あゆエンド   アフターストーリー


    荒療治


                 作:匿名のM



「あんですと?」
 やはり、思った通りの反応だ。
「だけど、今更どうしようもないだろ?」
「チキン野郎には、どうしようもなく思えるだけさ」
 確かに、オレは綺麗さっぱり片付けられた部屋を見て、すっきりしたと感じた。
 一人だけ、決着がついていない。
 相手の父親は、すでに決着済みだと思っているだろう。
 だけど、やはり直接伝えないといけない事柄だと思う。
 責任、なんてかっこいい言葉じゃない。
 誰よりも大切だったはずの人だから、だから、このままではいけない。
 最後はひどい有様になってしまったが、水月だって、かえって立ち直りは早いはずだ。
 オレのことをひどい奴だと―――まあ、実際にそうだったわけだが、思うことで、吹っ切りやすくなった……そう思いたい。
 オレだけで、きっぱりと遙に別れを切り出せるだろうか?
 しかし、このままだと、余計に深く……そして、長く傷を引きずることになる。
「言ってくるよ」
 そう言って部屋を出かけるが、玄関で足が止まる。
「あまり、弱みをみせるなや」
 立ち止まったこと、その場で足を止めたこと、それだけのことから、あゆはオレの内面を鋭く推し量る。
 弱みか……確かにあゆからすると、そうなんだろう。
「簡単に言ってくれるなよ。ずっと一緒にやっていける相手だと思ってたんだ……遙だって……水月だってな……」
 あゆの顔が曇る。
 まずった……気にはしているんだ、あの時のこと……。
「ごめん、余計なこと言った」
「いいさ。そのことを重荷には思いたくないし、思わせたくもないから」
「まったく、お前には勇気づけられてばかりだ」
「気持ちわるいこと言うなさ。とっとと言って来い、このヘタレ糞虫っ!」
 その言葉に背中を押されて、オレは部屋を後にした。
 病院に向かう道すがら、オレの恐れはひとつだけだった。
 オレの弱さ、情けなさを見せてしまった遙の父親には、出来れば会いたくない。
 そう思ってしまうことも、自分の弱さの証明なんだが、これくらいは構わないだろう?
 病院の廊下で、オレは香月先生とばったり会う。
「久しぶりね」
「……まだ、一週間も経ってませんよ」
「私が言ってるのは、物理的な時間のことではないわ」
 何もかも、見透かされてる気がする。
「容態は安定してますか?」
「してなかったら、遠慮してもらえるのかしら?」
 先生がオレの目をじっと覗き込む。
「そのくらいの配慮は……できるつもりです」
「そう……安定はしてる。先になにがあるのかなんて、誰にも解からないことだけどね。医学的見地からすると、もう心配はない。そう思っているわ」
「解かりました。遙を……お願いします」
「涼宮さんなら、病室にいるわ。……いってらっしゃい」
 そういって、香月先生は足早にオレの前から立ち去った。
 やっぱり、あまりいい事だとは思ってはいないのだろう。
 人それぞれ、希望は違っている。
 それは仕方の無いことだけど、世話になった相手から今みたいな態度をとられると、少々堪える。
 廊下で少しだけ呼吸を整えて、病室をノックしようとして、ノブが回るのを見て手を止める。
 誰か出てくる?
 立ち尽くしてしまったオレの目の前に、茜ちゃんが出てきた。
「なにをしに来たんですか?」
 冷たい視線。
 遙が目を覚ましてすぐの時よりも、もっと冷たく、蔑むような視線。
「茜? 誰か来てるの?」
「なんでもないよ、姉さん」
 茜ちゃんがオレの手を引き、待合室まで引っ張っていく。
「どういうつもりなんですか?」
「どういうって……?」
 茜ちゃんはどこまで知ってるのだろう?
 どこまで、聞いているのだろう?
「詳しい事情はわかりません。だけど、父さんから、もし鳴海さんが見舞いに来たら、帰ってもらうように、それだけ言われました」
 それは、全部言ってるに等しいな。
「わからないって……聞いてないってだけで、想像はついてるんだろう?」
 茜ちゃんの顔に浮かんだ……信じられないものを見る顔。
 憎むことで、腹を立てることで、前に進めるなら、オレは憎まれ役でいい。
 オレを力づけようとして、あいつがオレにそうしてきたように……。
「帰ってください」
「遙は知ってるのか?」
「なにをですか? 姉さんは……早く退院して、鳴海さんに会いたい……どうして来てくれないんだろう……そればかり……」
 何も知らされてないということか。
 だったら、オレの手できっちりと終わらせることが、一番だろう。
「今日で最後にするよ。そして……二度と会わない」
「やめてください! 今の姉さんに、何を言おうっていうんですか!?」
「今のままじゃ、遙は一歩も前に進めない。辛いかもしれないけど、現実を見せたほうがいいんだ」
「よくそんなことが言えますね? 自分は……自分にはもう必要じゃないから、だからすっきりしたいだけなんじゃないんですか!?」
「それは……いや、それもあるのかも知れない。だけど、こんな状態がずっと続いていいはずはないだろう?」
「やめて! 姉さんをこれ以上苦しめないで!」
「男女間の愛情ってやつじゃないかもしれない。だけど、オレにとって、今も遙は大切な存在なんだ」
「なら、どうして……」
 わかってもらえるだろうか?
 いや、わかってもらえなくても、それが遙のためになることなら、オレは強行しなきゃならない。
「現実を見据えて、その上で幸せになって欲しいから……それが近道だと思うから……」
「鳴海さん……」
「わかってくれなくてもいい。ただ、支えてやって欲しい、いずれ自分の足で歩けるようになるまで、それまででいい」
「…………」
「こんなことを頼めるのは、茜ちゃんしかいないんだ」
「どうして、私が……」
「鳴海君」
 後ろから聞き覚えのある声。
 これは……今一番会いたくないと思っていた相手の声。
 恐る恐る振り向く。
 そこにいたのは、なんとも微妙な表情をした、遙の父親だった。
 こころなしか、数日で痩せたような気がする。
 ……オレのせい、なんだろう、きっと。
「本当に、できますか?」
「お父さん! 何を聞いてるの!?」
「失礼だが、もう、君を信頼することは出来ない」
「……わかります」
「できれば、このまま帰って欲しい」
「それは、できません。今日で最後です。遙さんは、オレにとって、今でも大切な存在なんです」
「口先ばかりで、そんなこと、何度も言わないでください!」
 茜ちゃんの怒りももっともだと思う。
 それだけ、遙を……家族を大切に思っているのだろうことが良くわかる。
「わかりました。では、会ってやってください」
「お父さん! 私は許さない!」
 茜ちゃんが、病室へと向かう廊下に立ちはだかる。
「茜ちゃん……」
 わかって欲しいとは思わない。
 これからオレがしようとしていることは、遙を傷つける行為だから……。
 だけど、泣きそうな顔をして立ちはだかる茜ちゃんを押しのけることなんて……。
「通りたかったら、暴力でもなんでも振るえばいいでしょ?」
 そんなこと、出来るわけがない。
「茜……」
 父親に腕を引かれ、廊下の壁との間に隙間ができる。
 にらみつける茜ちゃんの横をすり抜ければ、遙の病室にいける。
「離して、お父さん」
「……………………」
 父親は、黙って視線で廊下の先を指し示した。
「だけど……」
 父親にまで裏切られた、そんなふうに考えてしまったら、茜ちゃんは……。
「いけるはずだね、鳴海君?」
「…………」
「人のために、自分が進んで憎まれようと……人の未来を切り開くために自ら悪人になろうと、そう決意した君なら、いけるはずだ」
 それもある、だけど、動機としては自分がすっきりしたいというのもあるかもしれない。
 オレはそんなに立派な人間じゃないんだ……。
「……わかりました」
「やめて! 二人とも、どうしちゃったの? 変だよ! こんなのってないよ!」
「さあ、行ってやってください」
 オレは頷き、遙の病室へと向かった。
 背中に茜ちゃんの怒声を受けながら……。

