君が望む永遠 サイドストーリー「君ができること、僕ができること」Ver1.00

#1

「孝之君・・・私ね、白陵大・・・受けようと思うの」
 病院の帰り道、バス停のベンチに腰掛けて遙が言った。
 遙の身体は、もう普通に歩けるくらいには回復していた。しかし、やはり病院までは遠い。駅に着くまで、何度か休憩を取らざるを得なかった。もっとも、皆が『タクシーで行け』と言うのを『歩く』と突っぱねたのは遙自身なのだが。
「そっか・・・やっぱり児童心理学?」
「うん。やっぱりね、私、絵本作家になりたいの。もう3年経っちゃったし、今から勉強しても、間に合わないかもしれないけど・・・」
「いや・・・イイよ、それ。うん、頑張って大学行こうよ」
 うつむく遙に、俺は力強く言った。
「勉強なら、慎二もいるし・・・ほら、茜ちゃんだっているだろ? 俺も応援するよ・・・ああ、勉強はもう無理だけどな」
「うん」
 苦笑する俺の顔を見上げて、遙が微笑む。
「ホントはね、孝之君と一緒に、通いたかったんだけどな・・・」
「え?」
「・・・ううん、何でもない。行こっ」
 一瞬寂しそうな瞳をした遙だったが、再び笑顔に戻ると、ゆっくりと立ち上がった。

「ただいま〜」
「今戻りました」
「あらあらあら、お帰りなさい」
 ぱたぱたぱた、とお母さんが玄関に迎えに来る。
「今日は、どうだった?」
「うん、大分良いって。もうすぐだねって」
 お母さんに笑顔で答える遙。
「じゃ、俺はこれで」
「あら鳴海さん、これからアルバイト?」
「いえ、今日は無いですけど」
「なら、一緒に夕飯でもどうかしら。久しぶりに」
「いえ、そんな・・・」
「孝之君、一緒に食べよ?」
「あ・・・えー・・・はい。ごちそうになります」
 この母娘の誘いは、どうも断れないんだよな・・・。
 俺は結局押し切られる形で、涼宮家の夕食に招かれることになった。


「5人揃うのも、久しぶりだね」
 お父さんが、ビール片手に微笑む。ちゃんと、自分を含めて言ってくれるのが、なんか嬉しいような、恥ずかしいような。
「鳴海さんがいて一番嬉しいのは、遙じゃなくてお父さんかもしれないわね」
「いやいや、そんなことはないだろう。なあ遙」
「え? あ・・・うん」
 話題を振られて顔を赤くする遙。
「あーあー、アツイねえ」
 パタパタと手で顔を仰ぐふりをする茜ちゃん。
「なんか・・・いいですね」
 俺は思わず声に出してしまい、みんなの視線を集めてしまう。
「あ、いや・・・大勢で食卓を囲むのって、やっぱいいですよね」
 前にこうやってごちそうになってから、もう3年。
 その間に、いろいろなことがあった。
 それが、今の瞬間を余計に美化しているのかもしれない。
「また、いつでも来てくれて良いんだよ」
 お父さんが、笑顔で言う。
「あ、ありがとうございます」
 俺は、恐縮して頭を下げた。まずい、涙腺が緩みそうだ。
「そう言えば、もう鳴海君はいけるのだろう?」
 お父さんはそう言って、ビールを指す。
「まあ・・・少しくらいなら」
 話題が逸れたことに感謝しつつ、答える。
「なら問題ないな。お母さん」
「はいはい」
 お父さんが全てを言う前に、お母さんがグラスを持ってくる。
「あ、ども」
 こぽこぽこぽ。
 渡された持ったグラスにビールが注がれていく。
「い、いただきます」
 俺は腹を括って、一気に飲み干した。
「良い飲みっぷりだね。さすが男の子だ」
 お父さんは満足そうだ。
 やはりお父さんは、一緒に飲んでくれる息子が欲しかったのだろうな、と思う。だからこそ、俺なんかにこんなに優しくしてくれるのだと。

「あ、そうそう。遙、あれ・・・家族の皆さんにも、言うんだろ?」
 2杯目のグラスを空ける前に、俺は遙に話題をふった。
「え? う、うん・・・」
 不意に振られて戸惑う遙。
「え? 何か発表? ・・・まさか、結婚宣言?」
 ブーッ。
 茜ちゃんの言葉に、含んだビールを吹き出しそうになるのを必死でこらえる。
「ゴホッ、ゴホッ」
 代わりに、気管に入ったらしい。
「孝之君、大丈夫?」
「ゴホッ、大丈夫・・・ゴホゴホッ」
「もう、茜が変なこと言うから」
「でも、この時期に鳴海さんとお姉ちゃんが発表なんて、それしか考えられなかったんだけど」
「あら? 違うの? てっきりそうだと思ったのに」
「もう! お母さんまで!」
 真っ赤になる遙。フォローを入れてあげたいが、俺はむせてしまってそれどころではない。
「あのね、私・・・大学、行こうと思うの」
 遙は小さな声で、うつむきかげんに言った。
「・・・そうか」
 お父さんが、ビールをテーブルに置く。
「お父さんは、賛成だな。遙には、好きなことをやって欲しいと思うよ。なあ、お母さん?」
「そうね。いいんじゃないかしら」
「いいんじゃない? お姉ちゃん、元々行きたかったんでしょ? 私も応援するよ」
「うん・・・ありがとう」
 遙が思わず涙ぐむ。
「ほらほら、そんなことで泣くんじゃない。鳴海君に笑われるぞ」
「あ、遙が泣き虫なのは、十分知ってますから」
「もう、孝之君のイジワル」
 みんなが笑う。
 きっと、こんなこともしばらく無かったんだな。この家は。
 でも、また笑えたのだから、それでいいよな。
「じゃあ、再度乾杯と行こうか。そうだ、遙も飲んでも良い歳だし、一杯どうだ?」
「え、それは・・・」
 お父さんの言葉に戸惑う遙。うーん、遙が飲むところも見てみたいなあ。
「そうだな。遙も一度体験しておいた方がいいぞ」
「そうかなあ?」
「そうそう」
 良いながら遙に空のグラスを渡し、ビールを注ぐ。
「お父さん、私の分は?」
「茜はまだ高校生でしょ」
「えー、ずるーい」
 お母さんにたしなめられ、むくれる茜ちゃん。ずるい、ではないだろう。ならば早く20歳になりなさい。
 でも、ずいぶん明るくなったな、茜ちゃんも。
 ・・・もう、俺のことを「お兄ちゃん」と呼ぶことは無いのだろうけど。

