな老後を迎えられたらと思います。
 では、次の作品で。


 2002.02.12 ちゃある

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