君が望む永遠 サイドストーリー#5 「深夜のマーメイド」Ver1.00
バシャッ、バシャッ。
私の両腕が、大きく交互に水を掻いていく。
水面を滑るように、泳ぐ。
気持ちいい。
薄暗い、深夜のプール。差し込んでくる月の光と、僅かなライトだけが、水面を照らし出す。
バシャッ、バシャッ。
一掻きごとに、水が全身を通り抜けていく。
水と一体になる気持ち。
長く忘れていた気持ち。
ああ、やっぱり。
私は、水泳が好きなんだ。
「ふう」
誰もいないプールから上がり、プールサイドで休憩する。
「やっぱ、昔みたいにはいかないわね」
独り言。
でも、あの頃は、水を切り裂いて泳いでいたと思う。
期待という重圧に負けないように。
実らない恋という、絶望に負けないように。
そして、あの日。
あれから私は水泳を捨てた。それによって期待という重圧から逃れた代わりに、軽蔑の眼差しを。そして、
実らないはずだった恋を、実らせた。
私は再びプールに飛び込む。静かなプールに、水音がこだまする。
ザバッ、ザバッ。
さっきとは違う、ストライドの大きい、ゆったりとした泳ぎ方。
今の私には、こっちの方が合っている。
周りの誰も、タイムも関係ない。
自分のためだけに、泳げる。
2年前。
いろんなことに目をつぶって手に入れた幸せは、目を開けた途端に、手からこぼれ落ちた。私を愛してると言ってくれた眼差しは、私ではなく、親友に向けられていた。
仕方がないと言えば、仕方ないのかもしれない。元々、その眼差しは、彼女に向けられるべきものだったのだから。私は、彼女がいない間に、眼差しを向けるべき相手がいないときに、隣に滑り込んだだけなのだから。
「ふうっ」
私はプールから上がると、まっすぐシャワールームへと向かう。
非常灯のみが照らす通路は、最初は怖かったが、今はもう、なんともない。
あのときの悲しさに比べれば。
私は、辛いことを忘れるため、自分を見つめ直すために故郷の街から離れた。
そして、自分にできることを探した結果、今のスイミングスクールの先生として働くことにした。
はじめは手伝いをしながらインストラクターの資格を取るために勉強し、資格を取ってからは、主に子供相手に指導している。
これが、中々楽しい。
水そのものを怖がる子から、未来の水泳選手まで幅は広く、一人一人に違った教え方をしなくてはならない。
元々、面倒見が良かったのかな。生徒も結構なついてくれている。
・・・お尻とか胸を触ってこられるのは、困るけど。
一生、というのは難しいけど、結構この仕事って、私に向いてると思う。なんたって、泳げるんだもの。
でも、まだ・・・振り切れない想いがある。
忘れられない想いがある。
「孝之・・・」
私はシャワーの蛇口をひねる。温水がアタシを流していく。
私の流す、涙も。
シャワールームから出て、水着を着替える。
バッグからコトリと落ちる、小さな箱。
私はそっと箱を拾うと、蓋を開ける。
そこには、一つの指輪。
「今日も・・・捨てられなかったな」
やっと、指から外せるようになったのに。
見ているだけで、様々な思い出が、心を満たしていく。
私は蓋を閉じ、バックにしまう。
この箱を、この指輪を捨てられるようになるのは、いつだろう。
あとどれだけ泳げば、あなたのことを忘れられるだろう。
そして、また、あなたに笑顔で会える日は、来るのだろうか・・・。
私は、泳ぎ続ける。
あなたを、忘れるために。
そして、自分が自分で居続けるために。
end