「じゃ、遙の大学入学を祈願して、かな? 乾杯」
「乾杯」
 チン、と言う音とともに俺と遙のグラスがあたる。
 そして遙は、注がれたビールを一気に飲み干した。
「遙?」
 いきなりのことに驚く俺。いきなり一気飲みか?
「ふあーっ・・・」
 トン、とグラスをテーブルに置く遙。なんか幸せそうな顔をしている気がするが、気のせいだろうか。
「だ、大丈夫か?」
 いきなり倒れたりしないよな?
「ん? 何が?」
 何でもないような素振りで返す遙。
「これ、おいしいねー」
 そう言って、ビールを指す。
「そうか、もう一杯どうだ?」
「うん、ちょうだい」
 遙はグラスをお父さんに差し出すと、お父さんにビールをついでもらう。
 こぽこぽこぽ・・・。
 そしてそれを再び、一気に飲み干す。
「ふあーっ」
 幸せそうに微笑む遙。唖然とする家族。
 遙・・・初めて・・・飲むんだよな?
「お姉ちゃん・・・すごい・・・」
 かろうじて茜ちゃんが言葉を発する。
「どうしたの? 孝之君。ほら、孝之君も飲もうよぉ」
 遙は何でも無いかのように、そう言ってビール瓶を持つ。
「はい。孝之君」
「あ、ああ・・・」
 コポコポコポ。
 続いて自分のグラスにもつぐ。
「じゃ、かんぱーい」
「・・・かんぱーい」
 チン、とグラスをあてると、やはり一気に飲み干した。
「ふあーっ」
 う、嘘でしょ?
「ほら、孝之君も」
「あ、ああ」
 そろそろキツイんだけどな・・・。
 でも、遙が何だか期待の目で見てるし・・・。
 ええい、ままよ!
 ゴクッゴクッ。
「ふーっ」
 トン、とコップを置く。
「鳴海君は、ウィスキーなどはいけるのかな?」
「・・・ええ、まあ。どちらかというと、そちらのほうが」
 ウィスキーは自宅に常備しているくらいだからな。
 俺は元々ビールをガブガブ飲むよりは、ウィスキーをゆっくり飲むほうが好きなんだ。
 ・・・一人で飲むことが多いからだと言われてしまえばそれまでだが。
「じゃあ、そっちにしようか。お母さん」
「はいはい」
 言われるか言われないかのうちに立ち上がっているお母さん。すごいな。
 あっという間にウィスキーと氷が用意される。
 しかし、このウィスキー・・・名前は知っているけど・・・高いので、飲んだこと無いんだよな・・・やっぱすげえな。
「ロックでいいかな?」
「あ? ええ」
 しまった、ボトルに見とれてしまった。
「はい」
「あ、どうも」
「お父さん。私も」
 遙?
「ああ・・・かまわないが・・・大丈夫かい?」
「え? 何が?」
 いくら小さめのグラスとはいえ、いきなりビールを3杯も飲んで、ケロリとしている遙って・・・。
「じゃあ、1杯だけな」
「うん」
 お父さんは慣れた手つきで用意をする。
「じゃ」
「かんぱーい」
 嬉しそうだな、遙・・・っておい!
 ごくっごくっ。
 ビールと同じように一気に飲みだす遙。
 それはヤバイって!
「ふあーっ」
 コトン、とグラスを置く音。
「これもおいしいねー」
 平然と話す遙。多少陽気になり、頬がほんのり紅くなったか? という程度で、普段の遙とほとんど変わりない。
 マジデスカ・・・。
「なんだか・・・お母さんを見ているみたいだよ」
「あらあら、そうですか?」
 お父さんの言葉に普通に返すお母さん。
 ・・・もしかして、アルコールに異常に強い体質は、お母さん譲りですか?
「孝之君? どうしたの?」
「え? ああ、何でもないよ」
 俺は思わず固まってしまっていたようだ。ごまかすようにグラスの中身をぐいっと飲み干す。
「・・・美味い」
 これが高級品の破壊力ですか? 普段俺が飲んでいるものとは比べちゃいけないくらいの味ですよ・・・。
「ん?」
 不意に視界が歪んだ気がした。
 あ、なんか回ってるかも。そういや、一気に飲み干す必要なんか無かったんだよな。
 しかし・・・俺、この程度で来るほど弱かったか?
 あ、そう言えば昨日はゲームやってて遅くまで起きてたか・・・また慎二が面白いゲーム持ってきてくれてな・・・。
「孝之君?」
 んー、なんか遙の声が聞こえた気がするな・・・えーと、どこまで言ったっけな・・・そうそう、そのゲームの中ボスがまた・・・。
「たかゆきくん、だいじょうぶ? ねえ?」
「なるみさーん・・・たったこれだけでだうんとは、ちょっとなさけなくないですかー?」

 ・・・意識が遠のく直前、遠くで遙と茜ちゃんの声を聞いた気がした。

続く