君が望む永遠 Side Story 6 この想いが届かなくても


「茜、ごめんね」
 姉さんは、申し訳なさそうな目で私を見あげた。
「いいよ。このくらい、大したこと無いから」
 姉さんから渡されたのは、何枚かのCDと、ミートパイ。
『孝之君に食べてもらうんだっ』って、張り切って作ったはいいけど、肝心の姉さんは張り切りすぎてダウン。
 ……まあ、8回も作り直していれば疲れもするわね。まったく、姉さんは自分の体力を忘れて張り切るんだから。
「ちゃんと、孝之君に渡してね」
「大丈夫大丈夫。ま、バイトだったら玄関に置いて行くけどね」
「ええーっ、そんなのだめだよう」
「ふふっ、冗談よ」
「もう、茜のイジワル」
 姉さんは膨れた顔をする。本当は届けたかったんだろうな、と思う。
「じゃ、行って来るね」
「うん。気をつけてね」
 私は紙袋を持つと、姉さんの部屋を出た。


 鳴海さんの家を回ると、当然ながら遠回りになる。
「あ、出る前に鳴海さんに、いるかどうか確認すれば良かった」
 大事なことを忘れる。今から携帯を使ってかけてもいいかな、と思ったけど、もう足は鳴海さんの家に向かっている。ここまで来たら同じだ。ちょっとしたトレーニングだと思えばいいだろう。
 これじゃ、鳴海さんみたいだな。
 そんなことを思い、一人苦笑する。

 ピンポーン。
 玄関のチャイムを鳴らす。
 出てくる気配はない。
「バイトかな?」
 バイトでも、こんなに朝早いという話は聞いたことがない。
 ふと思い、玄関のノブを回す。
 カチャ、と音を立ててドアが開いた。
「不用心じゃないですか?」
 独り言をつぶやきながらも、中に入る。いないならいないで、荷物を置いていけばいいかな。
「…………」
 部屋は結構……散らかっていた。さすがは男の一人暮らし、と言うべきかしら。
「これじゃ、姉さんも呼べないわね」
 一人ごちる。
 と、ベッドの上で何かが動いた。私はちょっと驚いたが、見るとそれは鳴海さんだった。
「まだ寝てるんですか、鳴海さん」
 私はツカツカと近寄ると、布団に手をかけた。
「起きてください。朝ですよ」
 言葉と同時に一気に布団を剥いだ。
 中には、うずくまるようにして眠る鳴海さんがいた。
「……鳴海さん?」
 何か様子がおかしい。妙に汗をかき、呼吸も荒いように思える。
 そっと、額に手を当ててみる。
「熱っ」
 驚くほど額が熱かった。
「鳴海さん、しっかりしてください、鳴海さん!」
 声をかけるが、返事はない。
「ど、どうしよう」
 とりあえず仰向けに寝かせると、布団をかけ直す。周りを見回すと、干してあるタオルを見つけた。それを洗面所で濡らして、額に当てる。
「ん……」
 タオルに反応したのか、うめき声のようなものをあげた。
 何となく安心する。
 次は、と思ってお風呂場から洗面器を持ってきて水を溜める。
 とりあえずはしばらく、こうしていよう。

 私は定期的にタオルを冷やし、額に当てた。鳴海さんは苦しいのか、時々うめき声をあげる。そのたびに頭を動かすのでタオルが落ちる。私はそれを見てはタオルを当て直す、という動作を繰り返した。

 聞き慣れた着メロ。
 私の携帯が鳴っている。
 しまった。練習……。
 慌てて携帯に出る。
「あっ、はい、、すみません。あの、姉が……急に熱だしてしまって……」
 とっさに、嘘をついた。
 姉さんの件は、監督も知っている。だから、話は簡単にすんだ。
「はい、……明日は必ず。はい、済みませんでした」
 ピッ。
 携帯を切る。
 ごめんね、姉さん。
 心の中で謝る。
 プルルルル……。
 追い打ちをかけるように、家の電話が鳴った。
 一瞬戸惑ったけど、受話器を取る。
「はい、すず……鳴海ですが」
『アンタ誰? 鳴海孝之は、どこで何してる?』
 電話口から、怒ったような女性の声。
「失礼ですが、どちら様でしょうか」
『すかいてんぷるの大空寺だけど。鳴海孝之は?』
 傍若無人な口調。ああ、バイト先の人かな。
「孝之は、本日高熱を出してしまいまして、動けない状態なんです」
『ああそう。とりあえず、本人出してくれる?』
「申し訳ありませんが、只今やっと眠ったところでして」
『あーっ、このくそ忙しいときにもう。じゃ、今から言うこと、伝えといて』
「はい。なんでしょう?」
『このボケが!』
 ガチャン。
 ツー、ツー。
 電話が切れた。
「……なに、あれ?」
 まるで嵐のよう、いや、スコールと行った方が正しいかな。
 怒りを覚える間もなく、切られてしまった感じ。
 まあ、伝わったと思うからいいか。
 私はそう自分を納得させながら、鳴海さんを見た。
 まだ、辛そうな顔をしている。
 私には、何もできないの?
 こんなに辛そうにしてるのに。
 ただ、タオルを当てるだけなの?
「は……るか……」