*****

「孝之君……来て、くれたんだ」
 心底うれしそうな、信頼しきった瞳がオレを出迎えた。
「ああ……待たせて、悪かった」
 チクリと胸が痛む。
 今からオレは……遙に……。
「どう、したの……」
「謝りにきたんだ」
 言葉ではなく、オレの表情からなにかを読み取ったのか、遙の顔がサッと曇る。
「や、やだなあ……なにをいってるの?」
「遙、オレは……」
「私には……私にとっては、ほんのちょっと前のことなの……」
「…………」
「あの丘の上で、孝之君が私に好きだって言ってくれたの……つい最近のことなんだよ」
 遙の中では、オレたちが本当の意味で付き合い始めてから、まだ一月も経っていない。
 そうか……そうなんだよな。
 丘の上で、オレの言葉を聞きたくないと、耳をふさいでから、まだ一月も経ってないんだ。
 想いを暖めてきて、やっと通じたと思ってから……それからまだ、一月も……。
 いや、だからこそ……いい加減な気持ちで、続けるわけにはいかないんだ。
 そう決めて……だから、蛇足だと思いながらも来たんじゃないか。
「自分の気持ちに嘘をついて、そうして始まった付き合いだったな……」
「ううん、それも私にとっては、大事な思い出だから……今こうして、孝之君が目の前にいてくれることが嬉しいの……」
 気づいている、オレがこれから別れを切り出そうとしていることに、遙は気づいている。
「ごめん……」
「謝っちゃやだ……こうして、来てくれてるんだもん……」
「話を……聞いてくれるか?」
「あ……ごめんね、デート台無しになっちゃって……」
「遙……」
「退院したら、デート、やり直そう……ね?」
「頼む……話を……聞いてくれ……」
「絵本絵画展、終わっちゃったけど、どこに行っても、孝之君と一緒だったら楽しいから……」
「遙……」
「ね? だから、デートのやり直し…………」
 言葉が続かなくなった遙の、オレを見つめる瞳に涙が浮かび、白い頬を伝い落ちる。
「たかゆ……ためだったら……私……なんだって……」
 途絶え途絶えにつむぎだす言葉が痛々しい。
 終わりにしてやらないと……たとえ今、傷ついたとしても、立ち直ることは出来るはずだから。
 ずるずると続けたら、もっと辛い思いをさせてしまうから……。
「遙、これで……」
「いやっ! 聞きたくない!」
 耳をふさいで、眼をぎゅっと閉じる遙の身体が、小刻みに震える。
「真剣な想いに、いい加減な気持ちで続けるわけにはいかない。だから、サヨナラだ」
 耳をふさいでいても、聞こえたはずだ。
 オレは病室のドアに向かった。
「行かないで! 私を一人にしないで!」
 泣き叫ぶ遙の声を背中に受けて……オレは病室を出た。
「言って……しまったんですね」
 廊下には茜ちゃんがいた。
「ああ……言った」
「ひどい……ひどすぎます」
「だな。同感だ」
「っ! こんな……こんな人をっ……」
「遙を頼む」
 まだ何かいいたそうな茜ちゃんの横をすり抜けるようにして、オレは病院を後にした。

