天使のいない12月 ファーストインプレッションSS   

 「君がいる12月」〜須磨寺雪緒〜






 この世界に、俺達がいる意味なんてない。
 でも、意味なんて無くても、現実に俺達は、ここに生きている。

 ───死ぬことも、できずに。



「お兄ぃ、着替え持ってきたよ」
「ああ……サンキュ」
 俺は、首だけを回して恵美梨の顔を見た。
 悲しみと、不安と、怒りを複雑に絡み合わせた表情。
「お兄ぃ……」
「……なんだ?」
「生きてるんだ……ね」
「……そうだな」
「私がお兄ぃに『死んじゃえ』って、言ったから? だから、死のうとしたの?」
 恵美梨は不安げな顔で、俺を見る。
 もしかしたら、自分が引き金なのだろうか。
 犯した罪に怯えるような瞳で、俺を見る。
「……ばーか。お前の言葉なんざ、いちいち気にしてられっかよ」
「そ……そうだよね。なーんだ、心配して損した」
「ああ、その通りだ」
「……ねえ、お兄ぃ」
「なんだよ」
「やだよ? ホントに死んだりしたら、ヤだからね?」
 その瞳には、涙を浮かべて。
「……ああ。もう、しない」
「約束、だからね?」
「ああ、約束だ。須磨寺も、もうしないって、言ってた」
「……そっか」
 恵美梨の表情が、変化する。
 しまった。
「須磨寺先輩も……」
 恵美梨の憧れの人。
 それは男ではなく、須磨寺だった。
 須磨寺のことは言わないほうが良かったかと、後悔する。
「あ……」
 口を開いた。が、今更フォローの言葉など見つからない。
「お兄ぃ……」
「あん?」
「須磨寺先輩……大事にしてよね。相手がお兄ぃってのはすっっっごくヤだけど、お兄ぃと結婚したら、私と須磨寺先輩、姉妹になれるんだもんね」
 そう言って、恵美梨は笑顔を見せる。
「……結婚?」
 そんなこと、考えたこともなかった。
「そう結婚。あの須磨寺先輩と結婚できるんだから、光栄に思いなさいよね」
 恵美梨の中では、既に俺と須磨寺は婚約をしているようだ。
 先のことなど、わかりはしないのに。
「わかった? お兄ぃ」
 そう言って微笑む恵美梨。でもそれは、悲しみと恥ずかしさをごまかすための強がり。
 ……無理してやがんな。
 いくら何でも、行動が大げさすぎる。
 んじゃ、ちょっとからかってやるか。
「へいへい。それよか着替えなんだが」
「うん?」
「パンツもあるのか?」
「……もちろん。持ってきたよ? ……イヤだったけど」
「じゃあ、着替えさせてくれ」
「へ?」
「だって俺、身動き取れないもん」
 俺はそう言って、ニヤっと笑う。
 対照的に、顔を真っ赤にする恵美梨。
「お……」
「お?」
「お兄ぃのヘンタイ! 誰がそんなことするもんか! バーカ、お兄ぃなんか死んじゃえ!」
 恵美梨はここが病院だということも忘れたのか、俺に向かって大声で怒鳴ると病室をづかづかと出ていった。
「……死ぬなって言ったり死ねって言ったり、大変だなあ」
「でも、元気になって良かったじゃない」
「……須磨寺?」
 声のしたほうに首を向ける。そこにはいつの間に来ていたのか、須磨寺が立っていた。
 頭と首に巻かれた包帯が、痛々しい。
「大丈夫……なのか?」
「うん……木田くん程、ひどくないもの」
 そう言って、須磨寺は優しく微笑む。
 その笑顔。
 前の、どことなく人を拒絶する笑顔と違う。
 生きている、笑顔。
「須磨寺……」
 俺はその笑顔に触れたくて、動く右手を、伸ばす。
「痛っ」
「大丈夫?」
 伸ばしきれなかった左手を、須磨寺は両手で包み込む。
「ああ……」
 俺の意図がわかったのか、須磨寺は俺の左手を自分の頬にあてる。
「大丈夫。私はここにいるわ」
「そうだな……」
 俺も、須磨寺も、世界にとっては意味のないもの。
 でもこの世界で生きていくためには、お互いはお互いを必要としている。
「下着……替えるの?」
「へ?」
 須磨寺が発した不意の言葉に、俺は間抜けな声を出した。
「恵美梨ちゃんに、そんなこと言ってたから」
「ああいや、それは……その……」
「いいわ……私がしてあげる」
 冗談だったんだが、と言う前に、須磨寺は恵美梨が持ってきたバッグを開け、トランクスを取り出す。
「あ、須磨寺。俺別に……」
「大丈夫。セックスした仲でしょ。今更木田くんのを見ても驚かないわ」
 そう言って、須磨寺はごそごそと俺のパジャマを脱がし始める。
 ああもう、どうにでもなれだ。
 所詮マトモに身動きの取れない身体なのだ、抵抗のしようもない。
 一応周りの視線が入るのを気にしてくれたのか、毛布を掛けたまま中でもぞもぞと動く須磨寺。
 端から見ると異様な光景なんだろうな、と思う。
 と、突然病室のドアが開いた。
「こんにちわーっ、時紀クン、元気にしてる?」
 ばーん、とドアを開けて入ってきたのは、明日菜さんだった。
「あ、明日菜さん?」
「へっへー、時紀クンと雪緒ちゃんが退屈だろうと思ったから、おねーさんがケーキを持ってきましたー……って、何してるの?」
「え? あっ、こっ、これはっ」
 今の状態は、須磨寺が俺のトランクスを脱がしにかかったところ。けれど外から見れば、誰かが毛布の中で何かをしているようにも見える……かもしれない。
「どうかしましたか……あ、明日菜さん。こんにちは」
 毛布から顔を出した須磨寺は状況がわかっていないのか、普段通りの笑顔で微笑む。
「時紀クン……」
 明日菜の思い詰めたような表情。
「あ……明日菜……さん……これ……は……」
 簡潔な言い訳の言葉を、考える。
 が、もう遅かった。
「やーね。たまってるならおねーさんに言ってくれればいいのにぃ。時紀クンのためならいくらでも手伝ってあげるのに、あーんなことやこーんなこともしてあげるのにっ」
 あーん、もうっ。
 そんな表情で、明日菜さんは僕に抱きついてきた。
「いたたたっ、明日菜さんっ、痛い、いたいいっ」
 明日菜さんの胸のふくらみによる気持ちよさよりも、怪我したところを触れられた痛みの方がはるかに強い。
「明日菜さん。木田くん……けが人ですから」
 落ち着いた調子で、須磨寺は明日菜さんを止めようとする。
「あーら、恋敵に言われたからって止める私じゃないもーん。あーんくやしいっ、おねーさんもしちゃおうかなっ」
「ちょっ、明日菜さんっ。すっ須磨寺っ、明日菜さんを止めてくれっ」
「私も……けが人だから」
 苦笑する須磨寺。そりゃま、元気な明日菜さんを力ずくで止めるのは無理だよなあ、と頭の片隅で考える。
「あらあら、もうトランクスも降ろしちゃったのねっ。おや、でも元気ないぞっ。よーし、お姉さんが元気にしちゃおうっ」
 毛布をはぎ取り、弾んだ声の明日菜さん。誰か助けて……。
「ここは病院ですっ、静かにしなさいっ」
 さすがに騒ぎが聞こえたのか、若い看護婦(いや、今は看護士だっけ)が病室に入ってきた。
「なっ」
 看護士さんの目の前には、トランクスを降ろされた俺と、俺の息子を掴んでいる明日菜さん。そして困った表情の須磨寺。
「あ、あの……これは……」
 と、とりあえず言ったものの、言い訳が出来る要素などどこにもない。
「木田さんっ。あなたけが人なんですからねっ」
 顔を真っ赤にした看護士さんが、大きな声で怒鳴った。