 ドキッとした。

 心臓を握りしめられるような感覚。

 鳴海さんが、こっちを見ていた。
 熱に浮かされて、焦点が定まってないけれど。
「鳴海さん?」
 小声で尋ねてみる。けれど、返事はない。
「遙……」
 鳴海さん……私を、姉さんだと思ってるんだ……。
 不意に理解した。
「ずっと、側にいてくれ……遙……」
 鳴海さんが、右手を伸ばす。
 私に向かって。
「もう……どこにも……行くな……」
 鳴海さんの目から、涙がこぼれた。
 私ははっとして、伸ばした鳴海さんの手を握り返した。
 鳴海さんの表情が、変わる。
 ほっとしたような表情。
「俺を……一人にしないでくれ……」
 もう一度、鳴海さんが強く手を握る。
 私も、それに答えるように握り返す。
「大丈夫、私は、ここにいるよ」
 どれだけの励みになるのかわからないけど、私は言葉を返した。
「ありがとう……」
 その言葉は、姉さんに向けられたものなのだろうけど。
 だから、嬉しい。
 私の想いはもう、届かないけれど。
 あなたの想いが、姉さんだけに向けられているなら。
 いつか、あなたを『兄さん』と呼べるなら。
 それならば、茜は、幸せです。
 だから、最後に……。
 いいですよね?
 私は、鳴海さんに近づき……。

 ……唇を、重ねた。


「茜ちゃん?」
 肩を揺さぶられて、目を覚ました。
「あ、鳴海さん……」
 揺さぶっていたのは、鳴海さんだった。
「どうしたの? なんで、ここに?」
「あ、姉さんに頼まれて、あれ、持ってきたんです」
 と、指を指そうとして。
「あ」
 まだ手を握ったままであることに気づいた。
「あ、ごめんなさい」
 慌てて手を離す。
「あ、や、こっちこそ。……俺、何か変なことしなかった?」
「え?」
「いや、だって、なんか茜ちゃんの手を握ってるし。俺昨日寝てから、全く覚えてないんだ」
 戸惑ったような表情。
「あの、部屋に入ったら、鳴海さんが『お母さん、お母さん……』って言ってたので、手を握ってあげたんです」
「え? マジ? やべー、ゴメン」
「ふふっ、冗談です」
「……やめてくれよ。俺、すげえ恥ずかしいとこ見せたかと思ったよ」
 ほっとした表情の鳴海さん。ちょっと可愛い。
「辛いときは、母がよく手を握ってくれたので、私もそうしてみたんです」
「そっか……ゴメン」
「いいんです、大したことじゃないですから。……そう言えば、身体の方は?」
「頭がガンガンすること以外は、特に」
「じゃあダメじゃないですか。ちゃんと寝てください」
「……大丈夫だよ」
 鳴海さんは、辛そうな顔で、笑う。
「……ダメです。寝ていてください」
 真剣な目で、鳴海さんを見る。
「……わかったよ。そのかわり、茜ちゃんもここにいなくていいからな」
「え?」
「風邪、うつしたらどうすんだ?」
「それもダメです。鳴海さん、私が帰ったら動き出すに決まってます」
「……はは、参ったな。信用無いなあ、俺」
「当然です。……それに私、朝からここにいるんです。うつるならもう、うつってます」
「朝から? ……わかったよ。寝てるよ。あ、バイト先に連絡してねえ」
「それなら今朝ありましたので、高熱のため休むと答えておきました」
「……マジ?」
「はい」
「参ったな……」
 鳴海さんは頭を掻く。
「とにかく、ちゃんと寝ててくださいね。今、お粥作りますから」
 私は立ち上がって、台所に向かった。


 結局、鳴海さんの家を出たのは夜だった。あの後お粥を作り、着替えを手伝い、風邪薬を買いに薬局まで走った。
 家には、練習が遅くなったと言えば良いだろう。
「茜ちゃん、ありがとな」
 家を出るとき、今度は私に『ありがとう』と言ってくれた。
「……鳴海さんは、私の兄になる人ですから」
 そう言ったら、妙に鳴海さんが照れていたことを思い出す。
「ふふっ」
 思い出し笑い。
 見上げると、空に星が瞬いている。
 ……私も、動き出さなくちゃ。
 まずは、泳ぐことで。
 そして、新しい恋を、見つけなくちゃ。
 ……ね。
「くちゅんっ」
 不意に襲う悪寒と、それに続く、くしゃみ。
 やっぱ、うつっちゃったかな?
 今日は帰ったら、一応薬飲んで、暖かいかっこして寝よう。
 明日も、練習があるから。
 そう思い、私は家までの道を走り出した。
 
 end

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