*****

 余計なことだったのかもしれない。
 もしかすると、そっとしておいた方がよかったのかもしれない。
 今更ながら、そんなことを考えているオレがいた。
 見透かされそうで、部屋に戻りにくい。
「あに、そんなとこでうろうろしてるさ?」
「げっ、あゆ……」
「そんなヘタレた顔でうろうろされたら、近所の人に迷惑になるさ」
 今はそうっとしておいて欲しい。
 お前の毒に耐えられるだけの精神力は残ってないから……。
「その様子だと、きっちりとどめはさせたみたいね」
「とどめなんて……そんな言い方……」
「わかってるさ。他の誰がわからなくても、どんな気持ちでいってきたのかなんてことはわかってるさ」
「あゆ……」
「ゴミ同然の糞虫にしては、立派よね。まあ、糞ころがしから便所コオロギぐらいには進化できたってことさ」
 少しでもわかってくれている事が、やけに嬉しい。
「泣くなさ」
「ごめん」
「あーもうっ、弱み見せると、とどめさすわよ?」
「……それは困る」
 オレは両手を伸ばしてあゆの頬を横に引き伸ばした。
「……あにひふぇるさ?」
「いや、つい……な」
「はあへ」
「とどめをさされたらたまらん」
「ひひはら、はあへー!」
 つるん。
 指がすべる。
 あゆの頬を涙が伝い落ちていた。
「あゆ……泣いてるのか?」
「なんで、泣く理由があるさ?」
「だって、それ……」
「あれだけ引っ張られたら痛くて涙もでるさ」
 痛かったんだったら、責めてもいいだろう?
 なぜ、オレの背中をポンポンと優しくたたいてるんだ?
「部屋に戻ろう」
「そうね。気高いあゆ様と一緒に部屋に戻らせてください、って言えたら考えてもいいさ」
「追い出すぞ?」
 そういってオレは先にたって歩き始める。
「戻ってやるさ。だから先にいくなさ」
 あわててあゆがオレの後についてくる。
 小突きあいながら、オレ達は部屋に戻った。

*****

「なんてことしてくれるんだよ」
「あにがさ?」
 顔中にとびちった栗の花の匂いをふき取っているオレを、あゆが面白そうに眺める。
「おまえ、これ、冗談になってねえぞ」
「冗談なんかじゃないさ。まあ、ホントはキスして口に流し込んでやろうと思っていたのさ」
 げっ……そんなことを考えていたのか。
「今度はちゃんと流し込んでやるさ」
「冗談じゃねえ」
「もちろん、冗談じゃないさ」
 本当にやりかねないのが、コイツの恐いところだ。
 ほんとうに、オレはコイツうまくやっていけるのか?
 そんな不安をよそに、あゆは一人で風呂場へと消えていった。
「早く出ろよ。オレも顔洗いたい」
「気が向いたら、出るさ」
 なんだと!?
 鍵のかかった風呂場の扉をたたきながら、一生離れられそうにないと感じるオレがいた。

      おわり

あとがき

誰にとっても蛇足かもしれません。
けど、決着をつけにいったと思いたいから、書いてしまいました。
水月に対して、この進行では孝之はなにひとつ自分ではできていません。
だから、せめて遙に対しては……そんな気持ちで書きました。
これに関しては、さらに続きを書きたい気もあります。
いずれ、またお目汚しをさせていただくかもしれません。
そのときは、よろしくお願いします。
(そもそも、これ、嫌がって掲載してもらえなかったりして(汗))

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