  +

「もう二度としないでくださいねっ」
 十五分の説教のあと、俺達は解放された。
「あ、じゃ、じゃあバイトに戻るからっ」
 さすがに気にしたのか、明日菜さんはそそくさと病室を去っていった。
 ホント、嵐のような人だ。
「下着……替えられなかったね」
 不意に、須磨寺がつぶやく。
「あ、ああ……まあ今日はいいや。なんか疲れたし、また間違われると困る」
「そう」
 少し残念そうな顔で、須磨寺は言った。
「じゃあ私も、戻るから」
「ああ」
「ね……木田君……」
「なんだ?」
「……ううん、なんでもない」
「そっか」
 須磨寺が何を考えているのか、俺にはわからない。
 でも、それが当たり前なんだ。
 と、不意に須磨寺が顔を近づける。
 そして、唇を重ねる。
 ふくよかな感触と、心地よい温もり。
「じゃあ……」
 唇を話し、須磨寺が離れる。
「あ、須磨寺……」
「なに?」
「……いや、また明日」
「うん」
 そう言った須磨寺の顔は、確かに微笑んでいた。
 そして、俺の顔も、きっと微笑んでいたのだろう。
 お互いのことはわからないけれど。
 ナニカが、通じているような気がする。

 世界にとって、俺達が意味のないものでも、
 俺達にとって、世界が意味のないものでも、
 この世界で、俺達は生きていく。

 ならば、少しだけ。
 幸せを求めても、いいよな。

 なあ、須磨寺?


 俺は唇に残る感触を思い出しながら、ふとそんなことを考えた。



 おわり。





 君が望む後書き

 うまくいかないものですなあ。
 どうしてもばーんっと明るいモノを書きたいのでこんなになってしまいました。
 時間がかかってしまいましたが、またやり直して、違う話(出来れば、もっと未来の話)を書ければ、と思います。
 では、また別の作品で。

 2003.10.10 元体育の日に ちゃある。

天使のいない12月のページに戻る